変異
戦場が静まり返る。
風だけが吹いていた。
ドゴールの足元。
一本の鍼が刺さっている。
黒流兵達も動きを止めた。
大飯爺は黒く染まり始めた腕を押さえながら笑う。
「遅いわい」
山道の先。
アマビエ旗が揺れる。
その先頭。
巨大な笠を被った男。
黒笠だった。
「生きとるなら十分じゃ」
黒笠は戦場を見渡す。
そして。
大飯爺の腕を見る。
わずかに眉が動いた。
「変異しよったか」
わらびが振り向く。
「変異…?」
ガンジもドゴールを見る。
黒笠は答えない。
視線はドゴールから外れなかった。
その時だった。
どくん。
胸の空洞が脈打つ。
どくん。
黒紫の流注が溢れ出す。
甲冑の隙間から黒煙が漏れた。
仮面の奥から笑い声が響く。
「ふふっ……」
女の声だった。
男衆がざわめく。
「声が……」
「変わった……?」
花蓮も目を見開く。
ガンジは即座に気付いた。
「違う」
「流注そのものが変わってる」
ドゴールはゆっくりと黒笠を見る。
先ほどまでの無機質な兵士のような雰囲気は消えていた。
まるで別人だった。
つい先ほどまで男の声だったとは思えない。
「あなたとは相性が悪いわね」
黒笠は煙管を咥えたまま答える。
「変異はもうわかっとる」
ドゴールは肩をすくめた。
「あら、よくご存じね」
胸の空洞が脈打つ。
「さすがは清浄局」
「面倒な相手だこと」
黒笠は鼻で笑う。
「病が診察を嫌がっとるだけじゃ」
ドゴールの笑い声が響く。
「そういうところが嫌いなのよ」
わらびは混乱していた。
「なんなんだよ……」
「さっきと別人じゃないか」
黒笠が小さく答える。
「別人みたいなもんじゃ」
全員が振り向く。
「西洋病蟲は変異する」
「姿も」
「性質も」
「流れもな」
ガンジの表情が変わる。
脳裏に浮かぶ。
深い青。
紫。
黒紫。
あの変化。
「だから大飯爺が……」
黒笠は頷く。
「そういうことじゃ」
その瞬間。
「第三隊!」
黒笠が叫ぶ。
「負傷者を下げろ!」
「第二隊!」
「浄化開始じゃ!」
清浄局が一斉に動き出した。
アマビエ旗が翻る。
隊員達が鍼を抜く。
「浄化鍼!」
白い流注が走る。
黒流兵へ突き刺さる。
黒流兵が崩れた。
煙となる。
男衆が目を見開く。
「なんじゃありゃ……」
「速い……」
花蓮も驚いていた。
自分の知る清浄局より遥かに練度が高い。
これが本隊。
黒笠直属隊だった。
その間。
黒笠は動かない。
ドゴールも動かない。
風だけが吹く。
先に笑ったのはドゴールだった。
「どうするの?」
「診察するんでしょう?」
黒笠が煙管を外した。
「そうじゃな」
一本の鍼を抜く。
長いキセルのような鍼。
煙を出している鍼だった。
わらびが呟く。
「灸……?」
大飯爺が首を振る。
「ちがう」
「灸頭鍼じゃ」
黒笠が踏み込んだ。
消えた。
ドゴールの瞳が揺れる。
次の瞬間。
キィン!!
黒槍と鍼が激突した。
衝撃波ともぐさの煙が舞う
周囲の黒流兵が吹き飛ぶ。
男衆が後退する。
「速すぎる……」
ガンジが呟いた。
黒笠は止まらない。
二撃。
三撃。
四撃。
鍼が空間を縫う。
灸がドゴールの動きを止める。
ドゴールの甲冑へ傷が増えていく。
初めてだった。
ドゴールが押される。
「面倒ね」
女の声が低くなる。
胸の空洞が脈打つ。
どくん。
どくん。
黒紫の流注が膨れ上がる。
その時。
黒い霧が揺れた。
ドゴールの後方。
ガスマスク姿の男が現れる。
黒衣。
胸に大きな穴。
「ドゴール様」
全員が振り向く。
「誰だ……」
ガスマスクの男は一礼した。
「予定外です」
「清浄局局長の介入を確認」
「観察目標は達成しています」
ドゴールが肩をすくめる。
「そうね」
黒笠を見つめる。
「今日は相性が悪いわ」
黒笠は鍼を構えたまま。
「逃がすと思うか?」
ドゴールが笑った。
「逃げるんじゃないわ」
胸の空洞が脈打つ。
どくん。
「帰るだけよ」
黒流が渦を巻く。
軍勢が崩れる。
牛型兵も煙になる。
黒流兵達も消えていく。
マイコが言った。
「次の観察地点へ移動します」
わらびが叫ぶ。
「待て!」
ドゴールは振り返らない。
ただ一言。
「次は違う私で会いましょう」
黒紫の流注が闇へ溶ける。
そして。
姿が消えた。
静寂。
誰も動けなかった。
黒笠だけが残った黒流を見つめる。
「面倒な病が来よったな」




