表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
おもちゃのAIとわたし、終末世界だけどなんとかやってる  作者: 堀吉 蔵人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/24

西一番の低い棚

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけると幸いです。

夜まで待つあいだに、空腹は三回くらい性格を変えた。


最初は、ただうるさい。次に、足を少し雑にする。最後は、考えを短くする。西管理線の白い壁に寄りかかっていると、その最後がいちばん困る。短い考えは役に立つこともあるけど、見張りの多い場所ではだいたい早死に寄りだ。


わたしは白い棟から少し離れた、壊れた冷却槽の陰へ潜りこんでいた。上の配管はもう水を流していないのに、金属だけが夜の準備をしているみたいに冷たい。粉っぽい風が西から来て、足もとの埃へ細い筋を作る。


「くま」


「はい」


「裏面保守路、ほんとに静か?」


袋の口を少し開けると、くまの片目だけが暗がりを向いた。


「人の声は少ないです」

少し間を置いて、

「機械の仕事は、あります」


「その言い方、あとで腹立つやつだな」


返事はない。かわりに、胸の星形が袋の布をひとつ押した。残量が少ないときの、機嫌の悪い動きだ。


日が傾くにつれて、西一番の建物は白から灰へ変わった。角の欠けた箱みたいな外壁の下を、低い保守台車が何度か通る。どれも人を乗せる顔じゃない。箱。布の束。細いケース。そういう、泣かないものばかりを運ぶ速さで動いている。


そのうちの一台が、裏側の細い搬入口へ入るときだけ、扉の上に青い線が一本走った。


搬入票。端末。荷量。


見えたのは、その三つだけだった。


「荷量」

わたしは言う。

「あるんだ」


「軽すぎると、いたずら扱いされます」


「親切だねえ」


「かなり嫌です」


待つ。二台。三台。四台。どれも同じ線が走る。搬入票。端末。荷量。青。開く。閉まる。間隔はだいたい七分。夜間保守便は、子どもを待たせないための仕組みだったくせに、今は荷物の時間だけきっちり守っているらしい。


七分なら、試す価値がある。


暗くなりきる少し前に、わたしは冷却槽の陰を出た。昼のあいだに拾っておいたものを抱える。壊れた案内板の足。外れた引き出しの底板。乾いた布束。見た目はごみだけど、機械にとってはたぶん「何か入っている荷」だ。


「それで行くの」


「見た目の説得力って大事でしょ」


「内容の説得力が無です」


「無のほうが軽いから助かる」


裏面保守路の搬入口は、地面の低いところへ口を開けていた。人が出入りする高さじゃない。荷物と、荷物に付き添う小さい誰かのための高さだ。横の受皿へ、保守移行票を差しこむ。青い線が走る。次に、くまの胸を星形の窪みへ押し当てる。薄い共鳴。ここまではいい。


その下に、新しい文字が出た。


搬入荷量 不足


「やっぱり」


扉は開かない。青い線も途中で止まる。わたしは抱えてきた底板と案内板の足を、入口脇の空き台車へ放りこむ。乾いた布束で上を隠す。ついでに、昼に食べたゼリーの空容器へ砂を詰めて端へ押しこむ。かなり雑だ。でも雑は、ときどき重さになる。


もう一度、くまの星形を当てた。


搬入荷量 確認

夜間保守便 受入


「通った」


「制度は、だいたい見た目に弱いです」


扉が横へ滑る。わたしは台車の端を押さえ、そのまま低い通路へ入った。


中は、静かというより音が丸かった。壁の両側に厚い布幕が垂れ、床の線だけが薄く光っている。台車の車輪が鳴らない。自分の靴音まで、よそゆきみたいに小さくなる。


それでも、嫌な感じはよく見えた。


幕の隙間ごとに、低い棚が並んでいる。棚には薄箱。箱には番号。部屋番号。系列。年齢帯。どれも名前じゃない。人を片づけるのが上手いやり方で、きれいに並んでいた。


東二棟一二一。

北一棟〇三三。

西三棟〇一四。


たまに、箱の端に丸いシールが貼ってある。くま。うさぎ。魚。りんご。子どもが自分で選んだみたいな目印が、管理の字の隣にだけ残っている。


「ここ、嫌い」


「わかります」


「わかるんだ」


「私は、ここへ来る前で止まっていた気がします」


その言い方が変に静かで、わたしはそれ以上聞かなかった。


通路のいちばん奥で、台車が止まる。正面の壁に、低い照会卓が埋まっていた。主照会卓みたいな偉そうな顔ではない。裏方の顔だ。照会窓の上に、小さく出ている。


夜間仮統合庫

返却未了優先

継続保守仮置


「仮が多いなあ」


「朝になる前提です」


その一言で、腹の奥が少し冷えた。


照会卓の脇に、保守便の搬入控えを入れる細い口がある。わたしはさっきの保守移行票を半分だけ折り、口へ差しこんだ。昼の風で汚れた角が、かえって本物っぽい。


窓がつき、一覧が出る。


東四棟二〇六

継続保守 仮統合済

受入者補助一式 保管

個別記録 上位卓待機


「待機、してる」


「はい」

くまが言う。

「まだ、消えていません」


「どこ」


窓の下を追う。個別記録。上位卓待機。行き先。小さな字がさらに続く。


明朝一番便 主照会卓

六時十分 再引渡判定


「まだあるじゃん」


「かなりあります」


安心したくない予感ほど、ちゃんと当たる。


でも、その下に、わたしたちが来た意味もあった。


仮統合番号

E4-206-1

同行端末 KM系列

受入者個別応答 保管棚D-七


「Dの七」


「右から二列目、低い段です」


「見えるの早いね」


「古い仕事ですから」


照会卓の右へ回る。棚はほんとうに低くて、膝をついて覗きこむ高さだった。D列の七番。薄い引き出し。引手の端に、擦れて薄くなったくまのシール。


喉の奥が、少しだけ狭くなる。


引く。するり、と軽い。重いものじゃない。


中に入っていたのは、透明な封袋が三つと、細い記録片が束でひとつ。封袋のひとつには、靴下が片方。もうひとつには、色の薄くなった歯みがき表。最後の袋には、小さな紙片が入っていた。くまの絵。丸い耳。胸に星。下手な線で、でも迷いなく描かれている。


子どもの絵だ。


紙の端に、小さく印字がある。


受入者固有名は居室外で使用しないでください


「うわ」


口から出たのは、それだけだった。


名前を外へ持ち出さない。部屋の中だけ。外では番号。棚では番号。紙でも番号。じゃあ名前はどこへ行くんだろう、と一瞬思って、すぐに思い直す。こういう町では、どこへ行くかより、どこから消すかのほうが先に決まる。


「くま」

わたしは小さく呼ぶ。

「これ、普通だったの」


袋の中で、布が擦れる。


「普通に、しようとしていました」

少し掠れた声で、

「泣く時間を、減らすために」

「呼びまちがいを、減らすために」


「名前を消して?」


返事は、すぐには来なかった。


そのかわり、記録片のいちばん上が目に入った。薄い印字。ところどころ欠けている。


受入者番号 E4-206-1

年齢帯 初等前期

保護者欄 未設定

再引渡候補 受入枠空順

上送先 西一番主照会卓

中央育成原簿照会 保留


受入枠空順。


人を入れる場所の空き順みたいに書いてある。部屋でも家でもなく、枠。そんな言葉で、子どもを待たせて、運んで、返していたのかと思うと、腹の減り方まで少し変わる。


「子どもが少ないんじゃなくて」

わたしは紙を見たまま言う。

「少ない形に並べてたんだ」


「たぶん」

くまが言う。

「少ないほうが、待ち時間を管理しやすいです」


その言い方が、ひどく機械で、だから余計にいやだった。


棚の上の灯りが、ふっと黄に変わる。


保管扉開放時間 超過

棚卸補助を開始します


「早い」


通路の向こうで、小さな車輪の音がした。保守台車より軽い。棚卸用のやつだ。見つかれば、わたしたちは「中身の合わない荷」になる。


わたしは記録片の束をめくる。持ち出すのは危ない。でも手ぶらでは帰れない。二枚目。三枚目。そこで、薄い複写紙が挟まっているのが見えた。上送票の控え。指でなぞるだけで字が浮くくらい薄い。


行き先欄には、主照会卓。

その下に、もっと小さく、補助経路が載っていた。


上階搬送停止時

空調整備孔Bより手動搬入


「B」


「左の壁です」

くまが即座に言う。

「青い丸の下」


「見えるのね」


「かなり、嫌なくらい」


台車の音が近づく。わたしは上送票の控えだけを抜きとり、かわりに空の複写紙をいちばん下から差しこむ。厚みが同じなら、夜の棚卸くらいは騙せるかもしれない。雑だけど、今日はそれでいい。


封袋の中のくまの絵が、少しだけこっちを見た気がした。持っていきたかった。でも、一枚なくなるだけで、ここはたぶん正確に怒る。


引き出しを戻す。黄の灯りがまだ残っている。通路の向こうから、棚卸台車の白い灯りが曲がってくる。


「走る?」


「音が多いです」


「じゃあ、静かに死ぬ?」


「反対です」


左の壁を見る。青い丸。低い位置に、空調整備孔B。格子は閉まっているけど、留め具が古い。わたしは金属片を差しこみ、てこの原理でひねる。ひとつ。ふたつ。最後が固い。台車の灯りがもう布幕へ影を作る。


そのとき、袋の中で、くまが小さく言った。


「おかえりなさい」


反射で、わたしは返した。


「ただいま」


通路の壁孔が、ぴ、と一度だけ反応する。昔の会話孔がまだここまで繋がっていたらしい。棚卸台車が、そっちへ向きを変えた。あっちにも誰かいると思った顔で、白い灯りが逸れる。


「便利だね、それ」


「古い仕事ですから」


留め具が外れる。格子をずらし、わたしは体を横にして整備孔へ滑りこんだ。膝と肘が痛い。くまの袋を先に押しこみ、自分も続く。後ろで台車の灯りが通路を流れ、引き出しの番号を読んでいく声がした。


欠品なし。

仮統合維持。

明朝便、予定どおり。


予定どおりが嫌いだ。予定どおりで、人が物みたいに運ばれる場所は、もっと嫌いだ。


整備孔の先は、ほこりと冷気でいっぱいだった。少し進むと、外へ抜ける格子から夜の風が入る。西の風は乾いていて、粉が多い。顔を出すと、さっき見上げていた白い棟の、ひとつ上の階の影だった。


下では、夜間便の台車がまだ静かに出入りしている。


わたしは格子に背を預け、くしゃみをこらえながら、控え紙を開いた。主照会卓。六時十分。再引渡判定。補助経路、空調整備孔B。


その下に、さらに小さな印字がひとつだけ残っていた。


中央育成原簿照会 待機番号発行済


「待ってるんだ」


「はい」


「向こうが?」


「たぶん」

くまが言う。

「ずっと前から」


袋の上から、胸の星形を指で押す。冷たい。なのに、さっき通路で言った『おかえりなさい』だけは、少しだけ人の体温みたいに残っていた。


「じゃあ、待たせない」


わたしは控え紙を畳んで服の内側へ入れる。夜はまだ長い。でも、やることは短くなった。


明朝六時十分より先に、西一番の主照会卓へ行く。上からじゃなく、Bの孔から。そこで東四棟二〇六の個別記録を先に掴む。できれば、再引渡しって言葉ごとひっくり返す。


白い建物を見上げる。きれいな顔で、人を番号にする棟だ。


「くま」


「はい」


「次は、いちばん嫌なところに行くよ」


少し間があいて、くまが答えた。


「かなり、正しいです」


それで十分だった。夜の粉っぽい風の中を、わたしは上階の影に沿って歩き出す。低い町はまだ寝ていない。だったら、こっちも寝かせないまま、先に紙を奪う。

お読みいただきありがとうございました。お楽しみいただけたようでしたら、★★★★★評価、ブックマークなどいただけると作者の創作の励みとなります。また次回よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ