幻想の終わり
【前回までのあらすじ】
試験期間中、キョウラはナユキの姿を一度も見かけなかった。廊下で、教室で、どこにいても彼女はいなかった。
試験が終わった日、校門の前で立ち止まった。彼女がいつも待っていた場所は、誰もいないまま風に吹かれていた。
あの「欠落感」が再び脈打つ――。
今日 2025年2月15日。
試験が終わった。今日は、親友のイケと一緒に、試験終了のお祝いの会を開くことにした。クラスの友達も誘った。半分くらいしか来られなかったけど。
私たちは昼過ぎからキッチンに立って、料理の準備を始めていた。でも、突然イケが頭痛を訴えた。彼は薬を飲んで、客間で休むことにした。
私は一人で料理を続けた。
料理をしている途中、足りない材料があることに気づいた。イケはまだ寝ているし、コンビニまで買いに行くことにした。門を出た瞬間、ナユキに会った。
「キョウくん?どこに行くの?」
「コンビニ。ちょっと足りないものがあって。」
私たちは並んで歩きながら、いつものように話した。
「試験どうだった?うまくいった?」
「うん。ちゃんとできたよ。」
コンビニに着くと、ナユキは立ち止まった。
「キョウくん、私、公園のベンチで待ってるね。」
私はうなずいて、店内へ入った。買い物をしていると、またアイスクリームが目に留まった。前回、ナユキにあげられなかったことを思い出した。
今回は三つ買った。一つは自分用。一つはイケ用。そしてもう一つはナユキ用に。
レジを済ませて、ドキドキしながら公園へ向かった。また前みたいに、ナユキが消えているんじゃないかと怖かった。
でも、着いてみると、彼女はまだそこにいた。
ブランコに乗っていた。
私は近づいて、声をかけた。
「ねえ、ユキ。今日の夕方、うちでやるパーティーに来ない?」
「え?何のパーティー?」
「試験終わりのお祝い。クラスの友達とうちでやるんだ。」
「ああ、そうなんだ…でも、私が行ってもいいの?キョウくんのクラスだけのパーティーでしょ?」
「大丈夫だよ。クラス関係なく来ていいってことになってるから。」
「ああ、そうなんだ。じゃあ、行くね!」
ナユキは俺のビニール袋をチラッと見た。
「それ、材料を買ってきたんだね…もしかして、今から料理を作ってるの?」
「うん。イケと一緒に作ってたんだけど、彼、頭が痛いって言って休んじゃって。」
「ああ、かわいそうに。」
ナユキは立ち上がった。
「ねえ、私、手伝おうか?」
「え?いいの?迷惑じゃない?」
ナユキは小さく笑った。
「迷惑って何?私たち、幼なじみじゃん。じっとしてるより、キッチンで手伝ってた方がいいでしょ?」
私はさっき買ったアイスクリームを彼女に渡した。私たちはしばらくブランコに座ってアイスクリームを食べてから、一緒に家に帰った。
家に着くと、すぐに料理の準備を始めた。
数時間が経った。もうすぐ午後2時になろうとしていた。ナユキは疲れたようで、「ちょっと休ませて」と言って、リビングで休むことにした。私はうなずいた。私も疲れていたので、キッチンで少し残っていた作業を片付けながら休むことにした。
10分後。
突然、イケに驚かされた。
「バァ! 」
「わあっ!あ、イケか…もう良くなったの?」
「ああ、もう大丈夫。って、キョウ、これ…全部一人で作ったのか?俺、何を手伝えばいい?」
「うん、配膳の準備をしてくれればいいよ。」
「わかった。悪いな、キョウ。」
「いいよ、気にしないで。」
5分後。 全ての料理が完成した。
ナユキに手伝ってくれたお礼を言いたかった。でも、リビングに行ってみると、彼女の姿はどこにもなかった。隣のソファの席は空っぽだった。
「また…消えたのか?」
不安になりながら、イケに聞いてみた。
「ねえ、イケ。」
「うん?何?」
「ナユキ、見なかった?さっきまでここにいたはずなんだけど…手伝ってくれたからお礼を言いたくて。」
イケは一瞬黙った。そして、不思議そうな表情で私を見た。心配と戸惑いが混ざったような顔だった。
「えっと…キョウ。それって、ナユキ・ノキハラのことか?」
「そうだよ。他に誰がいるんだよ?」
「ねえ、キョウ…お前、まさか本気で忘れてるのか?」
「何を?」
「ナユキは二年前に引っ越したんだよ。北海道に。 」
「はあ?何言ってるんだ?彼女はさっきまでここで料理を手伝ってたんだぞ!なんでそんなこと言うんだよ!」
「落ち着けよ、キョウ。でも、これが事実なんだ。ナユキは二年前にもう――」
「うるさい!もういい、やめろ! 」
これ以上聞いていられなかった。
私は家を飛び出した。
走った。
ナユキの家に向かって、全力で走った。足は軽いのに、胸は張り裂けそうだった。彼女はあそこにいるはずだ。イケが間違ってる。ナユキはさっきまで確かに一緒にいた。アイスクリームを食べて、笑ってた。
彼女は現実だ。
ナユキの家の前に着いて、私は立ち止まった。
言葉を失った。
そこにあったのは、昔よく遊びに行ったあの家じゃなかった。暖かい灯りが玄関先に灯っていたあの家じゃなかった。
そこにあったのは、誰も住んでいない家だった。
生きている気配がまったくない。
枯れ葉が庭中に散らばっていた。どの窓も真っ暗だった。錆び始めた鉄の門には、分厚い埃が積もっていた。その家はあまりにも汚くて、まるで最初から誰も住んでいなかったかのようだった。
私は錆びた門の取っ手に触れた。手のひらに、ザラザラとした冷たさが伝わってくる。
音がしない。
「ただいま」の声も。笑い声も。「キョウくん、いらっしゃい」の声も。
ただ、2月の冷たい風だけが、長い間手入れされていない戸の隙間を通り抜け、かすかに唸っていた。
「何だよ…これ…」
私は自分に呟いた。
「じゃあ、今までずっと…?」
そしてその時、ダムが決壊したように、記憶たちが戻ってきた。
一つ一つ。一枚一枚。
ナユキと公園のベンチに座ったこと。ナユキと学校の廊下で話したこと。ナユキとコンビニへ行ったこと。ナユキと門の前で別れたこと。ナユキがブランコに乗っていたこと。ナユキがキッチンで笑いながら料理を手伝ってくれたこと。
そして、全ての記憶がある一点で止まった。
「最後のキッチン」で。
それ以降は、何もない。
一緒に帰った記憶も。教室の前で待っていた記憶も。隣にいてくれた記憶も。
――ずっと、ずっと私のそばにいてくれたのは、ただの幻だった。
私は錆びた門の前で、膝から崩れ落ちた。濡れた地面に膝がつく。手はまだ、冷たい鉄の柵を握ったまま。
でも、泣けなかった。
ただ、黙り込んだ。
目は虚ろに。
体はぐったりと。
まるで、全ての糸が同時に切れた操り人形のように。
そして、ゆっくりと地面から立ち上がった。足はまだ少し震えていたけれど、無理に歩き出した。足は自然とあの公園へ向かっていた。数週間前、ナユキと一緒に座ったあの公園。アイスクリームをあげられなくて、失敗したあの場所。
着いてみると、目に飛び込んできたのはブランコだった。
その上に、アイスクリームの棒が一つ、落ちていた。
アイスクリームはもうなかった。溶けてしまったのか、風に飛ばされたのか、あるいは最初からそこに存在しなかったのか。アイスクリームの棒だけが、虚ろに転がっていた。これまでずっと、全てが幻だったということを、より確かに証明しているかのように。
私はそれをしばらく見つめていた。
それから、向きを変えて家に帰った。
家の門の前で、イケが待っていた。彼は心配そうな顔で、私の頭のてっぺんから足先までじっと見つめた。
「キョウ…大丈夫か?」
私は答えなかった。ただ、門の前に立っていた。虚ろな目で――まるで、まだ歩ける死体のように。
イケは深く息を吸った。それから、そっと優しく、でも確かな力で、私の肩に手を置いた。
「なあ、キョウ。もういいんだ。過ぎたことは、過ぎたままにしとこう。
いいか?もうすぐ卒業だ。俺たちは新しい世界に進むんだ。自分の準備をしろ。ずっと過去に縛られたまま生きるな。
現実を受け入れろ、キョウ。たとえ…たとえそれが、痛くても。 」
なぜだろう。
きっと、彼の声があまりにも優しかったから。
彼の手が、肩に置かれたまま、温かかったから。
彼が僕を責めなかったから。気が狂ったとも言わなかったから。僕を見捨てて去っていったりしなかったから。
それとも、この2年間、一度も泣いたことがなかったからだろうか。
でもその時、心の中の最後のダムが決壊した。
2年前、ナユキが去ってからずっと――一度も出てこなかった涙が、突然、激しく溢れ出した。止められなかった。もう二度と隠せなかった。
僕は前に倒れ込んだ。両手でイケの服を掴んだ。彼を抱きしめた――少し強く抱きしめすぎたかもしれない。そして、2月の冷たい空気の中に、嗚咽が響いた。
「ナユキ…ごめん…」
涙と嗚咽で声は途切れ途切れだった。
「ちゃんと…ちゃんと別れを言えなくて…ごめん…自分のプライドが邪魔をして…ごめん…許して…」
イケは何も言わなかった。ただ、僕が涙が枯れるまで泣くのを許してくれた。時々、優しく背中を叩いてくれた。本物の親友がそうするように。
しばらくして、涙がようやく落ち着いた。
「なあ、キョウ。」
イケがそっと言った。
「もし…お前がそこまで辛いなら、いつか…俺が手伝うから。」
僕はその意味をすぐには理解できなかった。
でも、その時はただうなずくだけだった。
僕は、ずっと心の中に閉じ込めてきた感情を、全部吐き出した。何も残らないまで。
胸の奥が空っぽになったけど、でも、違う種類の空っぽだった。ずっと心に引っかかっていた重りが、ようやく落ちたような。そんな感覚だった。
泣き止むと、イケはそっと微笑んだ。
「もういいのか?続けるか?」
僕はジャケットの袖で目をこすった。
「うん。続けよう。」
私たちは家の中に戻った。あまり言葉を交わさずに、パーティーの準備を黙々と進めた。多くを語る必要はなかった。私たちの間の距離は、それで十分に温かかった。
数時間後、クラスの友達が一人、また一人と集まってきた。
笑顔。笑い声。久しぶりに聞く、家の中の賑やかな音。
今日という一日で起きた全てのこと――崩れ落ちるような絶望。涙。イケの抱擁。そして、あの錆びた門の前での現実――それらを通して、僕は一つだけ、確かなことに気づいた。
ずっと、自分自身を騙していた。
あまりにも身勝手だった。冷たい現実に向き合うよりも、幻と過ごす暖かい世界の中で生きることを選んでいた。
でも、今日からは――
前に進もう。
もう二度と、過去に縛られない。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
次がいよいよ最終話です。
1時間後に公開しますので、ぜひお楽しみに。
最後までよろしくお願いします。




