第4話 覚醒
授業中であっても一つの疑念が、頭の中の大半を独占し、他へ思考が向かない。
小さい頃の、常に僕のそばに寄り添ってくれた人の存在。
戸籍上の漢字と日常の漢字。
「レイ」という響きへの奥様の異常な反応と、ご主人様の一瞬の硬直。
(今まで呼び名がなかったが、レイへのインプットを機に二人を奥様とご主人様と心の中で呼ぶようにしている。今までは「あの人」という呼び名さえもつけていなかったが)
窓から校庭を見ていると、小さな頃公園で、誰かに追いかけられて、笑いながら逃げている自分が思い出された。
強い日差しで顔がはっきり見えないが、僕を追いかけてくる女性?
その女性の向こうに、日陰なのにもかかわらず、ムスッとした顔で日傘を差している奥様。
離れた、これも日陰のベンチで、ノートパソコンと格闘しているご主人様が、視線の端に映る。
近所の人が通りかかると、二人の顔が一斉に笑顔になる。
その瞬間だった。
「レイコさん。日向で遊んでいては、その子も疲れるわ。そろそろ帰りましょう」
はっきりと蘇った言葉。
「レイコ」とその人を呼んだのだ。
――「レイコ」僕の戸籍と同じ、『怜』の字の付く女性なんだろうか?
僕は思わず声を上げそうになり、今が授業中であることを思い出す。
辺りを見回し、周りに気づかれていないかを確かめる。
一番後ろの席だったのが幸いした。
僕のことには誰も気づいていない。
と言うよりも、無関心と言った方が正確だろう。
帰りのHRが終わるのを待ち、僕は飛ぶように家に向かった。
インターホンでレイを呼ぶ。
今までは誰もいなかったので自分で鍵を開けていたが、レイがいるので昼間はチェーンロックもかけられている。
ドアが開けられるのを待ちかねたように、僕は家へ飛び込む。
「嶺央学校で何かあったの?」
敬語でなく普通に僕に話しかけてくる。
他に誰もいない合図である。
「ねえ、聞いて聞いて! 大切なことを思い出したんだ」
部屋へと駆け上がりながら、僕はレイへと叫ぶ。
「何を思いだしたの?」
制服を脱ぎ、普段着に着替えてベッドに腰掛けると、一呼吸置いて今日の出来事を話す。
「最近、僕が起きた時、レイが僕を見てくれているだろう!? それで気になっていたことがあって……。小さい頃は、僕の世話をしてくれる人がいたような気がしてたんだ」
そこまで口にした時だった、レイの動きが、さびたロボットのような変な動作を繰り返すのだ。
「レイ!? 大丈夫?」
その言葉が何かの合図になったのか、動きがスムーズになってくる。
「それが、学校での出来事と関係しているの?」
「そうなんだよ。校庭を眺めてたらね。昔公園で誰かと追いかけっこをしていたことが思い出されて。その時言ったんだ。奥様が『レイコさん、そろそろ帰りましょう』って」
その瞬間だった、先ほどのさびたロボットのような動きが一段とひどくなって現れ、レイが膝をついてしまったのだ。
それっきり、僕がなんと呼びかけようと、レイは全く動かなくなった。
家庭用の調整端末をつなぎ、【解析】を実行するが、【正常】としか表示されない。
試しに動作指示の項目の【立ち上がる】を実行すると、しばらく画面が点滅した後、【制御不能】と表示される。
もう一度【解析】を実行すると、【指示系統の混線あり】と表示され、【原因不明】がその下で点滅している。
インターネットで、製造会社と直接やりとりができるようにしようと、【緊急連絡】をタップしようとした瞬間、レイが起き上がり、僕をしっかりと見つめてくる。
「――再構築が終了しました――心配かけたみたいね。もう安心して良いから」
僕は、ほっと胸をなで下ろすと共に、さっきのレイの異常反応を思い浮かべる。
『レイと名付けた時の変な動作。僕の顔を映し出しながら、レイと名付けた瞬間。それと、今、レイコと言った瞬間。そう、確かレイの中には優秀な成績を残した十人の家政婦の経験がインプットされていた。個人情報は取り除いてあると言っていたけど……』
今の僕ではどうしようもない。
しっかりと足場を固め、行動に出るしかない。
僕は、一つの足がかりへ向けて、行動に移す決意を固めた。
◇ ◇ ◇
「君、ここを手伝ってくれないか? そう、この部分の接続がしっかりしていないようなんだ」
僕は、帝都大学医学部へと進学した。
合格の知らせを伝えた時、奥様は、「これで跡継ぎができたわ」と言って喜んだが、それもその瞬間だけだった。
家族揃ってフレンチレストランで食事をし、お祝いをしてもらったが、単なる周りへの見せつけでしかない。
ご主人様は、相も変わらず無口だが「よくやった」と初めて僕を褒めてくれた。
今は、アルバイトという表面上の理由をつけ、ニューロ・インフォマティクス研究の一端を手伝っている。
学生の身なので、単なる小間使いだが、お小遣いは稼げるし、今後の計画にも欠かせない。
とうとう待ち望んでいたその日が来た。
「嶺央くんだったかな、HAIR-1500への、知識の移植を手伝ってほしい」
レイの機種は一部改良され、今は1500番になっている。
運動性能とか、金属だった表面が生体皮膚の質感になっている程度だ。
運動性能に至っては、オーバースペックで、「家政婦にそんな運動性能が必要か!?」と言いたくなるほどのものだ。
今日はHAIR-1500への記憶移植だが、この研究所のメインは違うものへと移行している。
記憶階層逆位置換症という病気の治療へと、その主目標が変わっている。
「はい、何処をお手伝いすれば良いでしょうか」
「おう、この部分の接触がどうも上手くいかなくてな」
「ここですね。あ、この部分がどうも調子が悪いようですので、交換しますね」
「おう。君は手際がいいな。お、うまく作動した。君、これからも手伝ってくれ」
「はい、喜んでお手伝いさせていただきます」
「確か一年の……」
「神城 嶺央です。よろしくお願いします」
また新たな第一歩を踏み出すことに成功した。




