二交脈
照海の家を出た後。
照海はそのまま宿まで案内してくれていた。
長生郷の山道は細く入り組んでいる。
初めて訪れた者が夜に歩けば迷ってしまうだろう。
山々は夕日に染まり始めていた。
吹き抜ける風だけが静かに耳を撫でていく。
しばらく誰も口を開かなかった。
三陰交に残された大きな傷跡。
照海が語ろうとしなかった過去。
そして花蓮の沈んだ表情。
胸の奥に重たいものが残っている。
やがて花蓮が静かに口を開いた。
「……二交脈とは何なのでしょうか」
照海は歩みを止めずに答えた。
「気になるかの」
「はい」
花蓮は前を向いたまま頷く。
「照海様があれほど仰るのです」
「知らねばならないものなのでしょう」
照海は小さく笑った。
「その通りじゃ」
「花蓮様も二交脈を知るべきじゃ」
「知らぬままでは先へ進めぬ」
花蓮は黙って頷いた。
その横でガンジが腕を組む。
「俺も知りたかったんだ」
わらびが驚く。
「お前も知らねぇのか」
「知らん」
即答だった。
「だから聞きたい」
わらびは少し意外そうな顔をする。
流注を見る目を持つガンジなら何でも知っていると思っていた。
だがガンジは首を振る。
「見えるだけだ」
「それ以上は知らん」
照海が振り返る。
「お主にも良い薬になる」
「薬?」
ガンジの眉が動く。
「そうじゃ」
照海は意味深に笑った。
「お主は見えておる」
「じゃが見えておるだけじゃ」
ガンジは何も言わなかった。
反論できなかったからだ。
見える。
だが理解しているわけではない。
そのことは自分が一番よく知っている。
わらびは頭を掻いた。
「だから何なんだよ」
「二交脈って」
「それもこれからじゃ」
「またそれか」
わらびは呆れる。
「この里の年寄りはみんなそうなのか」
「何じゃ」
「肝心なことを言わねぇ」
照海が声を上げて笑った。
「若い頃は儂もそう思ったものじゃ」
「通里もな」
花蓮が顔を上げる。
「通里様もですか」
「もちろんじゃ」
「甘草も三里も同じじゃった」
照海はどこか懐かしそうな顔をした。
夕日に照らされた横顔が少しだけ若く見える。
「みな知りたがりじゃった」
「答えを急ぎたがった」
「じゃがな」
照海は杖を軽く地面へ突いた。
「教わった答えはすぐ忘れる」
「自分で見つけた答えは忘れん」
花蓮は静かにその言葉を聞いていた。
照海の視線が一瞬だけ花蓮へ向く。
「それに」
「人の流れは人から教わるものではない」
「自ら知るものじゃ」
花蓮は小さく目を伏せた。
三陰交の傷跡。
語られなかった過去。
胸の奥がわずかに疼く。
だが照海はそれ以上何も言わなかった。
しばらく歩くと、小さな宿が見えてきた。
木造の古い建物だった。
灯りが一つ、暖かく揺れている。
「今夜はここで休むとよい」
照海が宿を指差す。
「明日」
「大飯爺のところへ行く」
わらびが眉をひそめた。
「誰だよ」
「変わり者じゃ」
「嫌な予感しかしねぇ」
ガンジが鼻で笑う。
「それは同感だ」
花蓮の口元がわずかに緩む。
久しぶりの笑顔だった。
照海はその様子を見て静かに頷く。
「じゃが二交脈を語らせれば長生郷随一」
「学ぶならあやつしかおらぬ」
わらびは宿を見上げた。
「二交脈ねぇ……」
肩の上でよしろが欠伸をする。
「よくわからんケ」
「俺もだ」
わらびは笑った。
「でも面白そうじゃねぇか」
夕日はすでに山の向こうへ沈みかけていた。
長生郷の夜が静かに近づいてくる。
その先に待つものを、まだ誰も知らなかった。




