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おもちゃのAIとわたし、終末世界だけどなんとかやってる  作者: 堀吉 蔵人


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壁の向こうは一名ぶん

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけると幸いです。

朝のビスケットは、数えると急に弱くなる。


昨夜の残りを掌へ出した。半分、丸一枚、もう一枚。欠けた月が三つ、みたいな形だ。食べれば腹の底で一瞬だけ仕事をする。でも見ているだけで、先に終わりの量だとわかる。


銀色の水筒を振る。ちゃ、と小さく鳴った。


「希望です」

袋の口からくまが言う。

「液体の形をした、ごく薄いやつです」


「薄いのは知ってる」


裂けた地図をひろげる。昨日わたしが白線の罠を騙すためにちぎったせいで、端が変なふうに欠けていた。その隙間へ古いレシートを重ね、炭で線をつなぐ。地図というより、怒りながら作った工作だ。でも目的地まで届けば、それでいい。


窓の外では、高架の腹を朝の風がなでていた。向かいの屋上で、おばあさんが空き缶を並べている。今日もきれいだ。飲み口を下にして、ぜんぶ同じ向きにそろえていた。


「今日はどこまで行くんだい」


「壁の向こう」

わたしは地図をたたむ。

「中央育成物流庫」


おばあさんの指が、缶のふちで少し止まった。


「まっすぐ行くと、まっすぐ数えられるよ」


「遠回りしろってこと?」


「日陰をつなぎな。ああいう場所は、暑さより順番のほうが怖い」


缶がひとつ、からんと鳴る。


順番。


昨日から、その言葉だけが町のいろんな場所で残響している気がした。誰も並んでいないのに、並ぶための白い線だけは消えない。来ない相手のために、まだ一名ぶん動いている。


袋を肩にかける。くまは軽い。記憶が抜けているぶん、本体まで軽くなったみたいに思えることがある。


「役割確認する?」

階段を降りながら聞く。


「はい」


「考えるのはわたし。思い出し損なうのは、くま」


「観察と文句も担当します」


「便利」


「安価です」


朝の町は白く乾いていた。魚の絵のついた低い手すり。丸い角のベンチ。膝くらいの高さの案内板。大人の町の横腹へ、子ども用の町がそのまま挟まっている。わたしはそこを縫う。日向を避け、白い線を避け、親切そうな設備を避ける。つまり、町が用意した正解を避ける。


途中の給水口はまた死んでいた。栓をひねると、ひゅ、と笑うみたいな音がしただけだ。


「感じ悪い」


「期待に応えています」


高架を二本くぐった先で、空気が変わった。砂の匂いより金属の匂いが勝つ。地図にはそこで線が細くなっていた。実際の道もそうだった。壊れたフェンスの脇、低い植え込みの切れ目、壁と壁のあいだの細い影。その先で、白い壁が立っていた。


高い。白い。無駄にきれい。


町のほかのものが全部少しずつ死んでいるのに、その壁だけはまだ現役の顔だ。正面に大きな門がひとつある。でも閉じたままらしく、代わりに低い位置に小さな口が並んでいる。


膝の高さの受渡口。

腰の高さの洗浄口。

床すれすれの返却口。


全部、角が丸い。


全部、ひどく行儀がいい。


「嫌な壁」


「とても」

くまが言う。

「設計思想が、まるごと気味悪いです」


壁の根元には白い靴の絵が並んでいた。低い日よけ、低い待機ベンチ、低い手洗い。ここでも一人ぶんの親切が黙って残っている。


日よけの下へしゃがみこむ。影は細い。肩が半分しか入らない。受渡口のひとつに、小さな文字があった。


第七系統 補充受渡

返却後にご利用ください


「返却後、だって」


「秩序を愛する壁です」


袋の中を探る。裂けた地図。残りのビスケット。紐。古いクリップ。昨日拾った銀色の水筒。


指が止まる。


軽くて、きれいで、この設備と同じ顔をしているやつ。


「……これか」


「返却物としては優等生です」


わたしはふたをひねった。ぬるい水を二口、自分の口へ落とす。喉が鳴る。もう一口、欲しい。そこで止める。判断まで乾くとまずいけど、飲みきってもまずい。


残りを自分の古いボトルへ移す。量は少ない。少なすぎて、移したというより慰めた感じだった。


銀色の水筒を洗浄口へ差しこむ。奥で、かち、と小さく噛む音がした。


少し待つ。


壁の中で低い駆動音が走る。足もとの白線がじわりと灯った。反射で一歩下がる。ランプが青へ変わり、膝の高さのスピーカーがやさしく言う。


『返却を確認しました』

『補充を準備します』

『白線の内側でお待ちください』


「待たない」


「賢明です」


受渡口が横へすべり、浅いトレイが出てきた。銀色のパウチ二つ。小さな栄養ゼリー三本。塩糖の粉。冷却布。厚紙の札が一枚。新品の顔をしているのが、いちばん腹立たしい。


腹が先に動く。目も行く。指先までじりっとする。


でもトレイは、白い靴の絵のついた受領位置ぴったりで止まった。そこへ足を置けば、その次に何が起きるかわからない。昨日、それはもう習った。


上で羽音がした。


小型ドローンが一機、高架の梁のあいだから顔を出す。まだ遠い。でも、こっちを見つけると来る速さだ。


トレイの手前には浅い排水溝が一本走っていた。向こうへ踏みこまずに済む境界になる。でも、そのせいで手は届かない。


見まわす。低いベンチ。外れた看板の支柱。手洗い場の横の細いホース。汗で手のひらが少し滑る。


「くま」


「はい」


「何で受領判断してると思う」


「足もとと重量」

くまが言う。

「たぶん両方です。どちらかだけだと、風でも合格します」


「助かる」


「珍しく、ちゃんと」


看板の支柱を引っぱる。錆びていたけど抜けた。ホースを巻き、足りないぶんは袋の紐で継ぐ。クリップで留める。かなりひどい。釣りに失敗した人が腹いせに作った道具みたいな形だ。


「作戦名は」


「ない」


「心が弱い」


ベンチを横へずらし、その上へ乗る。ぎし、と鳴る。日よけの影から肩がはみ出した。喉がからからする。支柱の先をトレイへ伸ばす。あと少し。金具が縁に触れた。


『受領位置でお待ちください』


「いやだって」


そっと引く。トレイが白線の内側で一センチずれる。ランプは青いまま。


もう一回。


底が排水溝の手前まで来た。あと少しで落とせる。落ちれば音はする。でも踏みこむよりましだ。


羽音が真上で止まった。


影が落ちる。


いま引く。失敗したら、白線へ踏むしかない。


唇の内側を噛む。支柱が汗で少し滑る。握り直して、思いきり引いた。


トレイが傾く。パウチがひとつ、先に滑る。つづいてゼリー、札、冷却布。まとめて排水溝を越え、こっち側の砂へばさばさ落ちた。最後にトレイ本体が斜めになって、白線の内側で止まる。


『受領を、』

スピーカーがつまる。

『受領を確認できません』

『受領位置でお待ちください』


「待てない!」


落ちたものをかき集めて袋へ突っこむ。ドローンが降りてくる気配がした。小さいくせに影だけはちゃんと脅しになる。


そのとき、返却口が開いた。


さっき入れた銀色の水筒が、洗われて戻ってきた。ぴかぴかだ。世話が焼けるにもほどがある。返却口の暗い奥には、さっきから白いものが半分だけ引っかかっているのが見えていた。紙だ。薄いカードか、受領票の切れ端みたいなやつ。


「返してくれるんだ」


「律儀です」

くまが言う。

「好意がしつこい」


水筒を拾う。ついでに支柱の先を返却口へ差しこみ、白い紙を引っかける。薄いのに妙に丈夫で、するすると出てきた。


引いた瞬間、返却口が閉まりはじめる。


『返却ありがとうございました』


「どういたしまして!」


走った。


壁沿いの日陰を、そのまま横へ滑る。低い植え込みをまたぎ、壊れた手洗い場の裏へ飛びこむ。ドローンは一瞬だけ上で迷って、それからさっきまでいた受領位置へ降りていった。白い靴の絵を見つめ、意味ありげに首を振る。たぶん首じゃないけど、感じとしてはそうだった。


しばらく息を殺す。汗が背中を通る。喉が熱い。心臓だけが元気すぎる。


「生還?」


「たぶん」

声が少しかすれた。

「かなり行儀悪く」


「優秀です」


植え込みの裏で、袋の中身を見直す。パウチ二つ。ゼリー三本。塩糖。冷却布。それに紙。


紙は受領票じゃなかった。薄いカードで、角が丸い。表には靴の絵。裏には、細い字がきれいに並んでいた。


第七系統

次便 13:40

搬入口C

予定受入数 一

引渡先 未設定


未設定。


そこだけ、やけに冷たい字だった。空欄のかわりじゃない。最初から、誰にも決めないまま印字した顔をしている。


「引渡先、未設定だって」


くまが少し黙る。


「それは、よくありません」


「誰も受け取らないのに、運ぶ気だけある」


「あるいは」

くまの声が低くなる。

「受け取る相手を決めないまま、数だけ確保している」


「もっと感じ悪いね」


パウチをひとつ開ける。白いペーストが出る。匂いはやさしい。味もたぶんやさしい。そのくせ、未設定の字と同じくらい気味が悪い。


ひと口飲む。腹には親切だ。だから余計に腹が立つ。


冷却布を首へあてる。熱が少し引いた。洗い立ての銀色の水筒が、返したのに戻ってきた顔で黙っている。誰にも渡されないまま次便へ回る物資。まだ誰か一名ぶんのまま動き続ける壁。


町は待っているんじゃない。


ほんとうに、数え直しているのかもしれない。


「くま」


「はい」


「搬入口C、覚えてる?」


「あります」

くまが言った。

「大きい扉。低い列。昼の声。あと、におい」


「なんの」


「おしぼりと、消毒と、泣きやんだあとの空気」


返事に困る記憶ばかり持ってくる。


わたしはカードをポケットへ入れた。13:40までは、まだ少しある。戻って食べる時間はない。ここで待つのも賢くない。でも、搬入口Cがどこかはわかる気がした。壁の角をもうひとつ回った先。高い門じゃなく、低い設備の流れが向かっているところ。子どもの道だけが、まだ生きているほうへ。


正解がなくても、次の手は作れる。


今日は補充をひったくった。次は、補充される先を見る。


上で、やさしい声がまた流れた。


『次便の方は、あわてずお待ちください』


わたしは立ち上がる。袋は少し重くなった。腹も、さっきよりはましだ。足りないものは山ほどある。でも、未設定のまま運ばれるくらいなら、自分で決める。


「行こう、くま」


「はい」

袋の中で、くまが小さく鳴る。

「並ばない方向で」


「それは絶対」


壁の影をつなぎながら、搬入口Cのほうへ歩き出す。白い線の外側を、なるべく行儀悪く。

お読みいただきありがとうございました。お楽しみいただけたようでしたら、★★★★★評価、ブックマークなどいただけると作者の創作の励みとなります。また次回よろしくお願いします。

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