水蛍
青い光が川面を漂っていた。
一つ。
二つ。
三つ。
やがて数えきれないほど。
蛍のような光が、静かな夜の峡谷を埋め尽くしていく。
その光を見つめた旅人が、ふらりと立ち上がった。
一歩。
また一歩。
夢遊病者のように川へ向かう。
「おい!」
わらびが駆け出した。
だが。
ガンジが腕を掴む。
「待て」
「何でだよ!」
「水へ入るな」
いつもの笑顔が消えていた。
真剣な顔だった。
わらびは思わず黙る。
「……何かいるのか」
「いるな」
ガンジは川を見る。
「しかも結構でけぇ」
花蓮は白鍼を構えていた。
その視線は光の群れへ向いている。
「内蟲ですか」
「たぶんな」
「処理します」
「早ぇよ」
わらびが止める。
「まず見ろ」
花蓮は少し不満そうだった。
青い光が近づいてくる。
ゆらり。
ゆらり。
風もないのに揺れていた。
よしろが覗き込む。
「へんなやつケ」
光の正体。
それは小さな蟲だった。
透き通った身体。
蛍みたいな尾。
丸い頭。
青白く発光している。
「虫か」
わらびが呟く。
しかし。
何かがおかしい。
腹の部分に模様がある。
人の顔みたいな模様。
笑っているようにも見えた。
泣いているようにも見えた。
見ているだけで妙な気分になる。
おねむが珍しく起きていた。
岩の上で座っている。
ぼんやりと。
光の群れを見つめている。
「どうした」
わらびが聞く。
おねむはすぐには答えなかった。
「……だめやん」
ぽつりと呟く。
「何がだよ」
「まだねてへんやん」
全員が顔を見合わせる。
意味が分からない。
しかし。
おねむの目だけは笑っていなかった。
青い光を追っていた旅人が川へ足を踏み入れる。
ちゃぷん。
水音が響く。
そのまま歩く。
歩く。
歩く。
そして。
突然その場へ崩れ落ちた。
「っ!」
わらびが駆け寄る。
呼吸はある。
脈もある。
だが。
起きない。
完全に眠っている。
「眠蟲か?」
花蓮が言う。
おねむは首を振った。
「ちがうやん」
「違う?」
「もっとふるいやん」
花蓮の目が細くなる。
「知っているのですか」
おねむは少し黙った。
「……むかし」
その一言に。
全員の空気が変わる。
おねむが昔話をする。
初めてだった。
「むかしは」
「こんなんやなかったやん……」
それ以上は言わなかった。
ただ悲しそうに光を見る。
わらびは川へ視線を向ける。
腹虫視。
意識を集中する。
すると見えた。
流注。
川の中を流れる感情。
喜び。
安心。
悲しみ。
懐かしさ。
様々な感情が水と共に巡っている。
しかし。
その中心。
もっと奥。
流れが集まる場所があった。
「……いる」
わらびが呟く。
「下だ」
「何?」
花蓮が聞く。
わらびは川底を指差した。
「下にいる」
流れの源。
感情の中心。
何か巨大なものが眠っている。
ガンジが低く笑った。
「なるほどな」
「何だよ」
「主だ」
わらびが振り向く。
「主?」
「ああ」
ガンジは川を見たまま言う。
「こいつらを生んでる親玉だ」
その時だった。
川の奥で。
何かが脈打った。
どくん。
水面が震える。
どくん。
青い光が一斉に揺れる。
どくん。
流注そのものが脈打っている。
わらびには見えていた。
川底。
岩のさらに奥。
透明な水の底。
そこに巨大な白い繭があった。
人の背丈より大きい。
淡く光る繭。
無数の流注がそこへ集まっている。
まるで眠っている心臓だった。
おねむが立ち上がる。
いつも眠そうな目が、
ほんの少しだけ見開かれていた。
「……まだ生きとったやん」
峡谷の風が吹く。
白い繭は静かに脈打ち続けていた。




