腹黒聖女の平穏
薄暗い夜の街、街から光が消え、梟のなく声だけが響く静寂の中、石畳を蹴る音だけが響き渡る。
帝都から離れた小さな街で巻き起こる逃走劇。
私は息を切らしながら全身に魔力を込めて路地裏を駆け抜ける。
追っ手に捕まらないように、ではない。
目の前のコソ泥を逃さないように、だ。
「——待ちなさい!貧乏人がぁ!!」
夜の街に私の絶叫がこだまする。
「⋯⋯くそっ、早えよ!怖えよ!」
「犯罪者が人の顔見て怖いとか言うな!」
前を走る失礼な悪漢に、私は反論する。
失礼極まりない男の声を無視して私は天を仰ぐ。
「来なさい!アレス!」
そんな言葉の直後、私たちの頭上から赤い影が降り注ぐ。
「⋯⋯きゃっ!?」
舞い上がる土煙に怯みながら、私はその動きを止める。
そして目を開けた先には、地面でのびているコソ泥を制圧し終えたアレスの姿があった。
「——ようやく捕まったな、連続スリ犯。」
「⋯⋯相っ変わらず、なんでアンタだけピンピンしてんのよ。」
息一つ乱さずにそう呟くアレスへ、私は肩を揺らしながら文句を言う。
「今回はたまたま主君の方にいただけで、配置が逆なら⋯⋯ん?」
何やら口答えらしき反論をしているアレスは、言葉の途中でふと顔を上げる。
「⋯⋯見つけましたか〜!?」
直後、背後から聞こえてくる声に、私は背筋を正して振り返る。
「ええ、この通りです。」
そして可能な限り外面の良い笑顔でそう答えると、背後から駆け寄ってくる初老の男性は嬉しそうに表情を変化させる。
「おお、ありがとうございます。あなた方に協力を頼んで本当に良かった。」
「いいえ、お役に立てて光栄です。」
そんな会話の途中で、少しずつ集まってきた自警団の男達が、先ほどアレスが制圧したばかりのコソ泥犯を拘束していく。
「今日はもう遅いですから、このお礼はまた明日、では失礼いたします。」
そして嵐のような速度で立ち去っていく彼らを見送った後、私は貼り付けた笑顔を剥がして姿勢を崩す。
そんな私をみて、アレスは苦々しい笑みを浮かべる。
「⋯⋯素晴らしい切り替えの速さだな。」
「煽ってんの?」
「いや、そう言うわけでは⋯⋯。」
殺意を乗せた視線を向けると、アレスは視線を逸らして苦笑いを浮かべる。
「⋯⋯はぁ。」
どっと疲れた身体を労うように私は脱力した後、私は路地裏の隙間から月明かりを眺める。
ザイオン・グランツが死んで一月。
私は帝都から離れた北西部の小さな街で、こんな風に地道な人助けにコツコツと励んでいた。
ゆっくりではあるが、確かな速度で進んでいる人助けの旅。
レジスタンスからの妨害も、帝国からの介入もない、追放されてから二月ほど経つが、ようやく私は平穏を手にしつつあった。
「まあこれで満足してちゃダメなんだけどね。」
平穏だけではいつまで経っても聖女には戻れない、しかし焦った所でできるのは、英雄様の大好きな人助けが関の山。
「⋯⋯何か言ったか?」
「なんでもないわ。宿に帰って寝ましょ。」
問いを投げてくる英雄様に、私は吐き捨てるようにそう命じる。
そう言って大通りに出た私は、視界の端にふと、風に流される新聞を見つける。
新たな聖女スフィア・ルクローズの就任。
ザイオン・グランツの処刑。
ギルバート家の壊滅と、聖女であるローラ・ギルバートが当主を受け継ぎ、兼任するという異例の対応。
そんな話題で新聞は持ちきりであったが、一月も経つと、流石に私達の活躍も小さく端の方へと書き込まれるようになってきた。
「⋯⋯今回も私達の話題は載ってるかしら?」
新聞を拾い上げて、癖で端の方から目を通していくが、残念ながら今回は私の名前はどこにも載っていなかった。
「⋯⋯ん?」
しかし、その代わりに一つ。気になるものが視界に入る。
「⋯⋯また魔物の大量発生が出ているのか。」
「ええ、そうみたいね。」
魔物の大量発生、とだけ聞くとザイオンのことが脳裏を過るが、彼はもう死んだ上に研究所も帝国に差し押さえられている。
それに新聞を見る限り、発生している魔物も単一で、人為的な要素は見当たらない。
自然に起こる大量発生ならば、帝国の騎士や魔法師がサクッと介入して済む話だ。
本来なら私達の出る幕ではない。
しかし、その記事に目を通していくうちに、私はとある違和感を覚える。
大量発生の地域は、帝都南西部、カモミール領、帝国東端地域、北東にあるオルドラン監獄近辺、そして、今私達のいる街から程近い、帝都北部の街プアル。
「⋯⋯ちょっと、ちょっと、多すぎない?」
理由は定かではないが、これでは帝国といえど手が回るかどうか怪しい。
「⋯⋯助けに行こう、主君。」
「⋯⋯今日は行かないわよ?」
案の定そう提言するアレスの言葉を私はしっかりと否定する。
あいにく、良いか悪いか、大量発生の兆候が見つかっただけで、襲撃とまでは出ていない以上、時間は多少なり余裕がある。
どう動くべきか。
どこまで関わって良いのか。
どこまでやれば目立てるか。
帝国とかち合うリスクを取るべきか。
そんなことを頭の中で巡らせながら、私は宿へと足を進めていく。




