第4話 小隊の芽生え
ゴブリンの傷が癒えるまで、それほど時間はかからなかった。
目に見えて顔色が良くなったある日、俺は改めて名前を尋ねてみることにした。
「そろそろ、お前の名前を決めたいんだが」
ゴブリンは、少し戸惑った様子で俺を見た。まだ完全に警戒を解いたわけではないが、以前のような怯えは薄れている。
「ゴウル、でどうだ」
深く考えたわけではない。だが、口にした瞬間、なぜかしっくりくる響きだった。ゴブリンは、しばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
この数日、ろくに言葉も交わせないまま、ただ隣に座って傷の回復を見守るだけの日々が続いていた。それでも、確かな変化はあった。最初は俺の気配に怯えて身を縮めていたゴブリンが、今では少しずつ、こちらの動きを目で追うようになっている。信頼、と呼ぶにはまだ早いかもしれないが、警戒だけではない何かが、確かに芽生えつつあった。
「ぬし、きめるの、はやい」
スラトが横から茶々を入れる。
「早いのは長所だろ」
「たんに、めんどうくさいだけ」
「言うようになったな、お前」
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ゴウルは、日を追うごとに迷宮の暮らしに馴染んでいった。最初は隅で身を縮めてばかりだったが、次第に迷宮内を歩き回り、スラトやアズとも、ぎこちないながら距離を縮めていく。
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【鑑定】
種族:ゴブリン
個体ランク:F(↑)
攻撃:9 防御:8 素早さ:10
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消耗していた頃と比べれば、見違えるほどの回復ぶりだった。俺は魔力の残滓を与える量を少しずつ調整しながら、ゴウルの様子を観察し続けた。
「ゴウル、痛むところはないか」
「ない。もう、げんき」
「本当か? 無理してないよな」
「……ぬしは、しんぱいしょうだな」
「性分だから仕方ない」
言いながら、俺は自分でも少し意外に思っていた。前世の記憶はおぼろげでも、誰かの調子を細かく気にかける癖だけは、染みついているらしい。部下の体調管理、進捗確認――そういう仕事をしていた時期が、きっとあったのだろう。
スラトが、そんな俺とゴウルのやり取りを、少し離れた場所から眺めていた。
「ぬし、ゴウルにばっかりかまってる」
「お前らにも平等にかまってるだろうが」
「うそ。さいきん、ゴウルのほうがおおい」
思わぬところで嫉妬めいたことを言われ、俺は苦笑した。スライムにも縄張り意識のようなものがあるのだろうか。それとも、単に構ってほしいだけなのか。判断がつかないまま、俺はスラトの体を軽く撫でるように魔力を分け与えた。
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ある日、迷宮の入り口付近から、また新たな気配が近づいてきた。
今度は一体だけではない。よろよろとした足取りで、もう一体のゴブリンが迷い込んできていた。ゴウルが、その気配にいち早く気づき、迷宮の入り口へと向かっていく。
「ぬし、あれ、はぐれもの」
「お前と同じ境遇ってことか」
ゴウルが、複雑な表情――そう見えるだけかもしれないが――を浮かべていた。かつての自分を思い出しているのかもしれない。俺は、あえて口を挟まず、ゴウルの判断に任せることにした。
鑑定を通して伝わってくる情報も、ゴウルが最初に迷い込んできた頃とよく似ていた。魔力の消耗、栄養不足、そして群れからはぐれた孤独。この世界には、こうした境遇の魔物が、決して珍しくないのかもしれない。
ゴウルは、迷い込んできたゴブリンをじっと見つめた。しばらくの沈黙の後、ゆっくりと歩み寄っていく。俺は口を挟まず、その様子を見守ることにした。
新入りのゴブリンは、最初こそ警戒していたが、ゴウルが敵意のないことを示すように、ゆっくりとした動作で近づいていくと、少しずつ緊張を解いていった。
その様子を眺めながら、俺は少し前の自分たちを思い出していた。ゴウルも、最初はあんな風に、怯えた目でこちらを窺っていた。それが今では、こうして新しい仲間を迎え入れる側に回っている。時間の流れというのは、案外あっという間だ。
「お前も、あんな感じだったよな」
「……そうだったか?」
ゴウルは、少し照れくさそうに視線を逸らした。人語がまだ完全ではないぶん、感情の機微は表情や仕草に色濃く出る。そういうところも、この迷宮の面白いところだった。
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「なかよく、なれそう?」
スラトが、覗き込むように俺の隣で尋ねてきた。心配しているのか、それとも単に新入りに興味津々なだけなのか、その両方かもしれなかった。
「さあな。でも、少なくとも、敵対する理由はなさそうだ」
しばらくして、ゴウルが新入りのゴブリンを連れて戻ってきた。二体は、既にどこか通じ合っているような、落ち着いた距離感を保っている。
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【鑑定】
種族:ゴブリン
個体ランク:F
攻撃:11 防御:9 素早さ:7
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力自慢、と言えそうな数値の伸び方だった。前衛向きの体つきをしている。
「こいつも、名前が要るな」
「よし、バド、で、いいか」
声を出したのは、意外にもゴウルだった。たどたどしいながらも、はっきりとした意思を持った言葉だった。
「お前、いつの間にそんなに喋れるように」
「ぬしの、まねしてた」
真似から始まったにせよ、こうして自分の意志で言葉を紡げるようになったのは、紛れもない成長だった。俺は素直に、ゴウルの上達ぶりを称えたい気持ちになった。
スラトが、ぷるぷると震えながら笑うような仕草を見せた。ゴウルの成長ぶりに、俺は思わず頬を緩めた。
思えば、この迷宮に来た当初は、誰の言葉も返ってこない静けさに、正直なところ少し参っていた。それが今では、あちこちから拙いながらも言葉が返ってくる。賑やかさというのは、こんなにも心強いものなのかと、あらためて実感していた。
バドは、ゴウルの隣で、居心地悪そうに、それでいて満更でもなさそうな様子を見せていた。名前をもらうというのは、この世界の魔物にとって、案外大きな意味を持つ出来事なのかもしれない。
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新入りのゴブリン――バドは、静かに頷いて、その名を受け入れた。
迷宮に、二体目のゴブリンが加わった瞬間だった。ゴウルがリーダー格として、バドを迎え入れる形になっている。まだ小さな群れだが、確かに「小隊」と呼べそうな輪郭が見え始めていた。
バドは、最初こそぎこちなかったが、ゴウルの後をついて回るうちに、少しずつ迷宮内の様子を覚えていった。通路の配置、餌場になりそうな場所、休むのに適した一角。誰に教わるでもなく、自然とこの場所に馴染んでいく様子が、俺にはどこか眩しく映った。
「お前らも、あっという間に馴染むんだな」
バドは、応えるように得意げに胸を張った。単純明快な性分が、こういう場面では何よりの強みになるらしい。
迷宮ポイントの残高を確認すると、着実に数字が積み上がっている。冒険者は相変わらず訪れないが、迷宮内の従魔たちが活動するだけでも、わずかながらポイントは生まれ続けているらしい。
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【迷宮ステータス】
名称:(未設定)
ランク:F
迷宮ポイント:15
```
「これも、みんなの日々の頑張りの積み重ねだよな」
誰にともなく呟くと、スラトが得意げに体を弾ませた。数字の一つ一つに、この群れの努力が刻まれている。そう考えると、ただの数値以上の重みを帯びて見えてくる。
「この調子で増えていけば、そのうち本当に何か作れそうだな」
「ぬし、よくばり」
「欲張りくらいがちょうどいいんだよ、こういうのは」
とはいえ、浮かれてばかりもいられない。冒険者が一人も訪れないという根本的な問題は、まだ何一つ解決していなかった。迷宮内の従魔たちの活動だけで稼げるポイントには、当然ながら限りがある。
外の世界との接点がまるでない今、噂を広める手立ても限られていた。せめて、誰かが偶然にでも立ち寄ってくれれば、そこから何かが動き出すはずなのだが。
「そろそろ、外向けの一手も考えないとな。このままじゃ埒があかない」
「ぬし、なにか、あてある?」
「今のところは、ない。ないが、考えるのはタダだからな」
スラトが呆れたように体を震わせた。それでも、俺は本気だった。看板一つ立てられない身の上だとしても、できることを探し続けるしかない。地道な積み重ねこそが、この迷宮の唯一の武器だった。
スラト、アズ、ゴウル、バド。四体それぞれが、迷宮の隅でそれぞれの時間を過ごしている。誰にも見向きもされなかった迷宮に、少しずつ、賑わいと呼べるものが生まれ始めていた。
夜――と呼べるほどの区切りがあるのかは怪しいが、迷宮内の時間感覚が落ち着いた頃、俺は改めて四体の様子を見渡した。ゴウルとバドは、少し離れた場所で並んで座り、たまに短い言葉を交わしている。スラトはその近くで、アズを気にかけるように寄り添っていた。誰に指示されたわけでもないのに、それぞれが自然と居場所を見つけている。
こうして眺めていると、前世で見ていたはずの光景と、どこか重なって見えてくる瞬間があった。人が増え、役割が生まれ、いつの間にか一つの集団として動き始める。前世の記憶は曖昧なままでも、そういう景色に対する妙な愛着だけは、しっかりと残っているらしい。
「明日は、もう少し外の様子でも探ってみるか」
誰にともなく呟くと、スラトが控えめに体を弾ませた。返事と呼べるかは分からないが、少なくとも無反応ではない。それだけで、今日のところは十分だった。




