第6話 2020年8月15日 美雨の気持ち
ツアー準備の最中、律は二人の大人から美雨の想いを突きつけられる。
『お兄ちゃん』から揺れ始めた美雨、まだ『お兄ちゃん』だと思いたい律。
二人のチューニングが、静かにずれ始める。
8月になり、『DIAMOND-DUST』にちょっとした、でもかなり重要な変化があった。
それは、麻衣さんの裁定で、バンドの表記を『DIAMOND☆彡DUST』に変えたことだった。
『うちの五人は、みんな星の輝きと可愛らしさを持っているわ。
それが一発で伝わる表記に変えようと思うの』
……それが麻衣さんの『ご神託』だった。
猛暑が続く中、街には蝉の声がうるさいくらいに響き渡っているが、僕自身はそんな暑さや煩さとは無縁の地獄にいた。
美雨が、麻衣さんから指示された詩を完成させたのは、7月の第3週。そして4週目の月曜日、麻衣さんが僕にこう言ったのだ。
「律くん、あなたの出番よ。今度の美雨ちゃんの詩、とってもいいから、ぜひいい曲をつけてね」
そうして麻衣さんは、僕に5篇の詩を差し出して付け加えた。
「9月のツアーに持って行きたいから、今週中にメロディーだけでも完成させて。デモまで行けば最高だわ」
「ファーストアルバムはいつ発売予定ですか?」
僕が聞くと、麻衣さんはよどみなく答えた。
「今度のツアー後、一月おいて11月から12月23日まで今年最後のツアーを予定しているわ。そのツアーの初日、11月13日に発売するわよ。
その日は美雨ちゃんの誕生日でしょ? プレミアも付けられるし」
「で、アルバムの構成はどうするんですか?」
僕が聞くと、麻衣さんは“何を分かり切ったことを”という目で僕を見て言う。
「律くん、『DIAMOND☆彡DUST』は今何曲オリジナルを持っているかしら?」
「……こないだ理央さんとエリカさんが作った曲を含めて、15曲ですね」
「そう、そしてこの5篇でやっと20曲。アルバムには12曲くらい入れたいから、ちょうどいいわ。それに、ライブでしか聞けない曲って必要よ?
だから、ファーストアルバムには、悪いけど『やさしい雨音』は入れないつもりよ」
麻衣さんは、やっぱりあざとかった。
……と、言うわけで、僕は麻衣さんにせっつかれながらも、なんとかその週のうちには全曲完成し、美雨にメロディーを見せた。
美雨は、じっと譜面を見ていたが、やがてぽろぽろと涙をこぼし始める。そしてそのまま目を閉じると、つぶやくように歌いだした。
(せつない 東雲美雨・作詩 高野律・作曲)
初めて名前で呼ばれた日のこと
思い出して懐かしさに、心が熱くなった
今、こうして君といる、何気ない時間が
僕にはかけがえのないものだと分かった
二人をつなぐ、確かなものは、
形のない絆というものだけで
途切れずに、色褪せずに
つなぎ続けるすべを知らないけど
いつかきっと、二人でいた時間は
お互いの中で思い出になっていく
その時まで、悔いのないように
君と微笑んでいたい
二人で歩いていた、そのつもりでいた
この道を振り返ると、そこには君がいない
ずっとずっと、いつまでも一緒だと
信じていたかけがえのない人は……
失くしたから分かる痛みを心に
僕は一人で歩いていく
細い肩を抱いた時のぬくもり
僕は忘れずに歩いていく
いつかきっと、二人でいた時間を
心痛まずに思い出す日が来る
その時まで、君に恥じぬように
僕は笑っていくだろう
二人をつなぐかすかな赤い糸は、
高い空に流れる雲のように
ちぎれて、流れては、
またつながっていく
いつかきっと、二人でいた時間に
抱かれながら時を流れていく
その時には、君をちゃんと見つめて
言えなかった言葉を、伝えたい……
「このメロディー、いいです。すごくいい……」
歌い終えた美雨は、少しの沈黙の後、そう言ってまた涙ぐんだ。麻衣さんも、いつもに似合わず優しげな顔で美雨の肩にそっと手をかけて、
「あなたが心の中で聞いたメロディーと同じだったのね? 不思議ね、どうして律くんは、あなたの心の中にある曲を引き出してくるのかしら?」
そう言ってほほ笑む。
「それはきっと、お兄ちゃんだからです……」
涙をふきながら、微笑んでそう答える美雨が、僕にはとても遠く、儚げに見えた。
「この曲は、最初の8小節は東雲さんのピアノソロでいいわね……」
理央さんがそう言うと、
「そのあと、エリカちんのシンセだね」
嘉穂さんが言い、それにうなずいたエリカさんが
「ベースは、16小節までお休みですね。ドラムとギターは2番で入ったがいいです」
そう言い、さらに続けて
「この曲、思い切って美雨さんのソロでいっちゃった方がいいと思うです」
そう言って、全員の賛同を集めた。
★ ★ ★ ★ ★
レコーディングは、僕も何度かお世話になっているスタジオで行われた。ここのオーナーは麻衣さんの知り合いで、ご自分も現役のミュージシャンである。
「よっ、麻衣ちゃん。久しぶりだね」
オーナーの小山田さんが、立派な髭を揺らして笑う。この方はほんの数年前まで『OUTSIDERS』というバンドで活躍されていた方で、御年70歳に近いが、澄んだ歌声はいまだ健在の、伝説のミュージシャンだった。
「ほんとに久しぶりですね……律くんの最新アルバム収録以来かしら?」
麻衣さんが言うと、小山田さんは僕に視線を移してにやりと笑って言った。
「律くんも、いいパートナーを見つけたものだね。自分の曲にぴったりの詩を書いてくれる子なんて、なかなか巡り合えるものじゃないよ……おっと、その子かな?」
小山田さんは、五人が固まっている中から美雨を目ざとく見つけ出し、しばらくじっと見つめていた。
「あ、あの……東雲美雨です。よろしくお願いいたします」
美雨が、凝視に耐えられずにもじもじとしてそう言うと、小山田さんははっと気づいたようにその顔を緩めて、
「おお、これは失礼たね。初対面のお嬢さんをまじまじと見つめてしまって……。
しかし君は、本当にいい眼をしている。うん、人の心を透かして見るような眼だ。
それに声もいい。『DIAMOND☆彡DUST』のみんなは、とても感じがよくて、声もいい子がそろっているなとは思っていたが……律くん、この子は大事にしてあげるんだぞ」
そう言うと、麻衣さんに向き直って言った。
「麻衣ちゃん、今回はどんなアルバムになるのかとても楽しみだ。僕も精一杯のことはさせてもらうよ。いい作品をつくろうじゃないか」
「うん、ドラムパートはこれでいいかな?」
僕は、『DIAMOND☆彡DUST』のみんなが昼食に行っている間、調整室に残ってドラムパートの確認をしていた。そこに、
「やあ、頑張ってるね、律くん」
小山田さんがやって来て、僕の隣に腰掛ける。
「あっ、小山田さん」
僕は慌ててヘッドセットを外した。小山田さんはにこりと笑うと、ドラムパートをヘッドセットで確認して言う。
「だんだん、律くんもアレンジの才能が開花してきているね。この曲ならば確かにこれで王道だ。けれど……」
そう言いながら、小山田さんはミキサーにつながったシンセのドラムセクションを少しいじって、僕にヘッドセットをつけてみろと目で促す。僕はうなずいてヘッドセットを元に戻した。
「……うわ……すげ……」
僕は思わずつぶやいた。小山田さんがちょっとシンセドラムを加えただけで、曲の雰囲気が全然違っていたからだ。
「こちらの方が、美雨の声を生かせると思います」
僕がそう言うと、小山田さんはヘッドセットを外して僕に聞いてきた。
「なあ、律くん。あの美雨ちゃんって子は、大切な誰かを失くしているのかな?」
「え……ええ、小5の時に、両親を飛行機事故で……」
「それで、彼女は君のことを『お兄ちゃん』って呼んでいるんだね? 君が彼女の肉親替わりっていうわけか……」
「……やっぱり、マズいでしょうか? 彼女はアイドルグループのメインヴォーカルで、そんな彼女が僕のことを『お兄ちゃん』って呼ぶのは……。
もちろん、仕事場では『高野さん』とか『高野先輩』ですけれど」
僕が聞くと、小山田さんは髭を右手でいじりながら笑って言った。
「はっはっ、マズいかどうかは、麻衣君が決めることさ。
僕はただ、律くん、君の気持ちを訊いているんだ。
君が彼女の気持ちを受け止めることができるかどうかをね?
彼女は大切な人を失くした。彼女の心の中では、君への思いはとても大きくなっていると思う。
彼女の詩を読んで、彼女が求めるつながりが君への思いそのものだとしたら、それを君自身が受け止めるのに重過ぎるってこともあるだろう。僕はそう思っている」
僕は、小山田さんの言葉に何も言い返すことができなかった。
確かに、美雨の気持ちをはっきり聞いたわけではないが、今までの美雨の行動から、彼女が僕に特別な感情を持って接してくれていることくらいは分かる。
しかし、それはとても純粋で、しかもこの上なく不安な彼女の気持ちを安らげる『お兄ちゃん』としての役割だと僕は思っていたのだ。それを小山田さんは違うという。
「……まあ、君たち二人ともまだまだ純粋みたいだから、ゆっくりと時間をかけて、二人の思いを確かめるといいさ。
そんなに急ぐ必要はない、二人ともまだ若いんだからな」
黙りこくってしまった僕の思いを見透かすように、小山田さんはそう言って笑った。
「お兄ちゃん、結局お昼食べなかったの?」
昼食から帰った美雨が心配そうに訊く。僕は無理に笑うと、椅子から立ち上がりながら答えた。
「心配かけてごめん。ミキシングに夢中になってた。これからパンでも買ってくるよ」
「うん、分かった。あまり無理をしないで、健康には気をつけてね。お兄ちゃんも『DIAMOND☆彡DUST』の大切なメンバーなんだから」
どこか寂しそうに言う美雨の頭をくしゃっと撫でると、僕はミキシングルームの重いドアを開けて外に出た。そこには麻衣さんが腕組みしながら僕を待ち受けていた。
「律くん、ちょっと話があるんだけど、付き合ってもらっていいかしら?」
「えっ、これからちょっと食事でもしようかなって思っていたところですけど……」
僕が言うと、麻衣さんはいつもと違って真剣な表情で
「食事ならあたしがおごってあげるから、付き合ってもらっていいかしら?」
そう言う。僕はそんな麻衣さんの雰囲気に飲まれ、ただ頷くしかなかった。
僕らは、スタジオから近い、こぢんまりとした喫茶店の奥に腰掛けた。
「それで、話ってのはなんですか、麻衣さん?」
オーダーの後、おしぼりで手を拭く麻衣さんに尋ねると、彼女はずいっと顔を近づけて
「美雨ちゃんのことだけど……」
そう言うと、後は麻衣さんらしくもなく言葉を飲み込んでしまう。
「美雨がどうかしたんですか?」
僕は以前美雨が話してくれた『その自分は、自分じゃない』という言葉を思い出して、麻衣さんに先を促した。
麻衣さんは何人ものアーティストを抱え、それぞれのフィジカルな面からメンタル面までしっかりとサポートしている。その麻衣さんが相談するということは、何か深刻な事態が起きているのかもしれない。
けれど麻衣さんは、
「先に食事をしましょう。律くんが聞いたら食欲がなくなってしまうかもしれないし、せっかくの食事をまずくするのも嫌だから」
そう言うと、折よく運ばれてきたパスタに口を付けた。
僕としては、美雨に関する話なのだったらと気になってしょうがないが、肝心の麻衣さんに話す気がないのならしょうがない。僕もおとなしくピラフを食べ始めたが、正直、味なんてよく分からなかった。
食後のコーヒーを頼むと、麻衣さんは僕の顔を見つめて真面目な表情で言った。
「……この間、あの子たちが営業に出たのは知っているでしょ?」
「はい、美雨と理央さんがオーディションを受けに行ったんですよね?」
その話は、事前に美雨から聞いていた。何でもラジオの朗読番組から美雨と理央さん二人にオファーがあったらしい。
声優のような仕事には前々から美雨も興味があったらしいので、とても喜んでいたのを覚えている。
けれど、麻衣さんの話を聞いて、僕は自分でも顔が強張るのを感じた。
「こう言うと律くんは怒るだろうけれど、あの話、番組側のプロデューサーが二人を呼び出すための口実だったみたいなの。どうも枕営業みたいなことを強要されそうになったって話だったわ」
僕の表情の変化を見逃さなかったのだろう、麻衣さんは慌てて付け加える。
「理央さんがきっぱりと断って美雨ちゃんを連れて逃げて来たから、二人とも実害はなかったわ。あのプロデューサーが噛んでいたことを知っていたら、あたしは最初からこの話を受けたりしなかったんだけど……あたしの調査不足だったわ」
黙り込んだ僕を見て、麻衣さんは済まなそうに言う。
「でも、美雨ちゃんや理央さんがとても楽しみにしていた仕事がこんなことになって、しかもこの世界の闇まで見ることになったから、二人ともショックを受けていると思うの。
理央さんの方はあたしがフォローするから、律くんには美雨ちゃんのケアをお願いしたいわ。引き受けてくれるかしら?」
どんな人間にも表と裏の顔があるのと同様、どんな仕事にも、そして業界にも裏の面がある……そのことは、この世界に飛び込む前から麻衣さんの話を聞いて覚悟はしていたし、仕事をし始めてからも、いろいろと裏工作的なものがあることには薄々気付いてはいた。
もちろん僕は男だから、美雨が強要されそうになったというようなことには遭遇していなかったが、あの美雨がどんな気持ちになったのかと想像するだけで心が痛くなった。
「分かりました」
僕が短く言うと、麻衣さんはホッとした顔でうなずくと、
「律くんはニブいから気付いているかどうか知らないけれど、美雨ちゃんはあなたのこと、とても好きなのよ?
あたしは本来、事務所の中での恋愛は禁止という立場だけれど、アイドルが恋をしてはいけないなんて野暮なことは言わないわ。特に『DIAMOND☆彡DUST』みたいに自分たちで世界を創り上げていくスタイルの子たちはね?
だから、美雨ちゃんが望むのなら、あの子のことをしっかりと受け止めてあげて。
もちろん、あなたが責任取れる範囲内で、って意味だけど」
★ ★ ★ ★ ★
レコーディングが終わり、僕と美雨はバスで自宅へと向かう。美雨は今日のレコーディングで不満な点があったらしく、
「ねえお兄ちゃん、『朝焼け』のサビについてだけど」
僕を見て、自分の考えを話す。
「私ね、最初はもうちょっと静かな風景を想像していたの。でもお兄ちゃんの曲を聞いて、『ああ、朝焼けの中には鳥のさえずりや木々のざわめく音みたいに、たくさんの音が隠れてる』って気付いた。
だから、サビももうちょっと明るく歌ってもいいかなって……」
そう話す美雨の顔はとても鮮やかで、詩の世界に入り込んでいる人のそれだった。恐らく、彼女が詩を紡ぎ出すときは、いつもこんな表情をしているのだろう。
「……お兄ちゃん、聞いてるの?」
不意に美雨がそう言って僕の顔を覗き込んでくる。僕は彼女に見とれていたことを隠すように、慌てて言った。
「あ? ああ、そうだね。美雨の詩を読んで、僕は実際にあの光景を見ようと午前5時まで起きて、空を見ていたこともあるんだ。
部屋の窓を開けて、オレンジがゆっくりと空を染めていく瞬間、鳥たちの声が聞こえ始めた。その時、あの音が降って来たんだ。
だから、美雨の言うとおり、もう少し明るく、そして優しく歌ってもいいと思うよ」
僕がそう答えると、美雨は安心したように笑う。
「よかった、ちゃんと聞いていてくれたんだね? なんかボーっとしていたから、別のことを考えているのかなって思っちゃった」
その時、バスのアナウンスが、僕たちが降りるバス停の名前を呼んだ。誰かが降車ボタンを押す。それから2分ほどで、バスは大学の裏通りに近い停留所に停車した。
そこで降りたのは、僕たちを含めて五人ほどだった。その中の一人が、僕たちに声をかけて来た。
「あ、やっぱり律くんと東雲さんだったんだね」
声をかけて来たのは、小太りで丸顔、人懐っこい笑顔を絶やさぬ人だった。東京コミュニティラジオのディレクター・神戸さんだ。
「神戸さん、おはようございます。打ち合わせですか?」
僕が挨拶すると、美雨もニコリと笑って、
「おはようございます。いつぞやはお世話になりました」
そう挨拶する。神戸さんは笑顔のままうなずいて、
「ああ、ちょっと律くんに折り入って相談というか、お願いがあってね?」
そう言う。
美雨は気を利かせて、
「じゃ、高野先輩。私はこれで失礼します」
「あ、ああ。お疲れ様」
僕たちにお辞儀すると、さっさと歩き出した。
「今の、東雲ちゃんだよね? 律くんとどういう関係?」
「ええっと。帰る方向が一緒だったものですから、新しい曲の構想を二人で練っていたんです。
ところで、話って?」
僕が聞くと、神戸さんはちらっと周囲を気にするそぶりを見せ、
「まあ、どっかでゆっくりしながら話そう」
そう言いながら、大通りの方へ歩き出した。
(A Beautiful Rainy Day6)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
美雨は内面が鋭い分、自分の律への想いが何ものなのか、ずれに気付き始めています。
一方で、律は美雨の傷を知っているので、それに乗じたくはない。
この二人の擦れ違い、気になります。では、次回までごきげんよう(美雨の真似)。




