第3話「乗車〜red」
その頃、札幌駅のホームには特急列車が停まっている。発車にはまだ時間のあるその車内で、「昨夜の――のニュースを見たか?」と、男は隣の窓際席の相手に話しかける。
相手――男――はうなずく。「びっくりしたよ。バイパスなんて作っていたなんて。知っていたか?」
「いや私もニュースを見るまでは知らなかったよ。あんな僻地にバイパスを作るお金がよくあったものだ。観光で稼ぐこともできないだろうに」
「ないのか? 観光場所」
「ないだろう。名物店、閉店したからな。あの店はあの僻地唯一の観光場所と言っても過言ではないだろう」
「確かにそうだな。――いや、あの店は? あのでかい
――を出す店」
「あの店も潰れたよ」
「そうなのか? 知らなかった」
「ああ、ずいぶん前に潰れたよ」
「じゃ、ないな。――いや、あるんじゃないか? これから」
「これから?」
「バイパスを作ったんだからさ。ほら――」
「ああ。だがそれはないと思うな」
「どうして?」
「つまらないだろうからさ」
男は、その理由を話した。
「へぇ、知らなかった。――じゃなんでバイパスなんて作ったんだろうな?」
「そりゃ短縮だろう。バイパスなんだから。あの僻地からあの僻地まで地味に距離があるからな。特急でもそう感じるんだから車では尚更だ」
「そうだな。――しかし、昨夜のニュースはそれしか見ることができなかったな。ほかに面白い北海道のニュースはあったか?」
「ないな」男は即答した「つまらないニュースばかりさ」
「道外のニュースには?」
「それもないな。まぁ、平和なのはいいことだがな」
「そうだな。――道外と言えば、到着の連絡は? 今日早くに丘珠空港から行ったんだろう?」
「ああ、だが連絡は来ていない。まぁじきに寄越すだろう」
「もう一人は?」
「ない。連絡はいらないと伝えたからな」
「どうして?」
「必要ないからだ。指示は全て伝えたからな」と、男は眉をひそめる「調査はどうなっている?」
相手は苦しげな表情を浮かべる。「まだかかる」
「範囲は絞れているのか?」
「いやできていない」
「それならまだだいぶかかるな」
「ああ……そちらはどうなんだ? 反応は?」
男は不満げに口から息を吐いて、「こちらも駄目だ」と、言った「ほかはまったく正常に働いているんだがな」
「やはりなんらかの偽装をしているようだな」
「ああ。――まぁ、今のところはそれでも問題ないがな。つまらないニュースばかりが流れているから」
「いいことじゃないか? 平和なんだから」と、相手は苦笑して言う「面白くはないけど」
「そうだな、面白くない……何か面白い話はないだろうか?」
「面白い話か――連絡してみれば? もしかしたら道外の面白い話が聞けるかもしれないぞ?」
「期待できないな」
「どうして?」
「一人は聞いたら答えてくれるだろうがつまらない話しかしなさそうだ。もう一人はそんな指示してないから答えないだろう。そもそもそんなことで二人に連絡したくない」
「二人? あと一人いるだろう?」
「あいつは携帯電話を持っていない」
「持っていない? 今時珍しいな」
「ああ、なんか持ちたくないらしい。不便なヤツだ」
「そうだな。――だが、問題はないだろう? だからこそ送り込んだんだろう?」
「ああ、正常に作動しているからな」ふと男はため息をつく「問題があるとすればあいつの頭だな」
「うん?」
「私はあいつにもちゃんと指示を出した。なのにあいつは兵庫へ行った」
相手は首をかしげる。「兵庫? なんで?」
「知らないよ。まったく、何を考えているのか……」
「――送り込んだのは注意するため? それともアクシデントを解決するためのサポートに?」
「もちろん一つには注意するためだ。もう一つは様子を確認するためだ。定期的なものさ」
「アクシデントのサポートは?」
「そんなことは指示していない。一人で解決できないようじゃ駄目だろ?」
「そうだな」
と、まもなく発車のアナウンスが流れる。その頃には車内の席はほとんど埋まっていた。
「しかし不思議だな」と、相手は言った。
「何が?」
「あいつに連絡の指示を与えないなんて。携帯電話を持っていなくてもさせることはできるだろう?」
男は肩をすくめる。「私にも分からないさ」
「私にも? ――ああ、なるほど」
と、特急列車は動き出した。
「どこまで行くんだ?」と、男は聞く。
「旭川までだ」
「旭川? 動物園でも見に行くのか?」男は笑って聞く。
「まさか」
「そうだろうな。旭川か、乗り換えで降りなくちゃ。そうだ、旭川で一緒にお昼ごはんを食べないか?」
「良いよ。旭川ならラーメンだな」
「ああ。特に塩ラーメンがうまいよな?」
「うん。――しかし面白いな、あいつ」
「あいつ?」
「兵庫へ行ったあいつだよ。面白いじゃないか、兵庫へ行った理由。帰ってきたら聞いてみるといい」
男はふっと笑う。「そうだな。楽しみだよ、なんで兵庫なんかに行ったのか」
日本 北海道 札幌
令和九年 夏
朝 晴れ
駅のホームは混雑している。その中にキョウスケはいて、特急列車を待機列の先頭で待っている。
やがて特急が来て、白いワイシャツの上に青いジャケット、そして黒いズボン姿の彼は乗り込み、自由席――通路側――に座る。
発車を待っていると、暗い声を聞く。すみません、とキョウスケは話しかけられたからだ。
見ると、暗い表情をした少女――キョウスケと同年代。黒いロングヘア。中背。青いセーター、黒いジーパンを着用。青いポーチを肩から提げている――が立っていた。
話しかけられると、キョウスケは立ち上がり、少女は弱々しく頭を下げ窓際の席に行く。
――それは盛大に聞こえた。
その腹の鳴る音を聞いて、発車を待っているキョウスケはふと隣を見た。少女は真っ赤になってうつむいている。
「……すみません……」
と、少女はうつむいたまま呟くように言った。
しまったと思いながらキョウスケは、「全然。気にしないで」と、前を向く。
と、発車のアナウンスが流れ、特急列車は動き出す。
「……あの」
「えっ?」と、キョウスケは少女を見る。
少女はなおうつむいたまま、「どちらまで?」
「函館までです」
「……もしかして乗り換えるんですか?」
「うん、道外へ行くから」
と、少女はキョウスケを見る。
「私も函館で乗り換えるんです」と、少女は暗い表情で言う。
「へぇ、そうなんだ。観光しに?」
「観光――はい、そうですね。おいしいものを食べたいんです」
(……それなのになんでそんな表情なんだろう?)
ふと少女はうつむき、「………最後の晩餐に」
(えっ!?)
と、キョウスケはびっくりした。
(最後の晩餐?)
(……病人なのか?)
だから暗い表情をしている――そう感じさせる相手はふと顔を上げ、「道外へはどちらへ?」
キョウスケは答えず、「キミはどこへ?」
「決めてません」
「決めてない?」
「はい。道外としか……」
「へぇ、目的地を決めてない旅か。かっこいいね」と、キョウスケは微笑して言う。
「ありがとうございます……」と、少女は恥ずかしそうに言った「でも、目的地を決めてないから道外へ行くか迷っているんです」と、続けて恥ずかしそうに話す「私、意思が弱いから……」
「そうなの? そんなことはないと思うけど。もう特急に乗っているんだし。大丈夫、道外へ行けるさ」
「……あの、キミはどこへ行くんですか?」と、少女は恐る恐るまた同じ質問をした「目的地を決めれば道外に出ることができると思うんです……キミはどこへ行くんですか?」
「それは……」
「……駄目ですよね。すみません。今言ったことは忘れてください」
(あっ!)
「駄目じゃないさ! ――徳島だよ」
「徳島?」
「うん、徳島。そこでよければ一緒に行く?」
「えっ!? いいんですか?」と、少女は驚く。
「うん、私は全然問題ないよ。キミのほうは? あっ、キミの名前は?」
「あっ、すみません。私はジュリアです」
「私はキョウスケ。一緒に行く?」
「は、はい。よろしくお願いします」と、少女――ジュリアは頭を下げた。
(……まだ暗い表情をしているな)
(まぁ、そうだよな)
「道外への切符はあるの?」と、キョウスケは聞く。
「ないです」
(やっぱり)
「私が出すよ」
「えっ!?」
「切符代」
「どうしてですか?」
戸惑いながら聞くジュリアに、「誘ったからだよ」と、キョウスケは答えた。
「悪いです」
「気にしないで。私はお金は持っているんだ」
「でも……」
「そういえばキミいくつ? 失礼」
ジュリアは答えた。
「同い年か。じゃ敬語はいらないね」
と、また大きな音が聞こえた。
また赤くなる少女に、「次の駅で降りない?」と、キョウスケは言う。
「えっ?」
「何か食べようよ。車内販売があればいいんだけどずいぶん前になくなっちゃったからさ。もちろん私の奢りだよ。どう?」
「悪いです」
「全然だよ。だから食べよう?」
あと敬語はいらないよ、と彼は付け加えた。
「……分かった。ありがとう」と、ジュリアはぎこちなく笑って答えた。
函館に着いたのは昼だった。
「はい、どうぞ」と、駅の改札口前でキョウスケはジュリアに切符を差し出す。
「ありがとう」と、少女はおずおずと受け取る。
「隣同士が空いていてよかったよ。――そういえば荷物はそれだけだよね?」
「うん」
「服とか買ったほうがいいね。まぁ私もなんだけど」
「キョウスケさんはどうして荷物ないの?」
「キョウスケでいいよ。行き先で揃えるタイプなんだ。それでいいならキミの服も買いたいんだがいいかな? まぁ、今買ってもいいんだけど。発車までにはまだ一時間くらいあるし」
「キョ、キョウスケ」
「何?」
「服は自分で買うから……」と、ジュリアは恥ずかしそうに言った。
「そう? 分かった」
「こんにちは」
と、二人は話しかけられた。
「キミ達はどこへ行くの? 道外?」
と、キョウスケ達と同年代の小柄な男子――黒い短髪。リュックサックを背負った白いジャージ姿――は明るく聞いてくる。
「そうだけど」と、キョウスケは警戒しながら答えた。
「そうなんだ、私も北海道を出ようとしているところなんだ。いつの列車で行くの?」
「どうして?」
「一緒に行こうかなって思ってさ。一人じゃ退屈だから。あっ、私はトダオ。キミは?」
「……キョウスケ。キミはどうして道外へ行こうとしているんだ?」
トダオは楽しそうに笑う。「アイドルさ」
キョウスケは目を丸くする。「アイドル?」
「そうさ。アイドルのコンサートを観るために北海道を出る。追っかけってヤツさ」
(――問題なさそうだな)
と、警戒を解いたキョウスケは、「コンサートってどこでやるんだ?」
「今回はスペシャルでさ、色々なところでやるんだ。東京、石川、鹿児島、徳島――」
「徳島もあるのか。あっ、ごめん。続けて?」
「いやいいんだ。それより徳島がどうしたんだ?」
「私達も徳島に行くんだ」
「そうなのか。じゃ一緒に行かないか? ちょうど徳島が最初の開催地だからさ」
キョウスケはジュリアを見る。「どうする?」
「あっ、私は別に気になりません」
するとトダオが、「大丈夫? 無理してない?」と、ジュリアに聞く。
「えっ?」
「暗い顔してるからさ。嫌なんじゃないかなって」
「別に嫌じゃないです」と、ジュリアは慌てて答える。
「嫌じゃないの? 本当に?」
「はい」
「なら嬉しいよ。――キミの名前は?」
「ジュリアです」
トダオは微笑して、「よろしく。キョウスケと徳島へは何しに? 新婚旅行?」
「えっ!? 違います……」
「ふーん、じゃ何しに?」
「……おいしいものを食べに」
「へぇー、いいね。徳島なら徳島ラーメンとかいいね」
「徳島ラーメン?」
「豚バラ肉と生卵をトッピングした豚骨醤油のラーメンだよ。ジュリアさんはラーメン好き?」
「はい、好きです」
「キョウスケは?」
と、トダオは微笑しているキョウスケにも聞いた。
キョウスケは笑ったまま、「好きだよ」
「知っているようだな? 私も昔はよく食べたよ」
(昔は?)
(なるほど、北海道の人間じゃないのか)
「へぇー、ラーメン好きなんだな。北海道のラーメンはどうだ? おいしい?」
「おいしいな。特に旭川の塩ラーメンは絶品だ。食べたことは?」
「ないな」
「そうか。――そういえばキミ達はどういうルートで徳島へ行くんだ?」
「寝台車さ」と、キョウスケは答える「それ一台に乗って徳島に行く」
「なるほど」
それからトダオは切符を買いに行く。
「キョウスケ」と、ジュリアは呼ぶ「列車に乗ったらキミはどうするの?」
「どうする? 特に考えてないよ。どうして?」
「あの、よかったら私とラウンジで話をしない……?」
「ああ、いいよ」キョウスケは快諾した「トダオも誘って三人で話そう」
「えっ? うん」
「じゃ部屋を見たらすぐに行くよ」
「分かった」
一時間後、三人は発車したばかりの寝台列車のラウンジに集まっている。そこは食事スペースも兼ねているから、二十ある席は全部テーブル席――四人掛け――で、その真ん中辺りに三人は座った。
「空いてるな」と、トダオは向かいのキョウスケに言う「というか私達だけだ」
「寝台車だからな、みんな個室にいたいんだろう。それに発車してすぐだからな」
「そうだな。――飲み物でも飲んで話さないか?」と、トダオは立ち上がる「奢るよ。何がいい?」
「悪いよ」
「いいって。仲間に入れてくれた礼さ。さぁさぁ何がいい?」
「……じゃコーラ」
「ジュリアさんは?」
「あっ、私もコーラで」と、キョウスケの隣の窓際席に座るジュリアは申し訳なさそうに頼んだ。
「分かった」
と、トダオはデッキへ向かう。デッキには自販機がある。
まもなく青函トンネル――そのアナウンスはトダオがラウンジを出てすぐだった。
ふとキョウスケはジュリアの隣の窓を見る。
その直後、青函トンネルに入り、窓が真っ暗になった。
その直後にキョウスケは、窓に映る、うつむいたジュリアの暗い表情に気づく。少女はずっとそんな表情を浮かべている。
いや、ちょっと違う。
怯えている?
「……ジュリア」と、キョウスケは呼ぶ。
少女は彼を見る。「何?」
「キミは温泉好き?」
「温泉? うん」
「そっか。徳島にもいい温泉があるから入りに行こうよ」
すぐに答えを出さなくていいよ、と彼は付け加える。
ジュリアはうなずく。「詳しいね。キミも温泉好きなの?」
「……まぁね。でもそんなにこだわりはないけど。温泉なら大概いい湯だからね」
「そうなんだ。――キョウスケ、話したいことがある」
「何?」
「温泉には入らせない」
と、テーブルの向こうのほうから声がした。
見ると、キョウスケの向かいの椅子に白いスーツの若い男が座っている。
(いつの間に?)
驚くキョウスケは、「誰だ?」と、怪訝な表情で聞く。
相手は首をかしげ、「誰? この格好に覚えはないか?」
「格好? ――もしかして妖怪か?」
「そうだ」
(妖怪か)
「妖怪?」と、ジュリアは戸惑う「キョウスケ」
「大丈夫だよ、ジュリア。私がついてるから。――妖怪がなんの用だ?」
「言っただろう? 温泉には入らせないって」
「温泉に? どうして?」
「その説明は必要ないだろう。キミは私に負けて温泉に入れないんだから」
「その必要もないな」
「何?」
(“ABススアピーニクベ”起動)
その瞬間、ジュリアは消え、妖怪は変化した。
それは水色の、クリスマスに使うモミの木のような形で、椅子から天井ぎりぎりまで――横幅三十センチくらい――伸びている。
(クリスマスツリーなのか)
と、落ち着き払っているキョウスケは、右腕をテーブルの上に伸ばす。
その瞬間、右の掌中は半透明の緑色の丸い棒――長さ三十センチメートルほど――を真ん中から握っている。
と、キョウスケはその棒の片端を“水色のクリスマスツリー”に向ける。
と、その棒の先からネイビーブルーの光線が放たれる。
光線は速い速度で“水色のクリスマスツリー”に当たる。
その瞬間、光線と“水色のクリスマスツリー”が消える。
と、それを確認したキョウスケの手から棒が消える。
キョウスケは隣を見て、「ジュリア、終わったよ」
「えっ?」
「妖怪を倒したんだ」
「倒した?」と、ジュリアはびっくりする「妖怪を?」
「うん。ほら、いないだろ?」
ジュリアは斜向かいの席を一瞥し、うなずく。「でもどうやって倒したの? 一瞬で」
「それは……」
「あっ、言いたくないなら言わなくていいよ」
「ありがとう」
「――キョウスケ、妖怪はどうして私達を温泉に入らせないようにしたかったんだろう?」
「さぁね。聞いたけど答えてくれなかったんだ。――そういえば話って?」
「うん、キョウスケ――」
「お待たせ」と、そこへトダオが戻り、ジュリアは話を言いかけた。
「はい、二人とも」
と、トダオはペットボトルのコーラを差し出す。二人はお礼を言って受け取る。
「ジュリア、話は?」
取り出したペットボトルのコーラをテーブルに置いてトダオが席につくと、キョウスケは促す。
「あっ、大丈夫です」と、ジュリアは気まずそうに答えた。
「うん? 二人でしたい話? 席を外そうか?」と、トダオはジュリアに聞く。
「あっ、大丈夫ですから」ジュリアは慌てて答える。
「本当に?」
「はい」
「ならいいけど……」
「――あの、トダオさん」
「何?」
「このトンネルって出るまでどのくらいかかるんですか?」
「三十分くらいだね」
「三十分も……ありがとうございます」
「嫌だよね? でも話していたらすぐだよ」
キョウスケ、私がいない間ジュリアさんと何を話していたんだ? と、トダオは付け加える。
「温泉の話だよ。徳島にもいい温泉あるよな」
「ああ、あるな。温泉に詳しいのか?」
「いや――ネットでちょっと調べたことがあるからさ。キミは温泉好きか?」
「好きだよ」と、トダオは笑って答える「アイドルの追っかけをしているうちにね」
「うん? どういうことだ?」
「アイドルのファンには清潔さが求められるんだ。アイドルがファンの臭いに苦しまないようにな」と、トダオは真剣な顔で話す「で、そのために私は毎日風呂に入っている。そうなると風呂が好きになった。で、温泉も好きになったんだ」
「なるほど」
「そういえばキミ達は徳島のどこに泊まる予定なんだ?」
「決めてないよ。キミは?」
聞くと、トダオはふと微笑する「キミ達は温泉に泊まるんだな? だから温泉の話をしていたと」
「えっ? 違うけど」
「隠すなよ。別に恥ずかしいことじゃないよ」
(恥ずかしいこと?)
「じゃ私はホテルに泊まることにするよ」と、トダオは言う。
(どうしてだろう?)
と、キョウスケを不思議にさせるトダオは、「徳島へ行ったら温泉以外にどこへ行くんだ?」と、キョウスケに聞く。
「食事以外にどこかへ行く予定はないよ」
「そうなのか? ――ならアイドルのコンサートに来ないか?」
「コンサート?」
「めちゃくちゃ楽しいぞ」と、トダオはジュリアを見て、「キミもコンサートどう?」
「えっ? 私はいいです。ごめんなさい」
「全然。気にしないで」と、トダオはキョウスケを見る「じゃキミも行かないな」
「えっ? どうして?」
「うん? そりゃそうだろう?」
「トダオさん」と、ジュリアは呼ぶ。
「何?」
「トダオさんの好きなアイドルってどんな方なんですか?」
「えっ? よくぞ聞いてくれた!」と、トダオは喜び、「私の好きなアイドルはユニットを組んでいて――」と、語り始める。
それはしばらく続く。
「キョウスケ、トダオさん」
と、 ジュリアは呼び、トダオは話すのをやめる。
「何?」と、キョウスケ。
「変じゃない? もう三十分くらい経っているのにまだトンネルの中にいる……」と、ジュリアは青ざめて言う。
と、トダオは携帯電話を取り出す。時刻を確認する。
「確かにそうだね」と、トダオは窓を一瞥する「徐行してるのかな? でもそんな感じしないけど」
「キョウスケ」と、ジュリアは言う「妖怪の仕業なんじゃないの?」
「妖怪?」
ジュリアはこわごわとうなずく。「また妖怪が来たんじゃ?」
(妖怪か――)
「妖怪?」と、トダオはきょとんとする「ジュリアさん、妖怪に会ったことあるの?」
「はい、さっき」
トダオさんがジュースを買いに行っていなかった時にです、とジュリアは付け加えた。
「ふーん。で、妖怪の仕業だと。何かされたってわけ?」
「いえ、別に何かされたわけじゃありません。でもこの事態は妖怪くらいしかできないかなって」
「なるほど。――その妖怪はどうして今いないの?」
「キョウスケが倒したからです」
「倒した!?」と、トダオはびっくりし、キョウスケを見る「妖怪を倒すことができるのか? すごいな」
「まぁね。――トダオ、この事態をどう思う? 妖怪の仕業だと思うか?」
「えっ? うーん……確かにおかしいからな。妖怪がいるなら妖怪の仕業なんじゃないか? キミはどう思うんだ?」
「私も妖怪の仕業だと思う」と、キョウスケは答える「さっきの妖怪と同じで、私達を行かせないためだと思う」
「行かせない? どこへ?」
「さぁ? でもさっきの妖怪は温泉にだった。なら今度の妖怪も――」
「笑止だな」
隣からの声に、キョウスケは遮られた。
隣のテーブルには一人の若い男――五分刈り。黄色いスーツ姿――が前を向いている。
(妖怪か?)
(いや、服装が違う)
「誰だ?」
隣の席に座る男にキョウスケは聞く。
相手は顔を向けずに、「私は妖怪ではない」
「キミの仕業なんだな? キミは誰だ?」
その瞬間、キョウスケは気づく。
列車が停まっていることに。
「なんだ? 停まっている?」と、トダオは戸惑いながら言う「どういうことだ?」
「私がやったんだ」と、黄色いスーツの男は言う「私は妖怪ではない。だが私の目的もほとんど同じなんだ。キミ達を行かせはしない」
「どうして?」と、トダオは聞く「どこへ行かせないつもりなんだ?」
「キョウスケ」と、黄色いスーツの男が呼ぶ「これからどうする?」
「どう? ――もちろんキミと戦うよ」
「ほう?」
「でないと青函トンネルから出られないはずだ」
「その通り。だが無謀だな」
「何?」
「私はやはり妖怪と違うからだ。試してみるといい」
「――ああ」
(“ABススアピーニクベ”起動)
(――効かない!?)
キョウスケは動揺する。
(妖怪に効いたのになぜ!?)
と、キョウスケは自分のテーブル周りを見る。ジュリアとトダオはいない。
(“ABススアピーニクベ”はちゃんと作動している)
(なのに変化しない?)
と、キョウスケはその相手を再び見る。
(この男は何者なんだ……?)
「キョウスケ、列車は好きか?」
「何?」
「好きかと聞いている」
「……普通だ」
「そうか。私は嫌いだ」と、相手はさりげなく言った「だから変えてやる」
(何?)
その瞬間、キョウスケは無人のそこにいる。
(この都会は!?)
「徳島駅前か……」
キョウスケははっとして隣を見る。「トダオ」
(もしかして)
と、キョウスケは反対側を向く。
ジュリアがいて、「キョウスケ、ここは……?」と、困惑した顔で聞いてくる。
「徳島の駅前らしい」と、キョウスケは答え、トダオに聞く「そうなんだよな?」
「ああ、そうだ。徳島市の駅前だ」
キョウスケは前を向く。
(ここが徳島……)
「キョウスケ」と、ジュリアが呼び、「私達はどうして徳島にいるの?」
「――もしかしたら妖術かもしれない」と、キョウスケは答える「それで幻を見せているのかもしれない」
「妖術? なるほど、それなら納得できるな」と、トダオ「私達は列車の中にいたんだから」
でもそれならどうする? 妖術をどう解く? とトダオは付け加えた。
(“ABススアピーニクベ”起動)
と、キョウスケは周囲を見渡す。
(駄目か……)
「――顔を殴ってみるか?」と、トダオは言った。
「えっ? どういうこと?」
キョウスケの問いに、「強いショックを受けることでこの空間から抜け出せるかもしれない」
「暴力的なことはやりたくないな」と、キョウスケはきっぱりと答える「第一もしそれが有効だとしてもジュリアはどうするんだ? キミは彼女を殴る気か?」
「まさか! やばすぎるよ」
「うん。だからその方法はなしだ」
「うん、そうだな」
「……キョウスケ」と、ジュリア。
「何?」
少女は落ち着いた様子で言った。 「私はいいよ? 殴って?」
「えっ!?」
と、キョウスケとトダオはびっくりした。
キョウスケは、「いや無理だよ」
うんうん、とトダオは同意する。
「でもその方法でここから抜け出すことができるかもしれないし……」
「きっとほかに方法あるよ、大丈夫」と、キョウスケは励ます。
「……分かった……」
「キョウスケ、ほっぺたをつねるのはどうかな?」
ほっとしている彼にトダオは言う。
キョウスケは頭を振る。「それも暴力的だ。やりたくない」
「そうか。――うーん、浮かばないな。まぁ、三人とも無事だし急ぐ必要はないんじゃないか?」
あの男が攻撃してくる感じもないしな、とトダオは付け加える。
(急ぐ必要はないか)
(確かにそうだが、それでいいんだろうか――?)
「この街を探索するか?」と、トダオはキョウスケに言う「もしかしたらこの空間から抜け出せるヒントが見つかるかもしれない。いやひょっとしたら出口があるかもしれない」
「そうだな。行くか」
「私はちょっと……」と、ジュリアは申し訳なさそうにトダオに言う。
「うん、分かった。気にしないで。――なら私だけで行くよ。キョウスケ、ジュリアさんを守ってやれ」
「大丈夫か?」
「ああ、私は大丈夫だよ。じゃ」
と、トダオは駅の向こうへ歩いていく。
「ごめんなさい」と、ジュリアはキョウスケに謝る「わがまま言って……」
「全然気にしなくていいよ。それより大丈夫? 具合悪いから遠慮したとか?」
「ううん、大丈夫」
「そっか、よかったよ。――立ってるのもなんだし、どこか休めるところ行かない?」
「うん。――でもトダオさんが戻ってきた時にいなかったら困るんじゃ……」
「そうだね。――ならここが見える場所にしよう」
「うん」
二人はその条件に合う駅前のファストフード店に入った。窓際のカウンターに座る。
「ここならよく見えるから大丈夫だね」と、キョウスケは言う。
「うん。――キョウスケ、北海道の話をしない?」
(なんで北海道の話なんだろう?)
「良いよ、北海道のどんな話?」
「動物の話は?」
「良いよ、キミは北海道にいるどんな動物が好きなの?」
「蛇」
「蛇?」と、キョウスケはちょっと驚く。
「どうしたの?」
「ちょっと変わってるかなって。蛇が好きな女の子」
ジュリアは苦笑する。「うん、分かる」
「でも悪いことじゃないよ。蛇、どんなところが好きなの?」
「顔が可愛いところ」
「へぇー」
「あとは――いや、ないかな」
キョウスケが好きな動物は? と、ジュリアは付け加えた。
(動物か……)
「……エゾシカかな、北海道にいる生き物だと」
「どんなところが好きなの?」
「可愛いところかな」
「……ふふっ」
「おかしかった?」
「ううん。“徳島”にいるのに北海道の話をしているから」
「ああ、なるほど」と、キョウスケも笑って答える。
「北海道の話をして正解だった。まだ北海道の話をしない?」
「もちろん」
その時、キョウスケの左脚に何かが巻かれた。
(蛇か!?)
キョウスケはぎょっとして左脚を見る。
(……縄?)
細いそれが巻かれている――それは地面について後ろに続いている。
(あの男か?)
と、キョウスケは立ち上がりながら振り返る。
(あの男じゃない)
(妖怪か?)
「誰だ?」と、キョウスケは、右手に縄を掴んでいる、白いスーツ姿の若い男に聞く。
「妖怪だ」
(妖怪か)
(“ABススアピーニクベ”起動)
(何!?)
“ABススアピーニクベ”による変化がない。
(どういうことだ?)
と、キョウスケは隣をちらっと見る。ジュリアがいる。と、少女はキョウスケに顔を向ける。
「大丈夫だ」と、不安な顔をする少女にキョウスケは言い、妖怪に向き直る。
「キョウスケ、この空間から出たいか?」と、妖怪は言った。
「当たり前だ」
「なら私と勝負しよう。後ろを見ろ。ハサミがある」
(ハサミ?)
と、妖怪を警戒しながらキョウスケは一瞥する。確かに、カウンターの上に置かれている。
「ハサミがどうしたんだ?」
「そのハサミで縄を切れ」と、妖怪は言う「そうすればこの空間から出られるかもしれない」
「かもしれない?」
「保証はない。勝負だからな」
「……勝負ってどういうことだ? 私がこの空間から出られたら私の勝ちってことか?」
「慌てるな。まだ話はある。その縄を切ってこの空間から出られなかった場合、キミの仲間の誰が消える」
「何?」
妖怪は微笑して、「そうなれば私の勝ちだ。これが勝負だ」
「そんな勝負はできない。縄を外せ」と、キョウスケは拒絶する。
と、妖怪はふっと笑い、「逃げるのか? 臆病者だな」
「何!?」
妖怪は笑いながら、「逃げたって何も解決しないぞ? なら勝負を受ければいいじゃないか? もしかしたらこの空間から出られるかもしれないぞ? まぁ、臆病者には無理だろうがな」
(私だったら……!)
「もっとも、キミが逃げたからって私との勝負はなかったことにはならない」と、妖怪は続けて言う「キミは私の縄に捕まっているからな。逃がしはしない」
勝負をしないなら私の勝ちとなる。このままにはさせない、と妖怪は付け加えた。勝負をするかしないか早く決めてくれ、と妖怪は言い足す。
「勝負に負けたら私はどうなる?」と、キョウスケは焦りながら聞く。
「負けたら? キミはこの空間から一生出られない」
キョウスケはさらに焦る。
(どうすればいい――?)
(駄目だ、何も思いつかない……)
「勝負を受けます」
(ジュリア!?)
しっかりとした少女の声にキョウスケはびっくりしてそちらを見る。
「キミが受ける?」と、妖怪は不思議そうに言う「私はキョウスケと勝負をしたい。キミでは駄目だ」
「キョウスケは勝負をします。私が代わりに言ったんです」と、ジュリアはまた確かな調子で言った。
「なるほど。キョウスケはそれでいいのか?」と、妖怪は戸惑っている彼に聞く。
ジュリア、どういうことだ? とキョウスケは言いかけたが言えない。
「はい、キョウスケはそれでいいんです」と、先にジュリアが口を開いたからだ「だから早く勝負を初めてください」
「……いいだろう。キョウスケ、縄を切れ。それでどうなるかまで私は消えている」
妖怪はぱっといなくなる。
勝負が始まった。
「キョウスケ、ごめんなさい……」
焦るキョウスケに、ジュリアはおずおずと謝る。
一瞬後、キョウスケは落ち着いた声色で、「ジュリア、どうしてあんなことを言ったんだ……?」
「そうしないとキョウスケは勝負を受けないと思ったから……」ジュリアはまたおずおずと言う。
「確かにそうだけど……でも、もし勝負に負けたらキミかトダオが消えるかもしれないんだぞ?」
だからキョウスケは勝負を受ける気はなかった。臆病者と言われても。勝負しないと自分の負けと聞かされても。
「そうならないかもしれないよ?」
「それはそうだけど、でもこの勝負は相手からの提案だ。明らかに分が悪い。――そもそもこの勝負に勝ったからってこの空間から出られる保証はない」
「うん、でも何もしないよりいいじゃない?」
「ま、まぁ……」
「勝てるよ、キョウスケなら……」と、ジュリアは優しく言う。
「……分かった。やるよ」
キョウスケは覚悟を決めた。
ジュリアは一瞬不安げな顔をする。
「頑張って」と、少女は微笑して言う。
キョウスケはうなずき、ハサミに手を伸ばす。
そしてしゃがみ、縄を持ち、縄にハサミを向ける。
(失敗したらジュリアかトダオが消える……)
キョウスケは緊張するが、
(大丈夫だ!)
と、縄にハサミを入れる。
と、縄は簡単に切れた。
その直後キョウスケは立ち上がりジュリアを見る。
少女はいる。
キョウスケは不安になる。
少女は浮かない顔をしているからだ。
と、少女は微笑し、「大丈夫だよ」
キョウスケはほっとする。
と、彼は妖怪がいたほうを向く。
妖怪はいない。
(なぜ姿を見せない?負けたからか?)
(まだ勝負はついていないからか?)
だが彼はその考えを否定する。ジュリアは無事だ。
トダオもおそらくそうだろう。
もし無事じゃないなら、もしキョウスケが負けていたら妖怪はすぐに現れるだろう。
現れないということは、妖怪は負けた、キョウスケが勝ったということだ。
(でも、おかしい)
と、キョウスケは思い当たる。
おかしい――この空間、“徳島”から抜け出せていないからだ。
(どうなっている? 私は勝ったんじゃないのか?)
(妖怪が言っていたことは嘘なのか?)
「キョウスケ」と、ジュリアが呼ぶ。
「何?」
「キョウスケが勝ったの……?」
ジュリアもキョウスケと同じことを思っているようだ。
「分からない。でももし妖怪が勝ったのならすぐに姿を見せるはずだ。なのにいない」
「うん。――トダオさんの無事な姿を見ることができればいいんだけど……」
「そうだね」と、キョウスケは窓の向こうを見る。トダオの姿はない。
「キョウスケ」
「何?」
「ハサミ、置いたら?」
「――そうだね」と、キョウスケは苦笑して言う。
(ハサミもまだある。やはり勝負は終わっていないのか?)
そう思いながらキョウスケはハサミをカウンターに置く。
その瞬間、二人は無人の本屋にいた。
広い本屋の入り口に立っていることに、戸惑う二人はすぐに分かった。
(なぜ本屋に? また妖怪の仕業か?)
「本屋か……」と、ジュリアは少し興味があるようだ「キョウスケ、本好き?」
「えっ? 普通かな」
「……私は好き。特に漫画が」
(なんで寂しげに笑うんだろう……?)
「そうなんだ。――ねぇ、本を見に行かない?」
「えっ?」
「キミがどんな漫画好きなのか教えてよ。せっかく本屋にいるんだし」
なぜ本屋にいるのか分からない。誰の仕業なのか分からない。“徳島”から出る方法が分からない――ジュリアが今の状況をどう思っているかも分からないが、キョウスケは少しでも彼女の気が紛れればいいと思って本を見に誘った。
ジュリアはうなずく。「うん、分かった。――あればいいけど……」
その作品はあった。それは漫画だった。
ジュリアは棚からそのシリーズの一巻を手に取りキョウスケに表紙を見せる。
「知ってる?」
「知らないな。どんな作品?」
「読んでみる? シュリンクされてないし」
「シュリンク?」
「ビニールの包装のことだよ。ほら、されてないでしょ?」と、ジュリアは本を差し出す。
「ありがとう」と、キョウスケは受け取る「キミは何を読む?」
「私は最新巻を読む」と、ジュリアは目で探す「――ない」
「売り切れか、残念だね」
「売り切れ……うん、そうだね」と、ジュリアは苦笑して言う「キョウスケはどんな本読むの? 好きなジャンルは?」
「うーん、特に好きなジャンルはないな」
「そうなんだ。最近読んだ本はどんなの?」
「――旅行の本だな。一年前に――」
「キョウスケ」
と、横からの声に遮られた。
(この声は)
と、キョウスケは見る。
さっきの妖怪がいた。
「勝負はどうなったんだ?」と、キョウスケは聞く。
「私の負けだ」と、妖怪はさりげなく答えた。
(勝っていたのか)
だがキョウスケは実感が持てない。元いた場所に戻っていないからだ。
「この本屋はなんだ? 私達はどこにいる?」
「今から二回戦だ」
「何?」
「ここはそのフィールドだ」
「……なるほど。だが私は勝負しない」
「勝負しない? なぜ?」
「勝負しても元の場所に戻れないからだ」
「三勝すれば戻れるよ」
「三勝だと?」と、キョウスケは眉をひそめて言う「信じられないな」
「それは勝手だが、そうしないと元の場所には戻れないぞ?」妖怪は真面目な顔をして言う「簡単な勝負だ、すぐに終わる。やってみろよ」
「……また人質を取る気か?」
「いいや、もうそんなことはしない。勝負の内容から踏まえて」
「……どんな勝負だ?」
「なに、簡単な度胸試しさ」と、妖怪はキョウスケを指差し、「その持っている本を開け。何も起きなかったらキミの勝ち。何か起きたら私の勝ち。簡単だろう?」
「何か起きるって何が起きるんだ?」
「それは起きてからのお楽しみさ」
「……ジュリアやトダオを人質にしていないんだな?」
「もちろん。勝負を受けるか?」
妖怪の問いにキョウスケはうなずき、本を真ん中から開く。
と、キョウスケはジュリアを見る。
「何か異変は?」
「ないよ」と、ジュリアは答えた。
と、キョウスケは辺りを見渡す。何か変わったことは起きていない。
(何も起きなかった。私の勝ちか――)
キョウスケはそう思った。
その直後、二人は列車の中にいた。
(ここは――?)
と、キョウスケはふと横を見る。
隣にはジュリアがいて、「戻ってこれたの?」と、戸惑う声でキョウスケに聞く。
「どうだろう?」と、キョウスケは辺りを確認する「――どうやら違うようだ」
「えっ?」
「トダオがいない。それに窓の向こうは真っ暗だ。まだ青函トンネルから出られて――いや、そんなことは関係ないな。三回戦のフィールドの仕様なんだろう」
(くそっ、卑劣なことをする……)
「窓……」と、ジュリアは暗い顔でそのほうを見る「……死にたいな」
(えっ……?)
少女のそのさりげない呟きにキョウスケは耳を疑う。
(死にたい……?)
「……キョウスケ」と、ジュリアは窓を向いたまま話しかける。
「な、何?」
「何か食べ物持ってない?」
「食べ物? いや持ってないけど……」
「そうだよね……ごめん」
「お腹空いたの?」
「ううん、違う。でも何か食べたかった……でもいいの……」と、ジュリアは淡々と口にした。
(まさか……!)
キョウスケはふいにはっとした。
「……何かあった?」と、キョウスケは優しい声で聞く。
「えっ?」と、ジュリアは彼を見る「……何かって?」と、恐る恐る聞く。
(あっ……)
「言わなくていいよ」と、キョウスケは優しい声色で言う。
「えっ?」
「私達は旅をしているんだ、楽しくいようよ」と、キョウスケは苦笑する「でも今はこんな状況だけどね」
ジュリアは微笑する。「私はむしろ好き」
「えっ?」
「ずっとこのままなら……いや、違う」
「違う?」
「うん、だって今キョウスケに気を遣わせているから」と、ジュリアは苦笑して言った「ごめん、忘れて」
「……嫌だな、それは」
「えっ?」
キョウスケは苦笑する。「キミを道外に連れ出したのは私だけど、忘れるなんて嫌だな。だから考えさせてくれ」
「考える?」
「うん」と、キョウスケは前を向いて座り直す。
――やがて、彼はジュリアを見る。
「ジュリア、私は徳島には行かないよ」
「えっ?」と、ジュリアはあっけにとられる「どうして?」
「キミのためさ。で、これもキミのために言う。キミは徳島に行って」
「えっ?」
なおあっけにとられているジュリアの前で、キョウスケはジャケットを脱ぐ。
「このジャケットの中には財布が入っている」と、キョウスケはジャケットを差し出す「私もいつか徳島に行く。それまでキミは徳島で暮らしてくれ。大丈夫、私はお金持ちだ。財布の中の資産でキミは暮らしていける。さぁ、受け取って。大丈夫、キミは暮らしていける。キミは目的があれば強いんだ。道外に出ることができたんだから」
「……嫌!」
「えっ?」
「それじゃ、キミとは……」
「大丈夫」泣きそうな声をキョウスケは微笑して遮る「きっと会いに行くよ。徳島はいいところだし。いや、徳島だけじゃないな。その周りもいいだろう。だから楽しく暮らして。――妖怪、いるか?」
「なんだ?」
と、前から声。
妖怪はキョウスケの向かいの席に座っている。
「話は聞いていたか? 私は徳島には行かない。だから私達を元に戻せ」
「聞いていた。いいだろう、元に戻そう」
「いや待て」
「なんだ?」
「私は北海道に移動させろ。そのほうがいいだろう?」
「そうだな。すぐにやっていいか?」
「ああ」
「待って!」と、ジュリアはキョウスケに言う「もうお別れなの……?」
「ああ」キョウスケは微笑みながら言い、またジャケットを少女に向ける「受け取って。また会おう」
「……うん」かすかに笑いながら言って、少女は受け取る。
その頃、混雑する札幌駅ホームには特急列車が停車している。そして、ホームの隅にはある二人がいた。
「お気をつけて」と、学生服姿の少年――スギは言った。
「荷物ありがとう」と、男は言った。スギは彼の荷物を特急列車の網棚に載せていた。
「いえ」
「キミは道外に行かないの?」
「はい、私は行きたくありません。私にはやることがあります」
「そうか。うん、それもいいだろう。だがそうはいかない時もある。分かっているな?」
「はい、もちろんです。ちゃんとできています」
男はうなずく。「そうだな。――これからどうする?」
「特に予定はありません」
「学校は?」
「行く必要がありません」
「そうか」と、男は苦笑して言う「じゃそろそろ私は行くよ」
「はい。お気をつけて」
男は通路側の席に座る。
と、男は隣の窓際の席から名前を呼ばれた。その声は続いて、「スギ君とどんな話をしていた?」
男は相手――男――に顔を向け、「たいした話はしていないさ。道外へ出ないのかと聞いたり」
「へぇ、彼はなんて?」
「出ないと」
「やはりか。ほかには?」
「これからの予定を聞いた。特にないそうだ」
「ふーん、めちゃくちゃ若いのにもったいないな」と、相手は淡々と言い、ふと笑う「そういえば最近バイパスを使ったよ。ほら、前に話していただろう?」
「ああ、あのバイパスか。どうだった?」
「やはり普通に行くよりちょっと早いな。もっとも景色はほとんど同じだからやはり退屈な道のりだがな」
「そうか。――なぜ急にバイパスの話を?」
「私達よりさらに感じるんじゃないかなって思ってさ、若いのにやることがないなんてことに。で、バイパスを連想したんだ」
「――なるほど」と、男はすぐにぴんときた「今何をしているんだろう?」
「もちろん“あれ”についてだろう」
「“あれ”か。進んでいるだろうか?」
「進んではいるだろう。成果は聞かないがな。難しいんだろうな」
「そうだろうな。――成果といえばそちらは? 調査はどうなっている?」
「悪い、まだだ」
「どの程度進んでいるんだ?」
「……依然同じままだ」と、相手はもどかしげに答える「そっちは?」
「こちらも同じだ」と、男はあっさりと答える「だが近いうちに多少の変化はあるだろう。なぜなら――」
「なるほど、改良か。確か以前も改良したと言っていたな? 確か――」
「ああ」と、男は肩をすくめる「もっとも、私としてはつまらない改良だったがな」
「つまらない? なぜ?」
「そんなことしなくても問題ないと思っていたからな。だからつまらないんだ」
「なるほど」
次の改良で分かるのか? と相手は付け加えた。
「ああ、おそらくは」
「悪いな、使えなくて」と、相手は苦笑して言った。
「気にするな。前から予定していたことだ」
「予定していた? じゃ専用の改良というわけではないのか?」
「もちろんだ。そこまで熱心じゃないさ」
「熱心じゃない? でも問題だろう?」
「問題ではある。だが問題が起きたとしても我々は対処できる」と、男は断言する「この前の改良も成功したことだしな」
相手は微笑する。「頼もしいな」
と、アナウンスが流れる。
「クマか」と、アナウンスが終わると相手は言った「死んだかな?」
「生きているんじゃないか? 北海道のクマは一筋縄では行かないからな」
「恐ろしいな……」
「全然そんなことはないだろう」と、男は断言する。
「えっ? そうか?」
「ああ。もっともつまらなくはないがな。改良するに値しない存在だから」
相手は吹き出す。「根に持っているんだな?」
「まぁな」と、男はさりげなく答える「仕方ないだろ?考慮するなんて考えもしていなかったんだから」
「そうだな。――でもいいじゃないか、楽しみが増えて」
男は首をかしげる。「楽しみ? 増える?」
「報告を聞けるじゃないか、改良したことによる報告を。あいつからさ」
「それは無理だな」
「無理?」
「ああ、あいつは携帯電話を持っていない」
「えっ? まだ持っていないのか?」と、相手は呆れて言う「持たせないのか?」
男はうなずく。「あいつの好きにさせるさ」
「連絡の指示はしていないのか? 携帯がなくてもできるだろう?」
「指示していない。そもそもあいつが携帯を持っていたとしてもそんな報告は聞きたくないな」
「どうして?」
男は肩をすくめ、「不要なことだからさ。改良したことによる報告なんて。興味ない」と、きっぱりと言う。
「ふーん。――あいつは問題なさそうか? もちろん、今話題に出しているあいつだ」
「なぜそんなことを聞く? 問題があるなら道外へは行かせないさ」
「そうだな。いや、一年ぶりのリトライだろ? もしかしたらがあるかもしれないだろうと思ってさ」
「ないだろ」
「分からないぞ? リトライすること自体がおかしいんだから」
「いや大丈夫だろう。そうならないようになっているさ」
「スギ君の出動はないのか?」
「それはある。定期の様子見さ」
「なんでスギ君に? 彼は道外に出たくないんだろう?」
「彼くらいしかいないのさ」と、男は肩をすくめて言う「そうは思わないか?」
「確かにそうだな」と、相手は苦笑して答える「それでいいのか?」
「ああ、問題ない。スギだって本当に嫌なら言うからな」
「そうか」
と、アナウンスが流れる。
「ようやく発車か」と、相手は言う「あいつはどうしてるかな? アクシデントとなく着いてほしいな」
男はうなずく。「そうだな。アクシデントなく、ちゃんとあそこに――」




