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第一章~出会い~

第一章~出会い~


 昼下がり。

 アクエイスの地を踏みしめた二人は、町の様子を見回す。

 町は、湖の南側を岐点に扇状に広がる。農耕や田園地区も含めれば、東西二・五フォーカイ、南北一・七フォーカイほどの、小さな商業都市だ。人が住まう住宅地やお店、街の中枢などは、東西街道を挟み込む形で中央寄りに集中している。この範囲に、街の人口の殆どが集中して住んでいる、という具合だ。

 この町から延びる街道は、東、西、そして南である。南の街道は、アーサーとファーネルが来た道だ。南はタルファームという海沿いにある交通の要衝が基点となり、ガドネア山脈の西側を通ってアクエイスに繋がっている。

 東西の街道は、ガドネア中央街道と名付けられた街道である。

 東はバース王国王都に繋がり、西は遠くデニアス王国王都まで繋がる。嘔吐感を結ぶ長距離キャラバンは毎日のように運行されており、宿場町として、そしてタルファーム方面の中継地点として、交通の要衝ともなっている。

 そして、東西の街道には多くの魔獣や魔物が出現することから、冒険者も数多く訪れる。西は砂漠由来のサンドワームやバジリスク、東や南は草原や森などが多く、ウルフやゴブリンなどの定番が多いが、空を飛ぶ大きな鶏に似たコカトリスの目撃例もある。

 コカトリスとバジリスクは、ともに石化光線、おそらくは独自魔法を使ってくる危険度の高い魔獣だ。そのため、中堅以上の冒険者を対象に、討伐依頼がかけられることがある。

 タルファームからのキャラバン隊は、無事アクエイスの門を潜る。速度を落としたところで、一部の乗客は、御者と相談した上で飛び降りていく。よりよい宿屋を確保したり、停留場や操車場まで乗ると遠回りになるような乗客を中心に、このように到着前ダッシュを決めるのだ。

 なお、グレードを気にしなければ、東西のキャラバンが到着しても十分な部屋は確保されているため、慌てることはない。

 馬車の停留場、操車場などは町のほぼ中央に位置する。この周りには沢山の宿屋があり、降りていく乗客に、呼び込みの声をかけていた。


「……思った以上に大きな街だな」

「だろ?」

 アーサーは初めての訪問だが、ファーネルは数回ほど訪れたことがある。彼は家族とともに、数年前に一度訪問しているのだ。前回は一四歳頃であり、まだそれなりに記憶が残っているため案内もできると話す。

「先に宿を確保しておいた方が良いだろう。夕方には東西からキャラバンが来るからな」

「わかった。協会に顔を出すのはその後として。……あと依頼書の場所についても、一応確認しておくべきか?」

 ファーネルの提案に従い、二人は近場にあった冒険者の宿で、二人部屋を確保する。そして、この町にある冒険者協会に顔を出し、タルファームで受けた依頼の詳細をここで聞く。すぐに二人は、その現場を目指し、歩き始めた。


 歩いておおよそ二時間。二人は西門から町を出て、森の中に位置する岩場にさしかかっていた。この先が、依頼にあった場所となる。

「……この先か」

「ああ」

 二人は生唾を飲み込み、周りの状況を警戒する。感覚を研ぎ澄ませ、周辺の魔物や魔獣の気配を探り、注意深く一歩を踏み出す。

 草を踏みしめる、ざ、ざ、という音が静寂を破り、その音だけが彼らの耳に届く。恐ろしいほどに、周りには何の気配も無く、風すら無い。

 皆、この先にいるものを恐れているのだろうか。普段聞こえる鳥のさえずりや他の野生動物の鳴き声すら鳴りを潜め、不気味なほど静まりかえっていた。

 緊張のためか、アーサーの頬に汗が流れる。顎をつたい、足下へと滴が落ちていく。それは小さな雑草に当たり、葉がこすれて小さく、ざ、という音が響いた。

 そして、岩場に近づいた、その時だった。

「……この先は危険よ?」

 意識外から、突然声がかけられた。

「っ!?」

 二人は目を見開きながら、周辺を見渡す。しかし、姿はおろか気配すらない。二人は声を上げず、いつでも抜刀できるようにし、最大限の警戒をする。相手は、声をかけても尚気配も居場所も察することができないほどに、気配を絶つのがうまい。これは、相当な手練だと確信できる。

 アーサーは正面にある木、四フォーカイ程度の高さにある太い枝にちょこんと座っている女の子を見つけた。女の子は、アーサーと視線が合うと、少し驚いたような表情を見せ、すぐに笑顔になって枝から身を翻した。

 瞬時に背中に翼を呼び出し、スカートを靡かせながら草むらへと、無音で着地した。

 この時にはアーサーもファーネルも彼女を睨んでいるが、しかし目の前にいるはずなのに、気配を全く感じることができない。

 アーサーとファーネルは、内心の焦りと冷や汗を隠すように、武器に手を伸ばす。

 二人とも、腕にはそれなりに自信がある。これは自惚れではない。相当な鍛練を積んでここまでの強さを身につけたという自負がある。下手な相手であれば、確実に返り討ちにできるほどだ。

 が、それだけの腕前をもってしても、目の前にいる女の子の気配を察知できない。おそらくは自分らと同じ、いや越えるほどの実力を兼ね揃えていると、僅かな逡巡でそう結論づけるに至った。まともにぶつかり合えば、相当な痛手を覚悟しなくてはならないだろう。

「もう一度いうけど、この先は危険よ?」

「……問おう。君は何者か?」

 ファーネルが怒気をはらんだ声で問いかけると、彼女はあっさりと名乗った。

「マリア・ファルアスタシア。アクエイスのファルアスタシア道場の娘。あなたたちは?」

 マリアは首をかしげ、視線をアーサーにぶつける。アーサーは睨まれた俺からか、と思いつつ名乗ることにした。

「アーサー・スナー。冒険者だ」

「右に同じく、冒険者のファーネル・テナイだ。ここには冒険者の依頼で訪れている。……お前の言い方だと、この先何があるか知ってるな?」

 ファーネルはより一層強く睨み付け、マリアに問うた。しばしにらみ合っていると、マリアは不意にアーサーの方に視線を向けた。ファーネルはそれにつられ、ほんの少しだけ右に視線を動かした、その直後だった。

 マリアの姿がかき消えた。と同時にアーサーとファーネルは抜刀し、彼らがそれぞれ習得している剣技の構えを取った。

「きゃあっ!?」

 その瞬間だった。アーサーが後ろ手に構えた短剣に衝撃が走り、マリアの叫び声が上がった。とっさにアーサーが振り向くと、マリアは驚愕、といった表情で、茂みに倒れ込むところだった。そしてやや離れた位置に、彼女が手にしていたであろう武器が、時間差を置いて茂みへと落下した。

「え、私の幻龍剣が初見で見破られた……? ……わあ、やっぱり強いなあ」

 彼女の表情は、多少の驚きをはらんではいるが、どこか嬉しそうなものだった。

 ファーネルはロングソードをマリアにつき付け、彼女は両手を挙げて降参の意を示した。

「……突然襲ってきた理由を聞こうか? 嘘を言えば、解るだろ」

 睨み付けるファーネル。

 アーサーとファーネルは、その強さから別のパーティーや個人から恨み妬みなどで絡まれたことは多い。その都度こうして打ち負かし、強く出て二度とそんな気を起こさせないように対処してきた。今までなら、ここまですれば相手は焦って逃げてしまうものだろうが、しかし目の前の少女は、笑顔だった。その笑顔は、二人に自分を殺す気はないと確信しているかのように。

「この先の危機に対処できるか、ちょっと試してみただけ」

 その言葉に、ファーネルは目を見開く。その一瞬の動揺が、切っ先を僅かに震わせた。

「……という事は、やはりこの先について知っている、と?」

 彼女はあっさりと頷く。

「うん勿論。というか私、……正確には私の家が依頼主だったりするわけで」

「それは本当か?」

「うん。……取りあえず剣を収めてくれると嬉しいかな」

 ファーネルは、まだ信用ならないという顔をしながらも、剣を鞘に収めた。その間に、アーサーは周辺に飛び散っていた彼女の武器を回収した。二振りの、刀身をつやのない黒で塗装したジャマダハルだった。アーサーはそれをファーネルに預けた。

 ジャマダハルという武器は、珍しいものである。扱いの難しさから、これを扱う人は皆無といっても良いほどだ。。アーサーとファーネルもまた、これまでの旅でこの武器を扱っているのは、彼女が初めてだった。

 二本の平行な棒があり、その中央と端を橋渡しするように棒がつく。幅広で分厚い刃は先端側に取り付けられ、中央部を握って突き刺すように振るう。ほとんど刺突専門の武器となる。

 マリアは立ち上がり、スカートの裾についた土を払った。

「前に、丁度この森で薬草を摘んでいたのだけどね。上空で大きな音が聞こえてきたの。見上げたらドラゴンが上空でドンパチやってて。そのうち一体が落ちてきてね」

 アーサーとファーネルは顔を見合わせた。タルファームでの依頼を受ける際に聞いた話と、相違が無いのだ。

「それが、その岩場に隠れている。危険な側のドラゴンであれば討伐、人間側のドラゴンなら保護、だったな」

「うん。あれから既に一週間以上経ってるから、逃げた可能性もあるけど、念のため強い人を呼んで対処ってことでね」

 種族としては『龍族』が正しい呼び方で、一個体は俗称としてドラゴン、或いは龍と呼ばれることの方が多い。

 その姿を例えるなら、大陸北部、亜熱帯地方で生息しているワニを巨大化させ、二足歩行できるように進化したような姿形をとる。その背には大きな翼を生やし、空を飛ぶことも可能なのだ。

 大きな個体なら、頭から尻尾の先まで二〇フォーセル、翼の幅は三〇フォーセルにも達する。そんな大きな身体ゆえ力も圧倒的であること、そして知能も魔力も非常に高く、独自の魔法体系を持っている事から、冒険者協会は別格のものとして扱っている。そのため、龍族に関する依頼もまた、特別に認められた人物にしかかけられない。

 龍族の攻撃方法は、多種多様だ。一般的には炎や毒といったブレスを吐く、とされているが、尻尾による中範囲の打撃攻撃に、直線的な突撃などが代表的だろう。中には精霊と契約し、圧倒的な魔法力での面制圧という話もある。

 ただ、そんな巨大な身体で普段生活しているかといわれれば、実はそうでもない。龍族を一つの種族として扱い、魔獣や魔物に分類していないのはそこに理由がある。

 彼らの本来の姿は、人間の姿そのものなのである。精神世界、アストラル側に龍の身体を持ち、魔法によりそれを具現化させる、つまりは変化するのだ。これにより、人間と同じ姿でコミュニケーションをとることもできるのだ。

 龍族は、人間に対しての立ち位置は、古来より二通りに分かれている。友好的な者たちと、敵対する者たちだ。友好的な龍族は、とことん友好的だ。友人以上の関係となり、恋をし結婚するという例も枚挙に暇が無い。例えば、このデニアス王国の王族だが、前王の妃こそ、近隣の砂漠地帯に古くから根を下ろしている地龍族の女性なのである。また、バース王国やユニス王国の王族にも、古い時代に龍族の血が混じっている。人が考える以上に、このガドネアでは龍族の血が混じっているのだ。

 逆に、敵対する側もまた、とことん敵対する。彼らは、人間と混じることで純血種が居なくなることを危惧しており、ならば人間を滅ぼそうという考えを持っている。既に袂を別って幾星霜。もはや歩み寄ることはない。

 どちらにしても、龍族は桁違いの強さを持つ。はるか上空からブレスをたたき落とされたら、人間は為す術がない。それでも敵対側が傍若無人に町を襲わないのは、その町のどこかに龍族が住んでいるという確率が非常に高く、他地方の龍族と一致団結しての逆襲を恐れているからだ。

 そんな龍族が、先日上空でドンパチをして、どちらかの勢力側が墜落した。その時に死亡していれば、南方の地方にわざわざ依頼を出し、数日かけて冒険者を呼び付けるようなことはしていない。つまりは、墜落してなお龍族は生きている事の証左である。

 一部始終をたまたま見ていたマリアが様子を見に行き、遠目で生存を確認したのである。ただ、マリア一人ではそれ以上近づくことはしなかった。手負いの龍族に近づくのは危険なためである。たとえその龍が穏健派であっても、怪我の状態によっては我を忘れている場合もあり、見境無く攻撃する可能性があるためだ。例えほとんど身動きができなくとも、遠くからブレスを吐かれたら、あっという間に全滅、という可能性もあるのだ。

 マリアは発見してすぐに家に帰って相談し、その日のうちに冒険者協会に相談したのは、正しい判断である。

 マリアの実家は、とある事情があって強者揃いだが、しかし対龍戦闘は不得手とする。またアクエイスには龍と戦えるほどの人物がいなかったため、冒険者協会はタルファームを頼ったというわけである。現地でもいたずらに募集をしたわけでは無く、この者なら龍を倒せるであろうという腕利きを選抜し、こうしてアーサーとファーネルの二人に指名依頼がかけられたのだ。


 マリアは彼らを先導するように歩き始めた。そしてアーサーとファーネルも、彼女に続いて歩き始めた。草むらから落ち葉の絨毯が敷き詰められている獣道へと出る。その間、二人分の足音が森に響き、やがて岩場へと到着した。

 マリアは、ここまで一切の足音を立てていない。落ち葉を踏みしめていても、だ。恐ろしいまでの気配断絶と隠密技術だ、と二人は感心する。そんな二人にお構いなく、マリアは岩場のちょっとした段差を越え、茂みに着地した。そしてマリアは、親指を立ててこの先、と合図した。二人も無言で頷き、警戒しつつ先に進む。

「ん」

 と、マリアはファーネルに手を差し出す。何だ、とファーネルはその手を握り返そうとして避けられ、ぶんっという勢いで再び手が差し出された。

「んっ!」

「……武器を返せ、ってことだろ?」

 アーサーは小声でファーネルに呟き、ああ、と納得の表情をしてマリアに武器を返した。マリアは武器を背中にくくりつけている鞘に収めると、ひょいひょい、と岩場を飛ぶような勢いで登っていく。アーサー達は鈍重な動きで彼女に続き、岩場を登り切った。

 そして。

 その先に、傷つき、うずくまるブラックドラゴン、黒龍の姿があった。その目は今来た三人を睨み、しかしどこか達観したような諦めの色すら垣間見えた。

 マリアと、その黒龍はしばらくそのままにらみ合う。いや、そこまで剣呑な雰囲気では無く、見つめ合う、という表現の方が正しいだろう。

 ややあって、マリアは後ろに振り返った。

「えっと、ファンネルだったわね?」

「ファーネルだ。間違えんな」

「……彼女に回復の魔法をかけてあげてくれる?」

 マリアの唐突の願いに、ファーネルは困惑する。それはアーサーもだった。

 目の前にいる黒龍が、まだ人間に害する存在か否かすら解らない段階で、マリアは助ける選択をしているのだ。

「……先に聞こう。お前さんは回復魔法は?」

「使えるけど、せいぜいちょっとした傷を治せる程度の弱いものしか使えないわ。あれだけ深手を負っていると、私には無理」

 と、マリアは悲しげな表情でファーネルに振り返って答えた。

「もう一つ。……あのドラゴンはどう捉える? 人間に仇なす存在か、そうで無いか」

「ファーネル次第」

 マリアは即答した。

「後、アーサーが使える魔法でも治癒力が足りないわ」

 ファーネルはマリアと黒龍を交互に見ながら逡巡し、やがて意を決してロングソードを鞘に収めた。そして黒龍の元まで歩み寄る。

 その間、黒龍はファーネルと見つめたまま、身じろぎ一つしなかった。

 ファーネルは、足下に溜まる赤黒い液体を一瞥し、その源流となっている場所に手をかざす。その傷の深さを察し、自分が使える最大級の魔法を唱え始めた。そして不意に、疑問に思ったことがある。それは先ほどのマリアの発言だ。まるで、自分たちが使える魔法を知っているかのような、そんな発言だった。

 ファーネルは邪念を振り払い、魔法に集中する。やや長い呪文を正確に唱え、そして発動させた。

「……神の息吹(ゴッド・ブレス)」

 緑色の光が辺りを包み込み、光の粒子が黒龍へと吸収されていく。流れ出てしまった血液はどうしようもないが、傷口は急速に癒えていく。最初は気付かなかったが、ドラゴンの全身に細かな傷があり、それらも一緒に癒やされていった。

 やがて傷口は完全に塞がり、出血も治まる。

 ファーネルは振り返り、マリアを睨む。これでいいか、と。マリアも強く頷き、ほっと肩をなで下ろした。

『……皆さん、少し、離れていてください。人の姿に戻ります』

 唐突に、頭の中に声が響いた。声の主がその黒龍であること、今のが念話であることはすぐに気づいた三人は、黒龍から少しだけ距離を取った。

 黒龍は頭上に真っ黒な光を打ち上げ、それが膨れ上がりつつ自身の体に落ちてきた。そしてその巨体は黒い光に覆われ、それが弾けた。黒龍の巨体は綺麗さっぱりなくなり、代わりに黒く長い髪をした女性が、その場に座りんでいた。

 彼女は、小柄で華奢な印象だ。顔もどこか幼く、ファーネルやアーサーと比べれば年下に見えた。血色の無い真っ白な顔で、自嘲気味に笑った顔はどこか儚げで、ファーネルをそのまま見上げていた。

「危ないところを助けていただき、ありがとうございます。……えっと、私はミリア・サンディーです」

「俺はファーネル。で、アーサーに、マリアだ。その姿じゃ色々不味いな。まずは何か着るものとか持っていないか?」

 ファーネルは、なるべくミリアに顔を向けないようにしていた。それもそのはずで、ミリアの衣服は所々で破れており、どこか扇情的な雰囲気すらあるのだ。ミリアも自分の容姿を改めて確認し、少し頬を赤く染める。マリアは、まるでこの状況を見越していたのだろうかといわんばかりに、荷物から黒いローブを取り出していた。それを受けとったミリアは、小さくありがとうとお礼を述べ、それを着込む。

「もう良いですよ。別に見られても減るものでもないのですが、心遣いには感謝します」

「ああ」

 ファーネルは改めてミリアに向き直り、手を差し出す。それをミリアは自然な形で握り返し、立ち上がろうとする。

「あ、……あれ?」

 しかし、その途中でぐらりと体が傾く。ファーネルが手をしっかりと握っていたことで転倒こそしなかったが、その場にペたんっと勢いよく座り込んでしまった。

「……くらっとしました。……どうも立てそうにありません」

 苦笑するミリアに、マリアが一言。

「このままミリアを放置なんてできないし。……ファーネル、彼女を運んで私の家まで連れてきてくれない?」

「え?」

「あ?」

 ミリアとファーネルが同時に声を上げた。

「いや確かに放置はできないが、俺が背負って?」

「だって、アーサー人龍、私も人龍。筋力がちょっと弱いから女の子背負ってこの崖降りるなんて無理」

「いや、俺だって難しいぞ? それに、初対面の俺なんかがいきなり背負うとか、この娘のことも考えてだな?」

 ファーネルがミリアに視線を向けると、ミリアは頬を朱に染め視線を外しながら、小さな声で答えた。

「その、ファーネルさんなら良いです、よ?」

 誤解を発生しそうな仕草と発言だが、本人の同意を得られたということで、マリアはしたり顔となる。

「じゃ、よろしくね」

「……ああ」

 かくして、一行はなんとか岩場を下り、アクエイスへと歩みを進める。

 その間ミリアは、ずっとファーネルの背中に抱きついたまま、彼の顔を伺うように上目遣いをしていた。

 森を抜け街道に出て、そのままアクエイスへと向かう。途中、十数台のキャラバンが四人のもとで停車してくれたため、四人は運賃を支払いアクエイスまで便乗することにした。体重が軽いミリアを背負ってアクエイスに行くことは容易いが、しかし初対面の異性同士で、ずっと密着状態というのも問題があると思っていたファーネルは、取りあえず助かったといって胸をなで下ろしていた。

 日が暮れ、キャラバンが発着場へと到着する。沢山の乗客が降りていき、めいめい宿へと向かい始める中。四人はファルアスタシアの家へと向かい始めた。

 ミリアを救出してからおよそ一時間、馬車で十分な休憩が取れてはいるが、それでもミリアはまだほんの少ししか歩けない状態だった。

「……仕方ない」

 ファーネルはミリアを、今度は自分の胸元へと抱きかかえる。

「おお、おおおお姫様抱っこはちょっと恥ずかしいのですけど?」

 ミリアは顔を赤くし、ファーネルを見上げるが一切抵抗はせず、大人しくなすがままだ。

「こっちの方が運びやすい。しばらく我慢してくれ」

 ミリアはこくこく、と頷き、そのまま押し黙った。

 そして四人は再び、歩みを進める。

 目抜き通りを湖側に曲がり、そこそこ広い生活路を歩く。どこの家庭でも夕食の準備をしているのだろう。様々な料理の匂いが代わる代わる襲いかかり、空きっ腹を締め付けてくるようだった。

 くーっと、ミリアのお腹が鳴る。途端に顔を真っ赤にし、苦笑するファーネルの胸をどかっとぶん殴った。

「いてっ。……元気だなおい?」

 鎧の上からなので痛くは無いが、理不尽なとファーネルは考える。

「でも歩くほどの元気はありませんので、キビキビ歩いてください、ファーネル」

 岩場から約二時間こうして一緒にいれば、それぞれ話をして打ち解けていた。


 マリア・ファルアスタシア。彼女はこの町にあるファルアスタシア道場の娘。人龍は人間に比べると九割程度の身長となるが、それでも一〇五フォーネルは、かなり小柄である。アーサーと並ぶと大人と子供ぐらいの身長差もある程だ。年はこれでもアーサーの一つ下で一七歳。一六歳修行には出ず、ファルアスタシア道場、ひいては流派を継承するため修行をしているそうだ。武器はジャマダハルの二刀流。その他の武具は何も身につけてはおらず、ゆったりとした暗褐色のローブでその身を包む。金色の髪をポニーテールにしており、目は碧い。アーサーと同じく瞳は縦に長く、暗くなった今はまん丸になっている。今向かっているのは彼女の生家で、ミリアをそちらでしばらく療養させたい、と考えたからである。

 ミリア・サンディー。ここからは遠く北にあるディトリア・クレール大陸、その僻地となるメルセア市出身である。彼女は、とある裏切り者を五人で追って故郷を旅立った。しかし返り討ちにあい、あの場所へ辛うじて不時着した。また、ここまでの間に三人が討ち落とされ、もう一人はまだ追っているはずだ、と皆に話した。はやる気持ちもあるが、自分が身動きすらできない状況で追うことはできないし、既に時間も経ちすぎている。今焦ってバタバタしてもしょうがないことは承知していた。

 身長は本人曰く約一二二フォーネル。黒いロングヘアーで目は茶色。龍族という事もあり、瞳は縦長である。ただ人龍のように暗いところではまん丸にはならず、より太い縦長、といった具合だ。体重は、ファーネルが余裕で運べる程度には軽い。顔立ちは年齢の割には幼さを残し、更に華奢である。今はマリアが渡したローブに身を包んでいる。そして歩くほどの力がない今は、ファーネルにお姫様抱っこされている。ここまでの道中色々話していたこともあって、ファーネルを既に呼び捨てにしているぐらいには打ち解けていた。

 なお、生まれはファーネルよりも半年ほど早い。現在ファーネルは誕生日を迎える前ということもあって、実質ミリアの方が年上である。そのこともあって、比較的早い段階からファーネルのみ呼び捨てにしているのだ。ファーネル本人は何で俺だけ、と呟いているのだが、ミリア本人は呼び捨ての方が呼びやすいから、と答える。なおアーサーもマリアもさん付けなのだが。

「夕食はどうする?」

 先行するマリアに、アーサーが呼びかけた。

「夕ご飯なら、私んちでごちそうするわよ? どこか予約してるとか?」

「いや、予約って程じゃ無いが、一応宿を取っていて、そこで食べる想定をしていたからな」

 アーサーは後ろを歩くファーネルに振り返った。

「俺は何処でもいい。……そうだな、マリアの所にこれを届けたら、俺らは宿に戻って一盃引っかけるか」

「今、これって言いましたね? わたしを荷物扱いしましたよね?」

 べしべしっとミリアはファーネルの胸を叩く。当然鎧越しなので痛くもかゆくも無く、どこ吹く風といった体でファーネルは歩みを早める。早くもずいぶん仲良くなったなと、アーサーは苦笑し、ファルアスタシア家を目指すのだった。


 ファルアスタシア家は道場が併設されている。ここには沢山の生徒が通うが、ほとんどが冒険者の資格を取得する前に、ある程度剣技を磨いておきたいという子供達で占められる。ファルアスタシアを本格的に学んでいる『門下生』はいない。理由は、ジャマダハルという特殊な武器を扱うこと、相手のリズムを狂わせるトリッキーな動きなど、他の剣技と比べると極めて特殊性が際立つため、習得が難しいからである。最初こそファルアスタシアを目指した門下生だが、ファルアスタシア最初の奥義すら伝授できるほどの腕前に至っておらず、結局挫折して普通の剣などへと転向しているのが実情だ。そのため、この道場を受け継げるのは、マリアしかいない。

「ただいまー」

 帰る生徒と入れ替わりに、マリア達が玄関に到着した。マリアは奥に大きな声を上げ、奥から母親だろうか、そんな人が顔を覗かせた。

「おかえり、……、っ、ちょっとお父さん! マリアが男連れてきた! 男連れてきたよ!?」

 と、いきなり奥に叫ぶ。

「なんだと!」

 その直後、どたどたっと複数の走る音が響き、彼女らの家族が玄関に駆け込んできた。そして、マリアを除く三人が、マリアの家族達に取り囲まれた。皆、値踏みをするようにアーサーとファーネルを見据えた。

「どっちだ?」

「女の子を抱きかかえている方では無いでしょうね」

「じゃ、こっちの紫色のほうでしょうか?」

「決まりじゃのう?」

 そして一列に並び直し、一同礼をする。

「ファルアスタシア家へようこそ。歓迎いたしますぞ」

 アーサーとファーネルは、顔を引きつらせるのだった。


 さすが道場を併設しているということもあって、食堂も広い。二〇人以上は同時に食べられるぐらいであり、これはちょっとした宿酒場以上である。大きなテーブルが二つ、どちらも一〇人掛けだ。その片方に、ファルアスタシアの家主が座るように案内した。

 めいめい腰掛けていく中、ファーネルはミリアを座席に下ろす。若干残念そうにしているミリアだったが、ファーネルはそれには気付かない。

「……さて、マリア。説明を」

 ファルアスタシア家の家主が、説明を求めた。

「うん」

 まず、アーサーとファーネルを紹介する。二人は、ファルアスタシア家が出していた依頼を受けて、こちらに来た冒険者であることを説明した。そして、ミリアに関しては、その当該黒龍であることを話す。彼女は致命傷に近い程の深い傷を負っており、岩場に龍化した状態でうずくまっていた。命の危険を察したマリアがファーネルに回復魔法をかけさせ、取りあえず人の姿に戻して連れ出してきたのである。彼女については、動けるようになるまでは、ここか療養所で静養させたいとの考えだ。

 一連の説明が終わると、アーサーとファーネルは席から立ち上がり、改めて自己紹介をした。ミリアもそれに続いて自己紹介をしようとしたものの、やはり立ち上がるほどの元気はなく、座ったまま自己紹介をした。

「では改めて。ファルアスタシア皆伝、ソフィア・ファルアスタシア。マリアの祖母に当たる」

「同じく師範にして筆頭、ジョージ・ファルアスタシア。マリアの祖父だ。お見知りおきを」

 マリアの祖父母は、ファルアスタシア流の筆頭を名乗るだけのこともあり、ゆったりとした話し方にも威厳があった。

「マリアの父、クレッド・ファルアスタシアです。」

「母のケイトです。こちらは娘のアリア。アリア、ごあいさつを」

「えっと、アリアです。六歳です」

 無垢な笑みで自己紹介をした娘に、皆、顔をほころばせるのだった。

 筆頭ジョージが小さく咳払いして、話し始めた。

「ミリア殿に関しては、客室をご用意し、念のため医者にも診て貰おう。アーサー殿にファーネル殿は、いかがいたそう? 宿を借りているとは聞き及んだが、お二人さえ良ければしばらくこちらに滞在していただいても構わない。まあ、余り広い部屋では無いが」

 アーサーとファーネルは顔を見合わせる。筆頭からの申し出は正直ありがたいのだ。ミリアがある程度回復するまでは様子見で滞在するつもりだったが、その分宿の連泊では料金もかさむのだ。ただ、いきなり甘えてしまっても良いものか。二人はしばらく逡巡した。

「二人とも泊まってって? 特にアーサー。あなた私の幻龍剣を初見で破ったんだから、その秘密を知りたいわ?」

 マリアの言葉に、いち早く筆頭ジョージが反応した。

「……ほう。なるほど、『スナー』の剣技、というわけかな? アーサー殿の、スナー流としてはどれほどのものか?」

「はい、皆伝を拝命しています」

「ほうほう、なるほどな。それではマリアが敵わないのも道理だ」

 と、ジョージはにわかに笑い始めた。それにむくれるマリアに、よく分からないままにっこり顔のアリア。

「じいじ、よく分からないのだけど?」

「そう言えば、マリアにはちゃんと説明をしておらなんだな」

 ジョージは、したり顔で話し始めた。

 スナー流とファルアスタシア流は、元々一つの剣技だった。どちらも魔族、適性存在としては最強の部類となる種族を打倒するため、それぞれの道を究めた剣技である。ファルアスタシアは魔族の動きを真似、空間を渡って相手の虚を突く戦い方を極めていく。スナー流は、魔族に対して真っ向か立ち向かう剣技として極めていった。この結果、魔族の戦い方に限りなく近づいたファルアスタシア流は、スナー流に敵わなくなる結果となってしまった。

 例えば、スナー流は相手が空間を渡ったとき、切っ先を後ろに向けた形で構えを取る。すると、相手の虚を突くファルアスタシアは、その切っ先に、自らその切っ先に飛び込んでしまうのだ。こうしたことで、マリアが空間を渡ったときにアーサーがマリアに一撃を入れることができたのは、軍前ではなく必然だった、ともいえよう。

 これ以外にも、スナー流は魔族の動き、巡ってファルアスタシアの動きを封殺するよう組み立てられており、どうあがいてもファルアスタシア流はスナー流に勝てない剣技となっている。

 少しでもスナー流の動きを習っていれば、ファルアスタシア流の、所見殺しの初手にカウンターを与えることができてしまう。

 ファルアスタシア流がスナー流に打ち勝つには、相手が素人か、自身が極意の域に達するほかないとまで謳われている。

「じゃ、私が極意になればアーサーに勝てる?」

 と、マリアは首をかしげて問いかけ、ジョージは頷く。

「生半可な努力では、決して到達しえない領域だということは、お前自身も知っているはずだ。お前が皆伝になるまで、どれほど努力してきたかは、儂も知っておる。極意に至るまで、どれほどの経験を積まなくてはならないか、未知数だ。……長いこと生きてきたこの儂もまた、極意の域を見たことは無い」

「……うん」

 マリアは頷き、黙ってしまった。

「話がそれたな。……しばらく滞在してはどうか、だったな。ただで泊まるのが忍びない、というのであれば、ここに来ている生徒達に少しばかり剣術を教えていただく、というのはどうか?」

 再びアーサーとファーネルか顔を見合わせ、しかし今度はすぐに結論を出した。

「では、お言葉に甘えます」

「うむ」


 アーサーが宿に断りの連絡に行くため、一度ファルアスタシアの道場を後にしようとする。それにマリアが道案内といって付いて行くことになった。そこで、一度その場を解散することとなり、ファーネルはまずミリアを客室まで運んだ。その後はクレッドに自分とアーサーが泊まる部屋を案内された。

 部屋自体は門下生が生活するためのものだ。狭い部屋に二つの小さな机、そして天井ギリギリの高さとなる二段ベッドという構成で、少々窮屈ではある。ファルアスタシア家には客が宿泊できる部屋は一つしか無く、その部屋をミリアにあてがわれたため、この部屋となった。冒険者の宿によってはこれと同じような部屋も多くあるし、宿泊したことも多いので文句は無い。ただで泊めてもらえるのだから、ありがたくもあった。

 部屋が決まった後は、ファーネルはミリアの元をもう一度訪れていた。案内された後はすぐ来るように、と言われたからでもある。

「……その、改めて。私の命を救ってくれて、ありがとうございます」

「命って、大げさだろ?」

 ミリアはベッドに寝たまま、首を振る。

「大げさでは無いです。私が龍の姿を保ったままだったのは、その姿でいれば重傷を負ってもある程度耐えられるからです。あの状態で人化した場合、大きな負荷がかかって落命していたと、そう思います。だから誇張でも何でも無く、貴方は私の命の恩人です。だから、ありがとう、です」

 ミリアは少し照れくさそうに微笑み、手を差し出してきた。ファーネルはその手を軽く握り返した。

「ああ」

「……私が眠るまで、手を握っていてください。一度死すら悟ったのです。今さながら、少し、ほんの少しですよ? 怖くなりましたので」

 ミリアの頬が、ほんの少しだけ赤みが差す。差し出した手はほんの少しだけ震えていた。彼女は、助かったからこそ死への恐怖が再び再燃していたともいえる。ファーネルの温かい手を握り返し、安堵した表情を見せた。

 ミリアは目を閉じ、顔を背ける。そうしてミリアが眠るまで、そうしていた。


 マリアとアーサーが戻ってきて、夕食となった。席にミリアの姿は無いが、訳はファーネルから聞いて皆納得した。さすがに本人の名誉のため、今更ながら怖がって手を握って放してくれなかった、という部分は省いたが。彼女の食事は消化に優しいものを別に作っていたので、目が覚めたら食べさせようということとなり、ひとまず八人で食事をすることとなった。


 翌日、朝。

「おっはよーっ!」

 どんっ!

「ぐえっ!」

 アーサーは、腹部に突然のしかかった衝撃に、思わず悲鳴を上げた。

 彼の寝起きはすこぶるよい。いつもであれば、声がかけられればすぐに目が覚めるし、その後の動作も寝ぼけて云々ということは皆無だ。だが、さすがに声掛けと同時に飛びかかられれば避けようが無い。

 目を開けてみれば、マリアがアーサーの腹部にまたがっており、身を乗り出してアーサーの顔をのぞき込んでいるのだ。恋人同士、それもバカップルと称されるレベルならこういったシチュエーションもあるだろうが、アーサーとマリアは昨日出会ったばかりであり、お互い詳しくは知らない同士だ。

 余りにも余りな状況に固まっているアーサーに、マリアは首をかしげる。

「朝だよ? 朝食用意したから起きて?」

「その前にどいてくれないか? これじゃあ起きるに起きれん」

「わかった、えへ」

 逆方向に首をかしげてにこりと笑ったマリアは、身じろぎして体を起こすが、ごんっと鈍い音を立てて頭を天井にぶつけていた。勢いは無かったため痛そうにはしていないが、ぶつけたことを恥ずかしがっている様子だった。マリアは慌てて体をよじり、そのまま姿をかき消す。

 直後、とん、と小さな音を立て、マリアが着地していた。空間跳躍の技だが、今は無警戒なのか特に足音を消すようなことはしなかった。

「じゃ、食堂で待ってるから?」

 そう言いながら後頭部を手でさすりつつ、はにかんで部屋を後にするのだった。

 アーサーは天井に気を付けつつ体を起こし、ベッドから降りる。寝るときは暗くて気付かなかったが、天井はベッド側に傾斜しており、二段ベッドを置くには天井が低すぎるのでは、と感じる程だった。

 アーサーが食堂まで来ると、マリアが待っていた。彼女はアーサーの姿を見るやいなや、顔を一気に紅潮させ顔を逸らして厨房へと消える。

 その様子にアルフは一瞬違和感を感じたが、取りあえず席に座った。

 既にマリアの家族は食べ終わっている様子で、ここに座ったのはアーサー一人だけである。マリアは厨房の方から盆に載せた食事を運んできた。

「あ、あのっ、わ、私が作りましたので、味わって食べてくださいね?」

 口調も仕草も、先ほどのマリアから大きく変貌した、と感じたアーサーだが、特にそれには触れず食事を食べ始める。

 マリアは静かに、顔を赤らめ口元を盆で隠しながら、アーサーの様子を伺っている。

 パンとスープ、紅茶のセット。作ったというのはおそらくこのスープのことだろうと考えるアーサーは、それを一口頂く。確かに優しい味わいで、美味しかった。

「うん、うまいな」

 素直に感想を述べると、マリアはお盆で顔を全部隠し、恥ずかしながらも頷く。

「ありがとうございます。いつか食べて貰うことを夢見ながら、沢山練習しました」

 先ほどから感じていた、いや昨日から感じた違和感は、ここに来て一気に膨れ上がった。

 まず、マリアは昨日が初対面のはずだった。にもかかわらず、自分たちが使える回復魔法について知っていた。冒険者として二年ほど旅をしてきたが、マリアとの接点は皆無のはずである。ファルアスタシア家とスナー家、そしてファーネルの家系は昔から関係性は深いが、少なくとも自分らや親の代では、これとした接触は無かったはずである。だから、アーサーとファーネルがどの程度の魔法が使えるかを知り得た理由が分からない。

 それとは別に感じる、マリア自身に対しての疑問だ。

 朝起こしに来たときと今の態度が、まるで違うのだ。昨日も含めてだが、先ほどまでは快活で言葉遣いも砕けていた。が、今はどうだ。言葉遣いも違うし、纏っている雰囲気も違う。まるで、同じ姿をした別人だ。

 だから、アーサーは敢えてこのように尋ねてみることにした。

「お前は、誰だ?」

 マリアは盆に顔を埋めたまま、小さく呟くように返事した。内容は、回答では無い。

「ご、ごめんなさい、私ではうまく伝えられないから、交代しますね」

 しばらくそのままだったマリアは、盆を体から離し、先ほどの天真爛漫な表情をアーサーに向けた。先ほどまでの儚げの様子から一転したため、面食らったアーサーは、演技か何か、と考える。しかし彼女から返された答えは、彼の想像を超えるものだった。

「わたし、いえ、厳密に言えば私たち、二重人格って奴かな。あと、アーサーのことを事前に知っている風にって話したけど、……うん、これも異能のおかげ」

 マリアは、天真爛漫さを控え、真面目な表情となる。

「アーサーは、夢見って能力、知ってる?」

 驚きの発言だった。

 二重人格にしても、夢見の能力についても、これは小説などでしか聞いたことがないようなものなのだ。

 アーサーは、驚きの表情のまま、小さく頷く。

「ああ、小説なんかでよく出ているけど、確か未来を予測するっていう……」

 こく、とマリアは頷いた。

 夢見。それは至極簡単に纏めれば、真実を夢で見るものだ。代表例としては過去視と未来視であるが、夢見といえば、未来視を指すことが多い。

 これは誰もが行えるものでは無く、生まれながらにしてもつ素質が必要なものである。原理は魔法でもないため不明。そして、それに伴う知識もまた、生まれながらに持っているという。だから、これは敢えて『異能』と定義されている。

 夢見は、自然に見るものは偶発的な正夢程度の物でしかない。不特定多数の中に、偶然の力が発現した夢が混じるのだ。それ故、夢で見たことが現実で起こって、はじめて未来視をしていたんだと気付くことの方が多い。ここまでなら、正夢と何ら変わらないだろう。

 異能と定義できるのは、ある程度コントロールして見ることができる点にある。

 ある種の調合したハーブを炊き、その環境下で眠ることで、特定の事象に絞り込むことができるのだ。この儀式めいた方法によって見た未来は、ほぼ確実に迎えることとなる。

 儀式で見た夢、未来と確実に解る夢。どちらも、関係者が夢で見たとおりの行動を取らなければ、未来が変わることが大半である。が、意図して変えようとしても、別のところで修正がかかってその通りの未来へと収束する、確立した未来というものも存在する。

 ―――あのときは、本当に小さな子供だった。だから子供の時分ができる精一杯で、何とかしようともがいたこともある。だが、結局その『事件』は起こってしまい、今の自分がいる。こちらに関しては、今はまだ話す必要は無いだろう、とマリアは小さく頷いて、話を続けた。

「それでね、もう一人のマリアが、あなたの夢を見たの。昨日のあの時間ぐらいに、出会うって。もう何年も昔の話。夢見で見たものは共有できるから、あなたの顔は何となく覚えていたのだけどね。……だからさっき交代してみたのだけど、どうもアーサーとは顔を合わせづらそうにしてたね」

 マリアは苦笑した。

 二重人格ということも驚きだが、夢見の能力者が実在したことにも驚きだった。その能力により、もう何年も前から自分のことを知っていて、それに合わせて料理の勉強をしていたらしい。もう一つの性格の方はアーサーと顔を合わせづらそうにしていたことは若干気になるが、今はまだ踏み込むべきでは無いだろうと考える。まだ出会って二日目だ。自分のことをかなり話してくれたが、まだ知り合いという程度の中だ。こちらからプライベートに関わることを尋ねるのは違うだろうと、アーサーは考えた。

 一応依頼については片がついている。後は本人が元気になれば、そこで依頼達成の報告をして終わりだ。彼女が故郷へ帰るなり、引き続きこちらで活動を続けるなり、それは彼女の自由だ。

 ファルアスタシアの家を出れば、自分らも二人旅に戻る。だから、マリアの事情に関しては深く関わる必要は無いだろうと、アーサーは考えていた。

「うん、そんなわけで。だから私たち、アーサーのことは事前に知ってたの。アーサーとその場所で、その日時で出会うということも夢で見た通りだったのだけど、……だけど、アーサーが何の為にその場所に現れたかは解らなかったし、ファーネルが同行していたということも見えていなかったの」

「……俺限定な訳か?」

「本来はそういうわけじゃ無いんだけどね。あの子にとってはあなたが一番印象的だった、って事かな?」

 マリアは苦笑した。そこで少し会話に魔ができたところで、アーサーは質問を変えた。 

「これについて聞いていいのかどうか判断付かないんだが、……気分を害したのなら先に謝っておく。……そもそも二重人格って、一体何なんだ? いや、二つの性格が一つの体に入っているという点は、小説でちょっと知っているぐらいだ。詳しくは、な」

 マリアは反対側に首をかしげ直し、不意ににこりと笑う。何だそんなことか、と言わんばかりの笑顔だった。

「単純に、二人の心がここにある感じ」

 マリアは、とんと自分の胸を叩く。

「記憶をごく一部を除いて直接共有しているわけでもないし、感情も全く別。ただ目や耳や口、体全部を共有しているから、二人で同時に云々というのは不便だなって感じ。片方が寝ていればもう片方が体の占有権を持つのだけど、二人同時に目を覚ましていることもあるし。そういうときは大概先に目覚めていた方に譲っているかな。逆に主導権を移したら、体が勝手にうごくーって感じでおもしろいよ」

「……おもしろいんだ?」

 アーサーは、マリアの感覚に若干戸惑う。それが良いとか悪いとかの判断は付かないが、ただ単純に変わっている、と思ってしまった。

「でも、ね」

 マリアは姿勢を正し、アーサーに向き直った。

「二重人格であることをちゃんと話したのは、家族以外ではアーサーが初めてだからね。ファーネルやミリアには話しても良いけど、それ以外にはまだ話さないでほしいな」

「ああ、解っている」

 アーサーは即答した。

 マリアの秘密をいきなり二つも抱えてしまったことになる。これに関しては自分のことを信用して教えてくれたことだと解っているため、他人に教えるような愚は犯さないと心の中で誓うアーサーだった。

 マリアの二重人格は、片方が天真爛漫であれば、もう片方は人見知りで引っ込み思案の傾向が強い。そして夢見の能力はどちらも使えるが、人見知りな性格は、特定の事象に詳しい部分を見通すことが得意で、天真爛漫な性格では、全体像を把握するのが得意だ、と補足するのだった。


 ミリアは、一晩ゆっくり眠ることができただけでも大分回復している様子だった。ベッド上で体を起こし、朝食をいただくことにしたのだが。

「ひょっ! ふぁーへっ、あふいっ!! みふっ!!」

 口に入れられた雑炊がことのほか熱く、涙目になってファーネルに水を請求する。

 第三者からすれば何を言っているのかさっぱり解らない状況だが、ファーネルは水の入ったコップを差し出すとそれをひったくり、勢いよく口にする。

「……ヒリヒリします。これ、口の中火傷になってるかもしれませんね? ファーネルは何ですか? サドなのですか? 私が熱くて苦しんでいるのを喜んで見てるような最低な人なのですか?」

 と、罵ってきた。

 確かに温度をちゃんと確認しなかったファーネルも悪いが、しかしこの態度の変貌ぶりに、ファーネルは心が追いつかない。

 水が半分残っているコップを勢いよく突き出しながら、ミリアはもう片方の手で涙を拭いつつ、ファーネルを睨んで訴えた。

「ちゃんとふーふーして冷ましてから口に運んでくださいよ全くもうっ」

「……いや、悪かったって」

 ミリアが落ち着いたところで一応の謝罪をするファーネルだった。これだけ元気よくコップをひったくって水を飲めるし罵ってくる元気もあれば、雑炊も自分で食えるんじゃねえか、とファーネルは心の中でツッコミを入れる。

「わかりましたか? ちゃんとふーふーしてから口に運んでください」

 ファーネルはコップを受け取り、床頭台に置く。そしてミリアの訴えに一応頷き、再び雑炊とスプーンを手にして、一口分掬った。そして躊躇した後、掬った雑炊に息を吹きかけ、冷ます。その様子を熱心な表情でミリアがじっと見つめていて、ファーネルはどこか居心地の悪さを感じた。渋面をしながらスプーンを自身の手の甲に当て、適温であることを確認してからミリアの口へと運ぶ。ミリアはそれをパクッと加え、ファーネルがゆっくりと引き抜く。すると、その表情はどこか嬉しそうに、美味しそうにしているのだった。もしこれが犬だったら、嬉しそうに尻尾をぶんぶん振っている、そんな光景が目に浮かんだ。

「ファーネル、今失礼なこと考えませんでしたか?」

「そ、そんな事は無いぞ?」

 内心の焦りを押し殺し、何でも無い風に対応するが、ミリアはそれを見抜いてきた。

「犬ちゃんではありませんよ? 誇り高き龍族ですよ私は」

「な、なんで解るん」

 ミリアは両手をベッドについて、ずいっと顔をファーネルに近づける。ファーネルは思わず仰け反る。そして妙に勘が鋭いことをよりも、距離感がおかしいことに思わずツッコミを入れるのだった。

「いや近い近いっ」


 雑炊も食べ終わり、ファーネルは空になった食器を厨房へと持って来た。食器は彼自身が洗い、食堂を通ったところでマリアに呼び止められた。

「ねえファーネル」

「ん?」

「えっとね、ミリアの様子はどう?」

「ああ、すこぶる元気だ。昨日と比べればずいぶん顔色もよくなっている」

 マリアはほっと胸をなで下ろす。

「まあ、態度はともかくだが」

「……態度はともかく、とは何ですか?」

 その声に驚き、ファーネル達が食堂の入り口に注目する。するとミリアが、壁伝いに歩いてきていたようだ。衣服も昨日のようなボロボロのものではなく、マリアの母親のものを借りたものだ。さすがにそのままでは駄目だろうということで、到着してすぐに貸し出したものである。なおマリアのものでは小さすぎて着られなかった。

「ミリア、お前起きて大丈夫なのか?」

「ええ、ある程度なら、大丈夫そうです」

 よいしょ、と小さくかけ声をあげ、テーブルの座席に座る。

「私をのけ者にして何の話をしようとしていたのですか?」

 ファーネルに目を向け、なかなかきつい口調だった。その様子に、アーサーは怪訝な表情となった。

 女性軍は知らないが、ファーネルは、この旅の最中において、時々女性関係でトラブルに見舞われることがあった。大概はファーネル自身ではなく、言い寄ってきた女性側に原因があったわけだが。

 ファーネルは、黙っていれば容姿端麗で見た目細いががっしりとした体型で、有り体に言えばモテる。それなりに優秀な冒険者でもあるため、女性からすれば優良物件だ。そのため、冒険者で有る無しにかかわらず女性からよく声をかけられ、そして女性同士が牽制しあいトラブルに発展し巻き込まれた、ということもある。そのためファーネル自身は、女性怖いと時々呟くぐらいであるのだが。

「ファーネル、お前、またなんかやったのか?」

 アーサーが小声で尋ねる。

「身に覚えが……、いや、あれか?」

 ファーネルは最初否定はしたが、しかし心当たりはある。先ほど雑炊を冷まさず口に突っ込んだことだ。それをアーサーに説明すると、小さく溜息を漏らす。

「それはファーネルが悪いな」

「うん、ファーネルが悪い」

「サド決定ですね、ファーネルは」

 アーサーに続き、マリアが同意してミリアが余計な尾びれを付ける。そこで三人言葉を失い、ミリアに思わず注目してしまう。

「……いや、こんな娘なのか?」

 アーサーは振り返り、マリアに小声で尋ねるが、マリアは首を横に振るだけだった。


 丁度四人集まったこともあり、ミリアはまずこの四人で話をすることにした。

「私が裏切り者を追ってこの地にやってきた、という話は昨夜したとおりです。ただ、これ以上詳しい話をしてしまうと、皆さんを巻き込んでしまうと考えてしまい、躊躇しています」

 ミリアは、先ほどまでとは打って変わり、重い口調で話を切り出した。アーサーとマリアが沈黙する中、ファーネルがゆっくりと口を開いた。

「その裏切り者を放置していて、人間側に何かしら危険というものは?」

「可能性としては、あるかと思います。そのためより詳しい話をしようと思うのですが…それをしてしまうと皆さんを私たちの事情に巻き込んでしまうと思いますので…」

「なら決まりだ。ファーネル・テナイ。この名にかけてあなたの力になろう」

 そう言ってファーネルはミリアに手を差し出す。

「悪い癖だぞ、ファーネル。いつもそうやって安請け合いして報酬無しとか女性問題とか、散々な目に遭っただろ?」

「まあな」

 ファーネルはにかっと笑い飛ばす。

「ここでミリアを一人行かせた結果死んだってなったら、目覚めが悪いったらありゃしねえ」

「まあ、それは同感だな。……俺も協力しよう」

 アーサーも手を差し伸べる。何だかんだと、アーサーはファーネルを理解し信用している。

「あの、まだ何も詳しい話をしていませんが?」

 逆に、ミリアの方が困惑する。本来であれば、立場上は三人を巻き込みたくはないと考えている。しかし協力者がいなければ、ミリアの話す『裏切り者』を追うことも、ましてや戦い勝つことは無理だということは身を以て知っている。

「私も、一緒に行きたいかな」

 そして差し出される手が、三つに増えた。しかし、今手を差し出したマリアに関しては、冒険者でも何でもないため、躊躇いなく拒否することはできた、はずだった。

「だって、もうミリアとは友達だし」

 ミリアが拒否しようと口を開く寸前に放たれた言葉に、ミリアは言葉を続けられなかった。

「いや、君はここの跡取りだろ? この家から離れてはいけないんじゃないか?」

 ファーネルが指摘すると、マリアは表情が一瞬沈む。

 ファルアスタシア流は、伝説の英雄リーン・スナーを起源とする二つの流派の片翼だ。それだけ歴史を重ねてきた剣術なのである。そんな伝統ある流派の跡継ぎであり、現在も修行の身のはずである。ほんの数日ならともかく、長い間道場から離れるのはどうなのか、というところだ。

 これは、マリアが女性であり、女性特有の問題が絡んでいることが大きい。もしファルアスタシア流の正当後継者が男性だった場合は、とっくの昔に旅に出ていたことであろう。

 ファーネルとアーサーはそんなことを考えるが、マリアはぱあっと明るい表情で答えた。

「大丈夫、じいじ達を説得してみせるから」

 マリアは胸を張り、そう答えるのだった。


 ミリアの話を聞く前に、マリアは祖父を説得するため、道場を訪れていた。

 ジョージはマリアの話を一通り聞いて、渋面を作る。

「……なるほど、ミリア殿に協力するため、ここを出るというのか」

 言いつつも、ジョージはアーサーの方に目を向ける。アーサーはその意図を測りかねていると、ジョージはマリアに条件を突きつけた。

「一週間以内に、ファルアスタシア流にて彼に勝利しろ。勝利条件はアーサー殿に致命的な一手を、たった一度でもよいから入れること。それまでの間、アーサー殿には何度敗北しても良い」

 それだけ言い放つと、邪魔と言わんばかりに皆を手で追い払った。

 道場から追い出された三人は、再び食堂に集まっていた。

 頭ごなしに駄目の一言で無かった分ましである。だが、天敵となるスナー流の皆伝持ちに勝利しろ、というのはなかなかの高難易度の条件である。実質駄目だと言っているのと変わらない。

 とはいえ、可能性は全くないわけではない。

「だからといって、アーサーさんは手を抜くという考えはありませんよね?」

「ああ、マリアには悪いが、これはファルアスタシアの師範としての矜持があるだろう。だから俺も彼に倣い、手を抜くつもりは無い」

「うん。変に手を抜かれても嬉しくないし。だからアーサー、本気でかかってきてほしいな」

「解った」

「それはそれとして、しばらく練習に付き合ってくれる?」

「そりゃ構わないが」

 アーサーはファーネルに視線を送る。それなりに長い間旅をしてきた仲間だ。アーサーの言いたいことを視線だけで理解し、ファーネルは頷く。その様子を端から見ていたマリアは、どこか悔しげだった。

「という事で、俺たちは当然ミリアに付き合うことにしている。マリアは状況次第だろう。という事で、詳しい話を話してくれないか?」

 ファーネルのやや強引な様子に、ミリアは小さく溜息を吐いた。

「これを聞いたら、後戻りできませんよ? それでも?」

 ミリアは、これが最後、とばかりに念を押す。

「ああ、頼む」

 それに対し、アーサー、ファーネル、そしてマリアも頷いた。


 数年ほど前。

 とある黒龍が、ディトリア・クレール大陸東部に住んでいた。

 そこは辺境のカル=アストロフ自治州にある小さな町だ。その町の名を、メルセア市と呼ぶ。

 彼には婚約者がいた。婚約者は元冒険者であり、引退後はその町で静かに過ごしていた。二人は偶然の出会いを経て恋をし、そして将来を誓い合った。そして式の日取りも決まった頃、彼女が身重であることが解った。はにかんで笑い、彼にそう報告し。二人は幸せの真っ只中だった。

 そんなある日のことだった。

 町の近くに、魔獣の集団が現れた。スタンピードという程の規模ではなく、せいぜい一〇を超える程度の数だ。さすがに書けだし冒険者では難しいが、中堅の冒険者となれば、複数人で事に当たれば大丈夫な案件だった。しかしこの時はタイミングが悪く、現役冒険者が出払っていた。そのため数人の元冒険者達が事に当たることになった。彼女もまた、この作戦に赴いた。

 そして彼女は戻ってきた。筆舌しがたいほどの凄惨たる姿となって。婚約者の彼には絶対に見せられないと冒険者達が相談していた矢先、話を聞きつけた彼が協会に駆けつけてしまった。

 彼は周りの制止を聞かず、彼女のそんな姿を見てしまった。

 半狂乱に泣き叫び、冒険者達に詰め寄った。なぜ彼女が戦いに赴く必要があったのか、なぜその時に冒険者が一人もいなかったのか。彼は冒険者達を非難した。すさまじいまでの形相で。

 幸せの絶頂だった彼は、絶望のどん底にたたき落とされてしまった。

 身寄りの無い彼女の遺体は、彼が引き取った。それ以降、彼は実家の離れとなる屋敷へと身を移した。彼女を屋敷内の小さな墓地に埋葬し、静かに暮らし始めたと、誰もがそう思った。

 この時点で彼の心は壊れてしまっていたことに、誰も気がつかなかった。彼の家族でさえ。


 それから数年が経過した。

 彼は、屋敷の中で人知れず研究に没頭していた。その研究は、彼女を生き返らせることだった。病んだ心は既に取り返しの付かないところまで行き着いていた。

 それは。死者の復活の実験。禁忌の研究だった。

 編み出した術を実験するためには、新鮮な死体を用意しなくてはならない。その用意はどうするか。答えは簡単。攫ってきて殺せばよい。殺した後、術を試せばよい。それゆえ、世界中で禁忌とされている研究だ。

 そうして築き上げた死体の山は、彼女の体を再構築するための材料となった。そこには、何十人もの行方不明者をない交ぜにして完成させられたものだ。おぞましいの一言では語りきれないほどに、醜悪なものの上に成り立っていた。彼は、同時にキメラの研究も進め、その技術を応用した。彼女の体は生前と遜色ない姿形となり、真っ白なドレスを着飾り、水槽の中で浮いていた。

 まさに、すべてが狂気だった。

 だが、死者を復活させる術式。魂を呼び戻す事に関してだけは、うまくいかなかった。

 彼はいつの間にか手に入れていた、一冊の魔導書を食い入るように読みあさる。何が間違っているのか、何が足りないのかを。

 そして、その魔導書の中にある一文を、見つけてしまった。

 この魔導書には、巧妙な罠が張り巡らされていた。この魔導書通りに実験しても、僅かな成果こそあれそれ以上はうまくいかない。しかしこの僅かな成果に固着するあまり、周りが見えなくなるよう、巧妙な記述で罠にはめていくのだ。そしてふと気がついたとき、その一文が目にとまるように、誘導されるのだ。

 既に狂気に染まっていた彼は、何の疑いも無く、その一文に従ってしまった。

 それは、人として行ってはならない、最大の禁忌。魔族との契約だった。

 彼は、デヴィル・ドラゴンとなった。

 これにより、莫大な魔力と足りないと感じていた知識が頭の中に滑り込んで来た、そう思った。しかし、肝心の部分だけが、魂を呼び戻す核心部分だけが解らないでいた。

 だから、彼は実験を続けることにした。攫ってきた人を殺し、魂を練り上げる実験を。


 そして、事態は動く。

 一年の間に、旅人や冒険者で行方不明者はどうしても出てしまう。殆どの場合は魔獣などに襲われ、命を落とすことが理由となる。それでも最近は多いと、冒険者協会は懸念を感じた。

 ある日、大規模な捜査活動を行った。その結果、とある人物が誘拐に関わっていることを突き止め、冒険者達は町の兵士、そして町の支配者階級の龍族との協力の下、その屋敷を強制捜査することに踏み切った。

 建物自体は、上層階は全く使われず、ほとんどの部屋が埃をかぶっていた。一階もキッチンや台所などの生活必需な部分すら使われず、埃をかぶっていないのは地下に延びる階段と、ロビーぐらいだった。

 そして地下へと踏み入ったところで、彼らは瞠目した。

 純白のドレス、それはウェディングドレス。それを身に纏った女性が、生前の姿で水槽内に浮いていた。そこには以前のような可憐さどころか生気は無く、ただただ浮いているだけだった。

 生前の彼女のことを知っていた冒険者は、驚きにあまり叫んだぐらいだ。

 テーブルには所狭しと実験器具が並び、そしてあってはならない魔導書がそこに放り出されていた。

 魔導書ネクロノミコン。死者復活について書かれている、狂気の禁書だ。

 そして、彼女の死体をここまで綺麗に再構築できたのは、世界的に禁忌とされているキメラ技術であることは、並べられている器具から明白なものだった。

 権力者の龍族は、彼に追求する。どうしてこんな馬鹿げたことをしたのかと。彼は一言、彼女を愛しているから、整いながらもどこか歪な笑顔で答えた。

 その後一悶着が有り、キメラ技術の使用と誘拐と大量殺人の罪で彼を逮捕しようとした瞬間だった。

「どうして私の邪魔をする!? 貴様達冒険者の失態が真似たことでしょう! 私の邪魔をする方々には、死んで貰いましょう!」

 彼は叫び、黒龍の体へと変貌する。狭い空間での龍化は、地下室を、表層の建物を打ち砕いていき、その衝撃で彼女を入れていた培養槽は砕け、彼女もろとも瓦礫の下へと埋もれていく。しかし彼はそれには目もくれず、ただただ敵対者を殺すためだけに、レーザー・ブレスを撃ち放った。

 一瞬にして辺りが真っ白な光に包まれ、冒険者が、瓦礫が、キメラの研究機材が、そして彼女の遺体が、全て一瞬にして蒸発した。

 彼の壊れた心では、彼女の姿をした何かが、自分の手によって完全に消えてしまったことを理解しつつも、もう感情は動かなかった。

 そして、大きな翼を広げ、大きく羽ばたいた。鈍重に見えるその体はふわりと浮き、ゆっくりと上空へと持ち上がっていき、やがて南へと進路を取り始めた。

 瓦礫に埋もれ、逆にそのおかげでレーザー・ブレスの直撃を免れた者たちは次々と這い出てきた。町の権力者……、彼の家族も、瓦礫に埋もれて多少の怪我は負ったものの、追撃には問題は無かった。

 父親は、町を放置するわけにはいかず、彼の妹に追跡を命じた。彼女は取り急ぎ、彼を追跡するため侍女達を招集し、龍の姿となる。そして共に飛び立ち、隣町の上空で高速飛行に秀でる親友に助けを求め、こうしてこの大陸へと赴いたのだ。

 途中、侍女達は彼に撃墜され、海へと落ちた。既に助からないだろうという悲壮感を無理矢理殺し、彼の追跡に専念した。

 しかし、大陸に到着した深夜。

 彼女自身が撃墜された。

 一緒に来た親友の安否は解らない。

 そして、今に至る。


 話し終えたところで、一同は静まりかえっていた。話をしたミリアは悲痛な表情をしており、マリアにいたっては涙ぐんですらいた。三人が考えていた以上に、ひどい話だった。何せ……。

「……つまり、ミリア、お前さんの」

「はい、兄だった人物です。すでに袂を分かち、ただの敵に成り下がった男です」

 悲痛な表情をそのままに、そう唾棄した。

 例え魔族と契約し闇に落ちたとはいえ、実の兄である。話では割とあっさり切り替えたかのように話したが、その表情を見れば、相当な覚悟と葛藤を持って事に当たっていることは明白だった。ここまでの経路で侍女三人を失っても、そして自身が傷つき倒れた今でも、その決意は揺らいでいないのだ。それが何よりの証明だろう。

「解った」

 ファーネルは、ただ一言そう答えるだけだった。

「だな。魔族と契約したドラゴンなら、余計人手が必要だろう。それに、俺たちと出会ったことはとても幸運だと思ってくれていい」

 アーサーの発言に、ミリアは不思議そうな表情となる。

「俺の剣技は魔族を相手にするために特化された剣技だ。そしてマリアのファルアスタシア流、こちらも魔族の動きを完全に模写しつつ、魔族に対する決定打を持っている。そしてファーネルの剣技は、龍族と戦うことを想定した技もある」

「……そうなの、ですか?」

 ファーネルとアーサーは力強く頷いた。

 ミリアは、ここまでの経路で侍女三人を喪っている。今は決意の元動いているため感情が麻痺している部分はあれど、それでも心が揺らいでいるのも確かである。自分の都合で、新たに三人を死地に連れて行くのは、本当は忍びないのだ。だが、自分一人、或いは行方が解らないもう一人だけでは、戦力が足りないことも解っているため、その葛藤もあった。

 しばし逡巡したのち、ミリアは協力を要請することにした。

「……解りました。皆さん、改めて、ご助力をお願いします」


 指針が決まってからは、アーサーとファーネルの行動は早い。

「俺は情報を集めに行こうと思う」

 既にミリアが取り逃して一週間が経過している。また深夜だったこと、土地勘の無い大陸上空だったこともあり、どの方角に飛び去ったのかは一切不明である。ただ、龍の目撃情報が他の町であれば、すぐに冒険者協会同士で共有される仕組みが確立している。その話を聞くだけでも、どの方角に飛び去ったのかを推測することができると、アーサーは話す。

 まだ満足に歩けないミリアは、引き続きファルアスタシア家にて療養することとなり、情報収集はアーサーが出ることとなった。すると、マリアがその横に並び、一緒に行くこととなった。


 ファルアスタシア家は、アクエイス市の北部に位置し、冒険者協会はまっすぐ南、ゆっくり歩いても一〇分程度の距離だ。メインの通りではないが、それでも人や荷車の往来は多い。荷車の多くは馬車の操車場へと方向を変えていく。おそらくはキャラバンに乗せて他地方へと配送するものなのだろう。

 忙しそうにしているそんな彼らの邪魔にならないよう、二人は道の端の方を歩いている。

 先ほどまで元気そうにしていたマリアは、今は非常に大人しい。アーサーもそれにつられるように、物静かになって、僅かな距離を開けて歩いていた。

「……な、なんでこのタイミングで変わるかなぁ」

 マリアは、小さく呟く。そしてチラリとアーサーの顔を盗み見する。アーサーがそれに気がつきマリアを見れば、彼女はあわてて顔ごと視線を逸らし、顔を真っ赤にする。そんな様子に、アーサーは彼女から見えない角度で、小さく嘆息する。

 先ほどから気付いているが、マリアは性格を交代していた。今は人見知りする方の性格である。

 アーサー達がパーティに別の誰かと組んでも長続きしないのは、何もファーネルだけが原因では無い。アーサーもまた、人龍の中に限れば背が高い方であり、剣技も超一流だ。そのため特に人龍の女性にはもてる方であり、これまで何人もの女性から告白を受けた事がある。しかし、彼はそのすべてを断ってきているのだ。これは彼の感情よりも抱える事情が優先された形だ。

 これまでの経緯で、アーサーは一つ悟ったことがある。ただ、それは自惚れかもしれない。

 アーサーとの出会いは、おそらく夢見の能力で見ていたのかもしれない。そしてマリアは、その出会いに合わせるよう料理などの勉強をしてきたことなどを考えれば、憎からず思っていることは間違いないだろう。

 また繰り返さなくてはならないかと、アーサーは嘆息した。 


 冒険者協会の扉は、地方にもよるが、冬場の特に寒い時期を除けば大概開け放たれている。二人で並んで入っても十分な広さのある入り口をくぐれば、待機している冒険者から一瞬注目を浴び、半分以上がすぐに視線を元に戻す、残りは興味深げに二人を観察し、それもしばらくすればほとんどは視線を外す。最終的にいつまでも二人を見つめる、或いは睨むのは二人を自分のパーティに誘おうと考えて値踏みしていることがほとんどである。

 二人はそのまま冒険者協会の受け付けへと向かう。アーサーはカウンターに肘を付き、受け付けを軽く手招きする。あからさまに無礼な態度だ。

 受け付けも眉間にしわを寄せつつも笑顔を保ち、アーサーに話しかけた。

「当協会に何の用でしょうか?」

 やや棘がある話し方なのは、仕方ないだろう。

「このような態度と体勢になって悪い。まずは報告から」

 アーサーは冒険者登録証を彼女に見せた。すると受け付けの表情はにわかにこわばり、アーサーを見上げた。アーサーはもう片方の手で口元を隠し、受け付けに小声で話し始めた。

「俺たちに依頼された、ドラゴンの調査についての報告だ。彼女はデリシア王国東、カル=アストロフ自治州メルセア市のサンディー家のもので、人間と敵対する側では無かった。彼女は大怪我を負っていて、あの場で身動きが取れないでいたそうだ。今は怪我を治療と療養のため、ファルアスタシア家にて保護している」

「解りました…依頼についての報告、確かに頂戴足しました」

「あと、もう一つ報告だ」

 アーサーは、彼女がこちらに来た経緯をかいつまんで話した。他に、少なくともに対の龍族が飛来していること、一人は人間側の人物だが、もう一人は魔族と契約したデヴィル・ドラゴンであることを伝える。

 ことの深刻さに、受付嬢は顔を青ざめさせた。

「……解りました。この情報は、各支部と共有いたします」

 他にも龍族が飛来していたことについては、態度から見ればおそらく初耳だろうとは思えた。そのため本来聞きたかった事については、おそらく空振りだろうとは思いつつ、念のため尋ねてみた。

「という事で、他の地方から、龍族の目撃情報は聞いてないか?」

「……いえ、アーサーさんの話が多分初めての情報となります」

 やはり、とアーサーは考える。

「解った、ありがとう」

 アーサーは離れ、少し離れたところで待っていたマリアと合流した。

「またせたな」

「ううん、大丈夫です」

 マリアは、軽く首を振ってアーサーに並んだ。

「その、アーサーさん、……町を案内しましょうか?」

 と、マリアが話しかけてきた。

 冒険者協会に報告を追えた後は、特に何もすることがない。訪れたついでに何かしらの討伐依頼を受けても良かったのだが、今は何となく他の依頼を受ける気が起きなかった。

 アーサーもしばらくは滞在することになったため、その申し出をありがたく受けることにした。


 アクエイスの湖は、周囲一二フォーカイ程度である。その中央には小さな島があるらしく、月の巡りによって時折姿を見せることがある。この島に乗り込もうと様々な人が押し寄せるが、しかし誰一人としてそこに上陸したものはいない。

 この島には、何かしらの結界があるのでは無いかというのが、大方の見解である。島に近づけばたちまち霧に包まれ、まっすぐ突き進んだつもりでも島の反対側へといつの間にか進んでいるのだ。

 古くから冒険者や学者達が謎を解明しようと船を借り、或いは地元の漁師達に船を出して貰って近づこうとしても、今まで誰一人としてその島にはたどり着けておらず、ただこの霧が結界の一種であるらしい、という事だけが解っているに過ぎない。

 日が高いうちに現れる時期では、島に向かうツアーもあり、霧の結界内で、客が様々な方法を試して、島へと乗り込もうというものがあるらしい。もちろんこのツアーでも、成功者が出たという話も無い。

 アクエイスに住まう人々のほとんどは、この島に関する由来を知らない。マリアもまた何も知らない様子である。ただ、夕刻この島が現れているときに告白をすると、そのカップルは永遠に結ばれるという都市伝説があると、マリアは顔を赤らめながら説明した。アーサーもそれに当てられて顔を背けた。照れるほどでは無いが、どこかくすぐったさを覚えたからである。

「アーサーは、あの島に興味があるのですか?」

「うーん、まあ。小説でチラリと話が出たことがあるから、どんなものかなという程度には」

「小説?」

「ああ」

 アーサーは、旅の道中で読んだ物語を軽く話した。

 奇をてらい、アクエイスを絡めたユニス王家の御家騒動の話である。その物語前編において、魔物と王子が戦い、水の聖霊剣を使って辛くも封印した、という話である。その場所こそが、あの島では無いかというものだ。

「……せいれー、剣、ですか?」

 マリアは首をかしげた。

 アーサーが読んだ物語は英雄伝でも外伝とされており、発行部数も少なくあまりメジャーなものではない。アクエイスを舞台としているものなのだが、マリアはこの小説自体を知らなかった様子だった。また、彼女の様子からして聖霊剣自体を知らないようでもある。この言葉は、メジャーな大衆小説にも出てくるものなのだが。

「……なあ、マリアはあまり本は読まない方?」

「う、……うん」

 ばつが悪そうに頷くマリアに、アーサーは苦笑するのだった。

 アーサーが読んだ物語をかいつまんで説明すると、マリアはその話を熱心に聞く。一通りのストーリーを語ったところで、マリアは一言。

「でも、ユニスの王家に叱られないのかな、って思います」

「まあ、他大陸の国だと不敬罪になるような話でも、ガドネア三国……、ことユニス王家は割と寛容的かな。よほどひどい内容でも無ければ大丈夫だ。特に今の王様や王子はその辺りかなり緩い」

 と、アーサーは笑う。

「そうですね、ファーネルさんですし」

 つられ、マリアも笑う。一緒に笑った後、アーサーは気付いた。

「……俺、いつファーネルがそうだって教えた?」

「ごめんなさい、夢見である程度の事は」

 今度はガクッとアーサーが項垂れた。

「反則だな、それ」

 アーサーは、ファーネルとは昔からの親友であること、当時からスナー流剣士としてはずば抜けた強さを誇っていたことから、当時の彼の父、つまりはユニス国王から直々に、護衛を兼ねて一緒に旅をしてほしいと頼まれているのである。そこまで詳しくは知らなくとも、ファーネルがユニス王国の王子であることを既に知っていたことに、アーサーは戦慄さえ感じた。

「そうですね、反則級です。なので、私が夢見を使えることは誰にも知られないようにしていますし、見た未来も緊急性がないもの以外は、口外しないようにしています」

 それを聞いて、取りあえずは安心することにした。


 湖のほとりを歩き、二人はアクエイスの露店街へとさしかかった。大小様々な露店が軒を連ね、様々な食材や生活用品が売られていた。

 アクエイスでは、特定の店舗を構えず、露店を出して品を売るという形式が多い。また、店を持っていても大きな商品では店に飾り付けることもできないため、露店の方が都合が良い場合もある。他にも様々な理由はあるが、アクエイスでは露店が多いのだ。

「ここで大概の物はそろいます。意外かも知れませんが、この界隈でも武器や防具のお店もありますよ?」

「へぇ、確かに意外だが……」

 果物を見てみれば、南街道の相場よりも若干高い。それをアリアに呟くと、したり顔になった。性格は違えど、そう言った笑い方は同じだった。

「西は砂漠を経由しますからね、その分輸送費用もかかるのですよ」

 砂漠を経由する街道は、どうしても強い魔物が出がちである。サンドワームなどは地中から直接獲物に襲いかかるし、バジリスクとコカトリスという強力な魔物が現れることもある。どちらも石化能力を持ち、かなり危険視されている。この辺りは定期的に冒険者協会が討伐依頼を出して、数を減らすようにしているぐらいだ。

 それ以外でも危険な魔物が非常に多いのが、砂漠という場所である。護衛に入る冒険者もそれなりに強い者たちを集める必要があり、その分報奨金も高い。故にコストがかかるというわけである。

 その辺りを自慢げに語るマリアに、アーサーは、うん知ってる、とは言わないことにするのだった。

 アクエイスで主要な場所は、この露店街と、もう少し南にある商店街ぐらいである。後は民家や農場などばかりとなる。商店街にも武具屋があり、露店はそこから出張販売している、とのことだった。なお、アクエイスにも鍛冶屋はあるが武器は専門外のため、売られている物は全て輸入品、とのことだった。


 一通り町を巡ると、丁度昼ご飯時となっていた。

「こうして回ってみると、意外と広いものですね」

「まあ、そうだろうな」

 住民は、意外と町を隅から隅まで回ることはない。大概は行きつけのお店があればそこで事足りるし、遊びも露店街か商店街、たまに湖だろう。

「それに、アーサーと歩くことができたのがとても新鮮で」

 露店街で買った串焼き肉を豪快に引きちぎって、マリアは少しはにかんでいた。一緒に歩くうちに、人見知りなマリアもそれなりに慣れてきた様子だった。

 その後、二人はいろんな店を回り、明日の昼食の材料を注文し、午後に届けて貰うように依頼した。これらは、道場の昼食で出されるものである。都合二〇人分の材料だ。二人で抱えて歩くには、文字通り荷が勝ちすぎる。いつもは母親が買い付けに回るのだが、今日はアーサーの案内をしておいで、と母に押しつけられたのだ。

 既に母親からも背中を押されている状況であり、アーサーは今後どうなるのか、不安が先に走るのだった。


 道場に戻ってからは、マリアはアーサーに稽古を付けて貰う。なお、マリアは今、天真爛漫な方の性格だ。

 ここに来て、アーサーはマリアの動きに瞠目することとなる。

 確かに、ファルアスタシアはスナー流を天敵としてしまう剣技だ。だが、その動きは洗練されており、気を抜くと自分が足下を掬われるほどの鋭さを誇っていた。

「まあ、『お姉ちゃん』の方がもっとすごいのだけどね」

 なお、天真爛漫なマリアは、もう片方の性格を『お姉ちゃん』と呼称するときがある。自分よりも落ち着いた雰囲気があることから、そう呼んでいるのだろうと、アーサーは考える。一方の引っ込み思案の方は『妹』と呼称する。全く同じ姿でお姉ちゃんに姉、というものだから、二重人格を隠していることなどを知らなければ、双子の片割れがどこかにいると思われても仕方ない、とアーサーは苦笑する。

 しばらくしてからは、ファーネルとミリアも道場入りをしていた。ミリアは単純に見学、ファーネルは道場の子供達に剣技をレクチャーするためだ。今日から臨時の講師として招いた、という説明に、子供達は俄然興味を示し、ファーネルとの練習試合を行う。

 その一方で、より苛烈となっていくアーサーとマリアの練習試合に、ファルアスタシアの家族達は釘付けだった。

 今日は、奥義無しにどの程度戦えるかの前哨戦に過ぎない。しかしそれでも互いに相当な技量があることを認識する。

 かんっとジャマダハルと短剣がぶつかり合ったところで、やめ、の声がかかった。

「……ふう。なるほど、すごいな」

「アーサーこそ、すごいね」

 スナー流のアーサーにとって、ファルアスタシア流のマリアは、正直敵にもならないと踏まえていたのだが、いざ剣をぶつけ合うと、その動きは予想以上のものだった。普通にスナー流の動きをするだけでは、マリアの動きが捕らえきれないところが度々あるのだ。

 マリアもマリアで、ファルアスタシアの剣技を相当鍛えてきている。道場通いの生徒たちとは一線を画す実力を備えており、それなりに自身はあるのだ。当然剣技の優劣は理解しているが、それでもマリアはアーサーを賞賛する。

「以前見たとき、強い人だなとは思ったけど、それ以上ね」

 と、感想を述べた。

 マリアはこの道場でも有数の実力者だ。そんな彼女がアーサーを褒め称えたことに、道場が沸いた。そしてアーサーの下に生徒が集まり、上達の秘訣などを聞き出そうと騒ぎになった。アーサー自身は、日頃の鍛錬の賜だと話すが、これがなかなか信じて貰えない様子だった。道場で剣技を教え始めた初日、早速辟易とするのだった。


 夕刻。生徒達も帰宅した頃合い。四人はテーブルを囲み、話をする。

 事前にアーサーは、この周辺では龍族の目撃情報はどこからも上がっていないことを彼らに伝えている。そのため、今後どの様に動くかを検討しているのだ。

「そうだな、情報の集まりやすい、バース王国の首都を目指そうと思うんだ」

 切り出したのは、ファーネルである。

「首都、……そうですね」

 ミリアも彼の意見に賛同し、アーサー達を見る。

「ただ、首都方面に逃れているとすれば、騒ぎになっていてもおかしくは無いんだがなぁ……」

 アーサーは、やや否定的である。王都にそのまま龍の姿で飛来していれば、深夜であろうが何かしら騒ぎが起こっていておかしくは無く、とっくの昔にアクエイスなど周辺地域には周知されていることだろう。それがないということは、首都には飛来した確率は低い、と考えられる。とはいえ。

「少し離れたところに降りて、人の姿になれば白昼堂々と町に入ることもできると思います。それに、昔から言いますよね、木を隠すなら森。人の姿をしているならば、人混みの中の方が却って気付かれにくい、と」

「あと、ユニスからそんなに離れていないから、徒歩でバースへ向かう冒険者も多いからな。徒歩で王都入りをしたとしても、よほどのことが無い限りは怪しまれることも無い」

 ミリアの言葉に、ファーネルがそう付け加えた。

 アーサーは、二人の意見は尤もだ、と考え、バース行きを決定した。なお、マリアは話し合いには参加していない。まだ自分が旅について行けるかどうかが決まっていないからである。

 その試験は、天敵であるスナー流のアーサーに、模擬戦を行って勝つことである。アーサーは皆伝持ちで、腕に覚えがあるという程度の戦士なら軽く凌駕する実力者だ。それを圧倒的不利な条件で、勝たなくてはならない。実質この家から出るなと、言われているようなものである。それを覆せるかどうか。マリアは、数日後に迫る模擬戦に集中するのだった。


 数日後。

 相変わらず、龍族の目撃情報は何一つなく、模擬戦の当日を迎えた。

 それまでの間、アーサーとファーネルは子供達に剣技を指導し、マリアは一人、型の訓練をずっと続けていた。小さな子供の頃からの習慣とでもあるので、天候が特にひどいとき以外は毎日欠かさず続けていたものでもあるが、最近はアーサー達との旅に憧れ、より集中していた。

 そして、朝一〇時。

 生徒達の稽古の休憩時間に合わせ、二人が舞台へと上がった。

 二人が手に持つものは、木製の模擬刀だ。アーサーは短剣二本、マリアはジャマダハル二本。軽く息を整えながら、タイミングを見計らう。今回の模擬戦は、奥義ありだ。でなければ、ファルアスタシア流の本領を発揮できないからだ。

 そして、試合開始となり、まずアーサーが駆け込む。

 右手で突き込み、逆手に持った左手の短剣が薄く斬撃を繰り出す。そして身体ごと回転させながら右手を再度伸ばし、鋭い突きを放つ。スナー流の尤も基本とする型である。そして基本的な立ち位置に戻る際に、逆手に握られた剣が、背中側へとせり出す。

 ファルアスタシアは、基本的に薙ぐという動作が無い。鋭く突き込み、浅く突き込み、アーサーの斬撃を躱しながら空間を渡り、彼の背後へと飛ぶ。飛んだ先は、アーサーが後ろ手に構えようとした短剣のすぐ前だ。いつものマリアの出現位置であれば、自らこの短剣に飛び込んでいた状態となる。

 マリアは矢継ぎ早に空間を渡り、アーサーから距離をとる。

 アーサーが前に駆け、現れた直後からマリアが応戦する。激しく模造刀同士がぶつかり合い、心地よい連続音を紡ぐ。そして斬撃や刺突を繰り出す一連の動きは、まるで二人で息の合ったダンスを踊るかのごとく。それでいて息がつまるほどの緊迫感と迫力に、見学者達はどんどん魅入っていく。

 アーサーが変化を入れれば、マリアはそれに合わせてリズムを変え変調する。マリアが大きく動けば、アーサーは逆に小さく弧を描き、それを甘んじること無くはじき返す。

 アーサーに付いてくるマリアに、彼自身は焦りは無く、逆に心地よいものを感じていた。自分とここまで対等に斬り結ぶことができる相手が居なかったからだ。

 ファーネルはスナー流の天敵となる剣技のため話にならず、マリアもファルアスタシア流なため、やはり話にならないだろうと予想していたのだ。だが、今はどうだろう。

 彼女の動きは、ファルアスタシア流そのものだ。だが、アーサーの一手がギリギリ届かず、あわよくばカウンターすら繰り出してくる。マリアが攻撃を入れれば、アーサーがカウンターを入れる。そんなやりとりが、純粋に楽しかった。

 しかしそれでも。この楽しい時間は終わらせなければならない。

 アーサーは動きを一気に変化させた。それは、意図してファルアスタシア流を仕留める動きへと。マリアも、それをアーサーの目つきだけで感じ取り、それに対応しようと動いた。

 マリアもまた、アーサーと剣を交えるのは、とても充実した気持ちとなっていた。天真爛漫なマリアは純粋に楽しそうに、人見知りするマリアは思いを寄せる人とのひとときに、それぞれ心を躍らせて。それをここで終わらさなくてはならない事が、少し残念に感じられた。

 ―――行くよ、お姉ちゃん。 ―――うん、始めよう。

 心の中で、二人はこれまで考えていたことを実行に移す。

 二つの性格が、一つのことを成そうと、魔法を紡いだ。

 アーサーが大きく変化を付けた斬撃がマリアに繰り出された。右手はマリアが後方に下がり躱し、左手の刺突をマリアから見て左へと身体を捻って躱す。そしてアーサーの本命の攻撃は、右手からの魔力を帯びた斬撃だ。

「雷撃剣!」

 魔力は雷となって短剣に宿り、木製の刀身を焦がしながら放たれた。威力は単にしびれさせるものから、致死性の一撃にまで自由に調節可能だ。今はマリアを封じることが目的なので、しびれて動けなくする程度だ。それでも戦場であれば致命的だろう。そして、それは放射状に広がり、マリアが避けるスペースはない。だから、ファルアスタシア流は空間を渡って避けるしかない。

 マリアの姿がかき消え、アーサーはその背後に現れることを予想する。案の定、背後の空間に僅かな気配を感じ、アーサーは身体を捻りながら大きく転進した。しかしそこには何もなく、アーサーは驚きの表情を見せた。そしてその背後に、マリアが迫る。アーサーは咄嗟に前転してマリアの攻撃を避けるが、マリアの動きはそれすらフェイクだったかのごとくかき消え。

 アーサーは飛び起きざま、スナー流の構えをとった、その時だった。後方に流した右手の短剣に、鈍く重い衝撃が走った。それに振り返ろうとはしない。その衝撃とは別に、前方の空間が揺らいだのだ。そこにマリアが現れる。予測したアーサーは、そちらに右手の短剣を突き込む。

 予想通り、マリアの姿がそこに現れ、同時に短剣がマリアの胸へと迫る。そして短剣は、半ばまでマリアの胸に突き込まれたように見えた。

「っ!!」

 木製の短剣に、このような殺傷力があるはずが無い。アーサーは目の前の光景に明らかな動揺を見せた。

 短剣が突き刺されたかのように見えたマリアが、アーサーの目の前からかき消えて。同時に左手に持っていた短剣に重い衝撃が走り、たたき落とされた。

 そして、アーサーの右側に現れたマリアは、アーサーの首筋へとまっすぐに、左手に握ったジャマダハルを伸ばしていた。その姿に、アーサーも、そして周りの皆も驚愕といった表情で見つめる。

 マリアの右腕は、魔法陣へと吸い込まれ、その先が消失していた。代わりに、アーサーを挟んだ位置に同じ形の魔法陣が浮いており、そこからマリアの右腕が現れ、アーサーの短剣を弾き飛ばしていた、という光景だ。

 ファルアスタシアの当主が、まさに驚愕、という表情だった。

 マリアが小さく息を吐くと、空間に浮かぶ魔法陣がマリアの右腕もろとも消失、その腕はマリアの身体に何事もなく戻っていた。

「……参った」

 アーサーは、右手の力を抜き、短剣を落とす。その短剣は、半ばから折れており、これがマリアを突き刺してしまったと錯覚した原因だった。

 勝負は決した。

 勝てないはずのファルアスタシア流が、スナー流の皆伝を倒したのだ。

 マリアがアーサー達の旅について行くという条件、アーサーに致命的な一撃を入れること。マリアはその条件を満たしたのだ。

「……これで文句ないでしょ?」

 と、マリアはファルアスタシアの面々に尋ねる。

「そんなことよりも、マリア、なぜあの技ができる? 失われたはずの、……チャースチ幻龍剣を……」

 アーサーへの勝利条件をそんなこと呼ばわりされたことに、マリアは若干イラッとなる。

「やろうと思ったら、何となくできちゃっただけ。それよりも、約束、ちゃんと守ってよね?」

 マリアは念を押し、家族に認めさせるのだった。

 マリアが、あの瞬間にチャースチ幻龍剣に目覚めたのは、夢見で見たから。これに尽きる。それは過去の英雄リーン・スナーが何かとの戦いの最中に使用した、おそらく第三者が見たものだろう。死闘の特有の緊張感の中、英雄の息づかいを感じ、相手の動きを感じ、そしてリーン・スナーが紡いだ魔法を感じ。それを、マリアは再現したのだ。

 夢見は、戦いの最中突然発動した。戦いの最中は、マリアの二つの心は同時に覚醒しており、この夢見は人見知りのマリアが唐突に見たものである。その記憶は瞬時に二人で共有し、戦っていた天真爛漫のマリアが、ならば、とその魔法を紡いだのである。

 つまり、夢見能力を持つ二重人格のマリアだからこそ、伝えられる人間がいなくなったチャースチ幻龍剣を、今によみがえらせることができたのである。

 その瞬間マリアは、もう何十年も現れなかったファルアスタシアの『極意』に至った。


 マリアがアーサーを撃破してから数日。ミリアが保護されて丁度一週間でもある。黒龍が飛来して既に二週間ほど。結局どこからも龍族の情報は寄せられることは無かった。これだけの長い間、何もないということは、そのまま飛び去ったか、或いはどこかに潜伏した可能性が高い。ただ、相手にも相当なダメージを負わすことはできたため、おそらくはガドネアから離脱するほどの体力は残っていないはずだ、とミリアは話す。

「なら、潜伏しているということになるな」

 ファーネルは溜息を吐いた。

「なんかこう、特定の誰かが何処に隠れているか解るような魔法、ない物でしょうか」

 二人のつぶやきに、マリアも腕を組んで考え込んでしまった。今は人見知りする性格の方のようである。

 龍の姿をしているならまだしも、人の姿になって紛れてしまえば、探すのは容易ではない。小さな村山地であれば、新しく住まうようになった人物はすぐに解るだろうが、そこまでの小さな規模の町は少ない。出入りの多い町では、特定は難しいだろう。

「……まあ、旅をしながら探すほか無いかな」

 アーサーがそう締めくくると、仕方ない、とファーネルが頷いた。

「で、バースの王都を尋ねることは決定しているが、どのルートにする? 俺たちは一度タルファームへ報告に戻らないといけないからな」

「それがあったか」

 男二人は、ミリアに振り返る。

「ところで、本当に大丈夫なのか?」

「はい、問題ありません。余り放置するのもどうかと思いますし。どのみち馬車便ですからゆっくりできそうですしね」

 ミリアは旅装束を新調していた。藍色を基調とした人龍用のワンピースに、黒いローブを羽織る。ローブは日光を遮断するためのものだが、生地が厚くオールシーズン使えるものだ。ぱっと見魔道士風に見えるし、実際に龍族の魔法で戦うことができる。ただ、戦闘に耐えられるほどにはまだ回復しきっておらず、道中は馬車で大人しくしていることとなる。

 マリアもまた、ミリアとは色違いの装束だ。真っ白な人龍用のワンピースに、真っ白なローブ。ローブは薄手のものにしている。

 二人がほぼ色違いとなったのは、この二人で買い物に出かけた結果である。二人ともファッションには疎い方であるうえ、マリアは実戦向きの衣装を選ぶ傾向にある。ミリアも見よう見まねで購入した結果、ただの色違いになってしまったのだ。


 準備も整い、アーサー達はファルアスタシアの面々に、旅立つことを話した。そしてその翌日。アーサー達四人と、ファルアスタシアの家族が玄関前に並んでいた。

「それではお父さん、お母さん、行ってきます」

「ああ。お前がついていくと言った旅だ。心ゆくまで楽しんでこい。……アーサー殿」

「はい」

 父親は、それはそれは良い笑顔でアーサを睨む。

「くれぐれも。く・れ・ぐ・れ・も。娘のことをよろしく頼みましたぞ」

「は、はい」

 ファーネルとミリアは、ああ父親だな、と苦笑する。一方のマリアは、ちょっとだけむすっとした表情をしていた。

「お父さん?」

「いや、その」

 マリアがすごみ、父親がタジタジとなった。

 気を取り直して、マリアが一歩前に出る。

「それでは、行ってきます」

 マリアは両親に、そして祖父母に頭を下げた。

 二度と戻らない死地への旅路でも無い。その気になればすぐに帰ってこられる旅でもあるが、マリアはやや大げさに頭を下げた。

「……では、そろそろ」

 ミリアが皆に声をかけ、男二人頷き、マリアも頭を上げた。

 そして四人踵を返し、歩き始めた。

 いよいよ以て、四人の旅路が始まったのだ。


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