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おもちゃのAIとわたし、終末世界だけどなんとかやってる  作者: 堀吉 蔵人


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23/32

逃げる記録の行き先

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけると幸いです。

赤い線が消えた先は、通路というより、保存庫が人に見せたくない腹の中だった。


棚のざわつきが急に途切れる。代わりに聞こえるのは、細い金属が擦れる音と、どこか遠くで低く回る送風機の唸りだけだ。灯りも青じゃない。薄い赤。紙に優しい色なのか、人に優しくない色なのか、今のところ後者だった。


通路の角に、小さな札が斜めに出ていた。


別置架。

監修保管。

手動閲覧は一件ずつ。


「感じ悪いな」


「かなり、親切のふりです」


その先は、床が少しだけ抜けていた。穴じゃない。低い円形の井戸みたいな作りで、縁の下を浅い箱がゆっくり回っている。ひとつずつ、順番に。箱の側面に細い札。青いのもあれば、赤いのもある。赤はだいたい、急いでいる時の色だ。


井戸の手前には、子ども用みたいに低い閲覧台があった。脇へ、足こぎ機。前に見た講師卓の横についていたやつに少し似ている。雑に流用したんだろう。町はだいたい、ひとつ便利な形を見つけると、ぜんぶそれで済ませようとする。


「またこぐのか」


「人力は、かなり信用されています」


「機械の町のくせに」


わたしは足こぎ機へ片足をかけた。冷えた鉄が靴底越しに硬い。腹は減っている。膝も少し笑っている。でも、ここで待つ気はなかった。待てば順番になる。順番になれば、だいたい向こうの都合で終わる。


くまが低く言う。


「講師追記群を前へ出せば、理由札が見えます」


「一件ずつ、ってそういうこと」


「はい」

少し間。

「逃がす時も、名札は捨てません」


それは、かなりこの町らしい嫌さだった。


わたしはペダルを踏む。最初は重い。二度、三度と回すと、井戸の下で箱がことり、ことりと位置を変えた。閲覧台の前にひとつ、浅い箱がせり上がってくる。札の文字が赤い灯りに擦れて、それから読めた。


湿度補記。

紙片破損。

昼食券紛失苦情。


「違う」


「講師らしいですが、違います」


もう一度踏む。腿が嫌がる。塩糖片を半分だけ噛むか迷って、結局噛んだ。甘さと塩が舌に乗る。おいしいじゃない。動け、と体が思い出す味だ。


箱がひとつ過ぎ、ふたつ過ぎる。三つ目で、くまの声が少しだけ強くなった。


「それです」


せり上がってきた箱の札には、きっちりした事務文字でこうあった。


講師追記群。

返却停止願添付分。

監修保管優先。


「ようやく会えた」


箱の蓋は半分だけ開き、中には薄い再生板が数枚、ずれないよう帯で留められていた。閲覧台の音口が自動で起きる。すぐに、あの疲れているくせに妙に熱い声が流れた。


『追記。部屋の中でだけ通る呼び方は、廊下で折れる』

『外で残るものを、先に残したい』

『雨の日は、呼び方が少し近い』

『あと、保管庫の傘はいつも足りない』


「最後でだいぶ下がるな」


「かなり、継続して人です」


次の板が勝手にめくれ、また講師の声になる。


『補足。KMは、返事を急がせない』

『返事が遅い子は、遅いまま外へ出る練習がいる』

『室内でだけ整う子を、整ったことにしない』

『そういう庭が必要だ』


庭。


その単語だけ、やけに浮いた。北三保存庫の冷えた空気に合わない。ここは全部、乾かして、並べて、待たせる場所だ。庭なんて、逆だ。


わたしが眉を寄せた、その時だった。


閲覧台の下で、短い警告音が二つ鳴る。赤い灯りが一度暗くなり、次に強く戻った。井戸の下で回っていた箱が、一斉に少しだけ速くなる。


整合性警告。

講師追記群 参照中。

退避先照合を開始します。


「嫌な音」


「かなり、面倒が前向きです」


閲覧台の表示が、ぱちぱちと切り替わる。事務的な女の声が、慌てもせずに告げた。


『監修権限残留を確認』

『現置架では整合性が保てません』

『講師追記群を、指定監修先へ緊急移動します』


「待て」

わたしは思わず言う。

「今見てる」


『見ていても、移動します』


「正直だな」


井戸の縁から、細い機械腕が一本だけ伸びてきた。せり上がった箱を掴み、ゆっくりと持ち上げる。乱暴じゃない。でも、絶対に止まらない動きだ。こういうのが一番腹が立つ。


箱の底で、薄い紙が一枚だけふわりとずれた。移送票。あれを逃したら、次の行き先が紙の向こうへ沈む。


「くま、止められる?」


「止めるより、吐かせます」


「何を」


「行き先です」


くまの星が弱く光る。閲覧台の窪みへ胸を押し当てるみたいに近づけると、表示が一瞬だけ乱れた。


指定監修先。

照会補助あり。

移送票を出力します。


「えらい」


「かなり、紙好きです」


小さな差し口から、感熱紙が細く吐き出される。遅い。いらいらするほど遅い。機械腕はそのあいだにも箱を持ち上げ、赤い搬送路へ乗せていく。わたしは紙と箱を交互に見た。どっちも欲しい。欲しいけど、人間の手はふたつしかない。


吐き出された紙を掴む。まだ熱い。文字を目で追う。


緊急移送命令。

講師追記群。

移送先 南七特別監修施設。

区画 外呼称観察庭。

最終監修卓 講師卓三。

理由 監修権限残留/現置架不適合。


「庭だ」


声に出る。終末の町で、その字面だけが妙に風通しがいい。


機械腕が箱を搬送路へ置く。赤い札が揺れ、講師の声が最後にひとつだけこぼれた。


『規則は部屋で書ける』

『外で残るかは、外でしか見えない』


それで、箱は行った。赤い線の先。もっと奥か、もっと南か。少なくとも、今のわたしの手が届く場所じゃない。


しばらく、機械の走る音だけが残る。


「講師、保存庫の人じゃなかったんだ」


「はい」

くまが言う。

「たぶん、外へ持ち出す人です」


「外呼称観察庭」

移送票をもう一度見る。

「名前からして、だいぶ信用できないな」


「庭は、かなり天気に左右されます」


「施設の欠点じゃなくて天候を出すんだ」


でも、少しだけ笑えた。腹が減って、喉が渇いて、足も重い。そのくせ、行き先が庭だと言われると、町の中の空気がほんの少し動いた気がする。北三保存庫は冷えすぎていて、記録はきれいすぎた。ここから先が外寄りなら、たぶんもう少し殴りやすい。


頭上の表示が、また赤から青へ戻る。


手動閲覧は終了です。

次の一件をどうぞ。


「やだね」

わたしは足こぎ機から降りる。

「次はそっちの庭でやる」


「かなり、予定変更です」


「最初から予定なんてなかったよ」


移送票を服の内側へしまう。熱がまだ少し残っていて、心臓のあたりへ薄く貼りつく。名前。返事。外で残るもの。講師はたぶん、そういうのを制度の外へこぼすために、わざと叱られていた。


くまを抱え直す。胸の星は弱い。でも、今は前より静かに光っていた。壊れかけのくせに、行き先が見えると少し機嫌がよくなる。燃費の悪い相棒だ。


通路を戻る。棚のざわつきがまた近づいてくる。記録の図書館は相変わらず静かにしているとよくしゃべった。


『本日の順番変更は一件です』

『理由は、たぶん人です』


「聞こえてるぞ」


『聞こえるように言いました』


「北三、ほんと感じ悪いな」


「かなり、嫌いではありません」


「わたしも」


それがいちばん腹立たしい。嫌な仕組みのくせに、たまに人の手だけ残してくる。そういう場所は、簡単に捨てられない。


受付の低いモニターを抜けるころには、冷えた空気の向こうに夜明け前みたいな薄い白さが戻っていた。外はたぶん、まだ腹の減る世界のままだ。でも今は、腹が減るだけじゃない。行き先がある。


南七特別監修施設。外呼称観察庭。講師卓三。


「遠い?」


「かなり、南です」


「雑だな」


「でも」

くまが少しだけ間を置く。

「外です」


わたしは扉の向こうの空気を吸った。北三保存庫の冷たさより、ずっとまずい。ずっとまともだ。


「じゃあ行こう」

わたしは歩き出す。

「部屋の中でだけ残る話は、もう充分聞いた」


「はい」


「次は、外で残ったやつを拾う」


北三保存庫は背中の後ろで、また順番を回し始める。紙を並べる音。待たせる音。逃がす時だけ少しだけ正直になる音。


ああいう町だから、たぶんまだ残っている。


名前のほうが先に歩く場所が。

お読みいただきありがとうございました。お楽しみいただけたようでしたら、★★★★★評価、ブックマークなどいただけると作者の創作の励みとなります。また次回よろしくお願いします。

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