黒い流注の主
―森の奥―
翌朝。
わらび達は再び山へ入っていた。
昨日見つけた鹿。
そして黒い流注。
あれが何だったのか確かめるためだ。
森は静かだった。
静かすぎた。
鳥の声もない。
虫の羽音もない。
風だけが枯れた枝を揺らしている。
花蓮が地面へしゃがみ込む。
「……流れが薄いです」
指先が草へ触れる。
草は生きている。
だが弱い。
まるで何かに吸われ続けているようだった。
大飯爺も眉をひそめる。
「ここまで酷くなっとるか」
昨日より確実に広がっていた。
黒い流注。
目に見える者は少ない。
だがガンジには見える。
地面を這う黒い筋。
森の奥へ続いている。
「こっちだ」
ガンジが歩き出す。
肩の上でニガリが鼻をひくつかせた。
「臭うばろ」
「何がだ」
「知らんばろ」
「でも嫌な匂いばろ」
―枯れた場所―
しばらく進む。
そして。
森が途切れた。
小さな空間。
そこだけ草木が枯れていた。
円形に。
まるで生命だけを切り取られたように。
花蓮が息を呑む。
「……」
木の葉は黒ずみ。
草は萎れ。
地面には小動物の死骸。
傷は無い。
血も流れていない。
ただ死んでいた。
流れだけを失ったように。
よしろが珍しく黙っている。
おねむも静かだった。
ニガリだけが唸る。
「帰るばろ」
「お前がそんな事言うのかよ」
「嫌なものは嫌ばろ」
その時だった。
カツン。
乾いた音。
誰かの足音。
全員が振り向く。
―マイコ―
森の奥。
木漏れ日の向こう。
黒い人影が立っていた。
長い外套。
異国の服。
顔は見えない。
ガスマスクが覆っている。
胸元。
そこだけぽっかりと空いていた。
心臓があるはずの場所。
大きな穴。
向こうの景色が見えている。
その空洞の中で。
黒い流注がゆっくり渦を巻いていた。
誰も動けなかった。
異質だった。
人ではない。
だが蟲でもない。
存在そのものがおかしい。
男はゆっくり首を傾げた。
「見つかってしまったセボン」
軽い声。
場違いなほど軽い。
わらびが前へ出る。
「お前……何者だ」
「困ったセボン」
「自己紹介は苦手セボン」
まるで笑っているようだった。
花蓮が鍼を構える。
「その流れは何です」
「これセボン?」
男は胸の穴へ視線を落とす。
黒い流注が揺れた。
「ただの副産物セボン」
「実験は難しいセボン」
意味が分からない。
だが。
その言葉の一つ一つが不快だった。
男の視線が動く。
わらびを見る。
そして。
肩のよしろを見る。
「ほう」
次に。
花蓮の傍らのおねむ。
「へぇ」
さらに。
ガンジの肩のニガリ。
「面白いセボン」
ニガリが毛を逆立てた。
「嫌いばろ」
男は笑う。
「この国のパラジットは」
少し考えるように言う。
「オットゥを殺さないんですね」
沈黙。
意味が分からない。
だが。
その言葉だけで。
よしろ達を見えている事は分かった。
「やさしさセボン」
男は満足そうに頷いた。
「興味深いセボン」
風が吹く。
黒い流注が舞い上がる。
森の空気が冷える。
よしろが初めて口を開いた。
「イヤケ」
おねむも震える。
「ねむくないやん……」
男は楽しそうだった。
「また来るセボン」
その瞬間。
黒い流注が霧のように広がる。
視界が黒く染まる。
わらび達が目を閉じる。
次に見た時。
もう誰もいなかった。
残っているのは。
枯れた森。
死んだ獣。
そして黒い流注だけ。
長い沈黙。
やがて。
大飯爺が低く呟いた。
「……西洋病蟲」
その言葉を聞いて。
千振の表情が初めて曇った。




