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1-443 正当な罵倒と不当な謝罪

『………でもあれは、生きるためじゃなかった』


 でんわから女の涙声が再び聞こえてきた。クマタカの眉間に皺が走る。


『いらなかったのに突然…、おじいちゃんは戦うことも出来なかったのに……、

 ……寝たきりのまま殺された』


「サン?」


 マツが女を気遣うが、女は意にも介さずに続ける。


『百歩譲ってお父さんも戦っていたのだとしても、それならまだ、まだわかるけれども、でも……』


 眉根を寄せたまま拡声器を見つめていたクマタカの耳に、


『あの日ワシは、突然私たちを殺しに来た!!』


 少女の悲痛な泣き声が飛び込んできた。


『正当な訳ない、絶対違う、だって突然で一方的だったもの!

 あんなの同等のわけないじゃない! あれが正当なわけ……。あれは、あれはただの虐殺だった!!』


 マツが集音器に駆け寄る。女に何度も呼びかける。そんなマツの努力も空しく、


『なんであんなことができたのよぉッ!!』


 声の限りに叫んで、女は泣き崩れた。


 集音器の前でマツが黙り込む。ジュウゴが不安げな顔をハツカネズミに向ける。クマタカにハツカネズミの顔色は読み取れない。でんわ越しにヤチネズミの女をなだめる声も聞こえてきて、それさえも焼け石に水で、けたたましい耳障りな騒音はクマタカの胸をざわつかせた。


「お前は…」


 何だ?

 何者なんだ?


 そう尋ねかけたクマタカはしかし、いくつかの記憶の断片が脳内で組み立てられていくのを見せつけられていった。


―サンも新しい仲間と行動を共にしたいと言っていました―


 クマタカの見立ては間違っていないだろう。女はネコだ。ネコに拾われた元夜汽車だ。しかし、


―彼女は途中から乗車してきた―


―元々は地下に住む者だったと僕は仮定した―


 マツの憶測もおそらく当たっている。なぜなら、


―ハゲの野郎ちくったんすかあ? ……はい、すんません。でも女っていったっていかれてましたよお? 子どもを夜汽車に突っ込んでたんですって! あんなの連れて帰ってきてたって(くるわ)のお荷物にしかなりませんよ―


 かつて他駅との決別を果たした時、事後処理に向かわせていたノスリが言っていたのだ。自らの手で我が子を夜汽車に乗せる者がいたことを。


 当時はクマタカもその報告が信じられなかった。女は殺すなという命令に従わなかったことを咎めねばならなかったのに、ノスリと同じ感想を抱いてしまった。


 だがもしも、我が子を夜汽車に乗車させたという女が、実は狂っていたのではなくて確固とした考えがあってその凶行に及んだのだとしたら? 


 もし仮に、ワシに下ることから逃れるための苦肉の策だったとしたら? 


 もしも万が一、女には何らかの秘策があって、一時的な避難場所として夜汽車を利用し、いずれは我が子を降車させるつもりだったとしたら?



 そんなことは限りなく不可能に近いことをクマタカは知っている。夜汽車の車両を外から開けることは出来ない。長年瓶詰造りを担ってきたワシにとっては常識中の常識だ。


 だが現に、こうして夜汽車を降りた者たちがいるのだ。ワシには不可能だったがネズミには可能だった。同じように件の女も、クマタカには想像だにしない方法で我が子を降車させる方法を知っていたのかもしれない。だから、



 だからでんわの向こうにいる女は、その時ワシから逃げ果せた、いずれかの駅の子どもだ。地下に住む者だった少女だ。



 泣き声が続いている。耳について離れない。ヤチネズミの小声もその他のネズミのぼそぼそとしたどよめきも、少女の慟哭の前では悲しいほど弱々しい。


―なんでこんなことするの?―


 こんなことではない。必要なことだった。不可避だった。


―殺すことないじゃない!―


 やらないとやられた。現にイヌマキは殺された。あれ以上、他駅の老害どもの凝り固まった思想をのさばらせておくわけにはいかなかった。ワシの存続に関わることだった。だから…!


―やっぱりあなたも地下なのね―


 両手の拳を握りしめた。握りしめた拳が筋張って震えた。


 その拳をクマタカは静かに(ほど)く。


 必要なことだった。許せなかったし許す必要などないし未来永劫許さない。あのまま他駅との馴れ合いを続ければ、ワシの駅は義務の名の下に権利を奪われて、遅かれ早かれ他駅の奴隷と化していた。


 だが正攻法だったかと問われれば是とは言えない。多くの犠牲を出すことは容易に想像がついていた。それまでひもじい思いをさせていた駅の者たちもまた被害者ではあったけれども、コウとワンの苦痛に勝るものは絶対に無かったけれども、この少女を被害者にしたのは誰でもない、クマタカ自身であることは言い訳の余地のない事実だった。


 だから、


「………そうだな、」


 少女の訴えは正しい。この子の怒りは正当で、自分はそれを受け止めるのが妥当で、だから、


「すまなかった」


 クマタカは少女に痛みを与えたことを謝罪した。



 泣き声が止む。ハツカネズミのぎょろりとした視線が頬に刺さる。でんわに向かって頭を下げるように俯き加減でいるクマタカをジュウゴは不思議そうに見つめて、マツは睨むように凝視していた。


『……なにそれ』


 やがて鼻声が返ってくる。


『何それ! 謝らないでよ! 謝って済むわけないでしょう!?』


 謝罪されたことで勢いを増したのか、少女の口撃は加速した。


 謝罪などいらない、その気持ちはクマタカも十二分に理解できる。そんなもので癒える傷ならば、とっくの昔に少女は立ち直っていただろう。そんなものでは済まないから、受け入れることすらできないから、だから行動に移すのだ。恨み辛み憎悪嫌悪を暴力に置換して、相手を破壊し尽くすまで攻撃を止められないのだ。攻撃の最中だけが痛みを麻痺させてくれるから。止まれば気付いてしまうから。一度でも冷静さを取り戻せば見えてしまうから。


『本気で悪いと思っているなら誠意を見せなさいよ! 今すぐその場で死になさい!! それ以外であなたの出来ることなど無いでしょう!?』


 それは既に糾弾などではなく、正統性を失った、


『でなきゃ今すぐワシの駅ごと…!』


「やめろ、サン。それ以上は君が加害者だ」


 被害者という肩書きを利用した不当な加虐行為でしかないことを。


 マツの一言で女の罵声は止まる。ハツカネズミが苛立たしげな息を吐く。その横でジュウゴがほっと胸を撫で下ろして、


「ありがとう、シュセキ」


 マツに感謝した。


 女の息づかいが聞こえる。悔しそうに歯噛みしている様子が伝わってくる。きっと女は理解できていないだろう。何故自分が咎められたのか。自分の何が間違っていたのか。それには時間が必要だ。


 もしかしたら数年を要するかもしれない。自分が同じ立場になって初めて実感として理解できる時がくるかもしれない。あるいは一生わからないままで終わるかもしれない。それは彼女次第だが、いずれにしろこの少女に今すぐにわかれ、と言うのは酷というものだ。


『お前、来い』


 ヤチネズミの声がした。『なに? 離して…』という鼻声が遠ざかっていく。その直後に『痛いっ!』という女の悲鳴が響いたから、神妙にしていたクマタカは驚いて顔を上げた。


『悪かったな、クマタカさん。こいつはこっちできっちり教育しとくから勘弁してくれ』


 カヤネズミが言った。その後ろから聞こえてくる不満と批判から、おそらくはカヤネズミの下段蹴りが女の脛に炸裂したと思われる。


「いや……」


 教育でどうこうできる感情(もの)ではないと思うのだが。


「頼むよ、カヤ」


 ハツカネズミも言った。すかさずマツが抗議しかけたが、ハツカネズミの一瞥の前で立ち止まる。


「お前もさ、」


 マツを黙らせたハツカネズミがクマタカを睨み付けた。


「なんで何も言わないんだよ。子どもだからって甘やかしてばっかだったら、わがままの甘ったれしか育たないじゃん」


 不意にコウヤマキの顔が浮かんだ。コウは決して甘ったれなどではなかったとクマタカは頭を振るが、わがままという点は否定できない。


「だいたいお前が謝ったら...!」


 そこまで言ってハツカネズミは止まる。それから腹立たしげに頭を掻きむしりながら、


「......まぁいいや。俺には関係ないし」 


 拗ねたように、自分に言い聞かせるように、唇を尖らせて吐き捨てた。


 ハツカネズミが言おうとしたことも、それが正しいこともわかってしまって、クマタカは顔を背けたハツカネズミに背を向けた。

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