第1話 水が通貨の世界
清水アクアは、自動販売機の前で立ち尽くしていた。
「高っ!」
思わず声が出る。
目の前のディスプレイには、こう表示されていた。
【高純度飲料水 500mL】
【価格 2.3L】
「誰が買うのよ!」
アクアは思わずツッコミを入れた。
だが周囲の人々は気にする様子もなく購入していく。
この世界では当たり前だった。
ブルーマーズでは、水そのものが通貨になっている。
もちろん財布の中に水を入れて持ち歩くわけではない。
人々は一人ひとり『ウォーター口座』を持っており、給料も貯金も税金も、全てリットル単位で管理されていた。
アクアの今月の給料は百二十リットル。
研究員としては悪くない額だ。
しかし家賃が四十リットル。
食費が三十リットル。
生活用水が二十リットル。
その他諸々を差し引けば、自由に使える水はほとんど残らない。
だから人々は働く。
生きるために。
水を得るために。
そして今日も、自動販売機の値札を見て絶望するのだった。
「ジョウ博士なら何て言うかなぁ……」
アクアは苦笑した。
父ならきっとこう言う。
――飲める水は、金より価値がある。
そして。
――水がなきゃ三日でお陀仏さ!
「いや、それ今の状況を悪化させてるだけだから」
アクアは一人でツッコミを入れた。
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「おはよう、アクア」
背後から声がした。
振り返ると、研究所の同僚ユウが立っていた。
「おはよう」
「また値上がりしたな」
「先月より二割増し」
「終わってるな」
「本当にね」
二人は並んで研究所へ向かった。
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中央浄水研究機構。
ブルーマーズ最大の研究施設。
人類最後の希望とも呼ばれている場所だ。
その正面広場には巨大な銅像が建っていた。
片手を空へ伸ばす女性の像。
その台座には名前が刻まれている。
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【リア・オアシス】
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合成飲料水を発明し、人類を救った女性。
水不足による大量死を防いだ英雄。
世界中の教科書に載っている偉人だった。
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「リア様は偉大だよな」
ユウが言う。
「そうだね」
アクアは頷いた。
だが複雑な気持ちもあった。
リア・オアシス。
英雄。
救世主。
そして。
父の元同僚。
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清水ジョウ。
夢想家。
変人。
伝説の研究者。
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人類を救う浄水システムを研究し続けた男。
そして。
アクアの父。
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「お父さんなら、この世界をどう思うかな」
胸元のペンダントを握る。
銀色の小さなペンダント。
父の形見。
世界で一番大切な宝物。
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『困った時に開けなさい』
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幼い頃の父の声。
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『中には希望が入っている』
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「何度見ても開かないんだけどね」
アクアは笑った。
お守りみたいなものだ。
今ではそう思っていた。
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研究所へ入る。
だが。
いつもと様子が違った。
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全員が大型スクリーンを見ている。
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騒然としていた。
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「どうしたの?」
アクアが尋ねる。
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研究主任が振り返った。
その顔は青ざめている。
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「大変だ」
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「北方水圏がやられた」
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一瞬。
意味が分からなかった。
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スクリーンに映る映像。
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巨大な戦略貯水施設。
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炎上していた。
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爆発。
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黒煙。
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崩壊。
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そして速報が表示される。
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【北方水圏戦略貯水庫 壊滅】
【被害水量 二百億リットル】
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研究室が静まり返る。
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二百億リットル。
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国家予算にも匹敵する量だった。
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誰かが呟く。
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「戦争だ……」
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アクアはスクリーンを見つめた。
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水を巡る争い。
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教科書の中の出来事。
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遠い地域の話。
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そう思っていた。
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だが違った。
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その戦争は。
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今まさに始まったのだ。
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後に人類史上最大の争いと呼ばれることになる。
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最初で最後の水戦争。
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Water War が。
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この日、始まった。




