四人目の信長
第百十八章の前に
本能寺で三人の信長が向き合い、それぞれの人生を認め合った。
これでようやく、長かった「三人の信長」の物語に一区切りがついた――。
そう思った矢先。
新たな謎が現れました。
海の向こうから現れた、三十年前に消えた船。
そして、その船に乗っていたのは――四人目の信長。
しかも彼は、ヴァルディア帝国と手を組んでいました。
今回から物語は、再び世界へ大きく動き出します。
日本へ戻ってきた信長たちは、再び海へ。
しかし、今度の旅は以前とは違います。
待っているのは未知の国だけではありません。
時間そのものが歪み、過去・現在・未来の歴史が混ざり始めています。
そして何より重要なのは――。
四人目の信長が、なぜ現在の信長を止めようとしているのか。
彼は本当に敵なのか。
それとも、未来を知っているからこそ、信長たちを止めようとしているのか。
まだ答えは出ていません。
三人の信長がそれぞれ違う人生を歩んだように、四人目の信長にも、彼だけの「正しさ」があるはずです。
その正しさが、信長たちと交わった時、何が起こるのか。
そして――。
海の向こうには、まだ誰も知らない歴史が眠っています。
次なる舞台は、日本ではありません。
世界そのものです。
第百十八章 四人目の信長 ― 海の向こうから来る者
本能寺を出てから、数日が過ぎた。
あの夜。
三人の信長が同じ場所に集まり、そして、それぞれの時間へ戻っていった。
現在を生きる信長は、今もその出来事を忘れられずにいた。
二人の自分。
同じ顔。
同じ声。
それなのに、まったく違う人生。
もし自分が別の選択をしていたら。
もし本能寺で別の道を選んでいたら。
もし幸村と出会わなかったら。
もし未来へ行かなかったら。
もし世界へ出なかったら。
自分も、あの二人のような信長になっていたのかもしれない。
信長は馬上から遠くを見つめていた。
隣を歩く幸村が声をかける。
「信長様」
「何だ」
「先ほどから、ずっと黙っていますね」
「……そうか?」
「はい」
幸村は苦笑する。
「いつもの信長様なら、もう少し何か言うでしょう」
「余は、そんなに喋るか?」
「喋ります」
即答だった。
信長は少し笑った。
「そうか」
その後ろでは、天狼が周囲を警戒している。
さらにルーカスは、何枚もの地図を広げていた。
「信長様」
「何だ、ルーカス」
「日本へ戻ってからまだ数日ですが、気になることがあります」
「言ってみろ」
ルーカスは一枚の地図を指差した。
「海です」
「海?」
「はい」
「本能寺で時の門が閉じた後、世界中で小規模な時間異常が確認されています」
幸村が眉をひそめる。
「時間異常?」
「物が突然消えたり、数分前の状態に戻ったり、逆に何十年も前の物が突然現れたりしています」
天狼が尋ねる。
「日本でも?」
「あります」
「ただし、日本だけではありません」
ルーカスは地図を広げた。
そこには日本だけではなく、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、そして未知の海域まで印が付けられていた。
「世界中です」
信長は地図を見つめる。
「本能寺の影響か」
「その可能性が高いです」
「しかし……」
ルーカスは別の場所を指差した。
「一番大きな異常が起きている場所があります」
「どこだ」
ルーカスは海の一点を指した。
「ここです」
「日本からかなり離れているな」
「はい」
「何がある?」
「分かりません」
幸村が首を傾げる。
「分からない?」
「海の上です」
「島では?」
「ありません」
「では、なぜそこに異常が?」
ルーカスは答えられなかった。
しばらく沈黙が続いた。
やがて天狼が口を開く。
「罠の可能性は?」
「十分あります」
「ならば行かない方がいい」
幸村が言った。
「しかし……」
信長は地図から目を離さなかった。
「そこに何かがある」
「信長様?」
「三人の信長が集まった直後だ」
「世界中で時間異常が起きている」
「そして、海の向こうに最大の異常がある」
信長は地図を指で叩いた。
「偶然とは思えぬ」
幸村は笑った。
「やっぱり行くんですね」
信長は頷く。
「ああ」
ルーカスがため息をつく。
「予想通りです……」
⸻
その日の夕方。
一行は港へ到着した。
港には、以前信長たちを海外へ運んだ船が停泊していた。
船長アレクシスが、甲板から手を振る。
「信長!」
信長が顔を上げる。
「アレクシスか」
「戻ってきたと思ったら、また海へ出るのか?」
「そういうことになった」
アレクシスは笑った。
「まったく、あなたたちは休むということを知らないな」
幸村が苦笑する。
「我々もそう思います」
アレクシスは船から降りてくる。
「で、今回はどこへ?」
ルーカスが地図を渡す。
アレクシスの表情が変わった。
「……ここか」
「知っているのか?」
「名前だけなら」
「何という場所だ」
アレクシスは少し迷った。
そして言った。
「昔の船乗りたちは、ここをこう呼んでいた」
「信長の墓場」
幸村の表情が固まる。
「……何ですって?」
信長も眉を動かす。
「信長の墓場?」
「そうだ」
アレクシスは海を見た。
「昔から、その海域を通った船は戻ってこないことがある」
「嵐があるのか?」
「いや」
「海は穏やかなことも多い」
「では、なぜ?」
「船そのものが消える」
天狼が尋ねる。
「沈むのではなく?」
「消える」
「記録上、その船が存在していたことまで消えることがある」
ルーカスが顔を青くした。
「時間異常……」
アレクシスは頷く。
「そうだ」
「だから船乗りたちは近づかなかった」
「だが……」
信長は海を見る。
「なぜ『信長の墓場』なのだ?」
アレクシスは首を横に振る。
「理由は分からない」
「ただ、一つだけ古い伝説がある」
「聞かせろ」
「昔、海の向こうから巨大な黒い船が来た」
「その船には、織田家の紋が描かれていた」
幸村が驚く。
「織田家の紋……?」
「そうだ」
「そして、その船に乗っていた男がこう言ったという」
アレクシスは信長を見る。
「『本物の信長は、まだ海の向こうにいる』」
その場に沈黙が落ちた。
信長は、しばらく何も言わなかった。
やがて。
「面白い」
幸村が言う。
「信長様、面白がっている場合では……」
「いや」
信長は笑った。
「三人目の信長が言った言葉を思い出せ」
「四人目……」
ルーカスが呟く。
「まさか」
信長は海の向こうを見た。
「四人目の信長が、すでに世界のどこかに存在しているのかもしれぬ」
⸻
夜。
船は出航した。
港の灯りが、少しずつ遠ざかっていく。
幸村は甲板に立っていた。
風が強い。
海は静かだった。
「眠れないのか?」
後ろから信長の声がした。
「信長様」
幸村が振り返る。
「少し考え事を」
「三人の信長か」
「はい」
幸村は海を見る。
「正直に言えば、まだ整理できていません」
「そうだろうな」
「同じ信長様が三人いて」
「しかも、最後には四人目の話まで出てきて」
「自分でも何を信じればいいのか分からなくなります」
信長はしばらく黙っていた。
そして言った。
「幸村」
「はい」
「余が余であることを証明する必要はあると思うか?」
幸村は少し考えた。
「ありません」
即答だった。
信長が笑う。
「なぜだ」
「私が知っている信長様は、私が一緒に歩いてきた信長様だからです」
「三人の信長が何者だったとしても」
「私は、今ここにいる信長様を信じます」
信長は何も言わなかった。
幸村は続ける。
「本能寺で助けてもらいました」
「旅もしました」
「世界も見ました」
「何度も危ない目に遭いました」
「それでも、ずっと一緒に歩いてきた」
「だから、それで十分です」
信長は海を見る。
「そうか」
「はい」
「ならば、余もお前を信じよう」
幸村は笑った。
「ありがとうございます」
その時。
船が大きく揺れた。
「うわっ!」
幸村が手すりを掴む。
信長も足を止めた。
天狼が甲板へ走ってくる。
「信長!」
「何だ」
「前方に何かいる」
「何?」
天狼は海の先を指差した。
暗闇の中。
何かが浮かんでいる。
船影。
巨大な船だった。
しかし――。
帆がない。
灯りもない。
それなのに、こちらへ向かってくる。
アレクシスが甲板へ出てきた。
その顔から血の気が引いていく。
「……ありえない」
ルーカスも船影を見る。
「どうしたんです?」
アレクシスは震える声で言った。
「あの船……」
「知っているのか?」
「知っているも何も……」
アレクシスは後退する。
「あれは、三十年前に消えた船だ」
全員が沈黙した。
「三十年前?」
「そうだ」
「乗組員も含めて、全員消えた」
「それが……」
「今、目の前にいる」
船影が近づいてくる。
そして、甲板に一人の男が立っているのが見えた。
黒い着物。
長い髪。
腰には刀。
そして胸には――。
織田家の紋。
幸村が息を呑む。
「信長様……」
信長は刀へ手を伸ばした。
「分かっている」
船が、ゆっくりと横につく。
男がこちらを見る。
そして言った。
「久しいな」
信長が眉をひそめる。
「余を知っているのか」
男は笑う。
「もちろんだ」
「織田信長」
「そして――」
男は自分の顔を見せた。
幸村が叫ぶ。
「信長様!?」
そこにいたのは――。
信長と同じ顔だった。
三人目とも。
未来の信長とも。
そして現在の信長とも。
同じ顔。
しかし、その男の右目には大きな傷があった。
男は静かに言った。
「私が、四人目の信長だ」
船上の全員が凍りついた。
信長は刀を抜かない。
ただ、相手を見つめる。
「何者だ」
四人目の信長は答えた。
「私は、お前たちが知らない世界を生きた」
「どんな世界だ」
「戦国時代が終わらなかった世界」
幸村が息を呑む。
「戦国時代が……終わらなかった?」
「そうだ」
「私は天下を取った」
「しかし、天下は終わらなかった」
「戦は続いた」
「国は分裂した」
「そして、日本は世界から孤立した」
信長の表情が変わる。
「それがお前の未来か」
「そうだ」
「ならば、お前は何を望む?」
四人目の信長は答えた。
「お前たちを止める」
天狼が刀を抜く。
幸村も槍を構える。
だが、信長は手を上げた。
「待て」
「信長様?」
「まだ戦うな」
四人目の信長は笑う。
「相変わらずだな」
「何がだ」
「まず話を聞く」
「そして最後に決める」
信長は答える。
「それが余だ」
四人目の信長は少し笑った。
「ならば、話そう」
「私がなぜ、お前たちを止めなければならないのか」
その瞬間。
海が大きく揺れた。
空に黒い雲が広がる。
遠くで雷が落ちる。
そして、四人目の信長の後ろから――。
無数の兵士が現れた。
全員が黒い甲冑を身につけている。
しかし、その胸に刻まれている紋は織田家ではなかった。
見たことのない紋。
ルーカスが叫ぶ。
「この紋章……!」
「知っているのか?」
「ヴァルディア帝国です!」
信長の目が鋭くなる。
「なるほど」
四人目の信長が笑う。
「ようやく分かったか」
「私一人ではない」
「私は――」
刀を抜く。
「ヴァルディア帝国と共に来た」
幸村が槍を構える。
「つまり……」
信長も刀を抜いた。
「敵ということだな」
四人目の信長は笑った。
「そうだ」
「ただし――」
「私は、お前を殺すつもりはない」
信長が眉をひそめる。
「何?」
「お前には、まだ役割がある」
「どんな役割だ」
四人目の信長は海の向こうを指差した。
「日本を変えることだ」
「そして、世界を変えることだ」
「だが――」
その目が鋭くなる。
「お前一人では、世界を変えられない」
信長は答えた。
「余は一人ではない」
幸村が隣に立つ。
天狼も立つ。
ルーカスも立つ。
アレクシスも剣を抜いた。
四人目の信長は、その姿を見て笑った。
「そうだったな」
「お前には仲間がいる」
「だからこそ――」
彼は刀を掲げた。
「その仲間が、どこまでお前を支えられるのか」
黒い兵士たちが一斉に武器を構える。
海の上。
二隻の船。
そして――。
四人目の信長と現在の信長。
二人の信長が、初めて刀を交える瞬間が近づいていた。
しかし、その戦いの先には、さらに大きな謎が待っている。
なぜ四人目の信長は、ヴァルディア帝国と手を組んだのか。
なぜ三十年前に消えた船が、今になって現れたのか。
そして――。
「本物の信長は、まだ海の向こうにいる」
あの古い言葉は、一体何を意味していたのか。
信長は海を見つめた。
その先には、まだ誰も知らない世界がある。
そしてその世界には――。
五人目の信長がいる可能性さえあった。
海は、静かに波打っていた。
まるで次の歴史を待っているかのように。
⸻
第百十八章の後に
四人目の信長が現れました。
三人の信長だけでも十分に複雑だった歴史が、さらに一人増えました。
しかも、この四人目の信長は、これまでの信長とは大きく違います。
彼は「戦国時代が終わらなかった世界」を生きた信長。
天下を取った。
それでも戦は終わらなかった。
国は分裂し、日本は世界から孤立した。
つまり彼にとって、「天下統一」は必ずしも平和を意味しなかったのです。
だからこそ、彼は現在の信長を止めようとしている。
現在の信長が進もうとしている道の先に、かつて自分が歩いた未来が待っているのかもしれません。
しかし、それならなぜヴァルディア帝国と手を組んだのか。
ここが大きな謎です。
本当にヴァルディア帝国を信じているのか。
それとも、別の目的があるのか。
そして、四人目の信長が言った、
「お前には、まだ役割がある」
という言葉。
これは、現在の信長の未来を知っているという意味なのか。
それとも、信長自身も知らない「歴史の役割」があるということなのか。
さらに気になるのが、三十年前に消えた船です。
船だけではありません。
乗っていた人々の存在まで消えたという話。
もしそれが本当なら――。
その船は、単純に沈没したのではない。
時間そのものから切り離されていた可能性があります。
そして、そんな船が今になって戻ってきた。
本能寺で三人の信長が出会ったこと。
時の鍵が動いたこと。
世界各地で時間異常が起きていること。
そして、四人目の信長が現れたこと。
これらはすべて、つながっているのかもしれません。
さらに最後に出てきた、
「五人目の信長」
という可能性。
これはまだ確定ではありません。
しかし、この世界では「あり得なかった未来」が現実になってしまう。
ならば――。
五人目が存在していても、不思議ではありません。
一人目は、本能寺を生き延びた信長。
二人目は、未来を管理しようとした信長。
三人目は、選ばれなかった未来の信長。
四人目は、戦国時代が終わらなかった世界の信長。
では、五人目は何者なのか。
天下を捨てた信長なのか。
武士を捨てた信長なのか。
あるいは――。
信長という名前そのものを捨てた信長なのか。
まだ分かりません。
ただ一つ確かなのは、
信長の物語は、本能寺で終わらなかった。
むしろ、本能寺を越えたことで、歴史そのものが広がってしまったということです。
過去を変える。
未来を選ぶ。
世界を旅する。
そして今度は――。
自分とは違う人生を歩んだ「もう一人の自分」と戦う。
信長は、また一歩、新しい歴史へ踏み出します。
次回、ついに海上決戦。
現在の信長と四人目の信長。
二人の刀が、海の上で交わります。
果たして勝つのは、どちらなのか。
そして四人目の信長が隠している、本当の目的とは――。




