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27話 もう一つの拠り所

 母さんたちが帰って来たその夜。

 俺は気持ちが落ち着かず、コンビニへ行くと言い家を出た。

 吾妻家から離れて頭を整理したかったのだ。


 最後はうやむやになってしまったけど、直純さんの言葉がずっと引っ掛かっている。

 あの言い方は何か勘付いているのだろうか。

 だから打ち明けろと、含みがあるように聞こえた気がしてならない。

 それとも心の底では無意識に、俺がそうしたいと思っているからそう感じた……?

 いや違う。そんなことをしてどうする。

 知られない為に偽装したんだろうが。


 自問自答し、グルグルと迷走する思考。

 直純さんが帰って来て早々こうなるなんて、考えもしなかった。

 無事な姿につい気を抜いてしまったせいでダメージがでかい。

 決定的ではない言葉にすら、不安で心がどうしようもなく揺れる。


「おい、凌大。そこでダンゴ虫みてぇに丸くなってちゃ邪魔なんだよ」


 悩める俺に容赦ない暴言を叩きつけてくれたのは、バイト先のオーナーこと黒乃衛治(くろのえいじ)さん。

 艶のある黒髪から覗く瞳は鋭く、ダークグレーのスーツを身に纏った大人の色気を漂わせる長身の男だ。

 この人を目当てに通う女性客も多いという若き経営者様は、その昔に俺を拾ってくれた恩人でもある。

 ケンカの仕方もこの人に頼み込んで教わった。

 理不尽な暴力には使わず、あくまで身を守る為という条件で。

 衛治さんはその昔、総長をしていたとかで反則級に強い。


「そう言いつつ追い出さない衛治さんて、優しいっすよね」

「気持ち悪ぃこと言うな。大体なんでいんだよ。お前今日、休みだろうが」

 ここは出掛ける口実にしたコンビニではなく、バイト先の店――カフェ&バー『クロノス』。

 気が付いたら足が向いていたのだ。

 いつもの様に厨房裏にある従業員専用扉から入り、オーナー控室で一人膝を抱えていたら、部屋の主である衛治さんがやって来たという訳である。

 一応いつでも入室できる許可は貰っているので、不法侵入ではない。


「……ちょっと色々あって」

「また家出か? 勘弁しろよ」

「ちゃんと言って来たので今日は違います」

 中学の時、着の身着のまま飛び出したことを思い出す。

 その時に衛治さんに出会ったのだ。

 って、そんなに違わねぇか……。結局こうして衛治さんの世話になっている。

 俺って全然進歩してないな。


「気分が落ち着いたら帰るんで、もう少しここにいさせてください」

 何も考えずいられる時間が少しだけ欲しい。

 きっと両親の留守中ずっと気を張っていた疲れが出て、弱気になっているんだ。

 少し休んだら明日からまた、きっちり好青年の仮面を被れる。

 万が一気付かれていたとしても貫き通せば、離婚にまで発展することはないだろうから――。

「ったく、世話の焼けるガキだな」

 衛治さんはそれ以上何も言わず、デスクに向かいノートPCを操作し始めた。

 書類仕事をするのだろう。


 膝に頭を乗せて目を瞑り、しばらくキーボードがリズムよく叩かれる音を聞いていたら、すぐ近くにある扉がノックされた。

 衛治さんが許可を出すと「失礼します」と低い声がして、次いでドアが開く音。

 この声は店長だな……。

「どうした」

「凌大が来ていませんか? 少し前に何人か姿を見たらしいのですが、従業員控室にはいなかったので」

「そこで丸まってるぞ」

「? ああ、本当ですね」

 直後にむんずと髪を掴まれ、無理矢理に上向かされる。


「痛っえ!」

「なるほど。確かに顔色が悪いな」

「そんなやつにこの仕打ちって鬼すか」

「顎クイの方がよかったか?」

「ムキムキの三白眼にされたら死ねる」

 雑草を毟るやり方でよかった。よくないけど。


「みんなが心配していたぞ。新しい家族に逆ラッキースケベを起こしてドン引かれたんじゃないかと」

「どんな心配してんだ!? 違いますよ!」

「冗談だ。……半分」

「誰だ半分に該当するやつ!」

 思い当たる人物が多過ぎる。

 ここのスタッフとは気兼ねなく色んなことを話すので、家庭の事情も互いにある程度知っていて、再婚の件も周知だ。

 求人誌に乗せる演出ではなく、本当にアットホームな職場なのである。

 一番年下である俺のことをみんな弟の様に扱ってくれて、こうしてイジられるのは日常茶飯事。


「まあまあ。何があったか知らないけど、これでも飲んで元気出しなよ♪」


 開けっ放しの扉からトレーを片手に現れる新たな人物。

 コックコートを着た猫目の女性、調理スタッフの五十鈴(いすず)さんだ。

 五十鈴さんはズイッと俺の目の前に、トレーに乗ったコーヒーカップを差し出してくる。

「ラテアート失敗しちゃってさー。捨てるの勿体ないし、いいでしょ? オーナー」

 珍しいと思いカップを見れば、超絶リアルな心臓の絵(写実風)。


「どう失敗したらこうなる!?」

「いやー、弘法も筆の誤りみたいな?」

 誤っているのかコレは。

 レディース時代にバイクの塗装で磨かれた技術が無駄に凄すぎる。


「お前ら……。もういいだろ、戻れ」

 散れ、とばかりに手を振り店長と五十鈴さんを追い出す衛治さん。

 仕事中に持ち場を離れた二人を怒ったりしないところに、懐の大きさを感じた。

「そうですね。失礼しました」

「はーい。戻りますよー」

 二人は顔を見合わせると、それぞれ返事をして部屋から出て行ってしまう。

「あの、ありがとうございました!」

 慌てて二つの後ろ姿を追い掛け声を掛ければ、返されたのは屈託のない笑顔。


「早く元気出せよ」

「強心薬だと思って飲んでねー♪」

 それで心臓の絵。

 やっぱ誤ってねぇじゃん……。


 眺めている内、次第に歪んでくるカップの輪郭。

 意志に反し溢れてくる余計な水分で、ぼやけてよく見えない。

 Tシャツの袖で目元を拭っていると、ギィと革張りのオフィスチェアが沈む音と、革靴がコツコツと床を踏む足音が響く。

 近くで鳴り止み反射的に顔を上げれば、目の前に衛治さんが立っていた。

「それ飲んだら帰れ。車で送ってやるから」

「い、イケメン……!」

「そんな冗談言えるなら大丈夫だな。歩いて帰れクソガキ」

 同時に振り下ろされる脳天チョップ。痛ぇ!


「褒めたのに殴んなくてもいいじゃないすか……」

「愛のムチだ。ありがたく受け取れ」

「今の時代パワハラと言います」

「じゃあ店辞めるか?」

「むしろ住みたい」

 ここより居心地の良い職場なんて俺にはない。

 心の拠り所でもあるのだ。失ってたまるか。


「俺の城にガキはいらねぇんだよ」

「分かってます。……昔みたいに無理矢理泊まり込んだりしませんよ」

 店の二階は居住スペースになっていて、衛治さんはそこで生活している。

 何度となくお世話になった。

 勝手に兄貴みたいに思っているから甘えてしまうのだ。

 口に入れたラテよりも苦い思い出にまた落ち込みそうになり、一気に煽る。


 ――よし、もう大丈夫。

 ここのみんなのお陰で、また頑張れる。


「帰ります。お邪魔しました」

「ああ。さっさと帰って寝ろ」

 後ろ手に手を振りデスクへと戻って行く衛治さん。

 俺が扉を閉める寸前、思い出したように「おい」と声を掛けてきた。

「また限界がきたら、いつでも逃げて来い」


 カッコ良すぎかよ。

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