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大飯爺

翌朝。


 わらび達は照海に教えられた場所へ向かっていた。


 長生郷の外れ。


 山裾の小さな畑。


 薬草畑と野菜畑が広がっている。


「本当にここか?」


 わらびは辺りを見回した。


「畑しかねぇぞ」


「ここだ」


 ガンジは迷いなく歩く。


「本当にいるのか?」


「いる」


「多分な」


「どっちだよ」


 その時だった。


 畑の真ん中。


 麦わら帽子を顔に被った老人が寝転がっていた。


「寝てるぞ」


「寝てるな」


「寝ていますね」


 三人が覗き込む。


 すると。


「聞こえておるぞ」


 老人が言った。


 帽子も動かない。


「起きてたのか!」


 わらびが飛び退く。


「起きて寝ておる」


「人はそういう生き物じゃ」


「意味が分からん」


 老人はゆっくり起き上がる。


 ガンジを見る。


「おお」


「馬鹿が大きくなったな」


「誰が馬鹿だ」


「お前じゃ」


 当然のように答える。


 ガンジは額を押さえた。


「相変わらずだな」


「お互い様じゃ」


 わらびは二人を見比べる。


「誰なんだこの爺さん」


「大飯爺だ」


「名前か?」


「通称だ」


「本名は誰も呼ばん」


 老人が笑う。


「呼べるぞ」


「忘れただけじゃ」


「忘れてるじゃねぇか」


 老人は楽しそうに笑った。


 その視線がわらびへ向く。


 そして。


 よしろを見る。


 一瞬だけ目が鋭くなった。


「ほう」


「交わっておるな」


 わらびが首を傾げる。


「何がだ」


「気付いておらんのか」


「だから何をだよ」


 老人は面白そうに笑った。


「まあよい」


 そう言うと畑へ歩いていく。


 真っ赤なトマトが二つ。


 並んで実っていた。


 老人は指を差す。


「小僧」


「なんだ」


「どちらのトマトが美味いと思う?」


「は?」


「食えば分かるだろ」


「食う前に当てるのじゃ」


 わらびは左右を見比べる。


「こっち」


「理由は?」


「なんとなく」


「駄目じゃな」


 即答だった。


「花蓮はどうじゃ」


 花蓮はしゃがみ込む。


 葉。


 茎。


 日の当たり方。


 土の状態。


 静かに観察する。


「こちらでしょうか」


「理由は」


「葉の張りが良い」


「日当たりも良いと思います」


 老人は頷いた。


「なるほど」


「ではガンジは」


 ガンジは肩をすくめる。


「知らん」


「お前の目でも分かるんじゃないか?」


 わらびが言う。


「流れを見る蟲を飼ってるんだろ」


 ガンジは少し黙る。


「見えるぞ」


「流れはな」


「だが味までは見えねぇ」


 老人は満足そうに笑った。


「良い答えじゃ」


 わらびは不満そうだ。


「違うのか?」


「流れを見ることと」


「相手を知ることは違う」


 老人はトマトを撫でた。


「お前達はそこを勘違いしとる」


 その時だった。


 よしろがトマトへ近付く。


 しばらく見つめる。


「こっちケ」


 右のトマトを指した。


「なんでだ」


「元気ケ」


 少し考える。


「うれしいケ」


 一同が黙る。


 ガンジが吹き出した。


「何言ってんだこいつ」


 老人だけが笑った。


「面白い」


「では切ってみるか」


 老人はトマトを収穫する。


 包丁を入れる。


 果汁が溢れる。


 わらびがかじる。


「甘い……」


 花蓮も驚いていた。


 老人は頷く。


「元気に」


「うれしいを足した」


「それだけじゃ」


「足した?」


 老人は畑を見渡す。


「怒りに怒りを足せば喧嘩になる」


「悲しみに悲しみを足せば沈む」


「元気にうれしいを足せば活力になる」


「どちらも同じじゃ」


「流れが重なるのだからな」


 三人は黙って聞いていた。


「それが二交脈の入口じゃ」


 その時だった。


 畑の向こうから激しい羽音が響いた。


 鳥が一羽。


 まるで何かに追われるように飛び込んでくる。


 羽を荒らし。


 鳴き叫ぶ。


「危ねぇ!」


 わらびが身構える。


 だが大飯爺は動じない。


 ゆっくり鳥へ近付く。


「そうか」


「そうか」


 鳥は威嚇するように鳴く。


 だが老人は穏やかだった。


「巣を失ったか」


 鳥が震える。


「なるほどのう」


「怒っておるのではない」


「怖いのじゃな」


 その瞬間だった。


 ガンジの目が見開かれる。


「……おい」


 花蓮が振り向く。


「どうしました」


「見える」


「流れが……」


 老人の身体から淡い流注が伸びる。


 細い光の糸。


 ゆっくりと鳥へ向かう。


 そして。


 鳥の中を巡る流注へ触れた。


 二つの流れが交わる。


 まるで川が合流するように。


 ガンジは息を呑んだ。


「……二交脈」


 老人は何もしていない。


 鍼も使わない。


 術もない。


 ただ鳥へ寄り添うように立っているだけだった。


 荒れていた流れが静かになる。


 鳥の震えが止まる。


 呼吸が落ち着く。


 やがて。


 鳥は老人の肩へ飛び乗った。


 わらびは呆然とする。


「何したんだ……」


 老人は鳥の頭を撫でた。


「安心を少し足しただけじゃ」


「安心……」


「怒りに見えても」


「本当は恐れかもしれん」


「悲しみに見えても」


「本当は寂しさかもしれん」


 老人は三人を見る。


「相手を知らねば」


「何も重ねられぬ」


「だからまず知るのじゃ」


「人も」


「腹虫も」


「草木も」


「鳥もな」


 風が吹く。


 畑の葉が揺れる。


 わらびは老人を見る。


 今まで会ったどの鍼師とも違っていた。


 二交脈。


 それは技ではない。


 相手を知り。


 流れを重ねること。


 わらびはようやくその意味を少しだけ理解した気がした。


 大飯爺はニヤリと笑う。


「さて」


「明日から働いてもらうぞ」


「は?」


「畑じゃ」


「やっぱり農家じゃねぇか!」


 大飯爺の笑い声が畑に響いた。




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