水底の主
川底に巨大な白い繭が眠っていた。
どくん。
どくん。
心臓みたいに脈打っている。
青い流注が四方から集まり、その表面をゆっくり巡っていた。
わらびは思わず息を呑む。
「……なんだ、あれ」
花蓮も川を見つめていた。
「主蟲……」
その声には警戒が混じっている。
ガンジは腕を組んだ。
「主蟲級だな」
「級ってなんだよ」
「でかいってことだ」
「雑だな」
「分かりやすいだろ」
わらびは反論できなかった。
確かにでかかった。
どう見ても普通の内蟲ではない。
その時。
おねむがゆっくり前へ出た。
珍しいことだった。
いつもなら後ろで寝ている。
しかし今は違う。
じっと繭を見ている。
「……ちがうやん」
小さく呟いた。
「は?」
わらびが聞き返す。
おねむは繭を指差した。
「みんなやん」
「みんな?」
「そうやん」
意味が分からない。
だがおねむは続けた。
「かなしいやん」
「つかれたやん」
「さみしいやん」
「いっぱいあったやん」
青い光が川を漂う。
ゆらり。
ゆらり。
まるで話を聞いているみたいだった。
花蓮が目を細める。
「感情……」
おねむは頷いた。
「そうやん」
「みんなおいてったやん」
「置いていった?」
わらびは首を傾げる。
おねむは川を見る。
「ながいことな」
「いっぱいきたやん」
「いっぱいないたやん」
「いっぱいわらったやん」
静かな声だった。
いつもの眠そうな声なのに。
どこか寂しそうだった。
ガンジが茶を飲むみたいな気楽さで言う。
「長生郷へ来る奴は大体疲れてるからな」
「病気だったり」
「怪我だったり」
「人生だったり」
「人生?」
「そっちの方が重てぇ」
わらびは少しだけ納得した。
確かにそうかもしれない。
おねむは繭を見つめたまま言う。
「ここはあずかる場所やん」
「感情を?」
「そうやん」
「しんどいときだけやん」
「ちょっとだけやん」
「やすむ場所やん」
わらびは川を見た。
青い光。
流れる感情。
誰かが置いていった悲しみ。
誰かが置いていった涙。
それらが静かに流れている。
花蓮がぽつりと言う。
「保存していたんですね」
「……感情を」
おねむは頷いた。
「そうやん」
「だからみずきれいやん」
わらびは少し驚いた。
そうか。
だからこの川は特別なのか。
感情を流し続けているから。
しかし。
繭の脈動は少しずつ強くなっていた。
どくん。
どくん。
どくん。
川面が揺れる。
青い光が不安そうに震えた。
「……おかしいな」
ガンジが言った。
「何がだよ」
「昔はもっと静かだった」
おねむが小さく頷く。
「ひとりやったやん」
「ずっとひとりやったやん」
わらびは繭を見る。
巨大な流注。
膨大な感情。
何百年分あるのか分からない。
おねむがぽつりと呟く。
「ひとりでがんばりすぎたやん……」
その言葉は風に消えそうなほど小さかった。
だが。
なぜか胸に残った。
わらびは川辺へ近づく。
腹虫視を使う。
流注の中心。
繭の奥。
その内部を見ようとする。
すると。
見えた。
人影。
少女だった。
白い髪。
細い身体。
眠っている。
まるで繭の中で何百年も眠り続けているみたいに。
「……いる」
わらびが呟く。
「中に誰かいる」
花蓮とガンジが振り向く。
「見えたのか」
「ああ」
「女の子だ」
その瞬間だった。
ピシ。
小さな音。
繭の表面にひびが入る。
ピシ。
ピシピシピシ。
ひびは一気に広がった。
「下がってください!」
花蓮が白鍼を構える。
ガンジは三稜鍼を抜いた。
よしろの仮面が鳴る。
カタン。
白い帯腕が広がる。
おねむだけが悲しそうな顔をしていた。
「……おきてしもたやん」
次の瞬間。
バキンッ!!
白い繭が砕け散った。
膨大な流注が夜空へ噴き上がる。
青い光が一斉に舞い上がる。
峡谷全体が青く染まった。
そして。
繭の中心にいた少女が、
ゆっくりと目を開いた。




