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おもちゃのAIとわたし、終末世界だけどなんとかやってる  作者: 堀吉 蔵人


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12/32

六番書庫と、追いかけてくる紙

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけると幸いです。

東四棟を出ると、朝はもうすっかり白かった。


夜のあいだは親切の顔をしていた棟も、昼に近づくとただの建物みたいに見える。低い手すり。丸い角。子どもの目線に合わせた案内板。ぜんぶ昨日より見えすぎる。見えすぎるものは、だいたいろくでもない。


袋の中では、くまと、包んだうさぎがたまに軽くぶつかった。朝食用にもらった粥の袋も入っている。重さとしては助かる。でも、気分としてはかなり助からない。


「六番書庫って、遠い?」


「紙の距離としては近いです」


「人の距離で言って」


「かなり、歩きます」


「はいはい」


東管理線は、町の裏側みたいな道だった。表の通りみたいに店の骨や日よけが並んでいない。代わりに、壁の低いところへ細い差込口や、返却口や、保守札の受皿が続いている。ぜんぶ膝から腰くらいの高さだ。ここを歩くと、自分が町の住人じゃなくて、設備の部品になったみたいでいやだった。


途中、ひからびた植え込みの脇で立ち止まって、粥を半分だけ吸う。やさしい味がした。やさしい味は腹にはいいけど、世界に対しては腹が立つ。


「くま」


「はい」


「紙は追いかけてこないって言ってたよね」


「人が動かすときだけです」


「その言い方、まだ気になってるんだけど」


くまは少し黙ってから言った。


「書庫には、紙を動かすための、かなり人に似ていないものがいます」


「最初に言って」


「いま、言いました」


それで終わるのが、くまの悪いところだ。


六番書庫は、東管理線のいちばん奥まった角にあった。高い建物じゃない。むしろ低かった。半分埋まったみたいに地面へ沈み、窓は細く、入口は三つに分かれている。返却。照会。保守。大人用の立派な正面なんてなくて、ぜんぶ子どもの胸くらいの高さに揃っていた。


壁の白はもうくすんでいるのに、字だけはまだ読める。


第七居住圏

東管理線六番書庫


「本当に紙の多い顔だ」


「かなりです」


照会口の横に、小さな受皿があった。再認証の控えを載せるにはちょうどいい幅だ。わたしは昨日の細い紙を広げて置く。次回照会 三十日後。保守記録照会先 第七居住圏 東管理線六番書庫。


受皿の奥で、古い歯車が噛むみたいな音がした。


『照会先指定を確認しました』

『保守記録の閲覧を補助します』

『同行端末を確認してください』


「何でも確認したがるねえ」


くまを袋から少しだけ出し、胸の星形プレートを受皿の光へ向ける。うさぎは出さない。あれは、だいたい出したほうが悪くなる。


光が一度だけ強くなって、低い扉が横へ滑った。


中は、外より乾いていた。


古い紙の匂いがする。湿気じゃない。乾いたほうの匂いだ。棚が並んでいる。でも高くない。わたしの肩より少し上までしかない棚が、細かく区切られ、札と引き出しと薄い箱をぎっしり抱えていた。棚と棚のあいだには、細いレールが走っている。そこを、小さな台車が音もなく行ったり来たりしていた。車輪の上に紙の束を載せて。


「追いかけてるじゃん」


「言い回しの敗北です」


台車のひとつが足もとを通る。紙の束の角は丸く揃っていて、ぜんぶ同じ幅だった。人がいなくなっても、書類だけはちゃんと並ぶ。そういう場所らしい。


部屋の中央には、照会卓があった。子ども向けの勉強机みたいな低さで、上に三つの窓がある。件名。系統。原簿要否。やたら正確な顔つきだ。


「何から見る」


「東四棟二〇六。KM系列。受入者移送」

くまが、いつもより早く言う。

「その順が、たぶん近いです」


「今日は働くね」


「紙の前では、少しだけ」


件名の窓へ、東四棟二〇六と入れる。系統にはKM。原簿要否は、迷って、要にした。どうせ概要だけで済む気がしない。


卓の下で何かが走り、正面の細い口から紙が三枚吐き出された。


一枚目。居室維持記録。

二枚目。同行端末保守要約。

三枚目。原簿照会票。


まず、居室維持記録を見る。東四棟二〇六。受入者一名。生活記録統合済。居室設定維持。未帰宅三十日経過。上位照会保留。


そこまでは昨日の続きだ。その下に、昨日は見ていない行があった。


再引渡条件

音声鍵照合

同行端末KM系列確認

受入者個別応答


「個別応答」


口に出すと、喉の奥が少し狭くなる。


「帰る相手が必要ってこと?」


「そうです」

くまが言う。

「部屋だけでは、足りません」


二枚目へ移る。同行端末保守要約。字が細かい。古い印字で、ところどころ薄い。


KM系列

幼年受入補助・朝夕確認用同行端末

情動安定対話

起床就寝音声補助

単独時間緩和

再引渡し時、音声鍵の橋渡しを担う


わたしはそこで、紙から目を上げた。


「橋渡し」


「はい」


「くま、あんた、ただ喋るぬいぐるみじゃなかったの」


「それは、かなり前から気づいていたと思います」


「そうじゃなくて」


返事のかわりに、くまは少しだけ擦れる音を立てた。考えているときの音だ。でも、今日はそれが少し違った。考えているというより、どこか古い引き出しを無理やり開けているみたいな音だった。


「私は」

くまが言う。

「たぶん、待つ時間を減らす仕事でした」

「ひとりで待つ時間を」


その言い方は、昨日の朝の声よりまっすぐで困った。


わたしは三枚目の原簿照会票を見た。原簿閲覧には、保守確認が必要。同行端末を返却口へ仮預託してください。下に小さく、照会中は回収保留とある。


「やだ」


「同意です」


返却口は、すぐ横の棚の下にあった。くまの胸の星形と同じ形のへこみ。かなり露骨だ。ここへ差したら、原簿は出る。でも、くまが戻ってくる保証はぜんぜんない。


「紙のくせに交換条件が重い」


「書庫は、貸すときだけ親切です」


卓の脇に、予備の照会票が束で置いてある。紙は厚い。上から筆圧をかけると、下まで跡が残るやつだ。わたしは一番上の票をめくり、その下の薄い控え紙を見る。複写式。なるほど。


「くま」


「はい」


「星形のところ、ちょっと貸して」


「嫌な予感しかしません」


「わたしも」


くまの胸のプレートを、複写票の上へぐっと押しつける。角の跡が紙へ沈む。次に、昨日の再認証控えをその上へ重ね、返却口へ差す。控え紙の星形の圧痕と、再認証の文字面をまとめて通す。かなり雑だ。でも、このへんの設備は、字と形が揃うと、たまに本物より先に納得する。


返却口の奥で、軽い音がした。


『仮預託を確認しました』

『原簿を搬送します』


「通った」


「制度は、ときどき紙だけ見ます」


「助かる性格してるねえ」


助からないのは、その次だった。


棚の奥で、いっせいに台車の音が増えた。ひとつじゃない。三つ。四つ。紙束を積んだ小さな搬送台が、レールの上をこちらへ向かってくる。原簿だけじゃない。返却確認。回収確認。照会補助。そんな札が見える。


「多い」


「仮預託したので、回収に来ています」


「紙が」


「はい」


「追いかけてるじゃん!」


一台目が卓の下で止まり、細長い箱を吐き出した。二台目は、返却口の前で待機している。三台目は、わたしの足もとへ来て、白い灯りを靴先へ当てた。


『同行端末の本体確認を行います』

『その場でお待ちください』


「待たない」


卓の上の索引板が目に入る。ずらりと並んだ管理番号。東管理線。育成物流。受入原簿。居室凍結。戻し札。棚卸。どれも面倒そうだ。いちばん面倒そうなものほど、たぶん設備は優先する。


わたしは索引板を一枚引き抜き、適当じゃなく、なるべく悪そうな番号を三つ選ぶ。棚卸全件照会。育成物流統合原簿。返却不整合一覧。予備の照会卓へまとめて突っこむ。


一拍遅れて、部屋じゅうのレールが鳴った。


台車の向きが変わる。わたしたちへ来ていたやつまで、一斉に奥の棚へ走りだす。紙の多い場所は、もっと多い紙に弱いらしい。


「頭いいじゃん」


「雑ですが、方向性は評価します」


残った一台が、ようやく原簿箱を出した。薄い灰色の箱。留め具が二つ。急いで開けると、中にはさらに細い紙束が入っていた。いちばん上に、赤線入りの保守票。


東四棟二〇六

受入者記録補助

最終保守内容

同行端末KM系列 音声鍵劣化

朝夕確認不安定

原音声鍵を零番保守庫へ退避


その下に、もっといやな行が続く。


上位照会準備済

受入者個別記録は統合保管へ移送

再引渡し未遂一回

理由 同行端末未回収


「未遂」


指が少し冷たくなる。


「くま」

紙から目を離さずに訊く。

「未回収って、あんたのこと?」


長い沈黙のあとで、くまは言った。


「たぶん」

「私は、帰るはずの場所へ帰っていません」


それで、東四棟二〇六は止まったままになった。朝だけ来る部屋。帰る相手のいない受入。上位照会保留。くまが外へこぼれたせいで、手続きだけが終わらなかったのかもしれない。


気分は悪い。けど、道は少しだけ見えた。


零番保守庫。


六番より前の番号なんて、最初から嫌な感じしかしない。けれど、音声鍵がそこにあるなら、再引渡しの仕組みも、くまの欠けた朝も、たぶんそこへつながっている。


奥の棚で、また台車の音が増えた。索引板のいたずらが終わったらしい。今度は、本当にこちらへ戻ってくる。


『照会物の返却確認を行います』

『同行端末を』


「返さない」


原簿の必要なところだけちぎる。いや、ちぎらない。ちぎると目立つ。束の下にあった廃棄予定の薄紙へ、急いで内容を写す。字は汚い。でも読めればいい。読める汚さは、生き延びるときの正義だ。


控えと写しを袋へ突っこみ、原簿は箱へ戻す。返却口の前へ放りこむ。設備は原本のほうを大事にする。たぶん。


「走るよ」


「零番へ?」


「その前に、昼を越せる場所へ」


「現実的です」


扉へ向かう。低い棚のあいだを抜けるとき、足もとを一台の台車がかすめた。積んでいる紙の角が、ふくらはぎへ軽く当たる。痛くはない。でも、ぞっとした。やっぱり紙は、追いかけてきた。


外へ転がり出ると、昼の光がやけに明るかった。書庫の中の乾いた匂いが、まだ鼻の奥に残っている。


袋を抱え直す。中では、くまがめずらしく先に喋らなかった。しばらく歩いてから、やっと小さく言う。


「私は」

それから、少しだけ掠れて、

「ちゃんと返されなかったのかもしれません」


「よかったね」


「何がですか」


「返されないで」

わたしは言う。

「いま、わたしの袋にいるし」


くまはすぐには返事をしなかった。古い部品が、ひとつだけ小さく鳴る。


東管理線の先で、番号の消えかけた案内板が風に揺れた。六の次は、七じゃない。たぶん、この町の悪いところでは、零が待っている。

お読みいただきありがとうございました。お楽しみいただけたようでしたら、★★★★★評価、ブックマークなどいただけると作者の創作の励みとなります。また次回よろしくお願いします。

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