だが、これは夢 ― 家康の本心 ―
登場人物
織田 信長
本作の主人公。
本能寺の変で命を落としたはずだったが、不思議な世界「エノワールド」へ導かれる。天下を手に入れることではなく、「誰もが笑って暮らせる平和な国」を築くことを真の願いとしている。
徳川 家康
信長の盟友であり、夢の世界で本心を語る武将。若き日には信長を恐れていたが、その志を誰よりも理解し、尊敬している。「乱世を終わらせたい」という想いは信長と同じである。
エノワールドの案内人
白銀の髪を持つ謎の少女。エノワールドへ導く存在であり、歴史を正す使命を信長へ託す。穏やかな口調の奥に、多くの秘密を隠している。
明智 光秀
本能寺の変を起こした武将。信長と対峙し、「天下は自分が治める」と宣言するが、信長から「お前では天下は無理だ」と告げられる。本作最大の謎に関わる重要人物。
豊臣 秀吉
信長を「上様」と慕い続ける忠臣。優れた知略と人望を持ち、信長の理想を実現するために力を尽くす。
織田 信忠
信長の嫡男。父の志を受け継ぎ、次代を担う存在として成長を続ける。父への深い尊敬と強い責任感を持つ。
柳生 十兵衛
剣豪として名高い武士。本作では信長の仲間として行動し、「剣は人を守るためにある」という信長の教えに共感している。
弥助
異国から来た屈強な武人。信長への忠誠は厚く、どんな危機でも最後まで主君を守ろうとする頼れる存在。
綾姫
信長を支える聡明な姫。冷静な判断力と優しさを兼ね備え、戦だけではなく人々の心にも寄り添う存在。
艦隊総督 レオン・ヴァルディス
エノワールドで信長と行動を共にする異世界の総督。広い知識と豊富な経験を持ち、異世界の情勢を信長へ伝える重要な協力者。
エノワールドの住人たち
人間、エルフ、ドワーフ、獣人、竜族、精霊族など、多くの種族が共に暮らす世界の住民。信長という異邦人との出会いによって、それぞれの運命が大きく動き始める。
第七十四章
だが、これは夢 ― 家康の本心 ―
静寂。
どこまでも白い世界。
先ほどまで輝いていたエノワールドの景色は消え、信長は一人、果てのない白い空間に立っていた。
「……。」
辺りを見渡しても、世界樹も案内人もいない。
風も吹かない。
音さえ存在しない。
信長はゆっくりと刀へ手を添えた。
「これは……。」
その時だった。
遠くから一つの声が響く。
「信長殿。」
聞き慣れた声だった。
白い霧の向こうから、一人の男が姿を現す。
徳川家康。
鎧姿ではなく、質素な着物をまとい、穏やかな表情で歩いてくる。
信長は静かに笑う。
「家康か。」
「ここはどこだ。」
家康は立ち止まり、首を横へ振った。
「まだ分かりませぬ。」
「ですが、一つだけ言えることがあります。」
「ここは現ではありません。」
「夢の中です。」
信長は目を細める。
「夢……か。」
家康はうなずく。
「はい。」
「ですが、ただの夢ではありません。」
「心が見せる夢です。」
信長は腕を組んだ。
「ならば、先ほどの世界も。」
「エノワールドも。」
「すべて夢ということか。」
家康は少し考えたあと、静かに答えた。
「夢かもしれません。」
「しかし。」
「夢だからこそ、本当の願いが映るのでしょう。」
長い沈黙。
信長は静かに天を見上げた。
「余の願い……。」
「人が笑える国。」
「戦のない世。」
「それは夢ではない。」
「必ず叶える。」
家康は苦笑した。
「そこが、信長殿らしい。」
「夢で終わらせようとは思われない。」
「必ず現実へ変えようとなさる。」
信長は笑った。
「当然だ。」
「夢は見るものではない。」
「叶えるものだ。」
家康はその言葉を聞き、小さく目を閉じた。
やがて、静かに口を開く。
「信長殿。」
「一つだけ、お話ししたいことがあります。」
信長は家康を見つめる。
「何だ。」
家康は深く息を吸った。
「私の本心です。」
その声には、いつもの落ち着きとは違う重みがあった。
「私は若い頃、人質として生きました。」
「自由などありませんでした。」
「生きることだけで精一杯でした。」
「だから。」
「強い人間が恐ろしかった。」
「あなたも、その一人でした。」
信長は黙って聞いている。
「桶狭間のあと。」
「同盟を結びました。」
「私はあなたを恐れながらも、尊敬していました。」
「そして気付いたのです。」
「あなたは恐ろしい人ではない。」
「誰よりも未来を見ている人だと。」
信長は静かに目を閉じた。
家康は続ける。
「世間では。」
『家康は信長を利用していた。』
『天下を狙っていた。』
そう語られることがあります。
ですが。」
家康は首を横に振った。
「違います。」
「私は、あなたから多くを学びました。」
「国の治め方。」
「商いの大切さ。」
「民を守るという覚悟。」
「強さとは何か。」
「すべて、あなたが教えてくださった。」
信長は少し照れたように笑う。
「買いかぶりすぎだ。」
家康も笑った。
「いいえ。」
「本心です。」
そして家康の表情は真剣になる。
「ですが。」
「私は、あなたを止めたいと思ったこともありました。」
「比叡山。」
「武田との戦。」
「荒木村重への怒り。」
「あまりにも激しい決断に、不安を覚えたこともあります。」
信長は静かにうなずいた。
「それでいい。」
「家臣も友も。」
「皆が余に賛成では意味がない。」
「異なる考えがあるから国は強くなる。」
家康は目を潤ませた。
「信長殿。」
「もし、本能寺がなかったなら。」
「私は最後まで、あなたと共に歩みたかった。」
その一言に、信長は少しだけ驚いた。
「それが。」
「お前の本心か。」
「はい。」
「私は天下人になりたかったのではありません。」
「乱世を終わらせたかった。」
「その方法が、あなたと違っただけです。」
長い沈黙が流れる。
やがて信長は笑みを浮かべた。
「家康。」
「ならば、お前も立派な天下人だ。」
「天下とは。」
「国を奪うことではない。」
「人を守ることだ。」
家康は深く頭を下げた。
「ありがとうございます。」
その瞬間、白い世界がゆっくりと崩れ始める。
信長は静かに目を閉じた。
「夢か。」
「いや。」
「夢で終わらせぬ。」
「余の野望は、まだ終わってはいない。」
白い光が二人を包み込む。
目を開けた先に待つのは現実か、それとも再びエノワールドか。
誰にも分からない。
ただ一つ確かなことは――。
織田信長の野望は、まだ終わっていない。
そして、その志を知る徳川家康もまた、同じ未来を見つめていた。
徳川家康の一言
信長殿と出会った頃の私は、ただ生き延びることしか考えておりませんでした。
人質として生き、耐え忍ぶことが当たり前の日々。
明日を迎えられるかどうかさえ分からぬ時代でした。
そんな私の前に現れたのが、織田信長という男でした。
最初は恐ろしい方だと思いました。
大胆で、誰にも縛られず、自分の信じた道を真っすぐ進む。
私には決して真似のできない生き方でした。
ですが、長い年月を共に過ごすうちに、その強さの本当の意味を知りました。
信長殿は、自らのために戦っていたのではありません。
民のため。
仲間のため。
そして、戦のない未来のために剣を振るっていたのです。
だから私は、この方と共に歩みたいと思いました。
この物語では、信長殿は新たな世界「エノワールド」へ足を踏み入れました。
そこには私も知らない試練が待っているのでしょう。
しかし、不思議と心配はしておりません。
あのお方は、どのような世界であろうとも、人を信じ、人を導き、仲間を集め、新たな道を切り開いていくはずです。
それが私の知る、織田信長という人物ですから。
歴史では、私が天下を治めることになりました。
ですが、この物語では違います。
天下とは、誰か一人のものではありません。
人々が笑い、安心して暮らせる世こそ、本当の天下なのだと、私は信長殿から学びました。
どうか皆様も、この先に待つ信長殿の新たな旅路を見届けてください。
その先には、私たちの知る歴史とは異なる、もう一つの未来が待っているはずです。
――徳川家康




