第6話 再生
「私はこんなこと望んでいませんよ」
「母さん。そんなこと言わないで、僕の本当の母さんなんだから」
奥様の体に宿ったレイが僕に詰め寄るが、僕は当然のことだと思っている。
HAIR-1000は、何も言わず淡々と僕の後ろをついてくる。
「さあ、今日は家族で食事会にしよう。HAIR-1000は、母さんを手伝って食事の準備をするんだよ」
HAIR-1000は、「承知しました」と言いながら、しっかりと僕の後を何の感情も示さず機械的な足取りで歩き続けた。
最近は珍しくなくなった、父との夕食。
食卓へは、奥様の体を借りたレイが甲斐甲斐しく食事を運んでいる。
「今日はどうしたんだい。夕食の準備を進んでするなんて」
そう口にした父が、呆然として僕を見つめてくる。
「こ、これはいったい。嶺央説明してくれるな」
「ああ、レイの記憶を奥様の体に入れて、元の記憶は、HAIR-1000の中に入れ込んだ。記憶を入れ替えたんだよ」
僕は淡々と説明する。
「な、なんてことを」
「そこまで思い詰めていたのか」
「だって、レイの体に入っていた十人の家政婦の中に愛野怜子という人の記憶が入っていた。僕の本当の母さんだろう」
「お前が、誰から生まれたのかを聞きに行ったことはあいつから聞いていた」
がっくりとうなだれる父。
「この家を出された後も、いい家で家政婦の仕事が続けられるようにといろいろと手を貸していたんだろう」
「そこまで知っているのか」
「だから、その甲斐もあって、家政婦としての腕が買われ、十名の中に選ばれたんだよね」
「よく調べたもんだ」
少しはにかんだ表情になった父は、ポツリポツリと話し出した。
「私は、養子なんだ。母さんの家に、病院を継ぐ者がいなかったので私が養子に入って継いだんだ。だから、そう言ってはいけないけど、母さんに何も言えなかった。いや、言ってこなかった」
「そうだろうとは思っていた」
その言葉にはっとなって顔を上げた父が、また、力なくうなだれて言葉を続ける。
「母さんも、被害者の一人ではあるんだ。一人娘の母さんへの両親の期待は大きく。そのプレッシャーを押しのけ、必死に頑張ったんだが、医学部へは進学できなかった」
僕は、何も言わずに黙って父の言葉に耳を傾ける。
「大学を選びさえしなければ、いや、両親から決めつけられなければ、母さんも医者になっていたと思う。母さんの両親の頭にあるのは帝都大学医学部だけだったんだ」
母さんは、実際頭の切れる人だった。
返された高校のテストを見せると、どの教科であっても「こんなのも分からないの、こうでしょう」と間違いをあっさりと解いて見せた。
計算してわざと間違えているのだが、時々、僕も驚く解答法を示す時があった。
「その期待に応えてくれないと分かった、母さんの両親は冷たく見放したみたいだ。結婚前に私が初めて、母さんの両親と会った時も、私の前で母さんをひどく責めていた」
父の言葉には、あの人の歩んだ人生への愛情が感じられた。
祖父母の記憶はあまりないが、僕の能力が低いと決めつけた時から、冷たかったように思う。
「母さんの全てを許してくれとは言わないが。母さんも自分を責めていたんだ。寝室で時々、『どうしてこんなことをしてしまったのか』と言っては悩んでいたよ。母さんは、嶺央、お前を愛しい我が子として愛する心と、怜子さんの産んだ子であるという事実の板挟みに耐えきれなかったんだ」
父さんの言葉を聞いても、まあ、そんなものかとしか思えない。
その時だった僕の横にいたHAIR-1000が、膝を落として頭を抱え泣き崩れているような姿勢を取った。
「母さんな。バッグをいっぱい買っていたと思っているだろう。あれは、全部嘘だ。こっそりと、家にあるバッグを持っていっては、自分で包装して持ち帰っていたんだ」
僕は初めて驚いた顔を父に向ける。
「バッグを買ったつもりで、お前の進学費用を貯めていたんだ。どの大学であっても、お前が進学したい大学に入らせてあげたい。大学院でも、例え海外の大学であっても、学びたいと思ったところで、学ばせてあげたいと言って」
立ち上がった父が、小物入れの引き出しを開けて、中から取り出した物を僕の前へ置く。
貯金通帳だった。
僕の名義になっている。
恐る恐る広げてみると、そこには九桁の数字が並んでいた。
◇ ◇ ◇
「母さん。行ってくるね」
「今日から、父さんの病院で働くんだったね。行ってらっしゃい。はい、これあなたの鞄」
「ありがとう」
靴べらを母に返し、鞄を受け取る父。
「そういえば、父さんの病院の記憶階層逆位置換症の臨床結果、なかなか良いみたいだね」
「ああ、患者さんからも感謝の言葉をよくいただくよ。……お前のおかげだな。あの装置を、うちの病院に導入するよう強く勧めてくれたおかげだ。HAIRシリーズへの記憶の移植も、病院経営に欠かせないものになっている」
父と僕の間で、かすかに視線が交わされる。
「僕も、ようやくそんな病院で働くことができるのが嬉しいよ」
「今日は、初勤務のお祝いに、たくさんごちそうを作って待っていますね」
「ああ、頼んだよ」
「母さん。ナイスだよ。父さん今日の夕食なんだろうね」
「行ってくるよ」
父に手を振って見送る、少し照れくさそうに微笑む母の横で――
無機質な金属の光沢を放つHAIR-1000が、愛おしそうに小さく手を振って見送っている。
「母さん行ってくるね」
「行ってらっしゃい、嶺央」
母さんが、笑顔で僕に手を振ってくる。
そして僕は、金属の首を傾けるロボットへと言葉をかける。
「レイコ母さん、行ってくるね」
「はい、二人で美味しいものを作って待ってますね」
合成音声の奥から、確かに懐かしい温もりが響いた。




