第9話 核の異変
その夜、何の前触れもなく、迷宮全体が大きく脈打った。
「な、なんだ!?」
体の奥――迷宮の中心そのものから、これまでにない強さの光が溢れ出す。壁も、床も、天井も、淡く発光しながら小刻みに震えていた。
「ぬし、だいじょうぶ!?」
スラトが、慌てた様子で駆け寄ってくる。ゴウルたちも、それぞれの持ち場から、異変を察して集まってきていた。七体全員が、不安げに俺の周りに集まっている光景は、これまでになかったものだった。
「大丈夫だ、多分……いや、正直、自分でもよく分かってない」
誤魔化しようのない本音だった。迷宮そのものである俺自身が、この現象に戸惑っている。従魔たちを安心させるどころではなかった。
ルクスはまだ生まれる前だったが、後に振り返れば、この夜の脈動こそが、その誕生の兆しだったのだと分かる。もっとも、この時の俺にそんなことを知る由もなく、ただただ、得体の知れない光に翻弄されるばかりだった。
「ゴウル、バド、シズ。念のため、周囲を警戒しておいてくれ」
万が一、この異変に乗じて何かが侵入してきたら困る。指示を出すと、ゴブリン小隊はすぐさま持ち場に散っていった。こんな状況でも、きちんと役目を果たそうとする姿勢に、俺は少し救われた気持ちになった。
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光の中心は、迷宮の最奥、誰も足を踏み入れたことのない一角だった。俺は迷宮の感覚を通じて、その場所の様子を探ろうとした。
だが、なぜか、うまく像を結ばない。まるで、自分自身のはずの場所なのに、覗き込むほどに輪郭がぼやけていく。
「何だ、これ……」
頭の奥に、ちぐはぐな感覚があった。前世の記憶――あの断片的で味気ない知識の残滓が、なぜか妙に色濃く疼く。遠い昔にこの光景を見たことがあるような、根拠のない既視感だった。
もっとも、前世の記憶自体が曖昧すぎて、それが本当に「見覚え」なのか、それとも単なる錯覚なのか、判断のしようがない。ただ、この光と、自分の中の何かが、確かに呼応しているという感覚だけは、拭いきれなかった。
「おい、しっかりしろよ……俺」
誰にともなく呟いた言葉が、やけに情けなく響いた。
スラトが、心配そうに俺の足元に寄り添ってくる。普段なら軽口の一つも飛んでくるところだが、今夜ばかりは、じっと様子を窺うだけだった。よほど、俺の様子がおかしく見えたのだろう。
「悪い、変なこと口走ったな」
「ぬし、へん、じゃない。しんぱい」
たどたどしい一言に、俺は少しだけ肩の力を抜いた。心配してくれる相手がいるというだけで、得体の知れない不安が、いくらか和らいでいく気がした。
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光は、しばらく明滅を繰り返した後、やがて静かに収まっていった。何事もなかったかのように、迷宮は元の静けさを取り戻す。
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【迷宮ステータス】
名称:(未設定)
ランク:F
迷宮ポイント:33(変動なし)
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ポイントの数字自体に変化はない。だが、何かが確かに動いた感覚だけが、俺の中に残っていた。
七体それぞれの様子も、あらためて確認してみた。幸い、誰にも異常はないようだった。むしろ、いつもより落ち着かない様子で、そわそわと俺の周りをうろついている者もいる。
「みんな、大丈夫か。怪我とか、してないよな」
一体ずつ確かめて回ると、ネルとミトが、心配ないとばかりに元気よく体を動かしてみせた。アズも、いつも通り静かに頷いている。ゴウルたちも、特に変わった様子はなかった。ひとまず、被害がなかったことに、俺は胸を撫で下ろした。
「今のは、何だったんだ?」
「ぬし、しらないの?」
「知りたいのはこっちだよ」
スラトは、俺の返答に少し驚いたような様子を見せた。迷宮主なら何でも知っているはずだという、素朴な信頼があったのかもしれない。だとすれば、少々申し訳ない気持ちになる。
スラトの問いに、俺は苦笑するしかなかった。迷宮主のくせに、自分の迷宮のことを何も分かっていない。情けない話だが、事実は事実だった。
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管理局の記録にも、それらしい前例は見当たらなかった。処分間際とまで言われていたこの迷宮に、こんな異変が記録されているはずもない。
試しに、他の迷宮についての情報も、迷宮の感覚を通じて拾い上げてみた。だが、格上の迷宮であっても、これほど唐突な発光現象の記録は見当たらない。少なくとも、ありふれた出来事ではないらしかった。
「珍しいこと、なんだな、これ」
「ぬし、こわい?」
「怖いっていうか……単純に、分からないことが多すぎて、落ち着かないだけだ。まあ、慣れてけば、そのうち気にならなくなるかもな」
迷宮主になってから、分からないことには数え切れないほど出くわしてきた。だが、そのほとんどは、時間をかければ理解できるものばかりだった。今回だけは、少し勝手が違う。理解の糸口すら見つからない、という感覚が、俺を落ち着かなくさせていた。
「レイラさんに、聞いてみるか」
「ぬし、あいてに、そうだんする?」
「今度、査察に来た時にでもな。管理局の記録には、これに似た事例が残ってるかもしれない」
もっとも、期待しすぎるつもりはなかった。誰も見向きもしなかった最弱の迷宮に、これほどの前例があるとは、俺自身も半信半疑だった。
スラトが、慰めるように体を寄せてきた。言葉はまだ拙いが、こういう気遣いだけは、誰よりも早く上達しているように思えた。
ただ一つ、頭の中に浮かんだ疑問があった。
(――なぜ、こんな最弱の迷宮に、俺のような転生者が送り込まれたんだ)
考えても、答えは出なかった。前世の記憶はあまりに曖昧で、手がかりと呼べるものは何一つない。それでも、この違和感だけは、確かに引っかかったまま消えなかった。
「まあ、考えても分からないことは、いったん置いておくか」
俺はそう割り切ることにした。答えの出ない謎に頭を悩ませるより、目の前のことを一つずつ片付けていく方が、性に合っている。
「ぬし、きりかえ、はやい」
「悩んでても仕方ないだろ、こういうのは」
スラトが、呆れたように、それでいてどこか安心したように、体を弾ませた。
迷宮の奥で何が起きたのか、今はまだ分からない。だが、確かなことが一つだけあった。この迷宮は、まだ何かを隠している。
考えてみれば、この迷宮に転生してからというもの、驚きの連続だった。目を覚ました時の困惑、初めての従魔の誕生、スラトが言葉を話し始めた日。そのどれもが、当時は理解の及ばない出来事だった。それでも、一つずつ向き合ってきたことで、今の暮らしがある。
今回の異変も、きっと同じだ。今は分からなくても、いつか、その意味が分かる日が来るのだろう。焦る必要はない。ただ、目の前のことを積み重ねていくだけだった。
スラトたちを寝床――と呼べるほどのものはないが、いつも休む一角へ促してから、俺は一人、光が生まれた最奥の方角をしばらく見つめていた。
「まあ、いつか分かる時が来るなら、それでいい」
焦っても仕方がない。今はただ、目の前の七体と向き合いながら、一日一日を積み重ねていくしかなかった。それでも、心のどこかに小さな棘が刺さったような感覚だけは、しばらく消えそうになかった。
月明かりも差さない迷宮の中で、俺はしばらくの間、自分の手のひらを見つめていた。生身の体を持ちながら、迷宮そのものでもあるという、矛盾したこの在り方。前世の記憶さえ定かでない自分が、なぜこの場所に、こんな形で送り込まれたのか。
答えの出ない問いを何度も反芻しながらも、不思議と絶望はなかった。むしろ、この謎めいた在り方も、いつか受け入れられる日が来る気がしていた。今はまだ、その入り口に立ったばかりに過ぎない。
考えてみれば、前世の記憶自体、輪郭がはっきりしないものばかりだった。名前も、顔も、どんな部屋で眠っていたのかも、思い出そうとするたびに霧の向こうに溶けていく。それなのに、なぜか「マネジメント」だとか「進捗確認」だとかいう、実務的な言葉だけは、やけに鮮明に残っている。
それが偶然なのか、それとも何か意味のあることなのか。今の俺には、判断のしようがなかった。
迷宮の壁に背をもたれ、しばらく目を閉じる。ゴウルたちの寝息――というほど呼吸をしているわけでもないが、それに似た穏やかな気配が、周囲から伝わってくる。少なくとも、この静けさだけは、紛れもない現実だった。
「まあ、考えても仕方ないことは、寝て忘れるに限るか」
誰にともなく呟いて、俺はゆっくりと目を閉じた。答えの出ない謎は、また明日、余裕がある時にでも向き合えばいい。今はただ、この穏やかな夜を、大事な仲間たちと共に過ごすだけだった。




