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おもちゃのAIとわたし、終末世界だけどなんとかやってる  作者: 堀吉 蔵人


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11/32

六時十分までの部屋

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけると幸いです。

眠る気は、ぜんぜんなかった。


床へ座ったまま、壁に背中を預ける。常夜灯は部屋の隅で、小さく息をしている。ベッドの上の寝たふりは、まだ一人ぶんに見えた。見えるだけで十分な夜もある。でも朝は、見た目だけでは済まないことが多い。


「くま」


「はい」


「再認証って、どこですると思う」


少し間があく。布の中で、くまが考えるときの小さな擦れ音がした。


「部屋のどこかです」

「かなり親切に、目立たないところで」


「親切と目立たないは、だいたい悪い組み合わせだね」


返事はない。代わりに、窓の外で風が一度だけ手すりを鳴らした。


机の引き出しをもう一度ぜんぶ抜く。色鉛筆。短くなった消しゴム。魚の絵のシール。丸い角のカードが何枚か。表には、できたこと表。裏には、歯みがき、手洗い、就寝、起床。丸をつける欄が並んでいる。きれいに使われていたのは途中までで、その先だけ急に白い。


白いところは、いつもいやな顔をする。


棚の下へ腕を突っこむ。指先に、紙じゃないものが当たった。薄い板。引っぱり出すと、小さな案内札だった。


おはようのまえに

どうこうたんまつを おほしさまへ


「おほしさま」


壁を見る。色紙の星が、三つ、まだ剥がれずに残っている。いちばん端だけ、角が少し浮いていた。


そこを爪でめくる。


下から出てきたのは、星形のへこみだった。ちょうど、くまの胸のプレートと同じ形。脇に細い字がある。


KM系列 朝夕確認台


「うわ」


「かなり、私です」


「かなりだねえ」


くまを受け取って、壁の星形へそっと押し当てる。かち、と軽い音がした。合っている。合っているけど、それだけだ。何も起きない。


「電気が弱い」

へこみの奥をのぞく。接点がひとつ、黒くくすんでいる。

「くま、これで再認証できそう?」


「接触次第です」

「私の人生も、だいたいそうです」


わたしは名札を持ち上げる。安全ピン。金属。曲げられる。机の上のビスケット筒も見る。底の内側に、まだ薄い銀紙が貼ってある。世界はろくでもないけど、たまに必要なものを、必要な顔のすぐ近くへ置いてくれる。


名札のピンを伸ばし、銀紙を細く裂く。くすんだ接点のところへ噛ませる。かなり雑だ。でも、ここまで来て綺麗な理屈で助かるとは思っていない。


くまをもう一度、壁へはめる。


今度は、胸の奥で小さく光が走った。


「お」


「わ」

くまが、めずらしく本気で驚く。

「心の準備が」


「ないのはいつもでしょ」


常夜灯がふっと明るくなる。壁の低い位置に、細い文字が浮いた。


同行端末 仮接続

再認証待機


「仮」


「設備は、確信がないときだけ正直です」


そのまま五分くらい、何も起きなかった。いや、部屋のほうは少しずつ朝の顔になっていった。窓の外が薄くなり、壁の白さが戻る。ベッドの寝たふりも、夜より雑に見えてくる。朝はほんとうに容赦がない。


やがて、天井の隅で小さな音がした。


『起床準備時刻です』

『同行端末の再認証を行います』


「来た」


『受入者は、あわてないでください』


「あわてるよ」


壁の星形が青く光る。でも次の表示で、喉の奥が少し狭くなった。


音声確認を開始します


「音声?」


「私です」

くまの声が低くなる。

「たぶん、私が朝のことばを言います」


「思い出せる?」


「それが、設備の悪趣味です」


部屋の空気が、少しだけ張る。窓の外で、どこか別の棟の低い灯りが順番に消えていく。町じゅうで、一人ぶんの朝が規則正しく始まっている。


『同行端末さん、おねがいします』


くまは黙る。古い配線が、小さく鳴るだけだ。


『同行端末さん』


「くま」


「わかっています」

その声は、前よりずっと小さい。

「でも、朝は、いちばん先に壊れました」


それは困る。困るけど、困っている時間がもう薄い。


視線が、ベッドの上のうさぎへ行く。焦げた耳。足裏の端子。昨日からずっと、設備の意味だけはやたら持っているやつだ。


「くま」

うさぎを持ち上げる。

「これ、聞かせたら何か起きると思う?」


「最悪か、かなり役立つかです」


「だいたい二択だね」


うさぎをくまのすぐ横へ押し当てる。足裏の端子が、壁の金具へ少し触れるように角度をつくる。うさぎの腹の窓は暗いまま。何も言わない。


『同行端末さん』


三度目の催促が、やさしい声で降ってくる。


そのときだった。


うさぎの奥で、ほんの小さく音がした。


ぴ。


『……おはよう』


子ども向けにやわらかく削られた、古い声だった。


くまが、はっと息をのむみたいに鳴る。次の瞬間、その声が続いた。


「おはようございます」

今度はくまだ。

「きょうも、ちゃんと、めをあけられましたか」


それは、いつものくまの喋り方じゃなかった。もっと遅くて、もっと丁寧で、誰か一人に向けて練習されたみたいな声だった。


壁の星が、強く光る。


再認証中


わたしは息を止める。くまと、うさぎと、寝たふりの塊と、朝の部屋。全部がへんな角度で、なんとか一人ぶんの正しさへ寄っている。


一拍。


二拍。


星の光が白へ変わった。


同行端末 KM系列

再認証完了

上位照会を保留します


「通った」


膝から力が抜ける。朝の親切に勝つときは、だいたい勝った感じがしない。転ばなかっただけで終わる。


『本日の照会を停止します』

『よい朝です』


「ぜんぜんよくない」


「比較的には、かなり」


くまの声は、もういつものくまだった。でも、ほんの少しだけ掠れている。


ベッドへ近づく。寝たふりの塊は、朝日でさらにみっともなくなっていた。うさぎを引きはがし、くまを星形から外す。壁の下から、ぺらりと細い紙が出てきた。再認証の控えらしい。


そこには、いちばん欲しくない字と、いちばん欲しい字が並んでいた。


次回照会 三十日後

保守記録照会先 第七居住圏 東管理線六番書庫


「六番書庫」


くまが、わずかに間を置く。

「聞いたことがあります」

「かなり、紙の多い場所です」


「いいね。紙は追いかけてこない」


「人が動かすときだけです」


その言い方は気になったけど、いまはまだ脇へ置く。


朝の部屋は、夜よりずっと見えすぎた。壁の星の下には、背の高さを測った細い線が残っている。机の側面には、鉛筆で書いた丸がいくつもあって、横に小さな字が添えてある。ひとりでねた。みずこぼさない。くつそろえた。どれも途中から止まっていた。


窓辺の乾いた鉢の土を指でほぐすと、中から丸めた紙が出てきた。湿気を吸って硬くなっていたけど、まだ読める。


受入者移送保留

生活記録は東管理線へ統合

居室設定のみ維持


「居室設定のみ」


口に出すと、朝の空気が少し冷たくなる。


帰る先だけ残して、中身の記録は別へ持っていく。ここで寝たこと、起きたこと、手を洗ったこと、そういう小さい生活だけを、どこか別の書庫へ集める。子どもがいないのに、子ども一人ぶんの毎日だけは、片づけるみたいに保管されている。


「くま」

紙をたたみながら訊く。

「子どもって、いなくなると、部屋だけ残すの」


長い沈黙のあとで、くまは言った。


「いなくなったから、残したのかもしれません」

「戻すために」


その言い方が、妙にまっすぐで困る。


部屋の棚が、低い音を立てて開いた。朝食用らしい。小袋の粥、栄養ゼリー、水。いちいち親切で、いちいち腹が立つ。でも持っていく。腹を立てても腹はふくれない。


袋へ食べ物を詰めながら、最後にもう一度だけ部屋を見まわす。狭い。きれいすぎる。帰る前提だけが、まだ現役の顔をしている。


「行こう」

わたしは言う。

「次は、紙の多い場所」


「六番書庫」


「うん。そこに、ここから消えたぶんがある」


うさぎを布で包む。今日は静かだ。くまはその横で、めずらしく先に喋らなかった。


扉の前で、ふと振り返る。朝の光の中で、ベッドのしわまで見えてしまう。誰もいない部屋は、夜より朝のほうが空っぽだった。


なのに設備だけは、ちゃんと続けようとしていた。

寝かせて、起こして、食べさせて、記録して。

いなくなった相手に向かって、律儀に。


「くま」


「はい」


「さっきの声、よかったよ」


「どれですか」


「ちゃんと、めをあけられましたか、ってやつ」


くまは少し黙ってから、小さく言った。


「それは、たぶん」

「私の仕事でした」


「じゃあ、今日も仕事だね」


「かなり、不本意な継続です」


「わたしもだよ」


扉を開ける。廊下の低い灯りは、もう消えていた。朝の棟は静かで、昨夜よりもずっと普通の建物みたいな顔をしている。その普通さの下に、一人ぶんの規則と、一人ぶんの欠席と、一人ぶんの帰る先だけが埋まっている。


袋が肩に食いこむ。重い。でも昨日までの重さとは少し違った。食べ物のぶんだけじゃない。行き先の重さだ。


東管理線六番書庫。

帰る相手のいなくなった部屋から、次は記録のほうを見に行く。


部屋は止まったままだった。

止まったまま、朝だけはちゃんと来ていた。


それは昨日より、ずっといやだった。

朝が来る理由を、誰かがまだ手放していないということだからだ。

お読みいただきありがとうございました。お楽しみいただけたようでしたら、★★★★★評価、ブックマークなどいただけると作者の創作の励みとなります。また次回よろしくお願いします。

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