第5話 初めての査察
迷宮管理局から定期査察の通達が届いたのは、バドが加わってしばらく経った頃だった。
通達といっても、迷宮の感覚を通じて自然に伝わってくるだけの、素っ気ないものだ。「本日、定例査察のため職員が訪問する」――それだけの内容だった。
「査察、って、まずいことになったりしないよな」
「ぬし、しんぱいしょう」
スラトに茶化されながらも、俺は内心、いくらか身構えていた。処分待ちだったはずの迷宮が、勝手に従魔を増やしている。管理局からどう見られるのか、正直、想像がつかなかった。
「最悪、取り壊しとか言われたらどうする」
「ぬしが、なんとかする」
「無責任だな、お前」
軽口を叩き合いながらも、俺は迷宮内の掃除――というより整頓に近い作業を進めていた。見栄えを良くしたところで評価が変わるとは思えないが、何もしないよりはましだろう。ゴウルとバドも、俺の様子を見て、なんとなく通路の隅を片付け始めていた。
「お前らも、緊張してるのか」
「ぬしが、そわそわ、してる」
図星を突かれ、俺は苦笑するしかなかった。
考えてみれば、これまで誰かに評価される、という機会そのものがなかった。前世でも、こうした「査察」めいた場面には縁があった気がするが、記憶は相変わらず曖昧なままだ。ただ、評価される側に回ると分かった瞬間、妙にそわそわしてしまう性分だけは、しっかりと残っているらしい。
「別に、減点方式で見られるとは限らないだろ、査察なんて」
自分に言い聞かせるように呟いても、落ち着かない気持ちは消えなかった。ゴウルが、そんな俺の様子を横目に、片言でぽつりと言葉を返してくる。
「ぬし、だいじょうぶ」
簡潔だが、なぜか妙に説得力のある一言だった。
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やってきたのは、レイラと名乗る、二十代半ばほどの女性職員だった。書類の束を抱え、手慣れた様子で迷宮の入り口をくぐってくる。
「失礼します、迷宮管理局のレイラと申します。定例の査察に伺いました」
そう言いかけたところで、レイラの足が止まった。入り口のすぐ先に、スラトとアズが並んで座っていたからだ。
「……あの、この迷宮に、モンスターが?」
「ええ、まあ」
「記録では、この迷宮は数年前から放置状態で、モンスターの発生も確認されていなかったはずですが」
レイラの声には、隠しきれない戸惑いが滲んでいた。俺は状況を手短に説明した。誰も欲しがらなかったこの迷宮に、なりゆきで自分が迷宮主として収まったこと。そこから、地道にスライムとゴブリンを育ててきたこと。
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「……よろしければ、鑑定をさせていただいても?」
レイラは、職業的な冷静さを取り戻そうとするように、そう申し出た。俺が頷くと、彼女は懐から鑑定用の魔道具を取り出し、まずスラトへと向けた。
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【鑑定結果】
種族:スライム
個体ランク:F(↑↑↑)
攻撃:14 防御:17 素早さ:9
特殊傾向:言語理解(発現・安定)
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「……これは」
レイラの声が、明らかに強張った。
「Fランクのスライムで、これほどの数値は、正直、見たことがありません。しかも、言語理解の発現まで」
「そんなに、変ですか」
「変、というより……普通は、何年もかけてようやく到達するかどうかの領域です。誕生から、まだそれほど経っていませんよね」
俺は曖昧に頷いた。時間の感覚が曖昧なせいで、正確な日数は自分でもよく分かっていなかった。
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続けて、アズ、ゴウル、バドの鑑定も行われた。レイラは、一体ずつ結果を確認するたびに、驚きの表情を隠せずにいた。
```
【鑑定結果】
種族:スライム(分裂個体)
個体ランク:F(↑↑)
攻撃:8 防御:10 素早さ:6
特殊傾向:擬態(安定化)
種族:ゴブリン
個体ランク:F(↑↑)
攻撃:15 防御:13 素早さ:11
種族:ゴブリン
個体ランク:F(↑)
攻撃:13 防御:11 素早さ:9
```
「これは……見たことのない伸び方です」
レイラは、書類にペンを走らせながら、何度も同じ言葉を繰り返した。「見たことのない」――その一言が、俺にとっては何より心強い評価だった。
鑑定を終えたレイラは、しばらく書類とにらめっこをしていた。ペン先が紙の上で何度も止まっては動く。よほど数値の扱いに困っているらしい。俺は口を挟まず、その様子を見守ることにした。焦って割り込んでも、いい結果にはならないだろう。
「あの、この数値、報告書にそのまま書いても、信じてもらえるかどうか……」
レイラが、独り言のように呟いた一言に、俺は思わず苦笑した。育てている本人でさえ、この伸び方が普通なのか異常なのか、正直なところ判断がついていない。それを他人に信じてもらうのは、確かに骨が折れそうだった。
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「にわかには信じ難いのですが……この短期間で、これだけの数の従魔を、それも安定した状態で育て上げているというのは」
レイラは書類をめくりながら、独り言のように呟いた。
「通常、迷宮主が従魔を育てる場合、個体差が大きく出るものです。相性の良い個体だけが伸び、そうでない個体は淘汰されてしまうことも珍しくありません。ですが、この迷宮の従魔たちは、四体とも均等に、着実に伸びています」
「一体ずつ、ちゃんと見てるだけですけどね」
「その『ちゃんと見る』が、実は一番難しいことなんですよ」
レイラの声には、実感のこもった重みがあった。
「差し支えなければ、育成の方針を伺っても?」
「方針、というほどのものでもないですが。一体ずつ、様子をよく見て、その都度必要そうなものを与える。それだけです」
「それだけ、ですか」
レイラは、拍子抜けしたような、それでいて何かに納得したような表情を見せた。
「派手な育成術や、特別な秘薬を使っているわけではないと」
「はい。地道にやってるだけです」
「……その『地道』が、これほどの結果を生むというのは、正直、驚きです。派手さのない仕事ほど、続けるのが難しいものですから」
スラトが、得意げに体を弾ませた。
「ぬしの、とくぎ」
「特技って言うほどのもんじゃないだろ、これ」
軽口を叩き合う俺たちを、レイラはまじまじと見つめていた。それまでの職業的な硬さが、少しずつ和らいでいくのが分かった。
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「本日の査察結果は、正式に管理局へ報告いたします。今後も、定期的に伺うことになるかと思いますが」
「よろしくお願いします」
「それと……これは私見になりますが」
レイラは、少し言葉を選ぶように間を置いた。
「この迷宮、処分の手続きが進んでいたはずです。ですが、今回の査察結果を見る限り、その判断は見直されるべきだと思います。私からも、上に掛け合ってみます」
思いがけない申し出に、俺は一瞬言葉を失った。
「……ありがとうございます」
「お礼を言われるようなことでは。ただ、見たままを報告するだけですから」
そう言いながらも、レイラの口元には、隠しきれない笑みが浮かんでいた。
「こちらこそ、貴重な記録をありがとうございます」
レイラは、そう言って一礼すると、書類を抱えて迷宮を後にした。その背中を見送りながら、俺は小さく息をついた。
「どうにか、まずい評価にはならなかったみたいだな」
「ぬし、ほめられてた」
「褒められてたっていうか、驚かれてただけだろ」
それでも、悪くない手応えだった。誰にも見向きもされなかった迷宮が、少なくとも一人の職員の記憶には、確かな印象を残したはずだった。
迷宮ポイントの残高を確認すると、査察の間にもわずかに数字が動いていた。人が訪れるというだけでも、多少の変化があるらしい。
```
【迷宮ステータス】
名称:(未設定)
ランク:F
迷宮ポイント:18
```
「次に誰かが来るとしたら、いつになるんだろうな」
「ぬし、たのしみ?」
「まあ、ちょっとはな」
スラトが、満足げに体を弾ませた。誰かに見てもらえる、認めてもらえるという経験が、自分でも思っていた以上に嬉しかったらしい。
振り返ってみれば、この迷宮に来てからというもの、誰かに正面から評価されるのは今日が初めてだった。前世でも、成果を誰かに認めてもらう瞬間には、それなりに飢えていた気がする。記憶ははっきりしないが、今日得たこの手応えだけは、確かに前世からの延長線上にあるものだと思えた。
ゴウルとバドも、少し離れた場所で、査察の緊張が解けたことにほっとしたような素振りを見せていた。誰も咎められず、むしろ驚かれて終わった一日。それだけで、今日という日は十分に上出来だった。
「よし、次に向けて、もうひと踏ん張りするか」
誰にともなく声をかけると、スラトが応えるように体を弾ませた。地道な積み重ねが、少しずつ形になり始めている。その実感だけを支えに、俺はまた一歩を踏み出すことにした。




