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『愛され娘の私は18年かけて純粋培養された「商品」でした〜極上のまま狂った富豪に出荷される絶望のバースデー〜』  作者: 月神世一


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初めての甘い毒と、鳥籠のほころび――『君の家、何かおかしいよ』

初めての甘い毒と、鳥籠のほころび――『君の家、何かおかしいよ』

初夏の風が、開け放たれた図書室の窓を揺らしていた。

放課後の静かな空間で、浅田有希子は胸の高鳴りを抑えきれないまま、隣に座る瀬尾蓮の横顔を盗み見ていた。

初めて言葉を交わしたあの日から数ヶ月。

二人の関係は、図書室という閉ざされた空間の中で、ゆっくりと、しかし確実に深まっていた。

蓮は剣道部の練習が始まる前のわずかな時間を利用して、毎日のように図書室を訪れるようになった。彼は有希子の純粋すぎる言葉に決して嘲笑することなく、優しく相槌を打ち、自分の知っている「外の世界」の話をたくさん聞かせてくれた。

友達と寄り道するファミレスの味。文化祭の準備で夜遅くまで学校に残る楽しさ。スマホで流行っているくだらない動画の話。

有希子にとって、それはまるで煌びやかな魔法の物語のようだった。

両親から「泥水」だと教えられてきた外の世界は、蓮の口を通して聞くと、どうしてこんなにも温かく、魅力的に響くのだろう。

「有希子ちゃん、はいこれ」

ふいに、蓮が有希子の手元に冷たい金属の筒を置いた。

見ると、それは自動販売機で売られている「ピーチティー」の缶だった。ピンク色の可愛らしいパッケージに、水滴が光っている。

「えっ……これ……」

「喉渇いただろ? 部活行く前に買ってきたんだ。俺のおごり」

爽やかに笑う蓮に対し、有希子の体はビクリと強張った。

有希子はこれまで、母親の恵美子が管理する「無添加のオーガニック飲料」か「高級な茶葉で淹れた紅茶」しか口にしたことがない。市販のジュースなど、添加物と白砂糖の塊であり、商品を劣化させる『毒』だと教え込まれてきた。

「ご、ごめんなさい……私、お母様が作ったもの以外、口にしてはいけないことになっていて……」

「えっ? そうなんだ。ごめん、知らなくて……でも、たまには良くない? これ、すっごく甘くて美味しいよ」

蓮は悪びれる様子もなく、プシュッと自分の分の缶を開け、美味しそうに喉を鳴らして飲んだ。

その音が、妙に有希子の喉の渇きを刺激する。

(一口だけなら……お母様たちにはバレないかしら)

有希子は恐る恐る、冷たい缶に手を伸ばした。

プルタブの開け方も分からず戸惑っていると、蓮が笑って代わりに開けてくれた。

プシュ、という小さな破裂音とともに、ふわりと人工的な、けれど酷く魅力的な桃の甘い香りが漂う。

有希子は息を詰め、缶の縁に唇を当てて、少しだけ中身を傾けた。

冷たい液体が舌に触れた瞬間、有希子は目を丸くした。

「……っ、甘い……!」

「だろ? 疲れてる時はこの安っぽい甘さが最高なんだよ」

それは、有希子がこれまで味わってきた上品な味付けとは対極にある、直接的で暴力的なまでの甘さだった。

しかし、その「毒」は、有希子の脳を痺れさせるほど美味しかった。

悪いことをしているという背徳感と、蓮と初めて同じものを共有できたという喜び。特注のコルセット下着で常に締め付けられている胸の奥が、熱く、甘く溶けていく。

「ふふっ……本当に、美味しいです。蓮先輩」

有希子が花が綻ぶように笑うと、蓮も嬉しそうに目を細めた。しかし、その直後、蓮は少しだけ真剣な表情になり、有希子を真っ直ぐに見つめた。

「あのさ、有希子ちゃん。ずっと気になってたんだけど……」

「はい?」

「君の家、ちょっと厳しすぎないか? スマホも持たせてもらえない、買い食いも禁止、休日は親か親戚のおじさんとしか出かけられないって……いくら箱入り娘でも、異常だよ。君、もう高校生なんだぜ?」

蓮の指摘に、有希子の胸がチクリと痛んだ。

「異常だなんて、そんなことありません……! お父様もお母様も、私のことを心から愛してくれているから、守ってくれているんです」

「愛してるからって、鳥籠に閉じ込めていい理由にはならないよ」

蓮の言葉は、有希子がこれまで信じ切ってきた「完璧な箱庭」の壁に、決定的な亀裂を入れた。

「俺、有希子ちゃんともっと一緒にいたい。図書室だけじゃなくて、休みの日に一緒に映画を見に行ったり、カフェでお茶したりしたいんだ。有希子ちゃんは、ずっとその小さな世界に閉じ込められたままでいいの?」

「私……っ」

有希子は俯き、膝の上でギュッと拳を握りしめた。

怖い。両親の教えに背くことが怖い。でも――蓮と一緒に、外の世界を歩いてみたい。

純白に染め上げられていた有希子の心に、初めて「自分の意志」という名の色が混ざった瞬間だった。

「……すぐには無理かもしれないけど、少しずつ、お父様とお母様にお願いしてみます。私、もっと……先輩の世界を知りたいから」

蚊の鳴くような声で答えた有希子に、蓮は安堵したように微笑み、有希子の頭を優しく撫でた。

「うん。焦らなくていいよ。俺、待ってるから」

有希子は、空になったピーチティーの缶を、宝物のように鞄の奥深くに隠した。

これは、私と先輩だけの秘密。

誰も知らない、私の初めての「自由」。

 * * *

その週末。

浅田家の広大なリビングでは、いつものように神宮寺善三を招いての優雅なティータイムが開かれていた。

「有希子。今日はおじさまに、新しいピアノの曲を聴かせて差し上げて」

「はい、お母様」

母親の恵美子に促され、有希子はスタインウェイのグランドピアノに向かった。

しかし、有希子の心はここにあらずだった。

鞄の中に隠してあるピーチティーの空き缶。蓮の優しい手の感触。休日に映画を見に行くための口実をどうやって両親に話そうか、そんなことばかりが頭を巡っている。

(私、変われるかもしれない。先輩がいれば、外の世界に出られるかもしれない)

そんな淡い希望を抱きながらピアノを弾き終えた有希子に、神宮寺はいつものように鷹揚な拍手を送った。

「素晴らしい。今日も美しい音色だったよ、有希子ちゃん」

「ありがとうございます、おじさま」

有希子が丁寧に一礼すると、神宮寺は立ち上がり、ゆっくりとした足取りで有希子に近づいてきた。

そして、無防備な有希子の背後に回り込むと、その華奢な肩を両手で包み込んだ。

「ひっ……」

有希子の肩が、ビクリと跳ねた。

これまでは気にならなかったはずの神宮寺の接触が、今は酷く気持ち悪く、不快なものに感じられたのだ。

蓮の爽やかで温かい手の感触を知ってしまった有希子の体は、本能的に、背後に立つこの男が発する「異質な気配」を拒絶していた。

その有希子の微かな硬直を、神宮寺が見逃すはずがなかった。

「……どうしたんだい、有希子ちゃん。随分と体が強張っているね」

「い、いえ……なんでもありませんわ、おじさま」

神宮寺の分厚い手が、有希子の首筋から鎖骨へと滑り降りる。

そして、彼が有希子の耳元に顔を近づけた、その瞬間。

スゥ……と、神宮寺が深く息を吸い込んだ。

「……おや?」

神宮寺の声が、楽しげに、そして残酷に歪んだ。

「今日は、いつものオーガニックソープの香りじゃないね。なんだか……安っぽい、けれど酷く甘い……『桃』の香りがする」

ドクンッ!!

有希子の心臓が、破裂しそうなほど大きく跳ねた。

全身の血の気が一気に引き、指先が氷のように冷たくなる。

(どうして……!? あのジュースを飲んだのは数日前で、何度もシャワーを浴びたのに……!)

有希子がパニックに陥る中、神宮寺は有希子の耳たぶを舐めるような近さで、底知れぬ狂気を孕んだ声を落とした。

「まるで、青春の匂いだ。君が今まで知らなかった、外の世界の……甘い毒の匂い」

「お、おじさま……あの、それは……っ」

「ふふ、怯えなくていいよ。私はね、少しだけ背伸びをしようとする有希子ちゃんも、とても愛おしいと思っているんだから」

神宮寺は有希子の肩から手を離し、泰造と恵美子の方を振り返った。

「浅田くん。有希子ちゃんももう高校生だ。たまには休日に、図書室で借りた本を持って、外の空気を吸いに行くくらいの『自由』を与えてやってはどうかな」

「会長がそう仰るのであれば……」

泰造が従順に頷く。

有希子は、信じられない思いで神宮寺を見た。

(おじさまが、外に出ることを許してくれた……? 私の心を、読んでくれたの?)

安堵と希望が、有希子の胸に広がる。

おじさまは、私の味方なんだ。先輩に会いに行くチャンスを作ってくれたんだ。

しかし、読者だけには見えている。

有希子に背を向けた神宮寺の顔に浮かぶ、獲物が自ら罠に足を踏み入れたのを見るような、悍ましい捕食者の笑みを。

「存分に楽しんでおいで、有希子ちゃん。……その希望が、一番高く膨れ上がる瞬間を、私は楽しみにしているよ」

有希子の初めての恋心は、狂った富豪が用意した「最悪の舞台」への招待状でしかなかった。

鳥籠の扉は、今、極上の絶望を与えるために、意図的に開け放たれたのである。

読んでいただきありがとうございます。

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