黒き軍勢
―長生郷外れ―
狼煙はなおも空へ昇っていた。
男衆は防蟲服を身に纏う。
逆さ釜の兜。
胸には釜守の家紋。
腰には棒灸。
手には鍼。
大飯爺が先頭へ出た。
「お前ら」
全員が振り向く。
「わしの後ろに続け」
男衆が頷く。
誰一人逃げない。
長生郷を守るためだった。
―山道の向こう。―
一人の男が立っていた。
見慣れない西洋風の甲冑。
黒鉄の鎧はひび割れ。
腐食したように裂けている。
顔は仮面に覆われていた。
長い銀髪だけが風に揺れている。
そして。
胸甲の中央。
本来なら心臓がある場所。
そこだけが大きく抉られていた。
空洞。
ぽっかりと開いた穴。
その奥で。
黒流が脈打っている。
どくん。
どくん。
まるで生きているように。
呼吸するように。
わらびは息を呑んだ。
「なんだ……あいつ……」
男は静かに長生郷を見渡した。
「こちらは長生郷で間違いないか」
誰も答えない。
男は続けた。
「確認完了」
一歩前へ出る。
「我は四大疾病の一人」
「シュヴァリエ・インフ・ドゴール」
男衆がざわめく。
「四大疾病……?」
「なんじゃそりゃ……」
ドゴールは気にも留めない。
「主の命により」
「この村を殲滅する」
静かな声だった。
だからこそ恐ろしかった。
大飯爺が鼻を鳴らす。
「ご丁寧な挨拶じゃの」
大型棒灸を肩へ担ぐ。
「じゃが帰れ」
炎が揺れる。
「長生郷はお前さんらにくれてやるほど安くない」
男衆が棒灸を構えた。
ドゴールは答えない。
胸の空洞が脈打つ。
どくん。
黒流が地面へ落ちる。
盛り上がる。
人型になる。
一体。
二体。
三体。
さらに。
さらに。
あっという間に黒い軍隊に膨れ上がった。
胸には同じ空洞。
顔は無い。
その後ろから。
巨大な黒い牛が現れる。
腐敗した筋肉。
赤い眼。
胸の穴から黒流が滴っていた。
「進め」
ドゴールが命じる。
ザッ、ザッ、ザッ…
黒き軍勢が動き出した。
ガンジが目を細めた。
視線はドゴールの胸の空洞へ向いている。
「見えるのか?」
わらびが尋ねる。
ガンジは頷く。
「ああ」
「流注が見える」
空洞の奥。
黒流の中心。
そこには深い青色の流れがあった。
「水か……」
ガンジが呟く。
花蓮が振り向く。
「水?」
「脾土で抑えられる」
ガンジの視線が大飯爺へ向く。
「大飯爺と相性がいい」
わらびが笑う。
「じゃあ勝てるじゃん」
ガンジは答えない。
「そう単純ならいいけどな」
ドゴールの流注は妙に静かだった。
わらびは毫鍼を構えた。
迫る黒流兵。
胸の穴から黒流を垂らしながら走ってくる。
「邪魔だ!」
毫鍼が閃く。
首筋。
肩。
要穴。
流れが乱れる。
黒流兵が体勢を崩した。
その隙に棒灸を叩き込む。
黒流が煙となって弾けた。
「左だ!」
ガンジが叫ぶ。
牛型兵が突っ込んでくる。
地面が揺れた。
ガンジは三稜鍼を握る。
一歩。
二歩。
三歩。
踏み込む。
鋭い一撃。
「貫け!」
三稜鍼が胸の穴へ突き刺さる。
牛型兵が吠えた。
さらに二撃。
三撃。
巨体がよろめく。
「よし、今だ!」
男衆の棒灸が一斉に振り下ろされた。
火花。
煙。
黒流が弾ける。
一方。
避難所では花蓮が走り回っていた。
負傷者が次々運ばれてくる。
裂傷。
打撲。
黒流による汚染。
花蓮は黙って膏薬を貼った。
白い紙。
中央のアマビエ紋が淡く光る。
呼吸が落ち着く。
だが。
列は終わらない。
花蓮は袋を開いた。
残り二枚。
思わず唇を噛む。
「足りない……」
まだ重症者が何人も残っていた。
―前線。―
大飯爺が笑った。
巨大な棒灸を肩へ担ぐ。
先端の火が激しく燃えている。
「どけどけ!」
牛型兵が突進する。
地面が揺れた。
「わしの灸は――」
ぶおん。
炎が唸る。
「ちょいと熱いぞぃ!」
横薙ぎ。
轟音。
牛型兵が吹き飛んだ。
後方の黒流兵を巻き込みながら転がる。
男衆が歓声を上げた。
「大飯爺!」
「まだまだいけるぞ~!」
ひときわ大きな黒流兵が前へ出た。
胸の穴は他の兵より深い。
大飯爺の棒灸と黒槍がぶつかる。
「バチッ!」「ガチン!」
敵と打ち合うたびに黄土色の火花が散る。
黄土色の流注が戦場を押し返していく。
黒流は近付けない。
誰もが勝機を見た。
だが。
ドゴールだけは動かなかった。
仮面の奥から静かに戦場を見つめる。
どくん。
胸の空洞が脈打つ。
どくん。
空洞の奥。
流れる色が変わる。
深い青。
紫。
黒紫。
誰も見ていない。
ただ一匹。
すましあえだけが見ていた。
「最悪わい……」
大飯爺がさらに踏み込む。
「まだまだじゃ!」
その瞬間。
ドゴールが槍を構えた。
黒流で形作られた一本の槍。
静かに。
投げる。
ヒュン――――ッ!!
空気が裂けた。
大飯爺が振り向く。
避ける。
だが。
ドスッ!!
黒槍が二の腕を貫いた。
「ぐっ!」
男衆が凍り付く。
「大飯爺!」
槍は霧のように崩れた。
だが。
傷口が黒い。
血ではない。
どす黒い筋が傷口から浮かび上がる。
じわり。
じわり。
墨を流し込んだように。
二の腕が黒く染まっていく。
肩へ。
さらに上へ。
大飯爺は流注を送り込む。
止まらない。
「なんじゃと……」
初めて大飯爺の顔色が変わった。
わらびも言葉を失う。
「嘘だろ……」
ドゴールが一歩前へ出た。
黒い軍勢も前進する。
勝敗が傾き始める。
その時。
ヒュン―――
一条の鍼が空を裂いた。
ドゴールの足元へ突き刺さる。
戦場が静まり返る。
山道。
アマビエ旗。
整然と並ぶ隊列。
先頭には巨大な笠を被った男。
「派手にやられとるな」
大飯爺は苦笑した。
「遅いわい」
男は鼻で笑う。
「生きとるなら十分じゃ」
清浄局局長。
黒笠だった。




