↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
美しき雨の日に~A Beautiful Rainy Day  作者: 安堂登呂和
第一楽章:自立するふたり
7/9

第7話 2020年8月18日:焦り

律にミュージカルの音楽監督と出演依頼が舞い込んだ。

だが、役柄と内容に動揺する美雨。

思わず漏れた本音に、律もまた揺れ始める。

 神戸さんの話は、僕一人では簡単に決定できないものだった。


「いいじゃない。ミュージカルの音楽監督なんて、そうそう経験できないわよ。

それに、フルオーケストラの編曲も、律くんのためになると思うけど。

しかも、神戸さんの話によれば、脚本家や舞台監督の指名なんでしょう? 何か問題でもあるの?」


 僕が『神戸さんからの相談』の件を麻衣さんに話すと、最初そう言って麻衣さんも乗り気だった。


 だが、僕としてはこの話を受けたくない理由が二つある。


「はあ、音楽監督だけだったら麻衣さんが言うとおりなんですけどね。出演もしてくれって言われたんです。

僕、歌や演技にはまったく自信がないんですが」


 そう言うと、麻衣さんは腕を組んで何か考えていた。


「……律くん。キャスティングは聞いた?」


「へ、キャスティング?」


「そ。どんな役をオファーされたの?」


 僕は、神戸さんの話を思い出しながら答える。


「ええっと……駆け出しのギター奏者で、ヒロインの恋人だって聞いていますけど」


「ヒロイン役は誰?」


 麻衣さんがぐいぐい聞いて来る。まったく、キャスティングがどれだけ豪華でも、いや、豪華であるほど、僕みたいな演技の門外漢は黙っているべきだろうに。


「確か、今注目の若手女優、冨山はるかさんだったと思いますが?」


 僕の答えを聞いて、麻衣さんはにちゃぁっとした笑いを浮かべて、


「ははぁん……なるほどねぇ……」


 そう言ったかと思うと、僕に言った。


「律くん、ちょーっと美雨ちゃんを呼んできてもらっちゃっていい?」




 僕は美雨を探して事務所の食堂にやって来た。入口から見回すと、ちょっと奥まった位置で美雨が理央さんと午後のお茶を飲んでいるのが見えた。


 僕が急いで二人の側に行くと、


「あ、お兄ちゃん。お茶しに来たの?」


「あたしたちとご一緒しませんか?」


 美雨と理央さんが同時に声をかけてくる。


 僕は彼女たちのそばまで行くと、


「うん、ご一緒したいけど、美雨を連れて来いって社長に言われているんだ」


 そう言うと、美雨は目を丸くして聞いて来る。


「え、麻衣さんが? 何の用事か知らない、お兄ちゃん?」


「さあ? 僕の相談をしていたら、急に美雨を呼んで来いって」


「そうなの? じゃ、理央ちゃん、私行ってみるね?」


 美雨が立ち上がりながら言うと、理央さんはひらひらと手を振って、


「行ってらっしゃいお二人さん。交際許可の話だったらいいわね」


 そんなことを言う。


 美雨は顔を赤くしながらも、にこりと笑って理央さんに答えた。


「そ、そんなことはないと思うよ?」


 そう言いながらも、少し嬉しそうだった。ひょっとしたら彼女たちの間では、僕と美雨について、相思相愛的に見られているのかもしれない。


『君自身は美雨さんのことをどう思っているんだい?』

『美雨ちゃんはあなたのことが好きなのよ』


 僕の頭の中に、小山田さんや麻衣さんの言葉が蘇る。そして、バスの中の美雨の顔を思い出した時、僕の胸はドクンッ、と跳ねた。


(……“お兄ちゃん”じゃなければ、僕は何になればいいんだ?

美雨のことは大事だ。僕の創作活動の原点には、いつだって美雨がいた。

それに、八年ぶりに会った時、激しく心が揺れたのも確かだ。あの時は懐かしさと、忘れかけていた八年間の想いが一斉に蘇って来たからだと思ったが……)


 そこまで考えた時、


「お兄ちゃん、社長室に着いたよ。どうしたの、さっきからぼーっとしているし。私が話しかけても上の空だし……。

ひょっとして、気分が悪い? ちょっと休んで来たら?」


 心配そうに僕の顔を覗き込む美雨。その顔があまりに近くにあったので、僕は思わず変な声が出てしまった。


「うえっ!? だ、大丈夫だ。早く麻衣さんの話を聞こう」


 僕は赤くなった顔を隠すように、ドアをノックして麻衣さんに声をかけた。


★ ★ ★ ★ ★


 僕たちが社長室に入ると、麻衣さんはどこかに電話をかけていたのか、受話器を置くところだった。


「あ、美雨ちゃん。悪いわね、来てもらって。座ってちょうだい」


 麻衣さんはそう言って僕たちをソファに座らせると、自分もデスクから立ち上がって、僕の前に座る。


「私に何の用事でしょうか?」


 美雨が直裁に聞くと、麻衣さんはにこっと笑って言う。


「美雨ちゃんは、律くんが新しいことにチャレンジするのをどう思う?」


 すると美雨は、ちらっと僕の顔を見て、


「……お兄ちゃんには、凄い才能があると思います。

だから、その才能を伸ばせるようなチャレンジをし続けてほしいなって思います。

私のお兄ちゃんは、そんなひとであってほしいなって……」


 そう、顏を赤くして答える。


 すると麻衣さんは、薄く笑ってうなずく。


「うん、あたしもそう思う。それでね、今、律くんにミュージカルの音楽監督と出演のダブルオファーが来ているんだけれど、美雨ちゃんはどう思う?」


 それを聞いた美雨は、一瞬すごく寂しそうな顔をしたが、すぐに笑顔になって僕に言ってくれた。


「えっ、ミュージカルの!? お兄ちゃん凄い!

お兄ちゃんって、顏だっていい方だと思うし、声もいいし、頭もいいから、きっと素敵な演技ができると思うなぁ……」


 だが、麻衣さんの言葉で、美雨の表情は凍り付いた。


「ちなみに、配役は駆け出しギター青年で、ヒロインの彼氏役よ。

あ、ヒロインは今を時めく冨山はるかの予定だって」


「……ふ、ふぅ~ん。

こ、恋人役……冨山はるかさんの……美人のはるかさんの、恋人役……」


 美雨は明らかにショックを受けたような顔で、ボーっと前を焦点の定まらない目で見つめ、ぶつぶつとつぶやいている。


「でね、あたしは律くんのことを考えて、このオファーを受けようと思うんだけど。

美雨ちゃん、『お兄ちゃん』を冨山はるかに貸し出していいかしら?」


 意地悪そうな顔で聞く麻衣さんに、さすがにちょっと気を悪くしたか、美雨はつんとして答える。


「べ、別にいいんじゃないですか?

って、なんで社長の麻衣さんが、私に許可を得るみたいな言い方をするんですか?」


 震える手で、卓上のコーヒーカップを持ち上げる美雨。声が少し震えているのは気のせいか?


 そんな美雨に、麻衣さんが追撃する。


「いや、だってさ、律くんを恋人役にって一番ご執心なのははるかさんだって聞いたから。律くんをキャスティングできないなら、今回のミュージカルには出ないって、すごくごねたらしいわよ?

なんでも、『キスシーンは高野律が相手じゃないと嫌』って、舞台監督もディレクターの神戸さんも、ほとほと困っているらしいの」


「ぶっ!」


 美雨が『キスシーン』と聞いて、派手にコーヒーを噴いた。


「す、すみません。お兄ちゃんがキスシーンをするだなんて、凄くびっくりしちゃったんで」


 テーブルを拭きながら、美雨が麻衣さんに言い訳する。


 だが、僕だってキスシーンがあるなんて聞いていない。これは麻衣さんが美雨をからかういつもの冗談かもしれない。


「ちょ、麻衣さん。僕はキスシーンありなんて神戸さんから聞いていなかったんですが? それ、本当でしょうか?」


 慌てて聞く僕に、麻衣さんはチェシャー猫みたいな顔でうなずいた。


「さっき、神戸さんに確認したわ。律くんを欲しがったのも冨山はるかだって、神戸さんも断言したわ」


 美雨はそれを聞いて、僕に向き直って問い詰めて来た。


「お兄ちゃん、キスシーンがあるミュージカルになんて出たくないよね?

作曲だけで十分にお兄ちゃんの実力は証明できるもんね?

私を差し置いて、他の女の子とキスしたりしないもんね?」


 それは美雨の言うとおりだ。だが、表現としての演劇なら、ちょっと興味はある。

 それで、僕は即答できなかった……って、え? 今、美雨はなんて言った?


★ ★ ★ ★ ★


「麻衣さん、絶対今日、美雨をいじめて遊んでたでしょ?」


 美雨は、僕に詰め寄った後、僕がびっくりした顔をして彼女を見つめていたことで、自分が何を口走ったのかを悟って、


「……うぅうぅうぅ~っっっ……」


 急に真っ赤になって、涙を浮かべながら、へんな唸り声を上げて社長室を飛び出して行った。


(……今、美雨は『私を差し置いて』って言ったよな。

今のって、嫉妬? 妹として?

いや、“差し置いて”だぞ?

ってことは、美雨は僕が自分以外の女の子とキスするのが……)


 過熱気味の頭でそこまで考えが及んだ時、


「……さぁ~て、律くん。宿題があります」


 麻衣さんの声にハッと我に返る。

 僕は、頭をぶるっと振って、麻衣さんに聞く。


「な、何ですか宿題って?」


 麻衣さんはニヤリと笑って、試験官のようにニヒルに笑う。


「問一、じゃじゃん!

美雨ちゃんは律くんに兄以上の好意を持っている。

マルかバツか? はい、すぐ答えなさい!」


「……ま、マル……」


 僕は信じられないが、今の美雨を見ているとそうとしか思えない。


 麻衣さんは、ぬちゃあっと笑って言う。


「問二、じゃじゃん!

律くんは、美雨ちゃんを妹としては見られなくなっている。

マルかバツか。しょーじきに答えなさい。はい!」


 すごくハズカシイ。べたな表現だが、顏から火が出そうだ。

 だが、答えないと後が怖い。麻衣さんのことだ、


『僕は美雨のことが女として好きだ❤』


 とか書いたプラカードを捧げて社内一周させられそうだ。

……それやられたら、一生酒の肴にされてしまう。

 だから僕は答えた。


 今思うと、麻衣さんがこうしてくれなければ、僕は美雨への気持ちに一生ラベルを張れないか、間違ったラべリングをしていたと思う。


「……まる、です……」


 麻衣さんは満足そうに、眼鏡の奥の目を光らせて、


「問三、じゃじゃん!

律くんと美雨ちゃんが幸せになるには、どんな関係値が相応しいと思う?

……この答えを、いつか聞かせてほしいわね」


 そう言って、またあの不可思議で底意地の悪い笑顔をする。


「は!? マルバツ問題じゃないんですか?」


 僕が言うと、麻衣さんは怒ったような、呆れたような、それでいて真剣な顔で僕の胸を指先でつつきながら言った。


「当たり前でしょ? マルバツ問題ってのは、既知のことにしか使えないのよ。

律くんと美雨ちゃんの幸せって、二人で気持ちを整理して、二人で未来を見つめて、二人の言葉で組み上げていくものなのよ?

だから、律くんがすることはただ一つ。答えてごらんなさい」


「……美雨を抱きしめる? 痛っ!」


 僕は麻衣さんからスリッパでどつかれた。


「スカポンタン飴! 急に色気づくんじゃないわよ。

そんなことしてご覧なさい、美雨ちゃんが混乱するでしょ!?

そうじゃなくて、律くんは今までよりちょっとだけ、美雨ちゃんの気持ちを受け入れればいいの。

『お兄ちゃん』を辞めて、『優しく見守る男性』になりなさい。

美雨ちゃんは、自分の気持ちを確定させるのに時間がかかる子だから、思いが沈殿するように、撹拌して散らしちゃダメよ。分かったら行きなさい」


 麻衣さんは軽く手を振ってそう言う。


「麻衣さん、結局神戸さんのオファーは断るんですよね?」


 僕が聞くと、麻衣さんはずるそうな笑みを浮かべて答えた。


「まさか! 有名脚本家が手掛け、冨山はるかが主演するミュージカルよ?

その音楽監督だなんて、高野律のキャリアに箔がつくじゃない。

それに神戸さんにも恩を売れるし、『音楽監督ならやっていい』って答えるに決まってるじゃない」


 ……まぁ、下手な歌を披露しないで済むなら、それに越したことはない。


 僕はそう考えて、家路についた。美雨は理央さんたちと一緒に、町に買い物に出たらしい。


(あの一件以来、理央さんとは特に仲良くなったみたいだな。いいことだ)


 そう思う反面、僕は麻衣さんの『宿題』に頭を悩ませるのだった。


★ ★ ★ ★ ★


「へぇ~。高野先輩がミュージカルに?

先輩って、けっこういろんなジャンルに挑戦するよね」


 私(美雨)は、社長室から戻った時、真っ赤な顔をしていたらしい。

 だから、私を見た理央さんは、すぐにみんなに、


『みんな、帰る準備終わった? よかったら、帰りに『チェリー』に寄らない?』


 そう言って私を、一人で部屋に帰らないで済むようにしてくれたのだった。


 私にとって衝撃だったのは、


『私を差し置いて、他の女の子とキスしたりしないもんね?』


 と言っちゃったことだ。


(……うう、お兄ちゃんのあの反応。きっと“差し置いて”に気がついたんだ。

でもどうしよう、なんであんなこと言っちゃったかな?

そりゃあ、お兄ちゃんが他の子とキスするなんて、それが親友の理央さんだったとしても嫌だけど、それって“妹”としては普通よね?)


 私はそのことを確かめるべく、『チェリー』で食事を終えると、社長室での出来事をみんなに報告する。もちろん、冨山はるかさんのことは伏せてだったが。


「でもさぁ、美雨ちんとしては、律先輩が美雨ちん以外の女の子と、役柄上でもキスするって許せないんじゃないの?

嘉穂から見たら、それって百パー“恋”だと思うけど? 想いが重いけど」


 食後のパフェを突きながら嘉穂ちゃんが言う。

 ……想いが重いって何? 私そんなに太ってないもん。

 そう自分をごまかしていたけど、有紀ちゃんがニヤニヤ笑って言う。


「うーん、あたしも先輩を狙ってる身としては、あたしが先輩の“初めて”でありたいなぁ……って、美雨ちゃん思ってるでしょ?」


「ふぇっ!?」


 有紀ちゃんまでお兄ちゃんを狙ってるの!? そう思った私がムッとしかけると、急反転して私に“初めて希望”を聞いてくる。


 なんでみんな、そんな鋭いの? おかげで変な声出ちゃったじゃない。

 それとも、私が鈍いの? ううん、そんなことない。お兄ちゃんはお兄ちゃん……それが私の中では絶対の真理だった。さっきまでは……。


「……分かんない。だってお兄ちゃんは、ずっと私のお兄ちゃんだったから。

八年間離れていた時も、私はお兄ちゃんの演奏と思い出に支えられていたし。

でも、お兄ちゃんが役とはいえ、誰かとキスするかもって聞いたら、モヤってしちゃって。ダメな妹だなって思っちゃった」


 私が言うと、エリカちゃんが不思議そうに聞いてくる。


「美雨さん、それって恋です。ラブです。ユー、フォーリンラブです。

妹は兄のキスにモヤるですが、自分が兄としたいとは思わないです。

どうしてそれを『恋じゃない』と言えるですか?

そ・れ・は・恋・です」


「うんうん、あたしにもおにいがいるけど。キスしたいなんて思わないもん。

んなこと言ったら、おにいが鳥肌立てて走り回るのが目に浮かぶよ。げへへ」


 ……有紀ちゃん、まさか実際に言ったとか?


 頭の中で、


『私、お兄ちゃんに恋してるの?』


 とか、


『じゃ、お兄ちゃんじゃなく、なんて呼べばいいの?』


 とかいう思いがぐるぐるする。


 そんな私を気遣うように、理央さんが優しく言ってくれた。


「……ちょっと頭を冷やして、高野先輩と話をしてみたら?

先輩だって、美雨ちゃんだったらまんざらでもないと思うよ?

何より、あたしたちは美雨ちゃんの味方だよ。だから応援する」



………………



 しかし、そんな私を固まらせる出来事が、次の日には起こったのだった。

 麻衣さんに呼び出されて、いつもより早めに事務所に出勤した私は、何気なくテーブルに置いてあったスポーツ紙を見て、我が目を疑う。


 そこには、大見出しでこう書いてあったのだ。


『スクープ! 国民的若手女優の熱愛!

冨山はるか、お忍びデート

お相手は、新進アーティストの高野律』


 私は震える手で新聞を手に取り、写真を見る。


 お兄ちゃんが、美人の冨山はるかさんと二人きりで食事をしている光景が、ばっちり写っていた。


 はるかさんは、こっちを向いて指を差している。


 お兄ちゃんは、笑いながらこっちを見ている。


 明らかに、『ただ事ではない』雰囲気だった。


「……うそ……お兄ちゃんが、私以外の女の子と?……」


 私は呆然と立ち尽くし、麻衣さんが私を呼ぶのも耳に入らなかった。

 


(A Beautiful Rainy Day:7)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

美雨、自爆しました。そして律も揺れ始めています。

ただ、冨山はるかが強い。そして律が無意識で悪い。

急に現れた強力な恋敵、美雨はどう対抗するのでしょうか?

では、次回までごきげんよう(美雨の真似)。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。