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おもちゃのAIとわたし、終末世界だけどなんとかやってる  作者: 堀吉 蔵人


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24/32

赤い線は人を運ばない

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけると幸いです。

北三保存庫の冷えた空気を抜けると、朝はまだ途中だった。


明るくなりきる前の町は、夜より少しだけ正直だ。隠しきれない錆、壁の継ぎ目に溜まった白い粉、配線の途中でやめたみたいな黒い切れ目。そういうものが、薄い光の中では順番を待たずに見えてくる。腹も同じだった。夜のあいだ黙っていただけで、朝になるとまたきっちり主張を始める。


「腹減った」


「かなり、同意です」


「おまえは電気でしょ」


「気分としてです」


気分で空腹を共有されても、こっちはあまり助からない。わたしは服の内側から移送票を出した。感熱紙はもう冷めていたけど、赤い字だけはまだ急いでいる顔をしていた。


南七特別監修施設。

外呼称観察庭。

最終監修卓 講師卓三。


講師卓三。


会ったこともないのに、その並びだけは少し変だった。卓の番号なんて、だいたい部屋の中でしか役に立たない。なのにあの講師は、部屋の外で残るものの話ばかりしていた。規則の紙に、わざわざ風の通る言い方を混ぜる人だ。面倒で、人間で、たぶん叱られながら手を止めなかった。


「南七って、歩くとどのくらい」


「空腹の人間だと、二回休みます」


「最悪の単位だな」


道の端に埋まった誘導灯が、細く赤く点いていた。北三の裏から延びる搬送路。保存庫の中で箱をさらっていった、あの赤い線の続きだ。地面に埋まっているところもあれば、途中から低い高架になるところもある。人の道じゃない。荷物のための道だ。


でも、荷物の道はだいたい近い。人の道はだいたい遠い。


「これ、南七までつながってると思う?」


「緊急移送命令です」

くまが言う。

「かなり、急ぐ時の道です」


「じゃあ、急ぐ人間も借りる」


「人は、運びません」


「知ってる。だから、うまくやる」


北三の裏手には、放置された集積場があった。低い屋根。ひっくり返った空箱。折れた柵。錆びた留め具。昔はここで荷物を分けていたんだろう。今は風が通るたび、軽い板だけがからから鳴る。


赤い線の脇で、低い影がひとつ動いた。


箱みたいな腹に四輪。前面に細い目みたいな受光部がふたつ。荷台は空なのに、やけに真面目な速度でこっちへ来る。ところどころ塗装が剥げて、側面の文字も半分死んでいた。


自動搬送。

特急扱い優先。

人はよけてください。


「出たな、感じの悪い親切」


「かなり、運ぶ顔です」


台車はわたしたちの前で止まり、ぴ、と短く鳴った。受光部がわたしの手元をなぞる。移送票の赤を拾ったらしい。次の瞬間、腹から細い腕が一本だけ伸びてきた。


回収対象照合。

移送票確認。

関連物を積載してください。


「関連物って何」


関連物候補を表示します。

添付資料。

監修記録。

補助照会体。

携行者私物は不要です。


「最後だけずいぶん切るな」


「補助照会体」

くまが言った。

「わたしです」


腕の先が、まっすぐくまへ向いた。


「だめ」


わたしは反射で一歩引き、くまを胸へ抱えこんだ。細い腕は空を掴んで止まる。止まったまま、もう一度ぴ、と鳴る。


補助照会体を積載してください。

同伴歩行は非推奨です。

落下、紛失、感情的な反対が想定されます。


「想定するならやめろよ」


台車は言い返さない。ただ、腕をもう少し伸ばしてくる。長くはないくせに、こっちのいやがる距離だけはよく知っている動きだった。


「くま、これ、どういう仕組み」


「票が主です」

「票があると、票に紐づくものを集めます」

「だいたい、箱優先。人は数に入りません」


「じゃあ箱をやればいいわけだ」


「かなり、はい」


集積場の端に、つぶれた保温袋が落ちていた。中身は空だけど、形はまだ箱っぽい。わたしはそれを拾い、近くの整備用ボルトを何本か放りこむ。重さを作る。上から古い布切れを巻いて結ぶ。遠目には、それなりに大事そうだ。


「雑だな」


「分類上は、かなり荷物です」


わたしは移送票の端だけを、その即席荷物へ差しこんだ。全部は渡さない。角だけ使って、すぐ引き抜けるようにする。


台車の腕が伸び、保温袋をするりと持ち上げた。重さを確かめるみたいに一度だけ揺らし、腹の上へ載せる。満足したらしく、前輪が少し沈んだ。


積載確認。

補助照会体は後続回収とします。


「後続って何」


状況に応じて追いつきます。


「やめてほしいなあ」


台車は赤い線の上を滑るみたいに走り出した。速い。さっきまでの真面目な速度が嘘みたいだった。


「追うよ」


「はい」


わたしはくまを抱えたまま走った。赤い線は集積場を抜け、低いトンネルへ潜る。天井が下がる。むき出しの配管から水が垂れ、金属の匂いが濃くなる。前を行く台車の腹が、誘導灯を順番に起こしていく。


腹が痛い。空腹で、じゃなく、走るたび中が空っぽのまま揺れるからだ。でも止まったら置いていかれる。票も、南七への近道も、くまを後続回収したがる変な台車も。


トンネルの先で、赤い線が二股に分かれた。左は高架へ上がる坂。右は格子扉の向こう。台車は迷わず左へ行く。坂の途中に、小さな再分類台があった。箱を載せる台。読み取り機。細い腕が二本。人が嫌いそうな形の全部。


「ここだ」

くまが言う。

「脇道は、右下」


台の足元。人ひとりが横向きでやっと通れるくらいの保守隙間がある。けど、その前に票を回収しないと終わる。読み取り機の青い線が保温袋の上をなぞり、差し込んだ票の端がふっと持ち上がった。吸着だ。


「今」


わたしは傘骨を差しこんだ。錆びた細い骨が、票の下へぎりぎり潜る。感熱紙は軽い。軽いものは、風と機械には弱いけど、手には助かる。骨をひねる。角が外れる。もう一度。あと少し。


読み取り完了。

南系統へ送ります。


「送るな」


最後は指で掴んだ。吸われる力に少しだけ負けそうになって、紙の端が裂けかける。それでも引いた。票は戻る。代わりに保温袋だけが、空のまま南系統へ流れていった。台車は気づかない。あるいは、気づいても荷物として送る。それがあいつの誠実さなんだろう。雑なくせに、妙に責任感だけある。


警告。

添付票が不安定です。


「知ってる」


わたしは脇道へ身を滑りこませた。くまを先に押し込み、自分も肩から入る。狭い。鉄の縁が背中を削り、膝が配管に当たる。けど、その先には風があった。保存庫の乾いた風じゃない。もっと薄くて、冷たくて、少し土の匂いが混じる風。


「外寄りだ」


「はい」


脇道を抜けると、高架の影へ出た。頭上を赤い搬送路が走り、さっきの空荷物が向こうへ運ばれていく。遠くで、鳥みたいな金属音がした。本物の鳥じゃないかもしれない。でも、北三の内側の音じゃなかった。


その先に、南七が見えた。


高い壁。けど、北三みたいに全部を閉じていない。ところどころ透ける柵があり、その向こうに低い支柱が何本も立っている。支柱のあいだに細い紐。紐には小さな札。風が吹くたび、札がひらひら返る。名札みたいだった。洗濯物みたいでもある。


入口の上には、色の剥げた表示板が斜めにかかっていた。


南七特別監修施設。

外呼称観察庭。

雨天時は結び直してください。


「最後で急に生活だな」


「かなり、庭です」


近づくと、札の列は思ったより低い位置に張られていた。子どもの目線より少し上。背伸びしなくても手が届く高さ。北三の低さとは少し違う。あっちは座らせるための高さで、こっちは自分で結ばせるための高さだ。


柵の脇に、もう一枚だけ小さな札が揺れていた。


入庭前に、外で残る呼び方をひとつ結んでください。

室内限定名、番号のみ、配布名は、風でほどけます。


「嫌なことをさわやかに言うなあ」


「かなり、講師寄りです」


その時、手の中の移送票がふっと持ち上がった。庭のほうから抜ける風が、紙の端を舐める。次の瞬間、柵の上に取りつけられた小さな吸い口が低く鳴った。


未結束紙片を検知しました。

迷子防止のため、一時回収します。


「回収しなくていい」


一歩引く。吸い口の風が少し強くなる。弱いくせに、感熱紙には充分いやな強さだった。北三は手で奪い、南七は風で持っていく。どっちも感じが悪い。


「くま、これも規則?」


「はい」

くまが答える。

「かなり、外です」

「結ばれていないものは、飛びます」


「知ってるよ」


票はなくせない。これが講師卓三へつながるいちばん細い紐だ。でも、この庭に入るには、結ばれている形が要るらしい。


わたしは票を見た。印字の下に、少しだけ白い余りがある。出力の時にだらだら吐かれた、いらない部分。いらないものは、たいてい使える。


端を裂く。細い紙片が二枚。まっすぐじゃないけど、充分だ。


「おまえ、ひとつ」


「はい」


「わたしも、ひとつか」


ちょっとだけ変な気分だった。自分の名前をどこかへ結ぶなんて、あまりやったことがない。だいたい呼ばれる前に振り向くし、呼ばれなくても用事は来る。終末の町で、名前はだいたい贅沢品だ。


でも、ここは違うらしい。ここでは、結ばないと飛ぶ。


わたしはマフラーのほつれ糸を一本抜き、紙片をくくった。低い紐へ結びつける。風がすぐにそれを揺らす。


『外で残る呼び方をどうぞ』


庭のどこかから、女とも男ともつかない平たい声がした。


「くま」


『確認しました』

『同行呼称をどうぞ』


わたしは一瞬だけ口を閉じた。ほんとうの名前を言うほど、この庭を信用しているわけじゃない。番号を言えば、さっきの札にほどけると書いてある。だったら、今のわたしが外で残る呼び方なんて、ひとつしかない。


「わたし」


少しだけ間があった。風が札を鳴らす。紙が擦れる、乾いた小さな音。そのあとで、声が言った。


『仮結束、二件』

『通行をどうぞ』

『ほどけた場合は、拾って結び直してください』


「親切そうで面倒だな」


「かなり、継続して庭です」


吸い口の風が止む。わたしは移送票を服の内側へ戻した。今度はちゃんと押さえる。人間はポケットを発明していてよかった。


柵をくぐると、空気が少し変わった。閉じた施設の匂いじゃない。乾いてはいるけど、どこか生きものの通り道みたいな乱れがある。地面は固い土と割れた板を継ぎ合わせたみたいで、歩くと足裏に細かい差が返ってくる。支柱のあいだには、無数の札が結ばれていた。新しいもの。擦れて字の消えたもの。布切れみたいになったもの。短いもの。妙に長いもの。どれも風に揺れて、読ませたいのか隠したいのかわからない。


完璧な場所は、だいたい人を先にしまう。ここは違う。風がある。結び直す必要がある。そういう手間のある場所なら、名前もしばらく残るかもしれない。


「講師卓三、どっちだと思う?」


「風下です」


「雑だな」


「でも」

くまが少しだけ間を置く。

「たぶん、合っています」


わたしは札の列のあいだを進んだ。何本目かの支柱で、くまの胸の星が弱く明るくなる。壊れかけの機嫌のいい時の光り方だ。


「何」


「近いです」


「卓三が?」


「それも」

くまの声が少し低くなる。

「呼び方が」


風がまとまって吹いた。札がいっせいに裏返る。白い腹が並ぶ。その中で、一本だけ青く褪せた細い札が、支柱に当たって小さく鳴った。


表へ返る。


読めたのは、たった二文字だった。


あお。


わたしは足を止めた。くまも黙る。札はもう一度風に押され、今度は字を隠した。でも、一度見えたものは消えない。


北三から追ってきた記録の声じゃない。冷えた棚の中で整理された呼び方でもない。外に出て、擦れて、結び直されて、それでもまだ残っている二文字だった。


「いた」


口から先に出た。


「はい」

くまが言う。

「かなり、外で残っています」


札の森の奥で、何かがまた乾いた音を立てた。卓か、紐か、風で鳴る金具かはわからない。でも北三の機械音とは違う。待たせる音じゃなく、揺れたあとに残る音だった。


わたしは移送票を握り直す。腹は減っている。喉も渇いている。たぶん、この先も面倒だ。それでも、来た意味はもうあった。


部屋の中で折れた呼び方が、外でまだ歩いている。


「行こう」

わたしは札の奥を見る。

「次は、風の中で聞く」


「はい」


わたしたちは、あおの札が揺れたほうへ歩き出した。

お読みいただきありがとうございました。お楽しみいただけたようでしたら、★★★★★評価、ブックマークなどいただけると作者の創作の励みとなります。また次回よろしくお願いします。

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