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交わる光

翌朝。


 わらび達は再び大飯爺の畑へ駆り出されていた。


「帰りてぇ……」


 畝の上に寝転がりながらわらびが言う。


「まだ二日目じゃ」


 ガンジが呆れる。


「十分だろ」


「何がだ」


「修行」


「始まっとらん」


 花蓮が即座に切り捨てた。


 よしろも大欠伸をする。


「ねむいケ」


「お前は昨日から何もしてねぇ」


 わらびが言い返した時だった。


 遠くから叫び声が聞こえた。


「大飯爺!」


 村の少年が山道を駆け下りてくる。


「大飯爺!」


「大変だ!」


 大飯爺が鍬を置いた。


「どうした」


「東の薬草畑が!」


「また荒らされてる!」


 大飯爺の眉がわずかに動く。


「またか」


 少年は何度も頷く。


「今度はひどい!」


「薬草が全部踏み潰されてる!」


 大飯爺はため息を吐いた。


「行くぞ」


 わらびは飛び起きる。


「やっと畑以外の仕事だ!」


「畑の話じゃ」


「どっちなんだよ!」


 四人は少年の後を追った。


 現場は山裾にあった。


 薬草畑は荒れ果てていた。


 踏み潰された葉。


 掘り返された土。


 折れた支柱。


 農家の夫婦が青ざめた顔で立っている。


「ひどい……」


 花蓮が呟いた。


 その時だった。


 畑の奥で何かが動いた。


 大きな猪。


 人の背丈ほどもある巨体。


 牙を剥き。


 荒い息を吐いている。


「まだいたのか!」


 農夫が叫ぶ。


 猪がこちらを見る。


 そして地面を蹴った。


「来るぞ!」


 わらびが身構える。


 だが。


「待て」


 ガンジだった。


 目の蟲が静かに動く。


 銀白の流注が見える。


 乱れている。


 荒れている。


 暴れている。


 だが。


 何かがおかしい。


「……違う」


「何がだ」


 わらびが聞く。


 ガンジは猪から目を離さない。


「怒ってねぇ」


「は?」


「怖がってる」


 猪が吠える。


 だが流れているのは怒りではなかった。


 恐怖。


 混乱。


 逃げ場を失った焦り。


 そんな感情だった。


 大飯爺が静かに頷く。


「見えたか」


「……ああ」


「ならどうする」


「知らん」


 即答だった。


「見えただけだ」


「治し方は知らん」


 大飯爺が笑う。


「正直でよろしい」


 そして猪へ向き直る。


「よく見ておれ」


 老人は一歩前へ出た。


 猪が威嚇する。


 だが大飯爺は動じない。


 静かに手を差し出した。


 ガンジの目に流注が映る。


 大飯爺の銀白の流注。


 猪の銀白の流注。


 それがゆっくりと色を変えた。


 青。


 澄んだ青。


 二つの流れが互いに伸びていく。


 そして触れた。


 交わる。


 その瞬間。


 橙色の光が弾けた。


 まるで夕陽の火花。


 一瞬だけ。


 しかし確かに。


「……!」


 ガンジが目を見開く。


 花蓮も息を呑む。


 流注そのものは見えない。


 だが橙の光だけは見えた。


 猪の呼吸が少し落ち着く。


 大飯爺はゆっくり手を引いた。


 青い流れがほどける。


 橙の光も消えた。


「見えたか」


 ガンジは黙って頷く。


「あれが外二交脈じゃ」


「外二交脈……」


 花蓮が小さく呟く。


「人と人」


「人と虫」


「人と獣」


「外なる流れと交わる術じゃ」


 猪はまだ警戒している。


 だが先ほどまでの荒々しさはない。


 大飯爺はガンジを見る。


「次はお主じゃ」


「俺がやるのか」


「見えたなら出来る」


「無茶言うな」


 大飯爺は鼻を鳴らした。


「何を今さら」


「お主は頭でやる男ではなかろう」


 ガンジの眉がぴくりと動く。


「馬鹿にしとるのか」


「褒めとる」


 大飯爺は笑った。


「考えるな」


「感じろ」


「流れは理屈ではない」


「お主は感覚でやれるじゃろ」


 ガンジは舌打ちした。


「適当なこと言いやがって」


「よいからやれ」


「失敗しても死にはせん」


「多分な」


「多分かよ!」


 わらびが吹き出した。


 花蓮も思わず口元を押さえる。


 ガンジは深く息を吐いた。


 そして猪を見る。


 恐怖。


 混乱。


 怯え。


 先ほど見た流れを思い出す。


 ゆっくりと意識を向ける。


 すると。


 自らの銀白の流注が伸びた。


 猪へ向かう。


 触れる。


 交わる。


 流注が青へ変わる。


 その瞬間。


 橙の光が灯った。


 外二交脈。


「……!」


 ガンジの目が見開かれる。


 大飯爺が満足そうに頷いた。


「そうじゃ」


「そこじゃ」


「ガンジ」


「おのれに交わった流注を引き寄せてみよ」


「引き寄せる?」


「そうじゃ」


「今なら出来る」


「意味が分からん」


「分からんでもよい」


 大飯爺は笑う。


「流れに従え」


 ガンジは目を閉じた。


 橙の交点。


 そこへ意識を向ける。


 すると。


 一本の流れがこちらへ伸びてくる。


 猪から。


 自分へ。


 ゆっくり。


 ゆっくり。


 流れ込む。


 その瞬間だった。


 腹の奥が熱を持つ。


 銀白だった流注が赤く染まる。


 そして体内で二本の流注が交差した。


 腹の奥。


 丹田の辺りに金色の光が灯る。


 小さな光。


 だが強い輝きだった。


 そこから赤い流注が全身へ駆け抜ける。


 胸へ。


 肩へ。


 首へ。


 そして頭の先まで。


「っ!」


 景色が変わる。


 燃える森。


 崩れた巣穴。


 逃げ惑う獣達。


 煙。


 熱。


 孤独。


 恐怖。


 帰る場所を失った絶望。


「うあっ!」


 ガンジが目を開く。


 流れは消えていた。


 息が荒い。


 額から汗が落ちる。


「なんだ……今の」


 大飯爺は静かに頷く。


「見えたじゃろ」


「山火事……」


 ガンジは猪を見る。


「帰る場所を失ったのか」


 猪はもう暴れていなかった。


 ただ怯えた目でこちらを見ている。


 大飯爺が言う。


「今のが内二交脈じゃ」


「内……」


「交わった流れを己の中で巡らせる術」


 ガンジは腹を押さえる。


 まだ熱が残っていた。


 あの金色の光。


 あの感覚。


 今も微かに腹の奥で揺れている。


「なんだったんだ今のは」


 大飯爺は笑った。


「驚くことでもない」


「主らには最初から二つの流れがおる」


 わらびが首を傾げる。


「二つ?」


「己の流注じゃ」


 大飯爺は頷く。


「そしてもう一つ」


「共に生きる流れじゃ」


 風が吹く。


 よしろが欠伸をした。


 花蓮は黙ったまま聞いている。


 ガンジも言葉を発しない。


「これから主たちは」


「己の中の蟲とさらに交わることになる」


 大飯爺は静かに言った。


「嬉しさも」


「怒りも」


「悲しみも」


「恐れも」


「主だけのものではない」


「蟲もまた感じておる」


 わらびは肩の上のよしろを見る。


 よしろもこちらを見ていた。


「なんだケ」


「いや別に」


 大飯爺が笑う。


「小僧は少し始まっとるかもしれんな」


「何がだ」


「そのうち分かる」


「またそれか」


 ガンジが鼻で笑った。


 花蓮は何も言わなかった。


 だが胸の奥に何かが引っ掛かっていた。


 共に生きる流れ。


 蟲の声。


 交わるということ。


 そして。


 感情に蓋がついとるな。


 大飯爺の言葉。


 頭から離れない。


「内二交脈とは」


 大飯爺は山を見つめながら言った。


「蟲の声を聞くための術じゃ」


 その声は静かだった。


 しかし確かな重みがあった。


 猪は森の奥へ消えていく。


 誰も追わない。


 風だけが草を揺らしていた。


 大飯爺は荒らされた畑を見回した。


「妙じゃな」


「何がだ」


 わらびが尋ねる。


 老人は遠くの山を見る。


「最近こういうことが多い」


「獣が里へ降りてくる」


「流れも乱れておる」


 その目は少し険しかった。


「何かが山で起きておるのかもしれんな」


 夕日が山の稜線へ沈む。


 長く伸びた影が畑を覆う。


 その先で。


 まだ誰も知らぬ流れが静かに動き始めていた。


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