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おもちゃのAIとわたし、終末世界だけどなんとかやってる  作者: 堀吉 蔵人


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東四棟二〇六の夜

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけると幸いです。

夜は、昼より親切な顔をしているぶん、たちが悪い。


日が落ちると、町の低いところから順に灯りがついた。階段の端、手すりの下、角の丸い案内板の足もと。どれも子どもの目線より少し下で、しゃがまなくても見える高さだ。上のほうは暗いままなのに、下だけがちゃんとしている。


「帰宅向きの町だねえ」


「かなりです」

袋の中で、くまが低く鳴る。

「帰る相手がいる前提の明るさです」


「そこが気味悪い」


ポケットの樹脂札を親指で押す。東四棟二〇六。夜間受入優先。昼に見た字と、夜に持つときの重さは少し違う。食べ物を運ぶ札じゃない。ひとりぶんの帰る先を通すための札だ。


遠回りして、白線のない道をつなぐ。けれど東四棟の前だけは、どうしても親切の上を通るしかなかった。


四棟は、町のほかより少しだけ新しく死んでいた。


壁の白さがまだ残り、窓の角は丸く、入口の庇は低い。大人用の重い扉は半分まで降りたまま、その脇に小さな夜間受入口が口を開けている。床には靴の絵。ひとりぶん。並ぶ相手はいないのに、ちゃんと一人ずつ通す幅だけ残っていた。


「見学だけのつもりだったんだけど」


「設備は、だいたい見学を許しません」


受入口の横へ、細い認証板が埋まっている。高さはわたしの膝より少し上。札を近づけると、板の奥で小さく光が走った。


『夜間受入優先を確認しました』

『受入者は、あわてずお入りください』


「あわてるよ」


『同行端末を確認してください』


「確認されたくない」


でも、もう受入口の縁が青く灯りはじめていた。遅い。入らなければ、ここで声だけが続く。声が続けば、ほかの親切も来る。


札を認証板へ押し当てる。くまを袋の口から少しだけ出し、胸の星形プレートを光の前へ寄せる。かち、と噛む音。受入口が横へすべり、冷たい空気が流れてきた。


『おかえりなさい』


その一言だけ、ちゃんと家みたいな声だった。


中へ入ると、外より静かだった。廊下は細い。壁はやさしい色。手すりも、手洗いも、掲示板も、全部が低い。子ども用に作られた親切は、大人がいなくなったあとでも、自分の高さを変えないらしい。


足もとに青い点がぽつ、ぽつと灯る。部屋までの案内だ。階段の段差まで、小さな星みたいに光っている。


「いやだなあ」


「帰宅補助です」


「知ってる。思想がいや」


二階の角で、青い点がひとつだけ強くなった。扉に白い札。東四棟 二〇六。下には、丸っこい字で小さく書いてある。


おかえりのへや


「そこまで言う?」


「言う設備です」


樹脂札を差込口へ入れる。扉はすぐには開かず、かわりに細い音が三つ鳴った。


『手洗い確認』

『同伴確認』

『就寝準備をどうぞ』


「まだ入ってない」


「順番に厳密さがありません」


扉の横に、子ども用の小さな洗面台があった。蛇口は生きている。細くひねると、冷たい水が糸みたいに落ちた。その上の小窓に、手の形が二つ並ぶ。洗ってから入れという顔だ。


「これ、やらないと開かない?」


「かなり」


「夜の最初から面倒だねえ」


片手で水を受け、わざと床へも散らす。もう片手で、うさぎの前足をつまんで濡らす。焦げた耳が少しだけ垂れた。最後に、くまの布の手をちょんと水へつける。


「雑です」


「帰宅ってそういうものでしょ」


洗面台の窓が青へ変わる。次は、扉の横にある低い受皿が光った。同伴確認。つまり、うさぎとくまを載せろということらしい。


ふたりを受皿へ並べる。うさぎは眠ったふり。くまは起きているふりがへただ。


かち。今度はすぐに扉が開いた。


部屋は、狭かった。


でも、狭いことより、ちゃんとしていることのほうが気味悪い。小さなベッド。低い机。丸い角の棚。魚の絵のついたコップ。壁には色紙の星が、まだ剥がれずに残っている。窓辺には乾いた鉢。床の隅には積み木が三つだけ、きれいに並んだままだった。


人がいなくなった部屋じゃなくて、人が戻る前提で止まった部屋だった。


喉の奥が少し狭くなる。


「……空っぽじゃん」


「はい」


くまの声が小さい。

「でも、片づきすぎています」


机の上に、透明な筒が一本立っていた。中には細いビスケット。封の切られていない水の小袋も二つ。棚の下には薄い保温布。今夜しのぐには十分だ。腹はほっとする。気分はぜんぜんしない。


引き出しを開ける。色鉛筆。破れかけの絵本。名札。どれも小さい。いちばん下の引き出しだけ鍵がかかっていたけど、横の隙間へ薄い受入先票を差しこんだら、拍子抜けするくらい簡単に開いた。制度は、意味の近い紙に弱い。


中に入っていたのは、薄いファイル一冊だけだった。


表紙には、こうある。


第七居住圏 夜間受入記録

受入者 一名

同行端末 KM系列


「くま」


すぐには返事がない。


ファイルを開く。今日の日付は空欄。昨日も空欄。その前は、まばらに丸がついている。先月の半ばまでは、毎晩みたいに受入済の判が押されていた。その先で、急に白くなる。


最後のページにだけ、印字の違う行があった。


保護者不在時は、同行端末が就寝確認を代行すること。

未帰宅三十日経過後も設定は維持すること。

再引渡判断は上位系統が行うこと。


「三十日」


口にした瞬間、部屋の天井で小さな音がした。


白いランプが、ひとつずつ点く。


『就寝準備時刻です』

『受入者の体温を確認します』

『ベッドへどうぞ』


「それはやめて」


ベッドの枕元に、小さな丸窓があった。体温。重量。たぶんそのへんだ。ここでわたしが寝れば、記録が増える。増えた記録は、たいてい後で追ってくる。


でも、無視すれば巡回か照会が始まる。もっと面倒なやつが来る。


「くま、代行って、どこまで」


「就寝確認」

くまが少し早口になる。

「寝たことにできれば、今夜の巡回は止まります。たぶん」


「たぶんじゃ困る」


「困るときに、たぶんしか残っていません」


たしかにそうだった。


部屋を見まわす。ベッド。保温布。水の小袋。机の下の物入れ。そこに、古い綿のつまったクッションが二つ。形はもう崩れているけど、量だけはある。


わたしはすぐ動く。クッションを裂き、綿を寄せる。保温布を丸める。昼にもらった箱の中のビスケット筒を芯にして、子ども一人ぶんくらいの塊を作る。見た目はかなりひどい。やさしさを工作すると、だいたい失敗した雪だるまみたいになる。


「作戦名」


「寝たふり」


「誠実さがありません」


「今さらだよ」


ベッドの中央へ綿の塊を置き、その上へうさぎを寝かせる。枕元にはくま。同行端末が代行するなら、そこにいたほうが設備は安心する。最後に、水の小袋を保温布の中へ入れ、さっき洗面台の水で少しぬるめた銀の水筒を足もとへ忍ばせる。重さと温度をごまかすためだ。


ランプが、待っているみたいに白い。


「ほら、仕事して」


「急な昇進です」


くまを枕の横へ立てる。胸の星形プレートが、ベッド脇の丸窓へ向くように角度を合わせる。うさぎの足裏の端子は、布の下の金属飾りへ触れさせた。理屈としてはひどい。でも、この世界の設備は、ときどきひどい理屈のほうが通る。


わたしは息を止めた。


一拍。


二拍。


丸窓が青へ変わった。


『同行端末による確認を受理しました』

『受入者の就寝を確認しました』

『本日の巡回を停止します』


「通った」


「制度は、ときどき雰囲気も見ます」


そのまま照明が落ち、部屋の隅だけが薄く残る。静かになる。さっきまで空っぽだった部屋が、急に誰かの寝息を待つ部屋みたいになって、よけいに落ち着かなかった。


わたしはベッドから離れ、床へ座る。背中を壁につけると、壁はまだ少しだけぬくかった。


机の下に、小さな箱がもうひとつあるのに気づく。木じゃない。薄い樹脂の、書類箱みたいなやつだ。ふたを開けると、中には紙が一枚と、細い鍵の顔をしたカードが入っていた。


紙の字はかすれていたけど、読めた。


再引渡保留

受入先維持

同行端末再認証待ち


その下に、もっと小さい字。


明朝六時十分、上位系統へ照会を再開します。


明朝六時十分。

まずい。


「くま、上位系統って何」


「上です」


「知ってる」


「もっと大きいところです」

くまが言う。

「ここより親切で、ここより面倒な」


それは最悪の言い換えだった。


窓の外を見る。町の低い灯りが、まだ順番に点いている。向かいの棟にも、いくつか同じ高さの灯りが見えた。帰る相手がいないのに、帰るための準備だけはやめていない。子どものいない町で、子ども一人ぶんの夜だけが律儀に動き続けている。


ベッドの上で、うさぎがほんの少しだけ鳴いた。


『……おかえり』


さっきまでの設備の声じゃない。もっと近くて、もっと古い声だった。


くまが、すぐ隣で小さく震える。


「思い出した?」


長い沈黙のあとで、くまは言った。


「私は、ここで何度も、おやすみを言っています」


それだけだった。


だれに、とは言わない。言えないのかもしれない。でも、それだけで十分重かった。


わたしは壁にもたれたまま、薄いビスケットを一本だけかじる。乾いている。腹にはありがたい。今夜の寝床も、朝までの水もある。最初の予定より、ずっと生き延びやすい夜になった。


なのに、安心は全然来ない。


明朝六時十分。照会再開。上位系統。再引渡保留。

帰る先だけが残っていて、帰る相手のほうがどこにも見えない。


「くま」


「はい」


「朝までに決めるよ」


「何をですか」


「逃げるか、先に見に行くか」


「おすすめは、ありません」


「おすすめされるときのほうが、ろくでもないしね」


「それはそうです」


部屋の隅で、低い常夜灯が小さく息をしている。ベッドの上では、雑に作った寝たふりが、なんとか一人ぶんに見えていた。工夫は資源になる。正解じゃなくても、夜くらいは越えられる。


でも朝は、正解の顔をして迎えに来る。


この部屋は空っぽだった。

空っぽなのに、まだ誰かの帰宅を待っていた。


それが、思っていたよりずっと悪かった。

空ではなくなった理由が、わたしたちになってしまったからだ。

お読みいただきありがとうございました。お楽しみいただけたようでしたら、★★★★★評価、ブックマークなどいただけると作者の創作の励みとなります。また次回よろしくお願いします。

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