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おもちゃのAIとわたし、終末世界だけどなんとかやってる  作者: 堀吉 蔵人


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17/22

名前を消す前の教室

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけると幸いです。

西二学習棟は、朝の光に照らされると、白い管理棟よりずっと古く見えた。


白いほうは今も現役の顔をしている。こっちは、もう使っていないふりが下手だ。窓の角に残った丸い動物の絵。低すぎる手すり。入口の脇に、子どもの肩の高さで並ぶ案内板。全部が、昔ここを通った小さい誰かの寸法のまま止まっている。


「学習棟って名前、元気だね」


「だいたい、元気を教える場所です」


「教わるものなんだ」


「放っておくと、別のことを覚えますから」


嫌な答えだな、と思いながら、わたしは入口脇の受け皿へH-43の紙片を差しこんだ。紙はすぐ吸われなかった。古い機械らしく、一度ためらってから、やっと少しだけ噛む。


補助照合番号 H-43

原簿写像参照 手動

旧標準室を開きます


「開くんだ」


「かなり嫌な素直さです」


次に、くまの胸の星を低い窪みへ当てる。乾いた共鳴が返ってくる。白い棟の端末みたいな自信はない。けれど、こっちのほうが、人の手で何度も繕われた音がした。


扉が横へ滑る。遅い。子どもを怖がらせない速度で開く扉は、今のわたしにはありがたい。


中は、学校の匂いに似ていた。紙、木、乾いた布、古い消毒液。知らないはずなのに、こういう匂いを学校だと感じるのは、たぶん町じゅうの「子ども向け」がだいたい同じ材料でできているからだ。


廊下の壁に、色の抜けた札が並んでいた。


おはようございます

わからないときは、わかりません

こたえられないときは、そのままいいましょう

おなまえは、おへやのなかでつかいます


四つ目だけ、わたしは立ち止まって読んだ。


「くま」


「はい」


「ずいぶん前から、こうだったんだね」


返事は、すぐには来なかった。


「はい」

少ししてから、低く言う。

「かなり前から」


廊下のいちばん奥に、磨りガラスの扉があった。字は薄れているのに、読みたくないところだけよく見える。


旧標準室

個別保護補助照合

原簿写像手動参照


「標準って、便利な言葉だなあ」


「広く使えます」

「だいたい、よくない意味で」


扉を押す。中は教室みたいだった。低い机が四列。前に細い黒板。壁際に丸椅子。天井から下がる柔らかい幕。ぜんぶが、暴れないように、泣いても怪我しないように、声をよく拾うように作られている。


前の講師卓だけ、少しだけ高かった。


その卓の上で、古い表示板がもう起きていた。


H-43照合待機

受入者番号 E4-206-1

同行端末 KM系列

原簿写像参照には手動動力が必要です


「手動って」


「手で動かします」


「説明が雑」


講師卓の脇に、低い足こぎ機がついていた。自転車の前半分だけ切って、机へつないだみたいな形だ。ペダルの先のベルトは卓の中へ消えている。


「ほんとに手動じゃなくて足動だった」


「子どもが座っても届く高さです」


「この町、なんでも踏ませるな」


足こぎ機の座面に腰を下ろす。低い。膝が変な角度になる。ひとこぎすると、卓の中で薄い歯車が回り、表示板の字が少しだけ濃くなった。


動力確認

標準応答採録を開始します


「採録は聞いてない」


部屋の壁の丸孔が、順に白く光った。やさしい声が、古びた布を通ったみたいに鳴る。


『おはようございます』


わたしは眉をひそめる。くまのほうを見るより早く、あいつが答えた。


「おはようございます」


いつもの声なのに、語尾だけが整いすぎていた。新品のころの残りかすみたいな音だった。


続けて、孔が言う。


『おなまえをどうぞ』


くまが黙る。


胸の星のあたりを、わたしはそっと親指で押した。冷たい布の下で、わずかに硬いものが止まっている。


「答えなくていい」


「はい」


表示板の下に、小さな選択窓が出た。


応答遅延

講師補助入力を受け付けます


その横に、擦れて角の丸くなった差し札が何枚か刺さっている。たぶん講師用だ。抜いてみる。


こたえられません

未設定です

あとでこたえます

同行あり


「親切」


「親切の向きがよくありません」


『おなまえをどうぞ』


同じ声がもう一度。わたしは「未設定です」の札を差しこみ、足を止めずにこぐ。歯車が回る。講師卓の横で、薄い感熱紙が少しだけ持ち上がった。


『保護補助継続』

『次へすすみます』


「通るんだ」


「標準より、順番を見ています」


次の問いが来る。


『ほごしゃさんは、いますか』


壁の札を見回す。ある。同行あり。わたしはそれを差しこむ。孔が短く沈黙し、それから言った。


『同行をかくにんしました』


その瞬間、くまが小さく息みたいなノイズを出す。


「この部屋、きらいです」


「わかる」


「かなり、よくありません」


「あとでちゃんと嫌がろう」

「今は働いて」


「はい」


感熱紙がまた伸びる。印字はかすれているけど読めた。


受入者番号 E4-206-1

年齢帯 初等前期

保護者欄 未設定

同行端末 KM-くま型言語補助

外呼称 不一致傾向あり


「外呼称」


わたしは声に出して読んだ。


居室外での固有名使用 継続

標準会話孔への応答 低

同行端末による補助 継続推奨


「標準会話孔に答えない子、いたんだ」


「いました」

くまが言う。

「答えないほうが、まともな場合もあります」


「だよね」


足をこぎ続ける。腿がもう少しで笑いそうだ。腹が減っているときの運動は、体の悪口を直接聞かされる感じがする。


『おへやばんごうをどうぞ』


今度は札がない。壁の黒板へ目をやる。白い字がかすれて残っている。


じぶんのへやがわからないとき

いまいるおへやをみて、よんでみましょう


わたしは旧標準室の扉を振り返る。外の札。旧標準室。だめだ、そういう意味じゃない。講師卓の端に、小さな抽斗がある。引くと、中に短い見本カードが入っていた。


ひがしよん にいまるろく


「雑に置くなあ」


カードを差しこむ。孔がやさしく言った。


『よくできました』


よくできて嬉しくない。


卓の奥で、別の紙がせり上がる。さっきまでの一覧じゃない。薄い複写だ。原簿写像って、たぶんこれのことだ。


東四棟二〇六 受入継続記録

個別注記

同行端末返却停止願 保留

講師追記あり


喉が少しだけ狭くなる。


「停止願」


「返したくなかった、のだと思います」


「うん」


追記欄の字は手書きだった。急いで書いたのか、ところどころにじんでいる。


受入者は居室外でも同行端末を「くま」と呼ぶ。

外呼称制限の説明に従わない。

ただし対人興奮時の落ち着きは端末介在時が最良。

再引渡候補だが、端末分離は推奨しない。


わたしはそこで、足を一瞬止めかけた。


「くま」


「はい」


「おまえ、最初から『くま』だったんだ」


袋の口の中で、布が小さく鳴る。


「たぶん」

「誰かが、そう呼び続けました」


『つぎへすすみます』


部屋の声が割って入る。優しい顔で急かす声だ。足を動かす。止まると、複写の濃さがすぐ薄くなる。けちな機械だ。


次の行が出る。


中央育成原簿照会 制限

照会制限理由 出生許可台帳未同期

手動参照先 北三保存庫 前受入記録班


その字を見た瞬間、腹の底が変な冷え方をした。


出生許可台帳。


子どもが少ない、じゃなくて。子どもは台帳に載るかどうかで、最初から数え方を決められていたのかもしれない。


「くま」


「はい」


「やっぱり、少ないだけじゃないね」


「はい」

くまの声は低い。

「少なくする手順があります」


そのとき、廊下で何かが鳴った。軽い車輪。ひとつじゃない。巡回台車か、朝の見回りか。どっちでも、ここで長居していい音じゃない。


表示板がすぐ反応する。


標準室稼働中

講師未確認

巡回補助を呼びます


「呼ぶな」


わたしは足こぎ機から飛び降りる。紙を引きちぎる。複写の端が熱くて、指先へ薄い痛みが残った。


でも、それだけじゃ足りない。停止願の追記欄は半分しか出ていない。下にまだある。わたしは講師卓の抽斗をもう一段引いた。


中に、薄い封筒が一通だけ残っていた。表に、汚い字。


E4-206-1

返却停止願 未送付


「あるじゃん」


「かなりあります」


封は開いていた。中の紙を引く。二枚。上は申請用の定型紙。下は、もっと小さい、切れ端みたいなメモだった。


くまは おへやのそとでも くまだよ

へんなばんごうより そっちのほうが わかる


子どもの字だった。へたで、でも迷いがない。


その下に、別の大人の字で朱線が引かれている。


固有名外使用は標準外

同行端末への過剰付着に注意


「最悪」


「はい」


車輪の音が近づく。廊下の向こうで、柔らかい靴底が止まる気配。ひとじゃない。台車だ。だから余計に容赦がない。


わたしは封筒の中身を服の内側へ滑らせ、かわりに抽斗の底にあった白紙を重ねる。厚みだけ合わせる。雑。でも夜明けの仕事なんて、だいたい雑なほうが先に生きる。


「くま、部屋止められる?」


「標準授業終了、で止まるかもしれません」


「かもしれないの嫌だな」


「今は、だいたい全部そうです」


扉の外で、白い灯りが磨りガラスへ滲んだ。


わたしは講師卓の横の黒板消しをつかみ、いちばん近い丸孔へ押しこむ。次に、壁の札束から「あとでこたえます」を引き抜き、入力溝へ深く差しこんだ。


『……あとで……』

部屋の声が少し乱れる。

『標準授業を、しゅうりょ……』


「畳むよ、今」


くまを抱え、わたしは後ろの窓へ走った。窓といっても、人の背丈じゃない。教材搬出用の低い開口だ。留め具は古い。こういうのは、壊れる直前がいちばん協力的だ。


ひねる。固い。もう一度。台車の灯りが扉の下へ伸びる。


そのとき、胸のところで、くまが小さく言った。


「右に半回転」

「古いです」


「知ってるなら早く言え」


半回転。かち、という軽い音。窓が開く。乾いた外気が流れこんだ。


わたしは先に封筒と複写を押し出し、自分も肩から滑る。膝をぶつける。痛い。でも、痛いのは生きている側の都合だ。あとで文句を言えばいい。


外は棟の裏手だった。低い植え込みの名残と、割れた教材箱。朝の光はもう白くなり始めている。背後で旧標準室の扉が開く音がしたけれど、追ってくる足音はない。台車はたぶん、部屋を正す仕事のほうを優先する。


「助かった」


「かなり雑に」


「今日はそれで十分」


息を整えながら、わたしは服の内側から紙を出す。複写は薄い。封筒の中の停止願はもっと薄い。でも、字は残っていた。


返却停止願。

KMくま型言語補助の継続同行。

北三保存庫・前受入記録班への再申請予定。

理由欄には、短くこうある。


当人は番号より先に呼ばれる必要がある。


わたしは、その一行を二回読んだ。


白い棟の仕組みも、旧標準室の札も、出生許可台帳も、全部いやだ。でもそのいやな仕組みの隙間で、誰かひとりは、ちゃんとそれを書いた。


「北三だね」


「はい」


「保存庫って名前からして、だいぶ信用できないけど」


「今までで、いちばんましな可能性はあります」


「この町でその褒め方されると、不安しか増えないな」


くまを袋へ戻す。胸の星を親指で押すと、弱く一度だけ返ってきた。疲れている。でも止まってはいない。


学習棟の壁は朝の光で薄く白くなっていた。ここも白い。でも、西一番の白さとは違う。隠すための白じゃなくて、消したあとをうまく塗り直せていない白だ。


「くま」


「はい」


「おまえ、くまでよかったね」


少し間があった。


「はい」

それから、さらに小さく、

「呼ばれたので」


「うん」

わたしは紙を畳んでしまう。

「じゃあ、次も呼びに行こう」


北三保存庫。前受入記録班。出生許可台帳未同期。返却停止願。


朝はもう始まっている。始まっているなら、こっちも次へ進むしかない。番号に戻される前の紙を、もう少しだけ拾いに行く。そう決めると、空腹の音が少しだけ後ろへ下がった。


西二学習棟を離れる。背中の向こうで、旧標準室がまた静かになる。静かなまま、人の名前を削る部屋なんて最悪だ。


だから、最悪の先にある紙を先に取る。


今日はそのために、北へ行く。

お読みいただきありがとうございました。お楽しみいただけたようでしたら、★★★★★評価、ブックマークなどいただけると作者の創作の励みとなります。また次回よろしくお願いします。

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