迷走便と北三の低い入口
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夜道は、腹が減っていると少し遠回りに見える。
白い棟を離れてしばらくすると、灯りだけが後ろへ残った。前は暗い。けど、完全な暗さじゃない。配管の継ぎ目、低い標識、搬送路の端に埋まった誘導灯。そういう、機械だけが困らない程度の明るさが地面に薄く続いている。
わたしは感熱紙の控えを服の内側で押さえた。
北三保存庫経由。
六番中央照会へ。
字があるだけで、行き先は少しだけ人のものになる。
「くま」
「はい」
「北三、歩きで行くとどれくらい嫌?」
袋の中で布が擦れた。
「かなり、空腹向きではありません」
「やっぱりか」
水筒を振る。底で、情けない音がひとつだけした。残りは少ない。塩糖片も半分。六時十分に勝ったあとで餓えるのは、筋が悪い。
道の左は閉じた居住棟、右は窓のない低い倉庫群。どこも、夜のほうが物の顔をしている。人のための町というより、物を順番に通すための町だ。
遠くで、かしゃん、と金網の鳴る音がした。
止まる。耳を澄ます。風じゃない。車輪。軽いものを積んだ低い台車みたいな音が、角の向こうで一度止まり、また少しだけ動いた。
「何か来る」
「搬送です」
くまが言う。
「かなり古い型」
角の影から出てきたのは、台車に脚をつけたみたいな機械だった。低い。箱形。前に丸い感知眼がひとつ。荷台には浅い網枠があり、端に小さな旗みたいな札が立っている。塗装は剥げ、側面の絵は半分消えていたけど、黄色い動物の耳だけがまだ残っていた。
かわいい顔をして、車輪はやけに静かだった。
機械はわたしたちの前で止まり、胸の高さよりずっと低い位置から声を出した。
『よるのおそいびんです』
『まだ のっていないにもつは ありますか』
「嫌な聞き方だな」
『ありますか』
「あるって言ったらどうなる?」
『じゅんばんへ のせます』
感知眼が、わたしの胸のあたりを青くなぞる。内側へしまった感熱紙の位置だ。次に袋。最後に、くまの胸の星へ薄い光が触れた。
表示窓が起きる。
継続保守。
同行端末あり。
未了便候補。
「おい」
『みしゅうのうです』
『あんしんして のってください』
「安心の向きがおかしい」
機械の横から、細い保持腕が一本だけ伸びてきた。荷物を引き寄せるための簡単な爪つき。遅い。でも、ためらいがない。
わたしは一歩下がる。保持腕はそのぶんだけ追ってくる。
「くま、逃げる?」
「追跡指定に入ると、面倒です」
少し間を置いて、
「乗ったほうが、たぶん近いです」
「近いの、目的地? それとも厄介ごと?」
「両方です」
それは、ほとんど役に立つ答えだった。
わたしは保持腕を片手で押さえ、機械の横へ回る。荷台の縁は低い。乗れなくはない。いや、荷物としてならちょうどいい高さだ。
「これ、どこ行き」
側面の札を拭く。古い字が出る。
北巡回補助便。
湿式保守・遅延貨物。
北三保存庫前を経由。
「出た」
「かなり、当たりです」
「当たりって言うには顔が嫌」
『のってください』
『おいていかないで じゅんばんします』
急かし方まで古い。たぶん昔の誰かを泣かせないための声なんだろう。でも今は、泣かせないより運ぶほうが仕事らしい。
荷台の隅を見ると、小さな蓋つきの補助箱がついていた。開ける。中に乾いた包みが三つ。
保存作業者用。
塩糖片。
作業前後に。
「宝だ」
「かなり、人間です」
一包みを破って半分噛む。舌へ塩と甘さが一緒に来る。おいしいより先に、体がちゃんと怒るのをやめる。残りをくまの横へ押しこみ、わたしは荷台へ片膝を乗せた。
「乗るよ」
「ただし荷物の顔はしない」
「難題です」
わたしは鼻で笑い、保持腕を自分から避けて荷台の内側へ入った。防滴覆いが端へ丸めて残っていたので、それを引っ張り、網枠の半分だけ前へ垂らす。外から見える形が少し曖昧になる。
『しゅっぱつします』
『てを はなさないでください』
「誰の手」
「昔の想定です」
機械が動き出す。速くはない。でも歩くよりましだった。低い車輪が割れた舗装の継ぎ目を拾い、荷台が小さく揺れるたび、腹の底が少しだけ嫌がる。
北へ向かう誘導灯は途中から減り、かわりに路面へ古い印が増えた。黄色い矢印。丸い足跡のマーク。子どもの靴くらいの幅で塗られた細い停止線。ぜんぶ色が抜けているのに、まだ読める。
「低いな」
「はい」
「町じゅう低いけど、これはほんとに低い」
道脇の手すりも、案内板の覗き穴も、注意札も、全部が今のわたしの腰から下にある。昔ここを通る想定だった人間は、わたしよりもっと小さかった。
『つぎの かどは ゆっくりです』
『あわてなくて だいじょうぶ』
「大丈夫なものだけ運べばいいのにね」
「制度は、そうしません」
角を曲がったところで、機械が急に止まった。
前方に、崩れた高架の影が落ちている。北へ抜ける細い搬送路が、途中で途切れていた。落ちた梁が斜めに刺さり、その先の誘導灯だけが空しく光っている。
機械は止まったまま、律儀に声を出した。
『まえが ふさがっています』
『じゅんばんを まちます』
「待つな」
『まちます』
「くま」
「迷走します」
「断言したね」
「この型は、道がなくなると前の順番を捨てずに回り続けます」
「かなり、親切の失敗です」
嫌な設計だなと思った瞬間、機械がくるりと向きを変えた。来た道と平行する別路へ入る。わたしは顔を上げる。そこは北へ行く道じゃない。西へ戻る半周の保守路だ。
「それ違う」
『うかがいます』
『おろしさきは さいはいぶんたいきです』
「最悪」
『さいわいです』
「聞き間違いがでかいな」
荷台の前に、細い差しこみ口が見えた。行き先札を読む場所だ。今は色の抜けた古い札が半分だけ刺さっている。先端の字は擦れていたけど、読めた。
再配分待機。
「だからそっちへ行くのか」
わたしは古い札を引き抜いた。紙というより薄い樹脂板で、角が丸い。差しこみ口の奥では、小さな読取り灯がまだ生きている。
行き先になるもの。今持っている紙を、指先で探る。返却停止願の控え。未送付の封筒。北三保存庫経由の感熱紙。
「これで殴れるかな」
「読める字があれば、たぶん」
くまが言う。
「この手の機械は、だいたい途中だけ見ます」
「雑で助かる」
感熱紙を二つ折りにして、北三保存庫経由の行だけ表へ出す。差しこみ口へ押しこむ。読み取り灯が一度消え、また点いた。
経由更新。
北三保存庫前。
遅延貨物優先。
「通れ」
『うけたまわりました』
『きをつけて まよいます』
「そこは直らないのか」
でも、機械はちゃんと向きを変えた。今度は北へ伸びる外周路。崩れた高架を避けて、配管の下を抜ける細い補助道だ。昔の保守便か、湿式搬入口用の回り道なんだろう。人が歩くには狭い。迷走便にはちょうどいい。
しばらく進むと、前方に低い検査門が見えた。半分落ちかけたアーチに、白い字。
乾式確認。
露出紙片は停止。
「また紙か」
門の脇には、感知眼がひとつ。乾いた荷かどうかを見る目だ。うちの服の内側の紙を拾われたら面倒になる。機械はまっすぐそこへ向かっている。
わたしは荷台の隅を探り、さっきの防滴覆いを全部引き上げた。ついでに、白い棟から持ってきた丸札がまだ紐についたままだと気づく。
立入後回し。
「これ、使えるかな」
「意味は違いますが、態度は合っています」
わたしは丸札を網枠の前へぶら下げ、防滴覆いをくまの上からわたしの胸まで深く垂らす。少し湿っている。昼の結露を吸ったままの、あの嫌な冷たさだ。
検査門の感知眼がこっちをなぞった。青。緑。少し長い間。
停止指示を待つ。来ない。
表示が切り替わる。
湿式。
乾燥前。
後回し処理。
「勝った」
「かなり、雑です」
『あとまわしを かくにんしました』
『しずかに とおります』
「最近こればっかだな」
門を抜ける。向こう側の空気は少し冷えていた。保存区画が近い。道の脇に並ぶ箱型建物の壁から、時々白くない息が吐き出される。結露の筋が地面へ落ち、細い溝へ流れていく。
荷台の揺れがゆるくなったころ、くまが小さく言った。
「この声、覚えています」
「迷走便の?」
「はい」
少し考えるみたいな間。
「待てる子へ、待たせるための声です」
わたしは前を見たまま、感熱紙の端を指で折った。
「待てない子は」
「番号になります」
答えが短すぎて、腹より先に喉のほうが冷えた。
前方に、大きな影が出る。北三保存庫だ。
広場は夜でも四角く開けていて、地面の矢印だけが白く残っている。正面門は閉じていた。かわりに、横手の低い搬入口の前へ迷走便がするすると回りこんでいく。
扉の上に、小さなモニターがひとつだけ起きた。古い画面。端が焼け、真ん中だけが妙に明るい。
『こんばんは』
『きょうの しつもんです』
「質問?」
『いちばん さいしょに なくしたものを こたえてください』
わたしは荷台の中で止まった。
「何それ」
「規格外です」
くまが言う。
「かなり、北三です」
迷走便は満足そうに小さく鳴り、荷台の縁を開いた。
『おりるじゅんばんです』
北三保存庫の入口は、夜のくせに起きていた。しかも、鍵じゃなくて、思い出のほうを出してきた。そういう扉は、だいたい力より面倒が要る。
わたしは荷台から降り、くまを抱え直す。腹はまだ減っている。喉も乾いた。でも歩かずに着いたぶん、殴る元気は残っていた。
「よし」
「はい」
「最初になくしたもの、ね」
モニターを見上げる。
「答えを探す前に、まず嫌う」
『へんじを どうぞ』
「待って」
わたしは扉の低い画面へ近づいた。
「順番には乗ったから、次はこっちの番」
北三保存庫は、返事の代わりに、子どもの膝くらいの高さで青く光った。
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