第三章~スナー家~
ガドネア歴 九七五年 四月 五日 ミリア・サンディー
冒険者は、旅で起こった出来事をこうして手記にまとめるそうです。これはその練習のため、今日起こったことを書き記してみました。
ファーネルの指導の下、冒険者に必要となる知識を覚えていきます。文字や計算については特に問題はありません。ガドネアの歴史は、ちょっと興味が引かれました。お返しにディトリア・クレール、もっと言えばデリシア王国の過ちをこれでもかと話してみましたが、ファーネルは意外にその辺りにも明るく、ついつい話が弾んでしまいました。
知識としては、申し分はないとのことでした。後は心構えとか、そういったこと。
冒険者は、下手をすれば明日死ぬかもしれないし、幸運にも生き延びることもあるかもしれない。突然の死別は仕方ないものとして受け入れる覚悟が必要だと、まず最初に教えて貰いました。ただ、それについて龍族は割と鈍感であると、昔からよく言われています。ここに来るまでに侍女三人を喪ってしまいましたが、強い悲しみはありません。人間からすれば薄情とか言われそうだけど、これは私たちの本質であり、そういった意味では獣に近いとも言えます。ただ、これは将来旦那となる人を喪ったときは、この限りではないかと思います。
常に死と隣り合わせで生きてきた祖先は、そうやってある程度の感情を捨てて生きてきたことが、多分、その子孫たる私たちも、鈍感なことに繋がっているかも知れません。
くだらないことを書いてしまいました。
取りあえず、ファーネルと勉強して、冒険者の資格を得る。今はそれだけを考えましょう。
ガドネア歴 九七五年 四月 五日 ミリア・サンディー
冒険者は、旅で起こった出来事をこうして手記にまとめるそうです。これはその練習のため、今日起こったことを書き記してみました。
ファーネルの指導の下、冒険者に必要となる知識を覚えていきます。文字や計算については特に問題はありません。ガドネアの歴史は、ちょっと興味が引かれました。お返しにディトリア・クレール、もっと言えばデリシア王国の過ちをこれでもかと話してみましたが、ファーネルは意外にその辺りにも明るく、ついつい話が弾んでしまいました。
知識としては、申し分はないとのことでした。後は心構えとか、そういったこと。
冒険者は、下手をすれば明日死ぬかもしれないし、幸運にも生き延びることもあるかもしれない。突然の死別は仕方ないものとして受け入れる覚悟が必要だと、まず最初に教えて貰いました。ただ、それについて龍族は割と鈍感であると、昔からよく言われています。ここに来るまでに侍女三人を喪ってしまいましたが、強い悲しみはありません。人間からすれば薄情とか言われそうだけど、これは私たちの本質であり、そういった意味では獣に近いとも言えます。ただ、これは将来旦那となる人を喪ったときは、この限りではないかと思います。
常に死と隣り合わせで生きてきた祖先は、そうやってある程度の感情を捨てて生きてきたことが、多分、その子孫たる私たちも、鈍感なことに繋がっているかも知れません。
くだらないことを書いてしまいました。
取りあえず、ファーネルと勉強して、冒険者の資格を得る。今はそれだけを考えましょう。
第三章~スナー家~
アーサー達がガドネアへ旅立った後、二人は冒険者協会を訪れていた。試験への申し込みと、そしてその日程の確認のためである。申し込みは滞りなく終わり、試験は四日後の光曜日、午前九時からとなった。午前中が筆記試験、午後が実地試験である。筆記試験では、識字の具合や簡単な計算能力を見るものである。これらのできが悪い場合は養成講座を受けて冒険者になるコースもある。午後の実地試験は、個々の戦闘経験や筆記試験の成績などで独自に判断される。元々戦闘経験豊富だったり、冒険者の手伝いをして依頼達成に貢献したことがある場合などは、免除となることもある。逆にしっかりと実地訓練を行うという意味で一~二週間ほどかけての依頼を受けるということもある。ここは冒険者協会の裁量に大きく左右される部分だ。
二人は受付を離れた後、談話スペースにて話をしていた。
「……つまり、足止めを食らう可能性もある、というわけですね?」
「ああ」
ふむ、とミリアは考える。
敵を見失ってから既に三週間あまり。試験申し込みのついでに他の龍族の目撃情報がないかを念のため尋ねたが、アクエイスで一人保護されたという、自分の情報以外には皆無だったことに、ミリアは小さく嘆息する。
「ファーネル、龍の目撃情報がこの大陸全体に知れ渡るのにどれぐらい時間がかかるものなのでしょうか?」
「そうだな、冒険者協会であれば、二週間もあれば全域で共有される。ミリアがアクエイス付近に降り立った情報なら、もうガドネア全体で共有されているだろうし、保護されたという話は俺たちよりも先行して別の冒険者が伝達しているはずだ」
情報伝達専門の冒険者がどこにでも数人いる、とファーネルが語り、だから既に知られていたのか、とミリアも納得した。
この町は、ガドネアでも最東端かつ最南端である。その対角にある小さな村からの情報は、ピンポイントで急げば翌日、情報を各主要都市にばら撒きつつであっても、最短一週間、最長でも二週間はかからない。
「……馬車よりも速い伝達方法があるのですか?」
「アーサー達を見ただろ?」
ミリアは、それだけで察した。
「なるほど、空を行くのですね」
ガドネアは、人龍のふるさとと言われるぐらいに、その割合は多い。二〇人に一人は人龍がいるぐらいである。その中でも純血家系も多いし、逆に祖先の誰かが人龍だったという家系は枚挙に暇がないぐらいである。それだけ、ここでは人龍の比率が高い。
空を飛べる利点については、ミリア自身がよく知っている。
町から町への移動は、地形に左右されずまっすぐ行けるし、地上を徘徊する魔獣や魔物を一切素通りできるのだ。その他速度も出せるので、連絡手段としてはこれ以上のものはないだろう。
ただ、利点だけではない。
人龍は、空を飛ぶときは大きな武器を携行できない。せいぜい短剣か、軽い杖ぐらいである。防具も軽さを優先して、革の胸当てぐらいしか装備しない。ミリアはそれでアーサーもマリアも軽装備なのか、と納得する。
加えて、飛行中に使う場合の魔法は、色々問題を抱えている。魔法を放った直後は、自分らと同じ速度を僅かに保つが、その後急速に失速して魔法本来の速度にまで低下する。これは馬車での移動時も同じなのだが、馬車はそれほど速度が出ていないため気付きにくい点である。
これがどんな問題になるかはすぐに気づける。
魔法発生時は良いとしても、前に放った魔法をあっという間に追い越してしまうか、下手すればそれに突っ込む形となってしまうのだ。
空中で散布するように魔法を放っても、術者が離れてしまえば魔法自体が消えてしまうため、空を飛んでいる状態で敵に攻撃を入れる方法は、肉弾戦を仕掛ける以外に方法はないと言っても過言ではない。なまじアーサーやマリアの戦闘を見学しその強さを垣間見たが為に、そこが残念でならないミリアだった。
話の脱線ついでに、ミリアはガドネアについて色々と尋ねてみた。
「一六歳修行は、私たちの国では余りメジャーではありませんが、こちらではどうなのですか?」
「ほぼ全員が参加するな」
「ぜ、全員ですか?」
ミリアは驚き、故郷の事情を話してみる。
既に定まった目標があるのであれば、それに対して邁進することが優先される。冒険者となって旅に出るのは、兄や姉が家系を継ぐことが決まった場合や、定職につかず遊びほうけるためだ等と揶揄され、余り良い目で見られないことも多いという。
逆にガドネアでは、将来何になるのか決まっていようが、ほぼ冒険者となって旅に出る風習である。王家ですらそれに倣っており、例え跡継ぎ、王位継承者が一人しかいなかろうが、旅に出してしまうのだ。それについてもミリアは驚くが、目の前にその王位継承権持ちがいることで、納得するしかなかった。
なお、ガドネア出身者はほとんどが無事に戻ってくると謳われている。帰ってこない人たちは旅先で根を下ろし、そこで新たな家庭を築いてしまったためであり、事故や戦闘に巻き込まれて死亡したという話は殆ど聞かない。
「……なるほど、おもしろい話ですね」
なおミリアは若干引き気味である。死者がほぼいないというのは、すごいを通り越していささか奇妙すぎるからだ。何かしら呪術めいたものではないかと色々考えてしまうのだが、答えはより単純なものである。
「まあ、向こうの魔獣に比べると、ガドネアの魔獣は桁違いに強いらしい。それでも冒険者になるにはゴブリン程度を単独で討伐できる程度の実力が求められるからな。向こうの魔獣ならどの程度の強さになるんだろうか……」
そしてミリアの頬に嫌な汗が流れた。
もしかしてガドネアってとんでもないのでは、とそう考えて。
それから二人は、場所を宿に移した。昨日泊まった豪華な場所ではなく、普通の冒険者用の宿だ。それも、しばらく連泊する必要があるため、格安の場所だ。部屋は念のため二人部屋を二つ。アーサー達がいつ戻ってきても良いようにだ。それで男女別にするということにしたのだが、ミリアは何故か不服そうな表情だった。
「やはりあの豪華な方が良かったか?」
「いえ、あれはさすがに贅沢すぎます。宿はこれで十分です」
「なら、何でそんなに不服そうなんだ?」
「そうですね、せっかく二人部屋を借りているのですから、私たちで使えば良いと思っているだけですよ。もう一部屋はアーサーさん達が戻ってきてから押さえるのでも良かったのでは、とそう思うのです。お金が勿体ないです」
「とはいえ、俺は男だぞ?」
「ええ、それが何か?」
話が何故か通じない、とファーネルは考え始めてしまう。一応うら若き男女だ。ファーネルも健康な男であり、そうしたことに対しての興味は尽きない。目の前にいる龍族の女の子も見目麗しく、そうした対象として見ないよう努力はしているのだ。女性としての警戒心はないのか、と考えてしまうのだが。
このことを伝えるのはなかなか難しいし、伝えたら伝えたでそれをネタに弄ってくる可能性が高い。この手の駆け引きは、どうもミリアの方が上手のような気がした為、敢えて何も言わないことにした。のだが。
「別に、私に欲情して押し倒してしまっても一向に構いませんよ? むしろ大歓迎です」
と、勝ち気に微笑んでそんなことをのたまった。
「……お前なあ、せっかくはぐらかそうとしたことをそこまではっきり言わんでも。ともかく。部屋は分ける、以上!」
ファーネルの反応に満足したのか、ミリアは満足げに笑った。
「解りました。今日のところは向こうの部屋で寝ます。けど、まだお昼です。それまでの時間」
怪しげにミリアが微笑み、ファーネルは生唾を飲み込む。
「冒険者になるための勉強を教えてくださいね」
溜息を吐くファーネル、したり顔のミリア。ああやっぱり上手だなあ、と彼は嘆息するのだった。
一方。
アーサーとマリアは、海面から一〇〇フォーセルの高さをを、南に向けて飛ぶ。
「……何にもないわねー。本当にこのまま進んでいけば島があるの?」
「ああ、海面をよく見て。所々にブイが浮いているのが見えるだろ?」
アーサーは眼下を過ぎ去っていく青色の浮子を指さした。
「あ、ホントだ。……あんな色にしてるから見分けが付かないわよ」
「まあ、あれにも理由はある」
風の音が大きいため、二人ともそれなりに声を張り上げながらの会話である。
「どんな理由ー?」
「着いてから話す」
「解ったー」
マリアは納得はしていないが、今のこの状況では話せないことかも、と判断してアーサーから少し離れ、上空へと舞い上がる。
すべての方向が海だ。少しでも上空に上がると、浮子は見えなくなる。意図して上空から見えなくしているようにも感じられ、上からアーサーの飛ぶ方向に従い、進路を取るのだった。
四時間後。
二人は無事に島へと到着した。
聖龍島。周囲一〇〇フォーカイはある島ではあるが、人が住まう地域はこの港町と、少し離れたアーサーの出身地となる集落だけだ。南側は人の手が及ばない地域である。
町の規模は大したことはない。宿も一軒だけだし、商店街といっても幾つかのお店が並ぶだけだ。
アーサーは買い物がてら、そんな商店街を案内する。
お店は大した商品もなく、少々寂れている印象だ。購入できるものはほとんどがパルスから持ち込まれたものだが、一部の野菜はこの島で採れたものである。
「まあ、ここは特産物といえるのは、茶葉ぐらいか」
「茶葉? えっと、あ、たしかドラゴニア・ティー?」
「正解」
アーサーは雑貨店で売られていた花束を購入した。
「お花? 私に? 照れるなぁ」
「断じて違う」
マリアのボケへ即座にツッコミを入れ、ふと寂しげな表情となった。
「まあ、母親へのプレゼントだな」
「……にへ」
「変な笑い方するな」
「だって、ねえ?」
母親へのプレゼントと聞いて、マリアはニタニタと笑い出した。これについてはツッコミを入れないことにして。
「さて、じゃ上地へ行こう」
「かみち?」
「ああ、海から身見えただろ、崖の上の地域を上地と呼んでいる」
「いよいよ以て辺境みたいな」
「まあ、実際に辺境だな」
そのまま崖沿いに歩き、階段にさしかかる。
「悪い、飛ぶと花が散るから階段を上る。面倒なら先に飛んで行ってくれても構わないぞ」
「ううん、アーサーと一緒に歩く」
何処までも、アーサーと一緒が良いというマリアだった。その言葉に若干の嬉しさと気恥ずかしさを感じるアーサーだった。
崖の高さは三〇フォーセルほど。手すりがなく一歩踏み外せば、地表まで真っ逆さまだ。人龍は空を飛べるから、この階段を使うことの方が希であることから、余り整備すらされていない。そのため小石が転がったりしているなどで歩きづらいし、斜度も急だ。
アーサーは苦もなく登り切ったが、マリアはさすがにつらそうにしていた。無理に俺に合わせなくても、とはもう言わない。何を言ってもマリアはアーサーと共にいたいというし、アーサー自身もそう言ってくれることが最近は嬉しくもあるのだ。
マリアが呼吸を整えてから、アーサーは奥へと案内をする。
森にさしかかったところで、アーサーは足を止め、マリアも従った。
「どうしたの?」
「この先に結界が張られていてね。そのまま飛び込むと元の場所に追い返されるようになっている。ちょっと待っててくれ」
アーサーは呪文を唱えると、仄かに手が輝いた。何かしらの魔法がそこに揺蕩っており、彼はそのまま手を伸ばした。すると、手を中心に光の輪が広がり、丁度人が通れるぐらいまで拡大した。
「さ、いこう」
「うん」
アーサーがまず結界をこえ、アーサーが手を差し出す。マリアはちょっとビックリしてから、その手に自らの手を重ね、結界を越えた。
「悪いな」
「何が?」
「手。結界を開いた人物と接触していないと弾かれるようにもなっている」
そんなことか、とマリアは苦笑した。
「アーサーと手をつなぐの、私好きだよ?」
マリアは照れくさそうに微笑み、アーサーは正面に向き直る。
いつの間にか、その手は離れていた。
まっすぐ進むとちょっとした広場があり、そこから放射状に道が延びる。南側にひときわ大きな建物があり、そこがアーサーの実家だと話す。
マリアは、スナー流の本家ということで道場等があるかと期待したのだが、その想像は外れだった。確かに周りに比べれば大きい家だが、ファルアスタシアの家と比べると小さい。作りも古いし、屋根裏に部屋がある平屋建て、という部分しか、ファルアスタシアの家に勝っている部分がなかった。
「その、……私たちの実家の方が大きい、ですよね?」
「……まあ」
「ちょ? ……ごめんねアーサー、お姉ちゃん悪気があってじゃなくてね?」
アーサーも、この二重人格の各々の違いも慣れたものである。今の主導権は天真爛漫な妹の方にあるが、さすがに驚きが大きくて姉が思わず声を上げた、という風だった。
「いや、まあ、良いよ。オンボロの家だってことは見たままだしさ」
アーサーは再び歩き始め、マリアが続く。
しかし、とマリアは周りを見渡す。人の気配がない、と。昼間だし、誰か一人通行人がいてもおかしくはないじゃないか、とそう思うのだった。
玄関に到着すると、アーサーは腕を組んで考え出した。
「……どうしたの? 扉を開けるのが怖いとか?」
「まあ、な」
アーサーが扉の前で渋っているのを、マリアは実家に戻ってきたのを恥ずかしがっているのかな、と考えた。そこで助け船を出してみた。
「じゃあ、私が開ける?」
「やめろ死ぬぞ」
「……へ? 何でですか?」
姉と妹が驚いて声を上げた。
「トラップが仕掛けてある。……いつものクソ親父の挑戦状だ」
「ちょっ?」
アーサーのいきなりの暴言に、すっ頓狂な声を上げるマリアだが、もう一つの言葉、トラップということにもう一度驚いていた。
「え、なんでトラップ? …なのですか?」
「親父の趣味だ。外に遊びに行くと大概こういうイタズラを仕掛けている。自分だってここを通るのに面倒なはずなのに、毎回毎回……」
と愚痴りながらも、アーサーは扉に手を伸ばし、手慣れた手つきでトラップを解除していった。
「で、どこかからこの様子を見ていやがる。おい親父!! 客人がいるからいい加減にしろ!」
と、アーサーは上に向かって怒鳴る。
ややあってから、壁の一部が開き、そこから中年男性が顔を出した。もう一度いうが壁だ。窓ではない。
「客人て誰……」
挨拶も無しにその男が口を開いたが、マリアと目が合った瞬間に動きを止めた。
「ちょっと待ってろ」
そういうやいなや、男は顔を引っ込めて壁を閉じる。そしてしばらくしてから扉の向こう側でガタガタと音がして、その扉が開…、取り外されて先ほどの男が登場した。
「ようっ。いらっしゃい。ほう? アーサーはお帰りってことで良いのか?」
「いや、まだ旅の途中だ。どうして旅をここで終えるとか……いや聞かないでおこう」
「そりゃこんなべっぴんさんを連れて帰ってくれば、テメエが嫁さ連れて帰ってきたってもんだろ? ……違うのか?」
アーサーが否定しても、勝手に話をする男だった。
ブラスト・スナー。アーサーの父で、まだまだ若く、現役の三五歳だ。現在は大工の棟梁を務めているが、トラップや仕掛け扉などの知識は高く、とんでもない作品を作り上げることもあるという。
この扉は、そうしてギミックの練習として作っているものなので、アーサーを困らせようという部分は半分ほどしかない。
そんな父の言葉に対し、二人は答える。
「ちがう」
「そうだよ」
と。それで二人目線が絡み、アーサーがジト目で睨むとマリアが折れる。が、ただでは転ばない。
「……でもアーサーのことが好きなのは変わらないもん」
「ほーう?」
そしてブラストもジト目でニヤニヤと睨んでくるが、ふと真面目な表情となった。
「まあ冗談はこのくらいにしておこう。ようこそ、スナー本家へ。何もないところだが、歓迎しよう」
「……最初からそうしてくれ」
アーサーはガクッと項垂れた。
リビングに招かれた二人は、食卓の席に座る。
「して、この娘を連れてきた理由は?」
「ああ。……本家の話をしておこうと思ってな。先に母親のところに行ってきて良いか? 挨拶を済ませたい」
「そうか」
ブラストはアーサー達から目線を外し、押し殺したように短く返事した。その様子にマリアは様子がおかしいことに気付くが、アーサーが立ち上がったところで余計な詮索をやめた。
アーサーが先に玄関をくぐり、マリアが続く。そしてすぐにアーサーに並び、見上げた。そして小声で尋ねてみた。
「……その、アーサーのお母さんって?」
「着いてくれば、わかる」
ややぶっきらぼうに答えたアーサーは、南へと足を向けた。マリアも慌てて追い、並ぶ。
「……お父さんのこと、怒ってるの?」
「いや、そういうことじゃない。ただ、母親のことは余り触れられたくないみたいでね」
マリアは頷き、その後は無言でアーサーについて行く。
少し南に行くと、お花畑が広がる。そこを迂回するように西へと向かうと、少し広い場所に出た。
「……」
そこに並ぶものに、マリアは息をのむ。
沢山の石碑に、刻まれた文字。それぞれ人の名と、数字が刻まれていた。まごうこと無き、墓地だ。
アーサーは迷いなく足を進め、そしてその場所へと到着した。
「紹介する。俺の母親だ」
そこにあるのは、スナー家代々の墓だった。綺麗に掃除されており、アーサーが持ってきた花と同じ物が既に備えられていた。アーサーはそこに持ってきた花を供える。そして軽く祈りを捧げ、マリアもそれに何となく従った。
二人とも祈りを終えると、二人は無言のまま墓所を後にした。
そして花畑の傍らにある東屋まで移動してから、アーサーが口を開いた。
「もし、俺のことを好いているのなら、スナーの呪いについて話しておかなくてはならない」
「呪い? なんだか穏やかじゃないわね?」
「ああ、穏やかな話じゃない」
アーサーはマリアを正面から見る。マリアもそれに答えるように、改めてアーサーを見上げた。
スナー家の女性は、早死にする。
それは、スナー家に生まれた女性も、スナー家に嫁いだ女性も同じく。理由は不明、原理も不明。そして死因に関しても多義に渡る。事故死、滑落死、溺死、病死。自死はないが、ごく希に他殺。何十代と続くスナー家だが、一桁世代の頃からこれが発現し、現在に至る。最初の三世代は何かの偶然として、その後の三世代で呪い、と定義した。以来何十代とと続くスナー家だが、これまでの歴史で、例外なく女性は早死にしてきている。最近では、アーサーの母親だ。
「俺は、母親の顔も、声も知らない。ただ、親父には元々病弱だったこと、あの白い花が好きだったこと、……そして俺を生んですぐに息を引き取ったと、そう聞いている」
マリアは驚きの余り、目を見開き口元を押さえる。
「スナー家の呪いは、必ずマリア、お前にも牙を剥くだろう。命が惜しいのなら、俺から身を引いてほしい」
アーサーは、自分らの不幸に他人を巻き込みたくないと、ただそれだけなのだ。
これは、アーサーの優しさの裏返しでもある。死が約束されている人生よりも、もっと幸せで長生きできる人生はたくさんある。そちらを選ぶべきだと、暗に告げるのだ。これまでだってそうだったし、これからもそうだと、彼は考えている。その性でスナー家が終わってしまっても、一向に構わないとさえ、彼は考えているのだ。
「……アーサーが言いたいこと、わかったよ」
マリアは達観した表情で、頷いた。
「でもそんなことどうでも良い」
そして、そんなこと、と一蹴した。
「……え?」
「私は、アーサーのことが好き。……私も、アーサーのこと、大好きです。二人の心は変わりません。私も、妹も」
マリアの、正式な告白だった。
少し前に話そうとしていたが、移動の時間があって順延していたものだ。アーサーもこのタイミングで、と考えるが、告白を受け、ちゃんと断るのが筋であることも理解していた。
彼が口を開く前に、マリアが制止した。
「私たち、どうして二重人格なのか。……家族は知っているけれどね。アーサーが自分の家系のことを話してくれたのだから、私もちゃんと話すね。多分、家族以外に話すのは、初めてだから……」
アーサーはややあってから頷いた。
ファルアスタシア家に、子供が生まれた。姉はマリア、妹にはアリアという名を与えられた。彼女らは、双子だった。
時は経ち、二人は成長する。見た目は、黙っていれば見分けが付かないほどに瓜二つだった。しかし、姉はおしとやかに、妹はおしゃまで快活に。性格は正反対になったが、それでもとても仲が良く、何をするにしても常に二人一緒だった。
そんなある日のことだった。
砂漠で、スタンピードが発生した。進路はアクエイスの町を掠め、町に少なからずの被害が出た。被害者はたった一人。だが、その一人が。
マリアはぐしっと鼻を鳴らす。
「だから私は、自分の心の中で、妹は死んじゃいないって強く強く、何日も何週間も思い続けて。そしたら、声が聞こえたの。妹は生きてるんだって思って。でも違っていて。……妹の声は、周りの誰にも聞こえない。でも私だけには聞こえる。なんで聞こえないのって、妹はここに居るって、泣いて叫んでも、誰も聞いてくれなかった。……そしたら、妹が来た。私はここに居るよって、話してくれた」
マリアは一旦言葉を切る。
「今は、『アリア』はあのときに作り出してしまった幻想だってこともちゃんと理解しているし、妹もそういう存在だって解っていて、ずっと私の心の中に留まってくれている。……気持ち悪さでいえば、私たちの方が上じゃないかな?」
マリアは自嘲気味に、アーサーに微笑んだ。その笑みに、アーサーは応える言葉が見つからなかった。
「夢見の能力は、アリアが幻想だということに気付いたときに発現したの。そして、あなたの夢を見た。いつか出会う、私たちを理解してくれる男の人。そんなひとだから」
「大好きにならないわけないじゃない」
と、快活な笑みをアーサーに向けた。
その笑みに含まれるものは、全幅の信頼と愛情だった。
アーサーは、心が揺らぐ。いや、最初から揺らいでいたと行っても良いだろう。普通であれば、振るつもりでいる女性をこんな場所にまで連れてくる気はなかったし、もっと以前に無碍にしていたであろう。だが、出会って数日でしかないこの女性に、アーサーは何故か心を乱していた。理由は、よく考えれば明白だ。
スナー流を、ファルアスタシアの流儀を持って見事に打ち勝った女性だ。武術をたしなむ人間として、これほどまでに心を奪われたことはない。そして、彼女を知りたい、とアーサーは何処かそう考えていたのかもしれない。その武を通して、マリアのことを知りたいと、考えてしまったのである。
その後の短い時間ではあるが、一緒に旅をして、ファルアスタシアの件以外でも惹かれていることに、今更ながら気付く。それが、彼の心を乱している理由だと気付けば、心は逆に落ち着いた。彼女の言葉を受け入れるか、それとも拒否するべきか。答えは決まった。アーサーは一度、二度深呼吸をして。
「なんだ? まだこんなところにいたのか?」
「うわぁ!」
不意にかけられた声に、盛大に驚くのだった。
振り返れば、何驚いてんだ、と逆に驚くブラストの顔があった。
「……なにがどうした?」
「まあ、ちょっとな」
二人してブラストを見上げていると、彼は東屋の席に座る。
「今日は天気が良いな」
「そうだな」
アーサーが即座に答え、マリアも頷く。
「……昔話をしてやろう」
「何だよ藪から棒に」
「まあ、聞けって」
村に住む青年は、小さな頃から物を作るのが上手で、八歳の頃には丸太から小さな犬小屋を作ったり、ちょっとした木製アクセサリーを作ったりできるほどの腕前になっていた。そして彼は一六歳を迎え、冒険者資格を取るため、ユニス王都へと海を渡った。その後北へと旅をした彼は、バース王国を訪れ、それを目の当たりにした。国の内外から白亜の城と謳われる荘厳な、メルカヴァ・バース王城だ。彼はその城をしばらく見上げていたが、これだ、と決意した。
彼は将来何になるのかをこの時に決めてしまい、その足で島へと舞い戻った。余りにも早い凱旋に周りは戸惑うが、特に喜んでいたのは彼の幼馴染だった。
名を、レイチェルという。彼女は幼いときに、ついでだからと言って作って貰ったアクセサリを、ずっと大事にしていた。これがきっかけで、彼女は彼のことを一途に想うようになった。彼女は、彼が帰ってきたときに話そうと決めていたことがあった。
彼のことが好きだ、と。
しかし彼は、彼の家にまつわる呪いの話をして、説得を試みた。この時は保留としたが、すぐに彼女は彼を籠絡にかかった。
病弱のはずのその子が、そこまで強い想いを秘めていたことに、彼の方が折れることとなってしまった。
その後、彼の方から正式にプロポーズをして、彼女はその呪いある家系、スナー家の一員となった。
だが、元々病弱だったこともあってか、身ごもった後は床に伏せることが多くなった。町医者は出産は無理だと説得したが応じず、この子供は絶対に産む、と強い意志を示して見せた。
そして。
一人の命が生まれ、一人の命の灯火が消えようとしていた。
夫はその手を握り、妻は微笑んで、宣言した。
「えへ。やったよ。私の完全勝利」
レイチェルは、もう身体に力を入れられなかった。少し寂しそうにしながらも、そう宣言した。
「ああ、よくやった」
夫は、妻の額に浮かぶ汗をタオルで拭く。そして産婆から渡された我が子を、愛おしげに抱き、妻に見せた。
「俺と、お前の子だ。男の子だぞ。元気そうだ」
レイチェルの目が細められ、嬉しそうに微笑む。
「……あはは、力が入らないや」
夫は、妻の眼前に、眠る我が子を押しつけるようにした。
「暖かいな。……うん、アーサー、健やかに育ってね」
ぐしっと夫が鼻を鳴らす。
「ブラストさん、最後にお願いがあるの」
「最後だなんて、いうなよ」
「ああ、渋い声。この声好き。……キスしてほしいな?」
消え入りそうに、レイチェルは夫にそうせがむ。夫は迷うことなく頷き、軽くその唇へと触れた。
顔を放せば、とても幸せそうな笑顔でレイチェルは夫を見上げ、やがてゆっくりと目を閉じていき。
ぐし、とマリアが鼻を鳴らす。
「……クソ親父、美化しすぎだ」
アーサーも、間際の話を聞くのはこれが初めてだった。
「いや、誇張なく本当にそのままだ。レイチェルに誓って一切の脚色はない」
因みに、アーサーも目を押さえている。
「俺はレイチェルを受け入れた。結局呪いを撥ねのけることはできなかったが、元々子を授かることすら敵わないとまで言われていたレイチェルだ。だが、お前を生むことができたんだ。完全勝利の何物でもないだろう。俺の、自慢の最愛の妻だ」
彼は、過去形にはしない。今でも愛しているからだ。
「俺から一つだけ聞きたい。……こんなスナー家だ。呪いを受け入れる覚悟は決まっているんだな?」
「はい。勿論です」
マリアはその目に強い意志を称え、即答した。
「解った。俺からはもう何も言わねえ。アーサー、次はお前だ」
「……ああ」
アーサーは逡巡する。その間、マリアは熱い眼差しをアーサーに向け続けていた。
「正直、俺はマリアのこと、好きかどうかで聞かれたら、解らない、としか応えられない。今までそういった事情があって、女性を好きになっては駄目だって自分に言い聞かせていたからさ」
アーサーの発言に、マリアは静かに頷く。
「だけどさ、そこまで俺のことを好きでいてくれるなら、俺は君、いや、君たちのことをちゃんと好きになってから応えてあげたい。だからその、嫌いにならず待っていてくれると嬉しいかなって」
そう答えるアーサーに、確かな愛情を感じるマリア達である。
「ま、こいつは堅物だからな。ゆっくりねっとりじっとり、落としてやれ」
「……おい親父?」
「そうですね。……因みにレイチェルさんはどうやってお義父さんを落としたのですか?」
「おうっ。って、それ女性が聞くかフツー?」
「後学のためにも是非参考にさせてください」
お義父さん呼びした事にブラストは気にも留めず、詳しくレクチャーしようとするが、そこはさすがにアーサーが遮った。
「いい加減にしろ」
「いけずー。……いけずですねアーサーは」
そしてマリア二人の抗議に、ブラストは吹き出す。
何だかんだでお似合いだな、と。
夕刻。急いでパルスへと戻ろうとするアーサー達に、今晩は泊まっていけ、とブラストが引き留めた。
夕食はブラストが作ろうとしたのだが、そこにマリアが手伝いに入った。急な訪問だったこともあり夕食の材料はあまりないため、質素な食事となってしまう。それでも、男二人はうまい、と言って完食した。
そして夜。寝室の問題だ。
スナー家の母屋は、小さなリビングダイニングと、部屋が四つ。それぞれブラストとレイチェルの寝室、ブラストの書斎、アーサーの私室件寝室、そして物置だ。さすがに物置を片付けるような時間もないので、どこかの部屋に泊まって貰うこととなった。
なお、アーサーがいつ戻ってきても良いようにと、シーツなどはちょくちょく洗濯していたため、綺麗である。
「じゃ、俺はリビングで寝るから、マリアは俺の部屋を使ってくれ」
「いいの? ……うーん、でもそれだとアーサー眠れないんじゃ?」
「俺は何処でも眠れる。冒険者の必須スキルだしな」
「でもそんなことしなくても良い方法があるわよ?」
マリアがこれは良いアイデア、と顔をほころばせた瞬間。
「断る」
アーサーは何も聞かず却下した。
「……むう?」
聞いてくれないアーサーに、頬を膨らませる。
「因みに、どんなアイデアだ? 俺は、マリアをレイチェルの部屋に泊まって貰おうかと考えていた」
ブラストが横やりを入れ、マリアが答える。
「私も同じです。お義父さんさえよければ、レイチェルさんの部屋を借りようと考えました。勿論レイチェルさんとの思い出が最優先なので、断って頂いてももちろん大丈夫です。その時はアーサーが考えたプランでも良いですし」
ぎく、とアーサーが身体を震わせた。
「……だとよ?」
ブラストは、ニヤニヤとしながらアーサーを見る。
「何を考えてたんだ? ん? お父ちゃん怒らないから聞いてあげまちゅよ?」
「……こンのクソ親父」
赤ちゃん言葉に思わず切れそうになるアーサーに、ブラストは大笑いだった。しかし、さすがに反論はできない。ムキになって反論すれば、自分が一人だけ恥ずかしい事を考えてしまったことが露見してしまうからである。
彼は、マリアはこういうと思っていた。アーサーと一緒に同じベッドで寝る、とか。うん、とっても恥ずかしいことだ。因みに、ブラストはともかく、二人の様子にマリアも気付いているのだが、彼女もギリギリ照れずに頑張ってるのは内緒だ。
結局、アーサーはリビングで、ブラストは自室、マリアはアーサーの部屋で寝ることとなった。レイチェルの思い出が最優先された形となる。
毛布は替えが沢山あるのでそれを引っ張り出し、それにくるまる。
四月。南半球にあるガドネアは、これから秋本番。その大陸から更に南に位置するこの島はもっと気温が低く、日が暮れればかなり冷え込んでくる。
アーサーはソファーに横になり、何度か毛布を調整し、丁度良い塩梅を見つけたところで、不意に気配を感じた。見上げれば、そこにマリアがいた。
「……マリア?」
「やっぱりアーサーだけこんなところに眠らすのもどうかと思いまして。来ちゃいました」
「来ちゃいましたって……」
マリアはアーサーの横に座り、持ってきた枕をぎゅっと抱きしめる。マリアはアーサーに笑顔を向けるが、寒さに震えていた。
「んなに寒いか?」
「さ、寒いですよ? ……ここがこんなに寒いだなんて聞いてませんよ? よく平気でこんなところで寝るだなんて言えますよね?」
アーサーはそんな様子のマリアに、小さく溜息を吐く。
「……仕方ない、ほれ」
せっかく塩梅を整えたが、身体を起こして毛布を一度広げ、マリアも包み込むようにして羽織り直した。
「……わ」
その行動に、マリアは押し黙ってしまい、頬を朱に染める。それは毛布が暖かいだけではないだろう。
アーサーは目を瞑り、僅かに笑みを浮かばせる。先ほどは自分の勘違いによるものだったが、結局はその通りになるのか、という苦笑もふくんでいるが、この状況は何処かくすぐったく感じ、そして嫌ではなかった。
開けて、朝。
ブラストは、日の出前に目を覚ます。身体を起こし、壁に掛けられている短剣を手にする。そして軽く準備を整えてから、部屋を後にした。そしてリビングダイニングで顔を洗い、外へと繰り出す。そして短剣を抜刀し、スナー流の型を流す。剣が風を切る音が、静寂も切り裂くかのごとく。やがて北東の海から、日が昇ってきたのが見えた。
さて、とブラストはつぶやき、短剣を鞘に収め、家へと向かった。
そして、まだソファーで眠る二人を見て、にまっとわらい、キッチンへ。朝食でギリギリ、昼は食材がないから久しぶりに食べに行くか、等と考えながら、朝食の準備に取りかかるのだった。
コトコトと、料理する音に目を覚まし、何でこんなところで寝ていたのかと記憶を探り、ふと横を見るアーサー。そこには、自分にもたれて眠るマリアの姿があった。無防備に眠るマリアを起こさないように身体を離し、ソファーから立ち上がる。身体の節々からパキパキッと音がして、寝相が悪かったかな、と考えながらキッチンを見れば、クソ親父がニヤニヤとしながらガン見していやがったことで、アーサーはここから逃げ出したい衝動に駆られる。
「よう、おはようさん」
「……おはよ」
「もうちょっとで朝飯ができるから待ってろ」
ブラストはそれだけ言って、キッチンに向き直り、調理の続きをし始めた。そして再び、コトコトと包丁の音が聞こえてきた。
「昼はどうする? 食べてからにするか、それともその前には本土に戻るのか?」
「そうだな……」
中途半端な時間に戻っても、冒険者協会の掲示板にはろくな依頼は残っていない。町で時間を潰すことも考えたが、それならこっちでも同じだろう。
「下町でなんか食べてから戻ろうかな」
「ああ、そうしろ。最近うまい飯屋ができたばっかりだ。案内してやるぜ。……さて、できた。マリアを起こしてやってくれ」
「ああ」
食卓を、ブラスト、アーサー、そしてマリアが囲む。この日の食べ物を与えてくれた世界に感謝の祈りを捧げ、三人は食事を始めた。
旅をしている間は、寝起きはバッチリのマリアだが、この日はまだ眠そうにしながら、朝食を食べている。
「眠そうだな? 夕べは盛り上がったのか?」
「おいクソ親父」
どストレートなセクハラに、アーサーが思わず声を上げる。マリアはそれに苦笑しながら答えた。
「……普段はあれだけ長時間飛ぶことないから、疲れちゃったんだと思う」
パンを小さな口で囓り、もぐもぐと咀嚼する。その仕草が小動物っぽいな、と親子二人で思いながら、マリアを見つめる。
「なに?」
「ああ。……貴殿をファルアスタシアの戦士として、ちょっとしたお願いがあるんだが」
ブラストが改まって、丁寧に声をかける。その態度に、マリアはパンを皿に戻し、畏まる。
「はい、何でしょうか?」
「一度手合わせいただきたい。俺の愚息に打ち勝ったその腕前、俺にも見せてほしい。これでもこの愚息は免許皆伝の腕前を持って旅に送り出している。正しく修行していれば、俺と並び師範の域に達しているはずだからな」
マリアはアーサーに目を向ける。どうしたら良い、と目で問いかけ、アーサーが頷く。好きなように、と。マリアは頷くと、再びブラストに向き直った。
「解りました。不精、ファルアスタシア流皆伝、マリア・ファルアスタシア、その試合をお受けしましょう」
「感謝する」
そこまで二人とも真面目な表情だったが、ブラストが先に表情を崩した。
「朝食の場で悪かったな。さ、食べろ食べろ」
自らもパンを手に持ち、そう薦めるのだった。
朝食後、三人は広場に出て身体をほぐす。
村には人の気配はなく、誰一人として現れなかった。
「そういや、昨日もだが人の気配が全くないのだけど、何でかしら?」
アーサーという懐かしい顔と、彼が女性を連れてきたのだ。狭い集落だから話は一気に広まって囲まれることを予想していただけに、マリアにとっては拍子抜けでもある。ついでにアーサーが照れてどんな反応をするのか、見てみたかったのもある。
「ちょっと訳ありだ。まあ、事情を知りたければとっとと結婚すりゃ良い」
そう言えば、とアーサーが考えた瞬間。
「そうね。アーサー、結婚してっ」
ノリでマリアがそんな雑なプロポーズをする。勿論冗談だと解っているアーサーだ。
「ざけんな」
勿論ツッコミを入れる。と同時にアーサーは何を考えたのかが霧散してしまった。
「てへ」
マリアもそう返されることは解っていたので、そこは笑うだけだ。
「まあ、そっちの話は置いておこう。北の中央広場で良いだろう。戦闘領域はその広場内のみ。上空はそうだな、……あの鳥が飛ぶ当たりまでとしておこう」
見上げれば、数フォーセル上空を数羽の小鳥が飛んでいく。マリアはそれに納得して、頷いた。
広場に到着すると、二人は距離を取って対峙した。マリアは背中からジャマダハルを引き抜き、ブラストは短剣を両手に装備した。そしてその瞬間に、二人とも表情から感情が抜け、各々の流派への構えへと移行する。
二人とも、表情も手にする得物も真剣だ。一歩間違えれば相手を殺しかねない、いやこれは人を殺すための剣技だ。例え試合だとしても、そういった危険がないわけがない。
アーサーは、二人の実力を身を以て知っている。
「本来ファルアスタシアの剣技の方が不利だ。試合は最大三分。その間に親父が有効打を入れられなければマリアの勝ち。マリアが有効打を入れてもその時点でマリアの勝ちとする」
アーサーは普段は懐の奥にしまっている懐中時計を引っ張り出し、時間を確認する。午前七時四三分。何とも中途半端な時間だが、それは良い。正確に三分見ることが目的だから。
秒針が〇を差した瞬間、アーサーが試合開始を宣言した。
ブラストは、マリアがアーサーを打ち破ったと聞いていたため、全く油断はない。一気に懐に飛び込み、右手の短剣を突き出す。これはフェイクだ。そして左手の短剣を、身体を回転させながら一気に斬り込む。そのまま相手に一瞬背中を見せてしまうが、そのまま一回転して右手の短剣をより深く突き込む。スナー流の最も基本的な動きだ。大してマリアは、最初こそファルアスタシアの動きでそれを躱すが、その次からは自分独自の動きを取り入れ、ブラストの二手三手を余裕を持って躱しきる。
アーサーと試合をしていなければ、この辺りで早速動きが封じられていたかもしれない。
ブラストが見せたほんの僅かな隙を突いて空間を渡り、その背後へ。ブラストはスナー流の動きに従い、右手を後ろに、左手を前への基本体勢へと戻す。ファルアスタシア流の動きに完全に従っていれば、マリアはその右手の短剣に自ら飛び込むような位置へと転移してしまう。しかし彼女はスナー流への対策を、アーサーとのあの一回だけの試合で理解していた。転移先は、ほんの僅かだけずらしてジャマダハルを突き出す。短剣とジャマダハルが交差し、激しい剣戟の音を鳴らした。
ブラストは振り向きざまに剣を振るい、マリアを牽制する。マリアは後方へと転移し、すぐにブラストの眼前へと転移した。転移を繰り返しての攻防は、ファルアスタシアの基本だ。そこへ左右へとフェイントをかけるように飛び出し、転移し視界外からの急襲を行う。
僅か十数秒。ブラストはすぐに相手の実力を理解する。彼が冒険者として旅をしていた若い頃、何度か強い相手に絡まれたことがある。当時はまだスナー流を完全に使いこなしていたとはいえなかったが、それでも全員をにべもなく撃退してきたという経験があるのだ。自分のやりたいことを見つけ、集落に戻り、結婚し、周りに支えられながらアーサーを育て上げた。その合間に、父親からスナー流をしっかりと叩き込まれた。すでに亡くなってしまったが、師範に至るまで導いてくれた父親には感謝しかない。だが、それでも今はもっと父からスナー流の真髄を学びたかったと、そう思わずにはいられない。
スナー流は、ファルアスタシア流に対しての天敵のはずだ。だが、蓋を開けてみればどうだろう。
マリアは、事前では皆伝だと聞いていた。だが、スナー流をもってしても圧倒できない反応の早さ、ジャマダハル捌きの鋭さ、そして翻弄してくるそのトリッキーな動き。どれをもってしても、皆伝などで収まるようなものではない。ブラストはスナー流の師範だ。その実力をもってしても、マリアに対し全く有効打を入れられない。流派の関係で隙は見えるが、それを付けるほどの余裕がないのだ。
「くっ!」
ブラストが小さく呻く。彼が持つスナー流のすべてをもってしても、マリアに一歩及ばない。それに対して焦りが生じていたのだ。
戦う二人を見て、アーサーは改めて二人の実力を肌で感じる。
ブラストが強いのは昔から知っている。祖父と彼がアーサーにこの剣技を教えてくれた。祖父はしばらくして亡くなってしまったが、その後はブラストがみっちりと稽古を付け、それなりの実力を身につけた。今だ父に敵うほどの実力ではない事を自覚し、いつかは越えたいと考えている。そのブラストは、これまで見せたこともない気迫と洗練された動きでマリアを迎え撃っている。完全なスナー流の動きに、やはり父は強い、とアーサーは再確認させられる。それと同時に、俯瞰の視点で見ることにより、マリアの動きもよく見えた。
スナー流に対しての隙は多い。それでもそこに付け入るタイミングはない。とにかく動きが速く、スナー流の動きを先読みするかのごとく、それらを全て潰しているのだ。改めて、マリアの適応力には驚嘆を感じる。
ブラストも翼に魔力を込め、一気に加速する。いよいよ以て、スナー流の本気を見せ始めるブラストだ。それに対し、マリアが翻弄されたのは最初の二手だけである。三手からは既に順応しており、空間転移をより早いタイミングで、より上空を使うことで牽制、反撃を行う。マリアのいる場所はめまぐるしく入れ替わり、とても目が追いきれない。それでもブラストは気配などを感じて対応している。
二分が経過した。マリアはブラストの攻撃を全て防ぎきっている。そしてマリアの攻撃もまた、ブラストは全て防ぎきっていた。ここまで拮抗していること自体が、おかしい話なのである。
マリアが地面を蹴り、空間を跳躍する。ブラストもそれに合わせ、四方八方の気配を探る。気配は彼に対し二時の方向だ。そちらに向け、右手の短剣を勢いよく突き出す。マリアは空間から現れるなりその剣を右手のジャマダハルで受け流し、しかしその瞬間だった。
ブラストは、真後ろに生まれた気配に目を見張る。真正面に捉えたマリアは、今もなお短剣で押し込んでいるところだ。ならこの気配は―――
反射的に、ブラストは左手の短剣で後ろの空間を薙いだ。手応えは、あった。だが、それは強い力を持って剣を弾き飛ばし、ブラストの手から離れていく。
ああ、これか、とアーサーはその光景を目にしていた。
マリアは、よく見れば左腕の先を魔法陣を境に消失させ、その先はブラストの真後ろに現れていた。その間、一秒にも満たない短い時間だ。それでも反応を見せた父には驚嘆だが、短剣を絡め取り弾き飛ばしたのも驚きだった。
ブラストの表情は、完全に焦りのものだった。武器を片方失った。スナー流は短剣一本でも無難に強いが、しかしこれまで拮抗してきた相手にそれは通用しない。一瞬にして追い詰められ、ジャマダハルが彼の喉元へと突き込まれ、……その寸前でマリアが動きを止めた。
「くっ!?」
「そ、それまで!」
アーサーも、そこで止めたが、言葉を失っていた。
時間にして、二分半。だが、目の前で展開された濃密な試合は、一言では言い表せないほどに、戦慄に振るえるものだった。
「……いやあ、負けた負けた。まさかあれをやられてしまうとはなぁ。……えっと、チャースチだったか? 部分転位って技。それ以前にも全然届かなかった。そりゃアーサーが負けるわけだ」
ブラストは、アーサーに顔を向け、すがすがしく笑った。
「すげえな。……改めて、感謝する」
ブラストは真面目な表情となり、頭を下げた。マリアもつられ、頭を下げる。
「俺ですら勝てねえ。ユニスの剣技はなおさらだろう。この三つの剣技に関しては、マリアは頂点に立っていると言ってもいいだろう。…これが、……極意、というものか」
ブラストはしみじみと、そう呟いた。
「……こんな若さで極意に至るとは、生半可な努力ではないと思うが。ますます惜しい人材だな。アーサー、マリアと結婚しろ。俺が許す」
「をい」
真面目な顔をして吐かすブラストに、即座にツッコミを入れるアーサーだった。
三人は、その足で港町へと向かう。
町の規模はそれほどでもないし、商店街も数店舗が並ぶ程度のものだ。だが、その少し奥の方には温泉がある。およそ地元民しか知らないようなこぢんまりとした建物だが、逆に地元民にとっては人気の温泉でもある。
水の貴重な砂漠であれば、入浴という行為自体が贅沢の極みである。それに対し、水が潤沢な地域では入浴する文化が存在する。この町デイドラグンでは、南の山岳地方から温泉が地下水脈を通ってきており、その一部がこの温泉で利用されている。温泉自体は屋内だけで、普通の銭湯とさほど変わらない。だが、温度の高い温泉を引いていることから暖める燃料費がほぼ要らず、その分料金が安い。その料金の安さも相まって、地元民はほぼ全員が利用するのだ。
三人、特に二人は試合で軽く汗をかいてしまったということで、この温泉に来たのだった。
マリアは、砂漠地方の生まれ故、風呂に入る習慣がない。そのため風呂の入り方に関しては本で読んだ程度の知識しかなく、細かいことまでは解らない。
一応、ここまでの道中でもあるマツモト村にて、温泉に浸かった経験はあるが、その時はミリアの手伝いもあって、何とか入浴はできた。が、今回は一人だ。うまくいけるだろうかという不安が募る。
服を脱ぎ、籠に押し込んだまでは良いのだが、その後は取りあえず本で読んだとおりに進めてみた。
借りたタオルの小さい方を手に、風呂場へと入る。先に身体を洗うことを思いだし、洗い場へと直行する。洗面器を手に取り、壁際の水路から温泉をくみ出し、ようやく洗い場の一カ所を陣取った。
砂漠の地方では、固く絞ったタオルで全身を拭くのが普通で、マリアは何となくその習慣で身体を拭き始めた。
「そんな洗い方じゃ駄目だがね」
不意に横から声がかけられた。マリアは驚いてそちらに振り返れば、年配の女性も驚きという表情で見ていた。
「お嬢ちゃん見ない顔だね? もしかして旅行者かい?」
「ええ、まあ」
女性はおそらく常連なのだろう。マリアを人目みるなり見ない顔、と見抜いたあたり、結構顔が広い人物なのかもしれない。軽くそのあたりを分析して、マリアは話を続けた。
「私、アクエイス…、ガドネア中央の砂漠に近いところの生まれでね、あっちは余り入浴の習慣がないから、いまいち勝手が分からなくて」
「なるほど。何でまたこんな辺鄙なところに? あ、まずは頭から洗うんだよ」
女性は色々レクチャーしつつ、会話をする。マリアはポニーテールをほどき、見よう見まねで髪を洗いつつ、質問に答える。今回ここを訪れたのは、一度アーサーの実家を訪ねてみては、という旅仲間の勧めであったと話すと。
「ありゃま。スナーさん家のアーサーくんのお嫁さんかいな?」
「う、いえ、まだお嫁さんとかではなく」
マリアは照れてしまい、しどろもどろになった。他人から言われると、恥ずかしいらしい。
「そっかー、アーサーくんも、そういう年頃だもんね。あ、ついでだから翼も洗っとかんとかんよ」
「…うん?」
女性の独特の言い回しに、マリアが一瞬意味が理解できなかったが、雰囲気で翼も洗っておかないといけないよ、と理解する。その言葉遣い、アーサーも時々しているな、と思いつつ。マリアは魔力をちょっとだけ身体に宿らせ、翼を背中に呼び出した。髪色と同じ産毛のため、マリアのものは金色に輝く。綺麗な色だな、と女性が褒め、それに照れるマリアだった。
翼を含め、全身を石鹸で洗う。それだけでも爽快感がまるで違い、癖になりそう、とまで思うマリアだった。
髪はポニーテールに縛り直さず、適当に丸めた。そのまま湯船へと二人で向かい、掛け湯をして足先からゆっくりと湯船に沈めていく。
湯船に浸かるのは、これで二度目だ。全身を包む心地よい熱さに、全身が溶ける、とまで感じた。
「ふわあ……」
と思わず声が出て、隣の女性が笑った。
「しかし、アーサーくんも隅に置けないねぇ。こんな可愛い子を嫁にしようってんだから」
そう言えば、とマリアは思う。アーサーのことをよく知るこの人はどういった人物なのだろうか、と。
「アーサーのことをよく知っているみたいだけど、あなたは?」
「うん? ああ! 自己紹介もしとらんかったがね。私はサルア・オルディン。すぐ近くのオルディン医院で医者なんてやってるよ。……何を隠そう、あなたの愛しのアーサーを取り上げたのは、私だがね」
「…えぇっ?」
マリアは驚き、思わず身体を起こす。そして大きく水面が揺れ、ばしゃっとどこかで湯船から温泉がこぼれる音が響いた。
「そこまで驚くとは、まあ話した甲斐があるってものかねぇ」
彼女はその当時のことを思い出す。母親は結局治療の甲斐なくすぐに亡くなってしまったが、その時に生まれた子供はすくすくと育ち、こうして嫁(と彼女は思い込んでいる)を連れてきた事に、何処か感慨深いものを感じていた。
アーサーの幼少の頃の話を聞かされ、それに一々笑ったり驚いたりと、マリアは終始耳を傾けるのだった。
やがてのぼせそうになったと、女性は湯船から上がり、マリアも上がることにした。
温泉の外で男二人待つ。女性は風呂が長いもんだとブラストが話し、解ってるとアーサーがやや反抗的に答える。そしてようやく待ち人が現れた。
「お待たせ、待たせちゃったかな?」
そのマリアの姿に、男二人言葉を失う。彼女は、普段の格好で、ただ髪を下ろしているだけである。それでも、風呂上がりで上気だつ肌色に、まだ乾ききっていない髪。そして何処か恥ずかしげな表情でアーサーを見上げるその姿に、アーサーは早くも心を乱されてた。
「よ、ブラスト」
「ん? げっ、オルディン院長先生じゃねえか」
「げっとは挨拶だなあおい」
言いつつ、彼女は笑い飛ばす。
「それにアーサーも。息災で何よりだがね。いつ式挙げるんだ?」
「い、いや、それは……」
彼女はふふんっと笑う。アーサー達の反応を見て楽しんでいる風だった。
「まあいいや。オペ後で眠くてな。ダスヴィダーニャ」
古代語で締めくくり、彼女は踵を返す。
「ダスヴィダーニャー」
マリアも軽く手を振って答えた。
「だす…何?」
「古代語で、また会おうって意味。転じて別れの挨拶よ。他にも幾つか言い回しはあるけれど……」
とマリアが答えながら首をかしげた。
「アーサー、スナー家の末裔が人龍の古代語を知らないってわけ、……ないよね?」
マリアはそんなバカな、という表情をしながら、確認する。
「まあ、本来古代語っての母親が教えるものだ。俺自身も物心付くときには母親がいなかった。まあ、察してくれるとありがたい」
マリアは、親子二代にわたってそういう事情なのか、と心を痛めた。
「じゃ、じゃあ私が代わりに教えてあげるのは、どう?」
「マリアが?」
こく、と頷く。
「そうだな。そうしてくれるとありがたい」
アーサーは苦笑しながら答え、マリアはそれに元気よく頷いた。
「うんっ!」
昼ご飯までは、中途半端に時間がある。一度上地のスナー家に戻り、一息ついた。
「離れに沢山本があるんだ。古代語で書かれている本も大量にあってね。勉強に役立ちそうなものを選んでくれないかな?」
「良いわよ」
アーサーの目的はこれだ。彼は昔から本を読むのは好きだったが、親もほとんど知らない古代語の本は、ほとんど手を付けられないでいた。門外不出であり、スナー家関係者にしか見せてはならない本でもあったため、他の人を招くことはこれまで一切できなかったのだ。そんな約束事がある事をすっかり忘れ、アーサーはマリアをそこに案内した。それ自体がスナー家の者として認める行為なのだが、アーサーは気付いていない。
離れの建物は、廊下がありその両側に少し広めの部屋が二つずつあるだけという構造だ。そのうちの一部屋は、左右の壁が全て本棚となっており、部屋の中央にも本棚が鎮座していた。下手な本屋も裸足で逃げるぐらいの蔵書量である。奥には小さなデスクがあり、窓からの光がさんさんと注いでいた。さながら、小さな図書館の読書スペース、というところだろう。
「……本当にすごい量の本ですね」
「あ、起きたの?」
「少し前から」
マリアがマリアと話す。それもアーサーにとっては既に日常のことだった。
マリアは主導権を交代して、その蔵書を見て回る。
「…これ、魔導書のようですね。О полезности и проблемах магии света …、光属性魔法の有用性と課題について、というタイトルです。これはさすがに、アーサーの古代語教科書としては難しすぎですね。こちらは、……童話ですか? え、これ先史文明時代の古書ですよ!? なんでこんな物まで……それに保存状態も極めて良好です。こんな貴重なものまであるだなんて、これはスナー家の人以外を入れたくはない気持ち、解ります」
そしてマリア一人、蔵書を見渡して興奮の声を上げるが、最後の自分の台詞に、固まり、そして照れてしまった。そんな様子にアーサーは困惑しているが。
「つまり、……アーサーは私のこと、スナー家の人って認めてくれたってことですよね?」
貴重な古書で口元を隠しながら、そんなことを宣う。それに気付いたアーサーもまた、照れてしまう。
「まあ、その……」
アーサーは言い訳を探すが、言葉は見つからなかった。なので適当なことを言って誤魔化すことにした。
「と、取りあえず教科書になりそうな本を探してくれ?」
「う、うん」
マリアは古書を元の場所に戻し、いろいろな場所を探ることにした。
最終的に見つけたのは、小説だった。あちこち傷んではいるが、それでもここ一〇〇年の間に書かれたものであるようだ。マリアも冒頭だけ読んで、知っている内容だったことで、これに決定した。
「ありがとう」
「どういたしまして。……その、私たちこそありがとうございます。あれだけの古代書に古書、滅多にお目にかかれるものではありません。それこそ王立図書館でも、一般の人が入れないような区画にひっそりと埋蔵されているような、極めて珍しいものばかりでした」
「……そんなに?」
「はい」
やや興奮気味、という表情で、マリアは笑う。
「またいつか、気兼ねなく見て回りたいものです」
遠回しに意味合いを込め、マリアはそうせがんだ。アーサーはその真意に気付かず、適当に相づちを打った。通じなかったか、と苦笑したマリアは、話題を変えた。
アーサーは席に座り、マリアはその横に立つ。そして渡された小説に、アーサーは目を落とすのだった。
昼前。
呼びに来たブラストの声に、二人返事を返してその部屋を後にする。
「親父、これ持ってって良いか?」
「うん? ああ、それなら構わないだろう。イラドールの龍族は今でも古代語の文字を使うから、向こうでは普通に売っている代物だ。まあ、無理を言って取り寄せて貰った。そいつでレイチェルに少しだけ教えて貰ったことはあるんだが、……まあ、お前らで有効に活用してくれ」
どうもブラストの思い出の品のようだった。それでも快く譲ってくれたことに、アーサーもマリアも感謝する。
「さて、昼を食べに行くぞ。忘れ物はないようにしろよ?」
「ああ、そうだな」
昼食後は、二人ともそのまま大陸へと飛び立つことを決めていた。冬も近づき、日の入りも早くなってはいるが、昼食後飛び立てば、日の入りまでには間に合う計算だった。
三人は翼を広げ、町へと再び舞い降りる。そしてブラストのお気に入りの食堂兼居酒屋により、そこで昼食を頂いた。港近くということもあって、海産物豊富な昼食に舌鼓を鳴らすのだった。
そして。
「ま、適当なタイミングで帰ってこい」
「ああ」
ブラストが腕を上げ、アーサーはそれに腕をぶつけ、そしてぱんっと手をたたき合った。
アーサーは踵を返し、翼を展開する。風の魔法を地面に叩き付け、その反動で体を浮かす。マリアはその傍ら、助走を付けながら翼を展開、ジャンプして姿をかき消す。その直後は数フォーセルほどの高さにおり、落下速度を前飛ぶ速度へと変換し、そして上空へと上がっていく。
アーサーとのタイミングは一切ズレがなく、気がつけば二人並んで空を行く姿となっていた。
ブラストはそれを見上げ、踵を返す。
「次は、いつ帰ってくるかねぇ。さて、今度はどんな扉で迎えてやろうかな……?」
と、今後を楽しみにするのだった。
◇
「ぐぬぬぬ……」
ミリアが唸り、ファーネルは冷や汗を流す。
冒険者協会の屋内、談話スペースにて、二人はにらみ合っていた。喧嘩をしているというわけではない。ファーネルが冒険者資格取得に際して必要なことを、ミリアに教えている。それだけのことなのだ。なのだが。
ここに来て、龍族と人間達との考え方に齟齬があることが露呈したのだ。その様子は周りの冒険者達も注目して見ている状況だ。
「やはり私たちではそうは考えられないですね。一度敵対した物は、最後まで敵です。殺す殺されるまで徹底的にやり合うってのが筋です」
「でも改心したら、やはりそこはこちらもそれを認めて……」
ミリアの視線は少し怖いぐらいだ。龍族の特徴としての縦に長い瞳孔が狭められ、よりその迫力を増しているのだ。
「敵となった奴は、また敵になる可能性がある。それだけで排除する理由になります。一度味方の振りをして近づいて、結局すぐに掌返しましたからね、デリシアは」
ディトリア・クレール大陸中央にあるデリシア王国と、同国内カル=アストロフ自治州の龍族との確執は有名である。古い時代にカル=アストロフと呼ばれる黒龍族が小さな町を作り、そこに多くの人々や龍族が住まうようになった。それから長い時間をかけ、人口が増えて町も大きくなり、この街を代々統治する龍族の名を取り、カル=アストロフ市と呼ばれるようになっていった。
その後、版図を広げるデリシア王国がにじり寄り、最終的には兵力を差し向けた。龍族は徹底抗戦を選ぶこともできたのだが、既に人間達も大勢住まうようになっていたこともあって、デリシア王国の中へと取り込まれた、という歴史がある。この時に戦う力のない人々やそれを守るための龍族が東へと逃れ、小さな町を拓いた。それが、メルセア市の成り立ちである。
「それでもカル=アストロフと私の祖先は、余計な手出しをしたら国を滅ぼすぞって説得して、今の自治権を確保しています」
「いやそれ脅しじゃん」
と誰かが呟き、いっそ独立戦争でも仕掛けたらどうか、等という奴らもいる。火に油を注ぐのはやめてくれ、とファーネルは大きな溜息を吐いて。
「……それでも、人間の社会に生きていくことを選んだんだったら、人間が決めた規則というか約束事というか、ともかく、そういうのに従ってくれ、お願いだから」
ファーネルのその言葉に、ミリアはしばらく黙り込み、しゅんっと頭を垂れる。
「ファーネルがそこまでいうなら、うん、従う」
ようやく、という感じでは無しに決着が付いた。
ちなみに、これは降伏した敵をどうするかという事の議論から発展していた。降伏すれば一応拘束はするものの、裏切り者と断じて殺しに来る相手から守る義務も生じる。ミリアの考えでは、降伏という考えを持ち合わせておらず、敵を騙して内側から破壊する工作だと考え、口論に発展した。
周りもやれやれ、という様子だった。
受付も、お前ら依頼も受けず暇だな、という表情で傍観していた。
パルスは、町から出れば魔物は多いが、町の中は概ね平和である。一部の漁師で気性が荒い者たちがいるが、それが逆に界隈の平和に役立っていることもある。そういった目があるため、目立って悪さをするのは流れ者ぐらいなのだ。ゆえに町中での依頼は少ない。
町の外でも魔獣や魔物は、せいぜい森狼やゴブリン、オークと言った弱い連中ばかりである。たまにグレーター級が出るが、束になってかかるほど強くもないし、一人で討伐できれば初心者脱却の目安である。
二人は相変わらず関係法規の話をしている。
「なるほど。まあ龍族だったらその辺りは殲滅対象ですね」
「一々物騒だなっ。……そこはお仕置き一つで勘弁してやれ」
盗みを働いた相手を捕まえた。どうするか? ファーネルは待ちの兵士に突き出し、ミリアは殲滅。
殺しの現場で犯人を確保した。ファーネルは同様兵士に突き出し、ミリアは殲滅。
迷子を確保した。ファーネルは親を探す、ミリアも親を探す。
色々と例文を見て回答を比べていくと、保護や落とし物確保など、善行に関しての差違は殆どないが、ともかく悪いことをした相手には容赦ない言葉が並ぶ。殲滅、殲滅、ぶっ殺す、と。その辺りについて、ファーネルはせめて仕置きに留めておけ、と半分諦めた表情だ。
「しかしお嬢ちゃん、さっきから聞いているがどうしてそこまで物騒なんだ? まあ俺たちと考え方が違うってのは理解できるんだが、なあ」
ファーネルが撃沈されている間に、別のテーブルに座っていた男が話しかけてきた。しばらくファーネルが復帰しそうにないため、ミリアはその男に答えた。
「向こうでの暮らしは、死と隣り合わせでしたから。ひとえに龍族、とりわけ強いと評される黒龍とて、無敵ではありません。人の姿を取っていても多少腕力が強くはありますが、特段何かの剣技を修めているわけでもないですし、魔法も偏りすぎて戦闘に生かし切れないこともあります。……ファーネルに寝技に持ち込まれたらひとたまりもありません。きゃっ♡」
「なにほざいてんだコラ!」
「物の例えですよ? 確かに腕力は私の方が遙かに強いですけど、(剣の)テクニックには私、到底敵いませんので、ファーネルのなすがままです」
「……だから、何で一々いかがわしい言い方をするんだ? お仕置きするぞ」
ファーネルが即座にツッコミを入れ、周りは引く。このバカップル共が、と。
そんな感じで、二人は楽しく(?)勉強を進めるのだった。
翌日、夕刻。
冒険者協会はごった返していた。ほとんどが町周辺の魔獣や魔物の討伐を報告のために訪れているのだ。それを尻目に、二人は相変わらず片隅で参考書を開いていた。
脱線しなければ、ミリアの吸収力はかなりのものだ。そして脱線すればひたすら脱線する。下手したらトロッコが遠くへ暴走し鉱山大パニックと、全く関係ない話へと転がることもある。
「ファーネルは結局どんな女性が好みなのですか?」
「そうだな、胸が大きくて背が高くて髪は短く明るい色だな」
ミリアの正反対をこれでもかと並べて見るも、ミリアは首をかしげた。
「いえ、そんなことじゃなく、どんな女性が好みか聞いているんですよ?」
また話が通じなくなった、とファーネルは嘆息する。人と龍族の感性も違うのは、もう先刻承知だ。アーサーは人龍で人間とは違うが、それでもほとんどの部分で話題は通じるし、好みの女性といえばこうだ、と言い合える。因みにアーサーの好みが服着て歩いているのが、まんまマリアだということに今更ながら気付くが、そこは今はどうでも良い。
全く同じ質問を、比較的真面目な表情で繰り返してきたミリアになんと答えようかと、真面目に考えてみることにした。
ファーネルは、兎角『普通の』女性が好みである。何もかもが平均値の、至って目立たないタイプだ。学園時代には目立ったタイプが声をかけてくることが多く、そういうのに疲れてしまったというのもある。それゆえ、ぐいぐいと来るタイプもあまり好きではない。そこでふと、内面的なことなのか、と思い立って話してみた。
「普段は俺の一歩後ろを歩いて、俺が悩んだりしたときには前に出て引っ張ってくれるような存在かな。見目麗しければ申し分ない」
ふむ、とミリアは顎に手を添える。やはり内面的なことで正解のようだった。
「性欲は強い方も追加な」
どよ、と周りの冒険者がファーネルに白い目を向けたが。
「ですね、そこは外せません」
ミリアは力強く頷いたことで、今度はミリアも引かれる。
「……」
「どうしました?」
セクハラ発言に動じないミリアに、ファーネルも、そして周りの皆も注目する。
「子を残すことには必要なことですよ?」
と、何が問題でも、という表情で答えるミリアだった。
「あ、あの、恥ずかしいとかそういったことは、ないの?」
別の女性冒険者が顔を赤らめながらミリアに尋ねるが、さも当然のように答える。
「私たち龍族にとって、子を残すことは死活問題です。ただでさえ妊娠しづらい種族ですから、パートナーに性欲を求めるのは至極当然のことなので、……逆に子供ができないことの方が、恥ずかしいことでしょう」
ここでも認識の違いが、と感じる皆だった。
「……なるほど、人間にはこの手の話は恥ずかしい、という事でしたね。つまりファーネルは私に恥ずかしがらせようと、そういった魂胆だったのですね?」
ファーネルは視線を外し、そっぽを向いた。
「……これはお仕置きが」
言いかけてた時に、ドアベルが鳴った。そちらに視線を向けると、アーサーとマリアが入室してきた。受付がようこそ、と挨拶をしてアーサーが片手をあげて答える。二人は辺りを見回して、ミリア達と視線が合うと、そちらに向かって歩く。
「よ。久しぶりの実家はどうだった」
「ああ、ただいま。まあうちのクソ親父は相変わらず元気だな」
男同士が簡単に挨拶をする中、マリアはミリアの隣に腰掛け、すぐに話をする。
「何か進展はありましたか?」
「ま、まあ。……アーサーには気持ちを伝えましたし、アーサーも拒否はしなかったので、少しは進展したかな、とは思います」
その答えに、ミリアは嬉しそうにした。
「ただ……」
「……ただ?」
マリアは、スナー家にまつわる話についてはアーサーと相談し、彼自身が話すことにしている。
「うん、これはアーサーから話してくれるから、今はパス。まあ、その問題に関しては、私は覚悟をもって挑むつもり」
覚悟がいる、とは穏やかじゃないなあ、とミリアは苦笑する。彼女はこの段階では、そこまで深刻なものではないと考えて居たのだが。
四人は宿へと戻った。こぢんまりとした冒険者の宿は、二人一部屋で借りている物だ。元々四人いるが二人が別行動を取っている、という事で借りた部屋だが、さすがに一人ずつベッドを余らせていることに、宿の主人は余りいい顔をしなかったし、ファーネルも申し訳ないと感じていた。今はその二人も合流し、ベッドも埋まる。ファーネルは彼らを紹介し、それで主人も納得した。
四人は二階にある各々の部屋へと入って荷物を置き、一度男性の部屋に集合した。
開口一番。アーサーが彼の家系にまつわる話、即ちスナー家の呪いに関して、ミリアにも話すことにした。スナー家に生まれた女性、嫁いだ女性は悉くが孫の代まで生きることができないということ、アーサーの母親は彼を生んだ直後に、祖母は父を産んでしばらくの後に亡くなっていること等を根拠として話した。
そしてマリアが続く。自分はその話を聞き、覚悟を持ってスナー家に入ることを決めたという。事実上アーサーへの嫁入り宣言だが、そこは取りあえず流すことにした。
「……いつまで生きていられるかは解らないけど、でも、うん。私はアーサーの隣にいられればそれでいい」
そう締めくくったマリアに、しばらく沈黙が落ちた。
「……ファーネルは、知っていたのですか?
「ああ。うちはスナー家とは遠縁だ。スナー家からも何代か前に嫁いできているし、彼女もまたその呪いで若くして亡くなったと聞いている」
「そう、でしたか」
ミリアは、アーサーたちにどんな顔を向けていいのか解らなくなった。アーサーは元々、そしてマリアも、将来過酷な運命が待ち受けていることが確定してしまったのである。
「そんな顔しないで」
マリアは、優しく声をかけた。
「だ、……だけど」
「逆に、スナー家の呪いを私で終わらせてみる、なんてくだらない計画も考えてみようかなって。私だけじゃ駄目なら、子供達に引き継いで、いつかは、ね」
マリアは冗談っぽく話すが、その目には決意の色が見て取れた。
「なんかさ、既に二人は結婚する流れで話進めてないか?」
ファーネルは若干驚きの表情だ。
「え?」
「…はぅっ」
アーサーは単純に驚き、マリアは赤面して沈黙した。
「い、いや、俺はまだそこまで考えてないぞ。マリアに好きだと言われりゃそりゃ意識するし、その言葉にはちゃんと向き合って答えを出したいっていうか、……まだそこまでの段階じゃ……」
慌ててまくし立てるアーサーに、ファーネルはもうそれ好きって言ってるようなものだと、ジト目になって見返した。
「だが、スナー家の人間として認めたってことは、そういうことだろ? ん?」
そして二人、完全に沈黙するのだった。
数日後。
冒険者登録の試験日。ミリアは試験を受けることを以前から話していたが、マリアも一緒に受けることにしたようだ。前日までに願書も提出し、いざ試験に挑む。
マリアにとっては一般常識で問題ないが、やはりミリアは人間と龍族の考え方の違いで悩んでいる様子だった。試験は、将来同じパーティーになることを約束している場合は相談しても良いことになっている。そのため二人は隣同士の席で、相談し合っていた。但し、マリアはストレートに回答はせず、あくまでもヒントだけを与えるスタンスだった。そのまま答えだけを教えても、どうしてそうなるのかという考えを放棄させてしまうからである。
答案は全て埋め、時間になったら提出。採点はすぐに行われ、筆記の合否が発表された。この日に参加した一〇名ほど全員、合格のようだった。
次に、実地試験となる。試験内容は魔獣や魔物との実戦だったのだが。
「免除、ですか?」
「ああ、君たちは相当な実力者だってことが知らされている。マリア殿はともかく、ミリア殿は君らのグループ以外からも報告が寄せられていてね。コカトリスを一撃粉砕だなんて、耳を疑ったよ」
あの時の話か、とすぐに理解した。自分ら以外でも、警備担当の冒険者や乗客など、ほぼ全員がコカトリスを嬉々として討ち落としたミリアの姿と、夕食のメインメニューになってとても美味しかったことを記憶している。嬉々として、は尾びれがついているものだ。
「マリア殿は、ブラスト・スナー殿を打ち負かしたそうだね。……彼、ユニスでも随一の剣豪として有名だったんだが、本人たちが認めているしなあ……」
こちらはアーサーから知らされていたようである。試験官は彼の強さをよく知っている人物ゆえに、それを凌駕したマリアは雲の上の人扱いだ。
「ということで、君らはこれで試験合格だ。登録証の発行まではしばらくかかるから、適当に寛いでいてくれ。他のものは別のものが担当する。彼に着いていけ」
試験官は全員に声をかけ、部屋の隅で待機していた人物が立ち上がった。彼は軽く自己紹介をした後、部屋を後にする。その後を八人が着いていった。
「……試験、これで終わりなのかしら?」
「そうですね、あと任務遂行能力を見るため、模擬の依頼を受けて、というのがあったはずですが」
ミリアは、試験前に渡されたスケジュールを確認する。午後の時間にはたしかにそれが記載されているのだが。
「君たちはそちらも免除だ。ベテランのいるパーティーに所属しているのだから、彼らから学べば良いものばかりだ。何せあれは、試験といいつつ、依頼の受け方や心構え、達成後の報告の方法などを一通り通しで練習するためのものだ。免除になる規定は裏面に書いてあるぞ」
「え?」
マリアは試験の概要が書かれているパンフレットを鞄から取り出し、裏面を見る。そこには冒険者の規定などがびっしりと小さな文字で書かれているのだが、探してみれば試験に関する規定も書かれていた。
「ええと、………これか」
既にベテランのパーティーに入っている場合、或いはベテランとパーティーを組む約束をしている場合に限り、第三試験『模擬依頼の達成』について免除する。そう定められていた。何を持ってベテランとするかまでは見つけられなかったが、一応それで納得はできた。
「俺はこれで失礼するが、どうする、このまま待つか? いつもならあと三十分ぐらいで登録証ができあがるぐらいだ」
それなら、と二人は待つことにした。試験官は頷き、部屋を退出していった。
そして。
冒険者登録証が完成した。銅のプレートには氏名と誕生日、出身地、そしてユニス王国の刻印が刻まれていた。刻印は何処の所属で何処で発行されたかを明確にするものである。複雑な文様があるため、偽造は難しいだろう。それを、錆びないように専用のパスケースに入れたものが、手渡された。
談話コーナーで待っていた男二人は、部屋から出てきた二人に手を挙げた。
「取れたよ」
言いながらマリアは二人に登録証を見せる。
「……午後の試験は?」
「全部免除だそう。戦闘試験はまあ、二人が話してくれたことで免除だし、その後の模擬依頼も、ベテランパーティー所属なら不要だってことで」
アーサーはファーネルに顔を向けると、知らなかった、とジェスチャーした。
「戦闘に関しては規定を知っていたんだが、他にも免除されるところがあったんだな。……で、どうする? 昼食の後は試験だと思って何も予定を組んでいない」
「そうですね。……この町はちゃんと観光していないので、回ってみても良いですか?」
「もちろん」
ミリアにファーネルが答える。
「北はただの住宅街だから行っても意味はないと思うが、南はメイン街道を挟んで漁師町か工場が並ぶ界隈か。漁師町はうまいものが多い。工場方面はいろんな工芸品が売られている。さあどっちに行きたい?」
「私は両方見て回りたいな」
マリアの言葉に、アーサーが腕を組む。
「じゃ、昼飯は観光を兼ねて南東側の漁師町。午後は買い物がてら……どうせ何も買わないだろうけど、南西側を回ってみよう」
三人ともアーサーの意見に賛同し、早速回り始めるのだった。




