第5話 実行
教授の信頼を、少しずつ確立してきた僕は、HAIR-1000やHAIR-1500への知識の移植を任されるようになっていた。
「明日、私は学会で東北の方まで行かないといけないんだが、急ぎでHAIR-1000への知識の移植を頼まれてね」
困り顔の教授に、僕が即座に提案する。
「それだったら、僕がやっておきますよ。いつもの工程で知識を移植するだけで良いんでしょう」
「そうだ。本体の移動とかは、向こうから派遣される人員がやってくれるから、君に任せても良いかな?」
「大丈夫ですよ。もう、何十体も移植してますし、教授がいらっしゃらないのが心細いですが、どうにか頑張ってみます」
「そうかね。すまないね。じゃあ、よろしく頼んだよ」
この数年、辛抱に辛抱を重ねてやってきたチャンスだった。
◇
翌日は、いつもより早く目覚め、レイに送り出される。
最近は、ご主人様も僕と一緒に朝食を摂るようになった。
まあ、一名相変わらずの人もいるが。
誰もいない研究室の鍵を開け、明かりを灯す。
装置を立ち上げ、はやる心を抑えながら、知識移植に向けての準備を進める。
ちょうど準備が整った時、一体のロボットが届けられる。
台の上に寝かせられた、HAIR-1000へ手際よく配線を繋いでいく。
画面に現れるHAIR-1000の情報を眺めながら、10のフォルダーに収められた、十名の記憶を、決められた箇所へと移植していく。
画面には、記憶の移植が問題なく進んでいく様子が、映し出されていく。
【COMPLETE】
移植が完全に行えたことが、画面に表示される。
「はい。無事に移植は終わりました」
「有り難うございます」
手際よく配線を取り除いている僕へ、スタッフから声がかけられた。
HAIR-1000は、しっかりと梱包され、持ち込まれた時と同じルートで持ち出されていった。
出入り口を施錠し、はやる気持ちを必死に抑え、僕はさらに奥の部屋へと入っていく。
ここにそびえ立つ機械群が、記憶を移植する装置であり、記憶を読み取る装置でもある。
キーボードに向かい、命令を入力するが、指が震えてなかなかうまく打てない。
やっとの思いで打ち込んだ命令を実行すると、目指すファイルが目の前に現れた。
記憶が保管されている十名の家政婦に関するファイルが収められているフォルダーだ。
フォルダーの一つが、僕の目にとまる
【RY42】
そのフォルダーを開けると、記憶データを保管してあるフォルダーと履歴が記録されているファイルがあった。
記憶ファイルは、まさに生のファイルであって、今移植している記憶データの元となったものだろう。
まさに、その人そのものとも言えるものだ。
その中身を見る手段もないし、そんな悪趣味は持ち合わせていない。
目当ての、履歴ファイルを震える手でやっと開くことに成功する。
【氏名:愛野怜子】
ディスプレイに表示されたその文字が頭に飛び込んできた瞬間、僕の目が涙で溢れ、画面の文字をそれ以上読み取ることができなかった。
確かに書いてあったのだ「愛野怜子」という母の名が。
そして、【死亡】と言う二文字が記されていたのだ。
◇ ◇ ◇
このファイルに辿り着く、半年前のことだった。
父の友人の産婦人科医を訪れた。
帝都大学医学部に進学できたことを報告すると、我がことのように喜んでくれた。
そこで知り得た情報。
なかなか、話してくれなかったが、僕の熱意に負け重い口を開いてくれたのだ。
父が、わが家で住み込みで家政婦として働いていた、二十代の女性を身ごもらせてしまったことを。
そして、誰にも知られることなく子供が生まれ、奥様の実子として戸籍に登録されたことを。
しばらくは、その家政婦も子供の元を離れきれずに一緒に生活していたが、耐えきれずに家を出て行ったということだった。
そして、その家政婦の名前が「愛野怜子」さんだったのだ。
◇ ◇ ◇
大学五年生になると、臨床実習が始まり各科に赴いて、担当教官の指導を仰ぎながら実際の患者さんと接触するようになる。
入学してから、時々僕に声をかけていた父も、この頃になると、「実習はどうだ?」とか「現場は大変だろう」などと、声をかけてくれるようになった。
また、僕の研究室がロボットへの記憶の移植だけではなく、治療への可能性として記憶階層逆位置換症への応用に取り組んでいた。
その病気は、睡眠中の脳内の記憶整理エラーにより、過去と現在の記憶が入れ替わってしまう奇病だ。
人の記憶を一旦取り込み、時系列を合わせ短期記憶と長期記憶に振り分けて人間へと戻す試みなのだ。
僕は帝都大学医学部との連携は、今後の病院経営上とても有意義なものとなると、父を必死に説き伏せた。
僕の熱心さに負けた父は、記憶階層逆位置換症の改善に向けたプロジェクトの、多施設共同臨床試験に参加することになった。
◇ ◇ ◇
大学を卒業し、今はこの帝都大学附属病院で研修医として勤務している。
「済みません。車椅子を通してもらえますか」
女性を乗せた車椅子を押す一人の男性。
その後ろを、最近時々巷でも見かけるようになったHAIR-1000がついて行っている。
車椅子を押している男性が――それが僕、神城 嶺央だ。
もちろん後ろをついてきているのは、レイ。
今日は、教授が学会で遠くへ出かけており、そのために、他のスタッフも全員が休みだ。
車椅子には、意識朦朧とした女性が乗せられている。
そう、奥様だ。
ここ数日、疲労回復剤と言って僕が飲んで効果を見せつけ、ここへ出向く前に意識がもうろうとする薬とすり替え奥様に飲ませたのだ。
「母がどうしても僕の職場を見たいと言うので、非番を利用して連れてきたんですよ」
すれ違う当直スタッフにそう嘘の笑顔を向けながら、僕は車椅子を押し進める。
記憶階層逆位置換症への導入が進められている研究室へと、車椅子を押して連れて行く。
患者数が少ないのもあるが、基本的に教授不在の時は、機械を使った治療は行われない。
従って、今日は誰一人として、研究室を訪れることはない。
研究室を開け、僕たちは中へと入る。
あらかじめ用意していた睡眠薬を飲ませ、処置用のリクライニングチェアに深く座らせた。
頭部へ、無数の配線が伸びているフルフェイスのヘルメットを被せる。
「レイ! 奥様に何をするの!」
「脳に欠陥があるんじゃないかと思うんだ。僕に対する冷たい態度でも分かるだろう? 少し時間がかかるからその椅子に座っていると良いよ」
レイに横にもう一台ある椅子に座るように勧める。
椅子に腰掛けたのを確認し、家庭用の調整端末でレイをスリープモードへとする。




