西洋病蟲
―帰路―
誰もすぐには動けなかった。
黒い流注はまだ地面を這っている。
枯れた草。
死んだ獣。
そしてあの異形。
森にはもう姿は無い。
だが。
そこにいた気配だけが残っていた。
わらびがようやく口を開く。
「……何だったんだ」
誰も答えない。
花蓮も。
ガンジも。
大飯爺も。
ただ肩の上のニガリだけが低く唸る。
「最悪ばろ」
よしろは珍しく静かだった。
「イヤケ」
おねむも目を伏せる。
「ねむくないやん」
わらびは初めて見る主蟲たちの反応に戸惑った。
あの男は。
主蟲たちさえ警戒する存在だった。
大飯爺が森の奥を見つめる。
「帰るぞ」
短く言った。
その声は重かった。
―囲炉裏―
長生郷へ戻った頃には夕暮れになっていた。
囲炉裏を囲む。
いつもなら誰かが笑う。
誰かが飯の話をする。
だが今日は違った。
静かだった。
火の爆ぜる音だけが響く。
わらびは耐えきれず尋ねた。
「大飯爺、知ってるのか」
大飯爺は黙っていた。
しばらく火を見つめる。
やがて。
「知っとる」
静かに言った。
全員が顔を上げる。
「昔見た」
そこで言葉を止める。
「いや」
「戦った」
わらびの目が開く。
「戦った?」
大飯爺は頷く。
「儂が若い頃じゃ」
「多くを失った」
「異国より現れた病蟲」
「西洋病蟲じゃ」
「流注を腐らせる」
―リヴィータ―
花蓮が口を開く。
「流注を腐らせる……」
「どういう事ですか」
大飯爺はゆっくり答える。
「奴らは命を喰う」
ガンジが眉をひそめた。
「命?」
「流注じゃなくてか」
「同じようなもんじゃ」
大飯爺はさらに続ける。
「わしらが流注と呼ぶものも」
「奴らにとってはリヴィータじゃ」
聞き慣れない言葉だった。
わらびが首を傾げる。
「リヴィータ?」
「異国の言葉じゃ」
それ以上は語らなかった。
だが。
その一言だけで十分だった。
西洋病蟲は。
東洋の腹蟲とはまるで違う。
そう理解できた。
―夜―
その夜。
長生郷の外れ。
畑を見回っていた若者が足を止めた。
「なんだ……?」
野菜が黒い。
昨日まで青々としていた葉が萎れている。
根元まで黒く変色していた。
土の上を。
黒い流注が細く這っている。
若者の背筋が冷える。
風が吹いた。
遠くで犬が吠える。
ワンッ
ワンッ
ワ――
鳴き声が途切れた。
静寂。
若者は思わず振り向く。
闇の向こう。
林の中。
何かが立っていた。
月明かりが差し込む。
一頭の鹿。
昨日。
森で死んでいたはずの鹿だった。
胸には黒い穴。
ぽっかりと空いた空洞。
その奥で。
黒い流注が脈打っている。
鹿がゆっくり顔を上げた。
赤い目が光る。
若者の喉が凍りつく。
「ひっ……」
次の瞬間。
鹿が一歩踏み出した
その後ろには
黒い流注が尾のように引きずられていた。
若者はようやく理解した。
あれは死骸ではない。
病だ。




