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おねむ

露天風呂が静まり返っていた。


 湯気の向こう。


 白い謎生物が、

 ぷかぷかと浮いている。


 頭には湯桶。


 半目。


 ふにゃふにゃの帯腕。


 やる気は一切感じられない。


「…………」


 よしろが珍しく黙っていた。


「……主蟲?」


 花蓮が即座に白鍼を構える。


「待て待て待て!!」


 わらびが慌てて止める。


「風呂で戦うな!!」


 白い影は、

 ぼんやりこちらを見る。


「……おなかへったケ……」


 よしろの仮面が、

 かたん、と鳴った。


「お前……」


「しってるケ……」


 ガンジが眉を上げる。


「知り合いか?」


 よしろは露骨に嫌そうな顔をした。


「ねるケ」


「会話になってねぇ」


 白い主蟲は、

 ふよふよと湯面を漂いながら近づいてくる。


 遅い。


 とにかく遅い。


 流木の方が速そうだった。


「……おねむケ」


 わらびが目を瞬く。


「名前か?」


「おねむケ」


 白い主蟲――おねむは、


 そこで満足したのか。


 こくりと首を落とした。


 寝た。


 そのまま。


 風呂の中で。


 ぽちゃん。


「おいっ!?」


 わらびが慌てて引き上げる。


「すやぁ……」


「寝るな!!」


 宿の子供達が、

 恐る恐る近づいてきた。


「かわいい……」


「虫なの?」


「おけ乗ってる……」


 おねむは気持ち良さそうに寝ている。


 完全に人気者だった。


 花蓮だけは警戒を解かない。


「主蟲です」


「見れば分かる」


「危険です」


 おねむは、

 わらびの腕の中で寝息を立てていた。


「……これが?」


「騙されないでください」


 花蓮は真剣だった。


「主蟲は感情災害級です」


 その時。


 おねむの帯腕が、

 ふにゃりと伸びる。


 ぺち。


 わらびの頬を叩く。


「ねるケ」


「いや起きたばっかだろ」


「いっしょにねるケ」


 きゅるる……


 わらびの腹が鳴った。


「なんでだよ」


 ガンジが大笑いする。


「お前ほんと主蟲に好かれるな!」


 よしろは不満そうだった。


「ふえるケ……」


「何がだよ」


「めんどうケ」


 その直後だった。


「起きない!!」


 悲鳴が響いた。


 宿の廊下。


 女将の声だった。


 空気が変わる。


 花蓮の目が鋭くなる。


 わらび達は急いで宿の一室へ向かった。


 若い男が布団で眠っていた。


 呼吸はある。


 脈もある。


 だが。


 起きない。


 どれだけ呼びかけても。


 肩を揺すっても。


 まるで深い底へ沈んでいるみたいだった。


「……またか」


 わらびが眉をひそめる。


 男の腹には、

 大量の眠蟲が見えていた。


 しかも。


 黒い。


 嫌な黒だった。


が進んでる」


 花蓮が低く呟く。


 しかし。


 おねむは男を見ても、

 慌てる様子がなかった。


 ぼんやり。


 ただ見ている。


「……ちがうケ」


 全員が振り向く。


 おねむが珍しく真面目な顔をしていた。


「これ」


 眠そうな目が細くなる。


「おねむじゃないケ」


 部屋が静まる。


「どういう意味だ」


 わらびが尋ねる。


 おねむは答えない。


 ただ男の足元を見ていた。


 その瞬間。


 男の影が揺れた。


 ぐにゃり。


 生き物みたいに。


 黒い影が膨らむ。


 そして。


 ぞわり。


 無数の眠蟲が、

 影の中から這い出してきた。


「……っ!」


 花蓮が白鍼を構える。


 宿の灯りが、

 一斉に消えた。


 闇。


 完全な闇。


 その奥から。


 低く濁った声が響く。


『……ねむれ』


 まるで。


 誰かが耳元で囁いているようだった。

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