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おもちゃのAIとわたし、終末世界だけどなんとかやってる  作者: 堀吉 蔵人


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22/32

最初になくしたもの

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけると幸いです。

北三保存庫は、返事の代わりに、子どもの膝くらいの高さで青く光った。


扉の横へ細い線が走る。白く焼けたモニターの下に、指先ほどの表示窓が起きた。


受付係。

ききなおし 三回まで。

こたえだけでも可。

りゆうがあると、たすかります。


「最後だけ急に人だな」


「かなり、北三です」


『いちばん さいしょに なくしたものを こたえてください』


夜気より少し冷えた声だった。やさしいふりはしている。でも、こっちが困る前提のやさしさだ。わたしは画面の縁を指で拭った。埃の下から、小さな絵が出る。帽子。片手袋。名札。コップ。どれも子どもの持ちものみたいに軽い。


「候補が多すぎる」


「人は、よく落とします」


「慰めにならない」


モニターの隅には、消えかけた注意書きもあった。


該当しない場合、事情をひとこと。

事情の筋を優先。

泣いている場合は、先に座らせる。


「事情の筋って何」


「たぶん、正解より人間です」


それなら、少しわかる気がした。この町はずっと、正しい顔で雑なことをする。たぶんここは、雑な顔で人を残した場所だ。


わたしはしゃがみこみ、くまを抱え直した。低い位置にある画面は、いちいち誰かを小さく座らせる。立ったまま通すつもりじゃない。子どもの目線で答えさせるための高さだ。


「くま。記憶で何かある」


布の奥で、胸の星が弱く明るくなった。


「なくしたものの記録は、多いです」

「帽子。左手袋。紙の星。前歯」

少し間。

「でも、H-43は少し違います」


「どう違う」


「先に、呼び方がありました」


その一言で、喉の奥が少し冷えた。東四棟二〇六で見た紙。自己申告呼称。あお。番号になる前に残った呼び名。残した誰かがいた。


モニターが待ちきれないみたいに、もう一度青く点いた。


『へんじを どうぞ』


「なくしたのは」

わたしは画面を見る。

「名前」


沈黙。北三保存庫は機械のくせに、ちょっと考える時間を取った。


『りゆうを どうぞ』


「ここ、番号を先に作るでしょ」

わたしは肩をすくめた。

「だから最初になくすのは、帽子とかより先に名前だよ」

「呼び方を残すのに紙がいるなら、もう半分なくしてる」


くまが小さく言った。


「かなり、筋です」


モニターの焼けた中央に、白い文字が一行ずつ浮いた。


事情照合。

呼称先行例外。

受付係判断で通します。


「通るのかよ」


「たぶん、前例があります」


『どうぞ』

『つぎは なくさないでください』


「無茶言うな」


鍵の音じゃなく、吸い込むような低い音がして、横手の扉が内側へずれた。冷えた空気が細く漏れてくる。乾いているのに、古い紙と金属の匂いがした。保存の匂いだ。人を残すというより、失くさないふりをするための空気。


中へ入ると、床が少しだけ沈んだ。低い通路。低い灯り。棚も案内板も、何もかもが子どもの肩から胸の高さに揃っている。大人が使うには窮屈で、小さい人を順番に流すにはちょうどいい。喉の渇きが、その寸法だけで少し増した。


通路の先に、丸い札が吊ってあった。


記録の図書館。

静かにすると、よくしゃべります。


「いやな標語だな」


「かなり、事実です」


棚のあいだへ入る。引き出しが多い。本棚というより、低い整理箱の群れだった。木じゃない。薄い灰色の樹脂で、ところどころへ音口みたいな丸穴がついている。近づくと、どこかの箱が勝手に小さく囁いた。


『湿度は規格内です』

『本日の紙片破損は二件です』


別の箱が続く。


『きのうの忘れものは、青い紐一本』

『持ち主はたぶん怒っています』


「ほんとにしゃべる」


「静かにすると、かなりうるさいです」


くまの言うとおりだった。歩くたび、棚が自分の番を待っているみたいにざわつく。事務的な声。やさしすぎる声。読み上げが妙に芝居がかった声。昔いろんな人間が録ったんだろう。そのまま残って、今も働いている。


通路の奥に、小さな照会台があった。星形の窪み。くまの胸と同じ形だ。


「露骨だな」


「はい」

くまが低く答える。

「かなり、わたし向きです」


わたしはくまをそっと照会台へ近づけた。胸の星が窪みに触れる。かすかな通電音。まわりの棚が一斉に息を吸うみたいに静かになって、それから、いくつもの引き出しが小さく青く点いた。


検索補助。

関連語をどうぞ。


「出生許可台帳」

わたしは言う。

「あと、中央育成原簿」


一番近い引き出しが、ことりと鳴る。次に、二つ先。三つ先。青い点が順番に奥へ走った。棚の中で、記録が場所を教え合っているみたいだった。


右の引き出しから、女の人の声がした。感情の薄い、けれど読み間違えない声。


『照会します』

『出生許可台帳、原簿照合、北三保存庫保留記録』

『該当:局所同期停止措置 一件』


「停止」


「はい」


引き出しがゆっくり自分で少しだけ開いた。中に紙は見えない。見えるのは、薄い再生板と細い音口だけだ。保存庫は読む代わりに、まず語るらしい。


声が続く。


『停止理由。H-43呼称安定観察中』

『原簿側の番号先行処理は、外呼称消失を早めるおそれあり』

『よって、出生許可台帳から中央育成原簿への自動同期を一時停止』

『責任者追記あり』


わたしは引き出しの前で止まったまま、息だけを細く吐いた。


「バグじゃない」


「故意です」

くまが言う。

「かなり、手で止めています」


「誰かがわざと、番号になるのを遅らせた」


「はい」


その「はい」が、妙に静かだった。自分の中で何か噛み合った時の声だ。


別の引き出しが勝手に鳴り出す。今度は男の声。若くも年でもない、疲れているくせに妙に熱い声だった。


『補足。規程違反は承知』

『ただし、呼び名まで乾式処理したら教育ではなく回収になる』

『H-43は名前のほうが先に歩く』

『KMはそれに付き合える』

『よって同期は止める。あと昼食券がまた消えた。返してほしい』


わたしは思わず顔を上げた。


「最後で台無しだな」


「かなり、人間です」


「講師?」


『追記者識別:講師』

『私語ではありません。備考です』


「自分で言うんだ」


くまの星が、照会台の上で弱く明滅する。どこかを懐かしがるみたいに、不安定な光り方だった。


「名前のほうが先に歩く」

くまが繰り返す。

「記憶に、近いです」


「おまえも、付き合ったんだ」


「たぶん」

少しの空白。

「うまく、付き合いたかったのだと思います」


棚の向こうで、また別の音声が起きた。今度は講師本人じゃない。受付で聞いたのと同じ、事務的な女の声。


『注意。同期停止措置は暫定です』

『教育観察目的の延長は、三回まで』

『四回目は理由欄へ具体的に書いてください』


間を置いてから、同じ引き出しが、さっきの疲れた熱い声に切り替わる。


『具体的に書きます』

『この子は、番号で呼ぶと返事が遅くなる』

『返事が遅い子を、遅いまま処理するのは教育ではない』

『それでも違反なら、あとで叱ってください』

『できれば昼食後に』


「すごいな」


「かなり、怒られ慣れています」


「それで止めたのか」


「はい」

くまの声がごく小さくなる。

「善意と、たぶん偏りです」


偏り。たしかにそうだ。公平でも効率的でもない。誰か一人の返事が遅くなることを、ちゃんと嫌がった人間の手だ。制度としては雑で、管理としては最悪で、でもそうでもしないと残らなかったものがある。


わたしは低い棚へ手を置いた。冷たい。きれいだ。きれいなぶんだけ、ここでは人間の勝手さがよく浮く。


「講師、まじめなのか適当なのかわかんないな」


「両方あると、人です」


「最近そればっか教わってる気がする」


『関連記録があります』

照会台が言う。

『講師追記。返却停止願。同行端末補助』

『閲覧しますか』


「もちろん」


答えた瞬間、通路の奥で灯りが一列だけ点いた。棚の列が、低い星座みたいに青く続く。そのいちばん先で、細い箱がひとつだけ半分開いている。


そこへ近づく。箱の中に入っていたのは紙じゃなく、折りたたまれた薄い再生板だった。縁に子どもの指跡みたいな汚れが残っている。わたしが触れるより先に、音声が立ち上がった。


『返却停止願、追記』

講師の声だった。今度は少しだけゆっくりしている。

『H-43とKMの組を、部屋の外でも切り離さないこと』

『部屋の中だけ安定する関係は、部屋ごと壊れる』

『外で呼べるものは、外で残す』

『規則はあとで直せるが、呼び方は乾くと戻りにくい』


わたしは、くまを抱えた腕へ少しだけ力を入れた。


外で呼べるものは、外で残す。


きれいな言い方だと思う。きれいすぎて、今の町には少し似合わない。そのくせ、昼食券がどうとかも同じ声で言う。変な大人だ。変な大人だけど、嫌いじゃない。


くまがぽつりとこぼした。


「講師は、順番を信じていません」


「制度の中の人なのに?」


「はい」

星が一度だけ強く光る。

「だから、たぶん叱られます」


「そりゃそうだ」


そこで、図書館の奥から違う音がした。軽い警告音。慌てたふうではない。事務的に面倒を増やす時の音だ。


頭上の細い表示が赤く変わる。


関連記録整合性 低下。

講師追記群 別置架へ退避準備。

手動閲覧は順番待ちです。


「待つな」


『待ちます』


「最近、町じゅうそれだな」


通路のさらに奥、青い灯りの先に、もう一本だけ赤い線が伸びた。別置架。監修保管。そんな文字が小さく浮いて、すぐ消える。保存庫のもっと奥か、下か。少なくとも、ここじゃない。


くまが低く言う。


「追うなら、あちらです」


「今すぐ閉じる前に?」


「はい」

少しの間。

「講師は、逃がす時も順番を使います」


わたしは赤い線が消えた先を見た。腹はまだ減っている。喉も乾いている。けど、北三まで来て、入口だけ殴って帰る気はもうなかった。


変な質問で開く扉。しゃべる棚。名前が乾く前に止めた誰か。終末のくせに、人の勝手ばかり残っている。そういうのは面倒だ。でも、紙より先に腹が立つぶん、わたしには追いやすい。


「行くよ、くま」


「はい」


「最初になくしたものは、たぶん名前だった」

わたしは低い通路の先へ足を向ける。

「でも今なくしたくないのは、これじゃない」


「かなり、同感です」


記録の図書館は、わたしたちの背中へ向かって、小さく何かを読み上げた。


『静かにすると、よくしゃべります』


「知ってる」


わたしは答え、赤い線が消えた奥へ歩いた。北三保存庫は、まだ半分しか口を開いていない。だったら、残りもこっちからこじあけるだけだ。

お読みいただきありがとうございました。お楽しみいただけたようでしたら、★★★★★評価、ブックマークなどいただけると作者の創作の励みとなります。また次回よろしくお願いします。

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