美しき箱庭の異常性――完璧な家族の肖像と、特別な下着
美しき箱庭の異常性――完璧な家族の肖像と、特別な下着
私立の名門、聖カトレア初等部。
6年生の教室で行われている授業参観で、浅田有希子(12歳)は誰よりも目を引く存在だった。
背筋をピンと伸ばし、教師の問いかけに淀みなく、鈴を転がすような声で答える。
艶やかな漆黒の髪は、同年代の少女たちが好むような派手なヘアゴムではなく、落ち着いた紺色のシルクのリボンで一つにまとめられている。制服から覗く手足は透き通るように白く、初夏であるにもかかわらず、日焼けの跡はおろか、虫刺されや擦り傷一つ見当たらない。
「有希子ちゃん、本当に素晴らしいお嬢様ね……」
「ええ。浅田さんの奥様、いつもお綺麗だし、ご主人も優しそうで。本当に完璧なご家族だわ」
教室の後ろに並ぶ保護者たちの間から、感嘆と微かな嫉妬の入り交じった囁き声が漏れる。
その視線の先で、泰造と恵美子は「愛情深い理想の両親」という完璧な仮面を被り、誇らしげに微笑んでいた。
(ええ、そうでしょう。我が家の『商品』は、そこらの安っぽいガキ共とは手のかけ方が違うのだから)
泰造は内心で周囲の親たちを嘲笑いながら、胸ポケットに忍ばせた超小型カメラのレンズを、娘の有希子へと向けていた。
この授業参観の映像もまた、VIPスポンサーである神宮寺への「今月の生育報告」として納品しなければならないからだ。
やがてチャイムが鳴り、休憩時間になった。
緊張が解け、わっと騒がしくなる教室の中で、有希子はふと隣の席の女子児童――理奈に話しかけられた。
「ねえ浅田さん、昨日の夜のドラマ見た? あのアイドル、すっごくカッコよかったよね!」
「え……? ドラマ……アイドル……?」
有希子はパチクリと瞬きをした。
彼女の世界には、民放のテレビ番組という概念が存在しない。浅田家の巨大なテレビモニターに映し出されるのは、神宮寺が厳選した高尚なクラシックコンサートの映像か、海外の美しい自然ドキュメンタリーだけだ。
「知らないの? 今、クラスの女子みんな推してるのに。じゃあ、浅田さんはスマホで何見てるの? LINE交換しようよ」
「す、スマホ……? 私、そういうのは持っていなくて。お母様が、子供には必要ないって……」
有希子が戸惑いながら答えると、理奈は「えっ」と大袈裟に顔をしかめた。
「小6でスマホ持ってないの!? ていうか、浅田さんって休みの日は何してるの? 友達と原宿に行ったり、ファミレスでお喋りしたりしないの?」
「休日は……お父様とお母様と、美術館に行ったり、おうちでピアノの練習をしたり……。あとは、おじさまが遊びに来てくださるから……」
理奈の目が、奇妙な生き物を見るような色に変わった。
「ふーん……浅田さんって、なんかちょっと、変わってるね。ていうか、過保護すぎじゃない? 親の操り人形みたい」
悪気のない、しかし子供特有の残酷な一言。
有希子の胸が、チクリと痛んだ。「操り人形」。その言葉が、純白の心に一滴の黒いインクのように落ちて、じんわりと滲む。
自分は、おかしいのだろうか。
みんなが知っていることを知らず、みんなが持っているものを持っていない。
初めて感じた「外の世界」との強烈なズレに、有希子が俯きかけたその時だった。
「有希子」
背後から、ふわりと高級な香水の匂いが漂い、肩を優しく抱き寄せられた。母親の恵美子だ。
恵美子は理奈に向かって、作り物の、しかし有無を言わせぬ圧を放つ完璧な笑みを向けた。
「理奈ちゃん、うちの有希子と仲良くしてくれてありがとう。でもね、有希子は少し体が弱くて、俗悪……いえ、騒がしい場所や、目の悪くなる機械は避けるようにしているの。ごめんなさいね」
「あ……はい、すいません……」
理奈は気圧されたように後ずさりし、他のグループへと逃げていった。
有希子は安堵と同時に、胸の奥に残るモヤモヤとした疑問を口にした。
「お母様……私、普通じゃないの? みんなはアイドルや、スマホのお話ばかりで……私だけ、何もわからなくて……」
見上げると、恵美子の目がスッと細められていた。
恵美子は周囲に聞こえない声で、甘く、毒のように囁いた。
「有希子。あの子たちの言う『普通』とはね、『安っぽく、汚れている』という意味なのよ」
「え……?」
「あの子たちは、安いお菓子を食べて、低俗なテレビを見て、自分たちの価値をどんどん下げているの。でも、あなたは違う。あなたは選ばれた、特別なお姫様なの。お父様とお母様が、あなたを泥水のような世界から守ってあげているのよ。……あなたは、あんな風に汚れた女の子になりたいの?」
恵美子の言葉は、有希子の不安を根こそぎ刈り取っていった。
自分は仲間外れなのではない。特別だから、隔離されているのだ。両親の深い愛情が、自分を「安っぽい汚れ」から守ってくれているのだ。
有希子の瞳から迷いが消え、元の純粋な、しかし洗脳され切った人形の光が戻る。
「ううん。私、汚れたくない。お父様とお母様の言うことを聞いて、ずっと綺麗なままでいるわ」
「ええ、いい子よ。有希子。あなたは私たちの宝物なのだから」
恵美子は有希子の艶やかな髪を撫でながら、心の中で安堵の息を吐いた。
(危ないところだった。自我が芽生え始めている。スポンサーの求める『無知と純潔』を保つために、もっと洗脳を強化しなければ)
* * *
その日の夜。
神宮寺善三は、自宅の豪奢な書斎で、分厚い葉巻をくゆらせながら一枚のモニターを見つめていた。
映し出されているのは、泰造から送られてきた今日の授業参観の隠し撮り映像だ。
『お母様……私、普通じゃないの?』
『私、汚れたくない。お父様とお母様の言うことを聞いて、ずっと綺麗なままでいるわ』
音声データから流れる有希子の声を聞き、神宮寺の喉の奥から、低く濁った笑い声が漏れた。
「くく……素晴らしい。自我が芽生えかけ、外の世界とのズレに怯え……そして自ら進んで『箱庭』の底へと沈み込んでいく。この盲目的な依存こそが、私が12年間、数億の金を注ぎ込んで作らせた最高級のスパイスだ」
神宮寺は映像を巻き戻し、今度は有希子の全身を舐め回すように観察した。
12歳。初潮を迎え、少女の体は子どもから大人へと劇的な変化を遂げる時期だ。
制服のブラウス越しに、わずかに、本当にわずかに膨らみ始めた胸元。それを確認した神宮寺の瞳孔が、爬虫類のように縦に細く収縮した。
「……浅田くんに連絡したまえ」
神宮寺が背後の秘書に声をかける。
「『果実が汁を帯び始めた』とな。……明日から、私が特別にオーダーメイドで作らせた『コルセット機能付きの下着』を着用させろ。有希子の体の線が、外の虫けら共の目に触れることなど断じて許さん。あの美しい曲線の成長は、出資者である私だけが独占し、管理するべきものだ」
「承知いたしました、会長」
神宮寺はワイングラスを傾けながら、モニターの中の有希子に向かって甘く囁いた。
「大きくなったね、有希子ちゃん。あと6年だ。……あと6年で、その純白の皮を、私が一枚ずつ剥がしてあげるからね」
* * *
数日後。
浅田家の子供部屋で、有希子は恵美子の手によって、見慣れない下着を身に着けさせられていた。
それは最高級のシルクで出来ていたが、肋骨から胸元にかけてをギュッと締め付ける、まるで中世のコルセットのような構造になっていた。
「お母様……これ、少し苦しいわ。息が詰まりそう」
「我慢しなさい、有希子。これはね、レディとしての美しい姿勢を保つための、特別な魔法の下着なのよ」
恵美子は有希子の背中のホックを、容赦なく一番きつい位置で留めた。
有希子の小さな胸の膨らみが完全に押し潰され、平坦なシルエットになる。息苦しさに顔をしかめる有希子の背後から、恵美子が耳元で優しく、恐ろしい嘘を吐く。
「これは、神宮寺のおじさまが海外から取り寄せてくださったの。有希子が世界一美しいレディになれるようにって」
「おじちゃまが……?」
「ええ。だから、お風呂の時以外は絶対に外しては駄目よ。おじさまの愛情を、無下にするような悪い子じゃないわよね?」
「おじさまの愛情」。
その言葉を出されては、有希子に拒否権などなかった。
「……うん。わかったわ、お母様。私、我慢する。おじちゃまとお母様たちのために、綺麗なレディになるわ」
有希子は苦しさを隠し、鏡に向かって作り物の無邪気な笑顔を浮かべた。
見えない鎖が、また一つ、有希子の体を強く締め上げた瞬間だった。
両親の狂気と、富豪の異常な欲望。
愛という名でコーティングされた三重の檻の中で、浅田有希子の体と心は、外の世界から完全に遮断されたまま、絶望の18歳へと向かって歪な成長を続けていくのである。
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