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おもちゃのAIとわたし、終末世界だけどなんとかやってる  作者: 堀吉 蔵人


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14/24

おかえりのない回廊

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけると幸いです。

西へ向かうと決めた途端、町は急に長くなる。


地上へ出た光は相変わらず乱暴で、地下の白さより容赦がなかった。目を細めながら、わたしは零番保守庫の外壁に背を預ける。袋の中で銀の板が薄く触れあって、しゃり、と鳴る。東四棟二〇六の音だ。返されなかったものの音は、持っているだけで少しだけ目立つ気がした。


腹も目立っていた。朝に切った乾燥根の残りは指二本ぶん。水は半分。くまの充電は、胸の星形を指で押すと、機嫌の悪い三回点滅で答える。三回は、たぶん「ある」と「ない」の中間だ。いちばん信用ならない残量表示である。


「西管理線一番まで、近道」


わたしが言うと、袋の中から少し遅れて声が返った。


「三つあります。遠くて安全、近くて不快、近くてかなり不快」


「じゃあ真ん中」


「判断が雑です」


「お腹がすいてるときの判断なんて、だいたい雑だよ」


東から西へ抜ける大通りは、去年の風で半分落ちた。表通りを行けば遠回りになる。排水路はぬかるみが深く、長靴がないと足が終わる。残るのは、旧商業棟の下を通る低い回廊だった。


通りの入口まで歩くあいだ、低い町がずっと横をついてきた。窓は低い。案内板も低い。手すりも、顔の高さじゃなく胸の下くらいで続いている。ひとのいない町なのに、誰かを小さくして待っているみたいな作りだ。風で剥がれかけた絵の下に、色だけ残った動物の足跡が並んでいた。赤い足跡、青い足跡、黄色い足跡。どれも西を向いている。


「これ、昔から嫌い」


「足元を見て歩けるので、転倒率は下がります」


「そういう嫌いじゃない」


回廊の前には、半分倒れた看板があった。文字は擦れているのに、肝心なところだけはいやに読める。


移送補助路

西管理線方面

受入者は同行端末と歩行してください

単独通行はしないでください


その下に、丸い顔をしたくまの絵がかすれて残っていた。胸に星形。うちのくまと似ている。でも、線がやわらかすぎる。もっと新品の顔だ。


「似てるね」


「量産品ですから」


「そこ、ちょっとさびしく言うな」


回廊の口は低く、冷たい空気が溜まっていた。入った瞬間、外の音が薄くなる。床には細い溝が二本、ずっと奥まで続いている。小さな台車のための線路だ。壁には丸い穴が等間隔に並び、その下へ、子どもの目線の高さで文字がある。


ただいま

おかえり


「趣味が悪いなあ」


「待ち時間を減らすための、練習用会話孔です」


「名称でさらに悪くなった」


くまは少し黙った。それから、袋の布越しに低く言う。


「泣くと、時間が長く感じますから」


その言い方だけ、前を向いたまま聞くのが難しい。わたしは返事のかわりに、袋の口を締め直した。


回廊の半ばまで来たところで、足元の溝が急に光った。細い青が走り、壁の奥で何かの留め具が外れる。嫌な音ではない。嫌な予感のする、よく整った音だ。


「くま」


「はい。たぶん今、袋の中身が移送物として数えられました」


「たぶんで済ませるな」


前方の闇から、低い台車が一台、するすると出てきた。白い箱に小さな車輪。上面へ薄字が浮く。


返却未了保守封緘 確認

同行移送を開始します


「しない」


わたしが言うより早く、壁の丸穴が青く光る。


『受入者さん、こたえてください』


嫌な町は、嫌なところだけ仕事が早い。


台車の上へ袋を置け、という形に白い枠が点いた。このまま持って走れば、たぶん別の何かが閉まる。わたしは舌打ちして、袋を台車の上へ置く。すると今度は、隣の穴が点く。


『同行端末さん、こたえてください』


袋の中で、くまが小さく鳴った。


「やれます。ただし、節電のため、要点だけで」


「要点しか持ってないくせに」


最初の孔へ、個別応答片を差し込む。銀の板の隣に入っていた、半透明の欠片だ。軽く押すと、昨日と同じ小さな声がした。


『……ただいま』


すぐ隣で、くまが答える。


「おかえりなさい」


前の扉が開いた。静かに、気持ち悪いくらい素直に。


「ほんとに会話で開くんだ」


「会話というより、順番です」


「もっと嫌」


台車が勝手に動き出す。わたしは横につき、低い歩幅で合わせる。二十歩ごとに孔があり、そのたびに青い光が待っている。最初の三つはうまくいった。『ただいま』『おかえりなさい』、それだけで扉が開き、台車が進む。誰もいない回廊の奥で、昔の帰宅だけが繰り返される。


四つ目の孔の前で、くまの声がひどく掠れた。


「お、かえ……り」


黄色の灯りがつく。


応答間隔超過

同行状態を再確認します


「だめじゃん」


「喉ではなく、電圧です」


「今そこ気にしてない」


天井の細い隙間から、半透明の幕がするすると降りてきた。柔らかそうな見た目で、ぜんぜん安心できない材質だ。これに囲われたら、台車ごと持っていかれる。わたしは周りを見た。壁、孔、線路、古い動物の絵、床に落ちた薄い金属片。奥の自販機の残骸。錆びた缶の底がひとつ。


「くま。ここ、会話を聞いてる?」


「完全には」

息継ぎみたいなノイズが混じる。

「波形と順番。意味理解は古いです」


「じゃあ、声でなくてもいい?」


「似ていれば」


そこまで聞けば十分だった。わたしは自販機の残骸へ飛びつき、缶の底を剥がす。まだ柔らかい部分が残っている。金属片で丸め、即席の小さな漏斗を作る。保守移行票を細く巻いて、細い筒を一本。動物の絵の口の部分には、壁の向こうまで通る遊び用の音筒がまだ生きていた。


「それは、かなり雑です」


「今日は雑が多いって言ったでしょ」


個別応答片を孔へ差し込んだまま、わたしは漏斗を別の孔へあてる。くまを袋から半分だけ出し、音筒の口へ押しつけた。胸の星形が、かすかに冷たい。


「一回だけ、大きく言って」


「内容は」


「いつもの」


「いつものが多いです」


「じゃあ、まともなほう」


黄の灯りが赤へ近づく。幕が肩の高さまで降りてきた。


「おかえりなさい」


くまが、回廊じゅうの空気を少し震わせるみたいに言った。音は筒を通って、壁の向こうで遅れて返る。わたしはその返りを待って、缶の漏斗へ口を寄せた。


「……ただいま」


自分の声を、できるだけ小さく、丸くする。壁の向こうで反射したくまの声と重なり、古い機械にはそれらしく聞こえたらしい。赤へ行きかけた灯りが、止まる。


『同行継続を確認しました』


「通った」


「雑は、ときどき優秀です」


「褒め方が腹立つなあ」


幕が巻き上がる。台車は何事もなかった顔で進み始めた。わたしはくまを袋へ戻し、今度は手のひらで袋ごと少し温めながら歩く。機械に効くかは知らない。でも、知らないことはたまに効く。


回廊の後半は、ずっと同じやり方で抜けた。個別応答片の小さな『ただいま』を先に通し、くまの本物は節約し、足りないところは壁の筒と缶でごまかす。途中で、天井の案内板だけが妙に元気にしゃべった。


『次の受入先まで、あと三分です』

『待ち時間を、すこし短くしました』


「短くした先がこれか」


薄暗い先で、台車の白だけが進んでいく。誰かを運ぶための線路なのに、今はただ、いなくなった誰かの言い回しだけが残っている。歩いていると、自分まで順番の中へ数えられていく感じがした。


最後の扉の前で、問題が変わった。


主扉の横に、細い照会窓がある。上には、西管理線一番サービス搬入口、と出ていた。台車が止まり、照会窓が淡く光る。


継続保守票 確認

系列照合 保留

上位照会権限がありません


「そこはまあ、知ってる」


その下へ、新しい行が出る。


同行端末仮認証が必要です


「くま」


「はい」

今度の返事は、さっきよりさらに細い。

「ここは、ごまかしにくいです。系列音が要ります」


「系列音って」


「生まれたときから出せる人はいません」


「安心したくない情報だな」


扉の脇、低い位置に小さな星形の窪みがある。昨日、作業台に押し当てた場所と似ていた。わたしは袋からくまを出し、その胸をそっと当てる。冷たい。軽い。ぬいぐるみなのに、使い古された工具みたいな重さだけある。


「いける?」


少し沈黙があった。くまはいつも、考えているのか止まりかけているのか、区別がつきにくい。


「たぶん」

それから、掠れた声で続ける。

「私は、待つ時間を減らす仕事でした」

「なので、最後だけは、覚えているかもしれません」


星形の奥で、小さな音がした。鳴ったというより、合った、に近い。古い楽器がたまたま正しい空気を踏んだときのような、短い共鳴。


照会窓が青へ変わる。


KM系列同行補助 仮認証

搬入候補を表示します


「うわ」


画面に細い文字が並んだ。


第四搬入口 夜間保守便

第五搬入口 返却未了優先

主照会卓 要上位権限

裏面保守路 日没後手動開放


「裏面保守路」


「静かです」

くまが言う。

「人目と、機械の目が少ない」


「いま人目ある?」


「比喩です」


さらに下へ、小さな文字が追加される。


引渡未了継続案件は、夜間保守便へ仮統合してください

搬入時、保守移行票と同行端末を提示してください


「つまり」


「夜まで待って、裏から入るのが、いちばんましです」


扉の脇で、小さな引き出しが開いた。中には水分補助ゼリーが二つと、圧縮ビスケット一本。賞味期限という概念がもう息をしていない色をしているけれど、食べられる顔ではある。


「……親切」


「泣かせないための設計です」


「泣いてる場合じゃない世界で、そこだけ残るんだ」


わたしはゼリーを一つ押し潰して飲む。ぬるい。甘さが遠い。でも胃の底へ落ちた瞬間、足の裏がすこし現実に戻った。もう一つはくまの袋へ入れる。意味はないかもしれない。でも、食べものは、意味がある前に分けておいたほうが気持ちが軽い。


主扉は開かないまま、脇の小扉だけが外へ通じた。押すと、白い風が入ってくる。西側の空気は東より乾いていて、古い塗料の匂いがした。


外へ出る。目の前には、西管理線の建物群が並んでいた。高いわけじゃないのに、白さだけで威圧してくる棟ばかりだ。番号は小さく、矢印だけがやたらはっきりしている。一番棟は、いちばん奥で、角の欠けた白い箱みたいに空へ突き出ていた。


その手前に、夜間便の線路が見える。低い台車が入るための、細くて静かな道だ。人より荷物のほうが通りやすそうな幅で、左右の壁には、またあの足跡が続いている。小さい足。西へ向かう足。


「夜まで、どこで待つ?」


「風下は避けてください。西は粉が多いです」


「人の言い方」


「学習です」


「誰から」


少し間があいて、くまは言う。


「たぶん、急ぐ人たちから」


返事をしないまま、一番棟を見る。白い。きれいというより、消したいものだけ丁寧に包んだ色だ。東四棟二〇六の札が欠けていた棚を思い出す。返す仕組み、移す仕組み、待たせない仕組み。どれも親切そうな顔で、人を物みたいに順番へ乗せる。


でも今は、その順番の端っこへ、こっちから指を差し込める位置まで来た。


「入るよ、今夜」


「はい」


「静かなほうから」


「はい」


「もし向こうで、また変な声がしたら」


くまは先に答えた。


「おかえりなさい、と言います」


わたしは笑った。疲れているときの笑いは、だいたい息に近い。


「それ、便利だね」


「古い仕事ですから」


袋の口を結び直し、白い棟から少し外れた陰へ向かう。夜までの時間は長い。でも、ただ待つだけの長さじゃない。西へ入る手口がひとつできた。腹の音も、足のだるさも、まだある。けれど進み方が決まると、空腹は少しだけ従順になる。


風が線路の上を流れ、低い案内板を鳴らす。西一番。統合保管庫。文字はかすれているのに、行き先だけはよく見えた。


返すための場所の顔をしたまま、あそこには、たぶん残されたものがある。名前より先に番号を付けられた子どもたちの声も、待ち時間を減らすために削られた何かも。


だったら拾う。返さないまま、拾って、持っていく。


今夜はそのために、西の裏口まで行く。

お読みいただきありがとうございました。お楽しみいただけたようでしたら、★★★★★評価、ブックマークなどいただけると作者の創作の励みとなります。また次回よろしくお願いします。

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