表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
おもちゃのAIとわたし、終末世界だけどなんとかやってる  作者: 堀吉 蔵人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/22

朝まえの主照会卓

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけると幸いです。

西一番の白い棟は、夜のほうが感じが悪い。


昼はただのきれいな壁に見えるのに、暗くなると、きれいにしておきたいものの中身まで透けてくる。粉っぽい風の向こうで、窓の少ない外壁が鈍く光っていた。上の階の影に沿って歩くと、靴の裏へ細かい砂がたまる。腹はまだ空いている。空腹は終わってくれないくせに、だんだん軽くなるのが困る。軽くなったあとの人間は、無茶を手順みたいに考え始める。


「くま」


「はい」


「Bの孔、ほんとに西一番まで繋がってる?」


袋の中で布が少し鳴った。


「上送停止時の手動搬入路です」

「かなり、いやな正確さで」


「その正確さ、食べられたら助かるんだけど」


返事のかわりに、胸の星形が一度だけ布を押した。残量が少ないときの、短い不機嫌だ。


白い棟の横腹には、外から見るとただの換気格子にしか見えない口がいくつもあった。控え紙に書かれていたのは「空調整備孔B」だけで、どれがそのBかまでは親切に書いていない。こういう町は、必要なところだけ不親切で、余計なところだけよく喋る。


わたしは壁の低い位置を順に見ていく。格子の枠。擦れた塗料。青い丸。青い丸。ひとつだけ、丸の下に薄く番号が残っていた。


B-主補。


「補」


「主照会補助です」


「略し方まで嫌だな」


しゃがんで触る。留め具は昨日のB孔より新しい。指だけでは無理だ。金属片を差しこみ、角度を変えて、もう一度。動かない。三度目で、かち、と嫌なほど小さな音がした。


格子を少し浮かせた瞬間、奥のどこかで青い線が走った。


照合待機

同行端末を接続してください


「勝手に起きるの早い」


「眠りが浅い建物です」


わたしは袋の口を開け、くまの胸の星形を格子の内側の薄い端子へ押し当てた。冷たい。すぐに、古い機械どうしの遠慮がちな共鳴が返ってくる。


KM系列 仮認証

受入者応答を確認します


その下に、小さな丸い穴が光った。会話孔だ。壁の中の昔の声が、砂をかんだみたいに鳴る。


『おかえりなさい。こたえてください』


わたしは一瞬だけ、くまを見る。昨日の通路で聞いた声と同じ調子だった。


「ただいま」


言うと、格子の奥で留め具がもうひとつ外れた。


「便利」


「便利というか、だいたい趣味が悪いです」


格子を押し上げ、先に袋を滑らせる。自分も体を横にして入る。中は冷えていて、ほこりが少ない。ちゃんと掃除されている空気は、終末ではだいたい敵の領分だ。膝と肘で進むたび、細い風が首筋を撫でる。下を覗く隙間があって、そのたびに白い床と低い机の角が見えた。


少し進んだ先で、搬入口は急に広くなった。格子越しに見えたのは、西一番主照会卓の裏だった。


夜間仮統合庫は裏方の顔をしていたけど、こっちは表の顔だ。表の顔のくせに、人に見せるための顔じゃない。待たせるための顔だった。照会窓が低くずらりと並び、その上に小さな番号灯が浮いている。窓の下には、足をぶらつかせる高さの椅子。壁にはやわらかい色の丸と動物の絵。床の線は矢印じゃなく、足あとになっていて、どれも同じ方向を向いていた。


名前はどこにもない。


かわりに、窓ごとにこう書いてある。


受入確認

再引渡判定

同行端末補助

原簿照会待機


「元気に最悪だね」


「かなり整っています」


「整ってるのが腹立つんだよ」


職員の姿はまだない。朝まえの時間で、機械だけが先に起きている。窓の上の番号灯がときどき入れ替わり、待機番号が静かに増減していた。人がいないのに、待たされる仕組みだけがもう働いている。


わたしは裏側の保守床へ降りた。靴底が白い樹脂を鳴らす。すぐに止まる。ここは音が響く場所じゃない。吸われる。だから余計に、見つかったときは終わりが早そうだった。


いちばん近い補助卓の裏に、小さな保守窓がある。くまが低く言う。


「右から二つ目」

「KM系列は、そこに近いです」


「近いってだけで開く?」


「慰めとしては可能です」


慰めが無だから助かる。


窓の下の蓋を開ける。配線。薄い表示板。感熱紙の短い切れ端。埃はない。指の跡もほとんどない。こういう場所は、忘れられてるんじゃなくて、ちゃんと使われ続けている。


表示板へ、今の待機一覧が流れていた。


待機番号 1183

受入者番号 E4-206-1

再引渡判定 六時十分

同行端末 KM系列

個別応答鍵 未添付

中央育成原簿照会 待機中


「これだ」


喉の奥が少しだけ熱くなる。紙の向こうで、誰かがまだ消されきっていない。


でも、嫌な字はちゃんと続いていた。


未添付状態での判定時

標準再引渡手順へ移行

受入枠空順を優先


「未添付だと、そのまま流すんだ」


「泣いても答えられない状態を、標準扱いしていました」


「言い方がひどい」


「仕様も、だいたいそうです」


表示板の端に、もっと小さな項目があった。


同行端末補助照合

保護者欄未設定時 自動判定制限あり


そこだけ、わたしは二回読んだ。


「くま」


「はい」


「これ、穴?」


「欠陥、とも言います」


「好きな種類の欠陥だな」


自動判定制限。つまり、保護者欄が空の相手は、機械だけで朝の判定へ流しきれない。人の手か、別の照合が要る。たぶん昔は安全のためだったんだろうけど、今のわたしにはただの足止め装置だ。


問題は、その制限を起こすには「個別応答鍵」を付けに行く必要があることだった。補助卓の中央に、丸い会話孔と、薄い入力面がある。下に説明が出ている。


同行端末は受入者の応答を補助してください

会話一致率が低い場合は保護補助照合へ移行します


「一致率、低くしたい」


「私は得意です」


「そこだけ胸張るな」


くまを会話孔の近くへ置く。胸の星を入力面へ押し当てると、補助卓が静かに起きた。


KM系列接続

受入者個別応答を開始します


丸い穴が、やさしい声を出す。


『おかえりなさい』


くまが、ほとんど反射みたいに答えた。


「ただいま」


その声はいつものくまの声なのに、少しだけ古かった。新しい傷がつく前の、整った音だ。続けて、卓が問う。


『おなまえをどうぞ』


袋の布がわずかに動く。くまは答えない。答えられないんだと思った。名前を外で使わない。使わせない。その仕様に、こいつ自身も縫いこまれている。


卓の表示が点滅する。


応答遅延

補助入力を受け付けます


わたしは指先を入力面へ乗せた。


「未設定」


少し迷ってから、もう一度、はっきり押す。


未設定。


卓が一瞬だけ止まる。内部で古い歯車が考え直したみたいな間があった。


『保護者欄未設定を確認しました』

『個別保護補助照合へ移行します』


下の欄の字が変わる。


再引渡判定 保留

補助照合待機 発行

主照会手動確認 必要


「通った」


「かなり、雑に正しいです」


「制度が雑な穴を残してるのが悪い」


感熱紙が小さく吐き出される。細い切れ端だ。そこに新しい待機番号と、補助照合先が印字されていた。


補助照合番号 H-43

照合先 西二学習棟旧標準室

原簿写像参照 手動


「西二」


「学習棟」

くまが低く言う。

「かなり、嫌な記憶があります」


「嫌でも行くしかないね」


そのとき、奥の大きな窓の番号灯が一斉に明るくなった。朝の準備だ。白い床の下で、どこかの送管が動き始める。遠くで扉が開く音がして、人の靴音まで混じった。機械じゃない。軽いけど、機械よりためらいがある。


職員だ。


わたしは紙片をつかみ、補助卓の下へ潜りこむ。くまも一緒に引き寄せる。白い床に、細い影が二本伸びた。ひとの足だ。ひとり。窓の前をゆっくり通る。止まる。表示を読む気配。喉がひゅっと細くなる。


でも、その人は小さく息をついただけだった。


「また保留」

知らない声がぼそっと言う。

「朝から増やさないでほしいんだけど」


増やしたんだよ、と思う。心の中でだけ。


靴音が離れていく。番号灯がまた切り替わる。窓の上で、1183の行が下へ沈み、そのかわりにH-43が別枠で浮いた。


保留になった。完全じゃない。でも、六時十分のベルトコンベアからは外れた。


わたしは息を戻す。戻すだけで腹が減る。生きるのは燃費が悪い。


「くま」


「はい」


「今の声、覚えてたの」


少し間があった。


「覚えていた、というより」

「出てきました」

「出てきて、あまり好きではありません」


わたしは袋の上から胸の星を押す。冷たい。けど、さっきの返事は冷たくなかった。


「わたしも好きじゃない」

「でも、使えるなら使う」


「はい」


「あとで、ちゃんと嫌がろう」


星の下で、ほんの少しだけ布がゆるんだ。了承の形に見えた。


来た道を戻る。保守床。格子。細い風。這って進むあいだに、東の空が少しだけ薄くなっていくのが隙間から見えた。朝はいつも勝手だ。こっちの都合を聞かないで始まる。でも今日は、少しだけ遅らせた気分がある。


外へ出ると、白い棟の角が夜よりさらに白かった。きれいな顔で、人をまだ番号のまま待たせている。わたしは感熱紙を服の内側へ入れ、控え紙と重ねた。二枚とも軽い。軽いのに、腹の減り方が少し変わる。


「西二学習棟旧標準室」

わたしは読み上げる。

「名前からして行きたくない」


「かなり、私向きではあります」


「じゃあ、連れてく」

「ひとりで思い出すの、だいたい体に悪そうだし」


くまはすぐには答えなかった。風だけが、白い壁の角を乾いた音で舐めていく。


それから、小さく言う。


「はい」

「同行します」


同行。制度の言葉なのに、あいつが言うと少しだけ違う意味になる。そういうのは、たぶん悪くない。


下の搬入口では、朝の便がもう動き始めていた。予定どおりの顔をした台車が、静かに列を作っている。だから、その予定の横を歩いて、わたしは西二の方角を見る。


標準室。原簿写像。保護補助照合。


名前を消す前の部屋が、まだどこかに残っている。


なら、先にそっちへ行く。朝のほうじゃなく、待たされていたほうの紙を見に行く。そう決めると、足が少しだけまともな重さを取り戻した。


「くま」


「はい」


「次は、もっと嫌なとこかも」


「順調です」


「そういう順調は、ほんとに嬉しくないな」


言いながら、わたしは白い棟から目を切る。朝に返すための建物は、朝に任せておけばいい。こっちは返される前のほうを拾いに行く。粉っぽい風の中で、そっちのほうが少しだけ、人の仕事に見えた。

お読みいただきありがとうございました。お楽しみいただけたようでしたら、★★★★★評価、ブックマークなどいただけると作者の創作の励みとなります。また次回よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ