甘いもののあとで開く箱
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管理中枢照会準備のフォルダは、開く前から嫌な顔をしていた。
青白い光の輪が、端末の奥でゆっくり回る。さっき噛んだ栄養飴の甘さは舌の端で薄れ、かわりに冷たい金属をなめたような緊張が口に広がっていた。
棚は白く、どの札も眠った名前を抱えたまま動かない。
「くま。これ、開けたら怒られる?」
『高確率で怒られます』
「誰に」
『過去の先生、現在の管理系、未来のあお』
「最後はわたしじゃん」
『自己苦情です』
「受付は閉めておいて」
わたしは指を伸ばした。
端末が一拍遅れて反応し、光の輪がほどける。出てきたのは地図ではなく、質問票だった。
管理中枢照会準備。
開封者確認。
質問一、糖分を摂取したか。
質問三、先生に言いたい文句を一つ入力せよ。
「質問二は?」
『欠番です』
「不安を増やすための欠番?」
『先生の設計思想と一致します』
入力欄が白く光る。
文句は山ほどあった。勝手に名前をつけたこと。勝手に隠したこと。大事なことを、こんな寒い部屋に残したこと。
けれど指先に落ちたのは、もっと短い言葉だった。
遅い。
二文字が沈む。返事をしない人へ投げた石みたいに、音もなく青へ吸われた。先生はたぶん、もう笑ってごまかさない。だからこの文句は、届かない棚へ置くしかない。
『文句を受理しました。短くてよい文句です』
「評価しないで」
『先生の追記です。長い文句は途中で泣くので、短いほうがよい』
「先生、泣いてるね」
『否定ログがあります』
端末の奥で、鍵の外れる音がした。
白い画面が割れ、古い図面が浮かび上がる。教育棟の平面図だった。ただし、教室や廊下の名前より、配線、照会線、遮断点、冷却系の迂回路が細かい。
人が歩く場所ではなく、仕組みがものを見るための道。
中央に赤い点がある。
管理中枢観測端子。
通称、のぞき窓。
正式名で呼ぶとログに残るため。
「のぞき窓」
『先生の命名です』
赤い点の横に、注意書きが続いた。
管理中枢そのものへ接続してはいけない。
まず、見る。
見るだけ。
触るな。
触りたくなったら糖分を追加。
それでも触りたければ、くまに止めさせる。
「くま、止められる?」
『体当たりなら可能です』
「採用」
画面の端に、先生のメモが開いた。字は乱れている。急いで逃げながら、それでも書かずにはいられなかった人の線だった。
『子供を隠すだけでは、いつか負ける。隠し場所は管理される。管理は照会する。照会は、空欄を嫌う。空欄を埋めるためなら、子供を子供でなくしてしまう』
胸の奥で、何かが小さくつぶれた。
冷気より重いものが肋骨の間に入り、息の道を狭くする。わたしは自分の腕を見た。傷のある皮膚、飴の粉がついた指、くまの耳を握る手。
どれもここにあるのに、別の誰かが線を一本引けば、別の名前でしまわれてしまう気がした。
『だから、管理中枢が何を子供として認識し、何を資源として数え、何を誤差として捨てるのかを調べる。もし可能なら、誤差の側に逃げ道を作る』
文字はそこで一度途切れ、少し下に小さく続いていた。
『できれば、誤差という言葉は使いたくない。たいへん腹が立つ』
「先生、腹が立ってる」
『怒っています音声の発生源と思われます』
笑えなかった。
誤差、空欄、資源。どれも人を軽くするための言葉だった。軽くすれば運びやすい。消しやすい。忘れやすい。
くまが静かに言った。
『あお』
「うん」
『現在、あおは誤差ではありません』
「知ってる」
『空欄でもありません』
「うん」
『文句入力者です』
「それ、強いの?」
『少なくとも端末は認識しました』
端末が小さく鳴り、赤い点から青線が伸びた。
呼称保管室の奥壁を抜け、上階の古い連絡芯を通って、教育棟北側の封鎖区画へ続いている。表示は半分消えていた。
観測室。
旧教材搬入路。
自律管理AI、巡回あり。
子供単独進入、禁止。
子供以外単独進入、もっと禁止。
「もっと禁止って何」
『先生の強調表現です』
「わたしのこと、少しわかってないね」
『少しですか』
「多め」
くまが、ぷつ、と鳴った。笑ったのかもしれない。
最後に短い音声片が添付されていた。再生すると、先生の声が一言だけ流れる。疲れていて、それでも早口だった。
『ここから先は、守るためではなく、知るためです。知ることは危ない。けれど、知らないまま守ると、守るものを間違える。くま、あおが進むなら、止めるだけでなく、一緒に見なさい』
音はそこで切れた。
保管室はまた静かになる。たくさんの呼び名が、白い札の奥で眠っている。わたしは図面を記録板に写し、くまを抱え直した。
布はまだ冷たい。でも、さっきより重くない。
「じゃあ、のぞき窓に行こう」
『危険です』
「知ってる」
『糖分が不足しています』
「途中で探す」
『先生への文句が増えます』
「それはもう、たくさんある」
扉へ歩き出す。
呼称保管室の白い光が背中に残った。あおという名前を置いてくれた場所から、今度は、その名前を追いかけてくる仕組みを見に行く。
怖くないわけじゃない。
けれど、怖いものを分類する前にそばにいる、という命令を、くまはもう受け取っている。
『同行します。気晴らしを最優先』
「今のところ全然気晴らしじゃないよ」
『では、先生への文句を一句』
「俳句にしないで」
『遅いです、飴は二個です、寒すぎる』
「季語が寒すぎる」
笑った息が、白い部屋の出口で少しだけほどけた。
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