第85話 考古学と少女
──二十八年前。
王立学院は、王国でもっとも高い水準の教育を受けられる場所だった。
入学に身分や種族は問われない。必要なのは、学院が定める基準を満たすだけの能力だった。
王族や貴族の子息が政治や外交、領地経営を学ぶ貴族科。
商業や薬学をはじめ、専門的な知識を身につける一般科。
そして、王室騎士団や各領の騎士を目指す者が、剣術や馬術、戦術を学ぶ騎士科。
学ぶ内容には違いがあるものの、歴史や語学など一部の授業は合同で行われる。図書館や食堂、中庭も共用だ。
年に数回行われる共通試験では、科を問わず学年全体の順位が発表された。
その日、三年生の順位表の前には、いつもより多くの生徒が集まっていた。結果発表の日は、いつも少しだけ空気が張り詰める。掲示板に貼られた紙の端が、風でわずかに波打っていた。
一位──ディラン・ヴァル・アストラ。
二位──アストレイオン・ヴァル・ノクティス。
ディランは自分の名前にはほとんど目を留めず、そのまま視線を下へ滑らせた。かなり下の方で、見慣れた名前を見つける。
──カイル・レヴァイン。
「……今回もギリギリだったな」
「何が?」
隣からカイルが順位表を覗き込む。
「落第」
「してないなら問題ないだろ」
「そういう問題か?」
少し離れた場所にいたアストレイオンも順位表へ目を向けた。
「赤点もないようだな」
「だろ?」
カイルは満足そうに頷いた。
「補習なし。完璧だ」
「その順位で完璧と言えるのは、お前くらいだろうな」
「剣術は一位だぞ」
それだけは事実だった。カイルは騎士科でも特別な存在だった。
レヴァイン子爵家は、爵位こそあれど決して裕福な家ではない。それでもカイルの剣の才能は幼い頃から知られており、学院へ入ったのも、その腕を見込まれてのことだった。
実技では負けなしだ。その鋭い剣技は、生徒でありながら模範として前へ立たされることすらある。
「騎士科の実技だけで卒業できるなら、お前は首席だっただろうな」
ディランが言う。
「だろ?」
「だが卒業には筆記も必要だ」
「なんでだよ」
「レヴァイン子爵領はどうするんだ」
カイルは露骨に嫌そうな顔をした。騎士科に所属しているにもかかわらず、カイルは領地経営や法学といった貴族科の授業まで履修している。
“いずれ家を継ぐのだから、剣だけでなく領地経営も学んでこい”そう父親に言われ、半ば無理やり学ばされているらしい。そして、その成績が壊滅的だった。
「俺は騎士になるんだから、領地経営なんか必要ないだろ」
「騎士になっても、お前が嫡男なのは変わらない。家のことはどうする」
アストレイオンが淡々と返す。
「誰かに任せればいい」
「誰にだ」
「頭のいい奴」
「お前は領主になるな」
「だから騎士になるって言ってんだろ」
ディランは考えるのをやめた。カイルに領地経営の必要性を説くより、古代文字を一つ解読する方が有意義だ。
その時、人だかりの向こうから声が響いた。
「またお前か!芋女!」
一年生の順位表の前だった。
声を上げているのは、ヴェルモント公爵家の嫡男──ロイド・ヴェルモント。
その正面には、一人の少女が立っていた。
長いミルクティー色の髪を三つ編みにまとめ、顔の半分ほどを覆う分厚い眼鏡をかけている。制服にもこれといった飾りはない。華やかな貴族科の女生徒達と比べれば、随分と地味な女という印象だった。
少女は順位表を見上げたまま、きょとんとする。
「芋女って呼ばないで」
「芋女のくせに、また俺様から一位の座を奪うとは!」
ディランは一年生の順位表へ目を向けた。
一位──リシー。
二位──ロイド・ヴェルモント。
その名には覚えがあった。
「一年の首席か」
「知っているのか?」
アストレイオンが尋ねる。
「名前だけな。一般科のリシー。入学試験も首席だった。古代史が満点だったと教師が珍しく褒めていた」
「古代史で満点取るやつなんてディランくらいかと思ってたのにな」
カイルが少女を見る。アストレイオンも視線を向けた。
「へえ。にしても、芋女とはなかなか面白い名だな」
「本人に聞こえるぞ」
案の定、少女が振り返った。
「芋女って名前じゃありません!」
カイルは、怒って顔を膨らませた少女を見て盛大に笑った。
「芋女だろ」
「はいはい。二位の公爵様」
少女がロイドを睨む。そこへ、柔らかな声が割って入った。
「二人とも、声が大きいわ……」
アストレイオンの妹、セレナ・ヴァル・ノクティスだった。同じ一年生の制服を纏い、少女の隣へ静かに立つ。
「セレナ。聞いてよ、ロイがまた芋女って言うの」
「リシーも二位って言ったのでしょう?」
「事実だもん」
「芋女も事実だ」
「どこが!」
セレナは困ったように微笑んだ。入学して間もないというのに、セレナは随分と賑やかな友人を作ったらしい。王女という立場から声をかけてくる者は多い。それでも人見知りなセレナが、自分から側に置く相手は少なかった。
「ディラン様、お兄様」
セレナがこちらに気づき、品よく頭を下げる。
「……俺もいるんだけど」
カイルがぼそりと呟いた。
「え?……お兄様って?」
リシーはセレナを見る。それからアストレイオンを見る。もう一度、セレナを見る。
「……王太子殿下?」
「ええ」
「嘘!聞いてない!」
「それよりセレナ王女。俺もいるんだけど」
セレナが困ったようにカイルを見ると、そのままディランの後ろへ隠れた。
「セレナは人見知りだからな」
アストレイオンが苦笑いを返す。
「王太子殿下とは知らず、失礼しました。リシーです。一般科一年です」
先ほどまでロイドと騒いでいた少女とは思えないほど、きちんと頭を下げる。アストレイオンは静かに頷いた。
「セレナの兄、アストレイオンだ」
「存じております」
リシーは王太子を前に緊張した様子を見せた。ディランはそんなリシーへ目を向ける。
「リシー」
「はい?」
「古代史の試験で満点を取ったそうだな」
分厚い眼鏡の奥の瞳が、途端に輝いた。
「はい。でも三問目の設問が間違ってるんです」
「間違っている?」
「北境第二遺跡が最初に発見されたことになってました。でも旧王国暦の記録には第三遺跡らしき記述が先にあるんです。だから発見の定義をどこに置くかで答えが変わると思うんですけど──」
先ほどまで王太子を前に緊張していたことなど、もう忘れているらしい。古代史について熱く語るその姿に、ディランは少しだけ興味を持った。
随分と変わった少女だ。それが、ディランがリシーに抱いた最初の印象だった。
◇◇◇
授業が終わると、アストレイオンは妹を迎えに一年生の教室へ向かった。ディランとカイルも、いつの間にかそれに同行するようになっていた。
セレナの隣には大抵リシーがいる。そしてリシーの近くには、何かにつけて彼女に張り合うロイドがいた。
そうして気づけば、六人で過ごす時間が増えていた。
リシーは身につけているものこそ地味だったが、周囲にはいつも誰かがいた。よく笑い、よく喋り、興味を持ったことには真っ直ぐに飛び込んでいく。そんなところに、人を惹きつけるものがあるのかもしれない。
ロイドとの言い争いも相変わらずだった。顔を合わせれば順位の話で張り合っているが、それすらいつしか日課のようになっていた。
ある日の図書館。
窓際の席で、カイルが領地経営の教本を睨みつけていた。その隣では、リシーが呆れたように同じ頁を指差している。
「意味が分からん」
「今説明しました」
「説明されたのは分かる」
「じゃあ、どこが分からないんですか?」
「全部」
リシーが深く息を吐いた。その正面で本を読んでいたディランは、頁をめくりながら口を挟む。
「カイルに理屈から教えるのはやめた方がいい」
「やっぱりそう思います?」
「試験に出るところだけ直前に覚えさせた方が早い。カイルは長期戦より短期戦向きだからな」
「さすがディラン。俺のことをよく分かってる」
「褒めてない」
カイルは気にする様子もなく、椅子の背へ身体を預けた。
「やっぱり俺は、領地経営より剣で頂点を目指す方が向いてるな」
「それはもう分かりました」
「俺は卒業したら王室騎士団に入るんだから、領地経営なんて必要ないだろ」
「それ、さっきも言ってました」
「そういうリシーは卒業したらどうするんだよ」
「考古学者です」
迷いのない返事だった。ディランが本から顔を上げる。
「考古学?」
「はい」
分厚い眼鏡の奥の瞳が、また輝いた。
「古代王国より前の遺跡を調べたいんです。特に北境には、まだ詳しく調査されていない場所がたくさんあって。出土している石板も、王都で保管されているものは一部だけなんです」
「詳しいな」
「好きなので」
ただそれだけの理由らしい。
古いものを見つけ、そこに残された痕跡から過去を知る。それ自体が好きなのだろう。古代史を語っていた時と同じ瞳をしている。
「北境なら、ヴェルモント公爵領だろう」
アストレイオンの一言に、リシーがぴたりと止まった。そして、ゆっくりとロイドを見る。
「……何だ」
ロイドが嫌そうに眉を寄せる。
「ロイ」
「嫌だ」
「まだ何も言ってない!」
「その顔はろくなことを言わない時の顔だ」
リシーは椅子ごとロイドへ身体を向けた。
「卒業したら、ロイの家で働かせて」
「はあ?」
「北境の遺跡を調べたいの。調査員でも記録係でも何でもするから」
「公爵家に芋女の働く場所なんてない」
「そこをなんとか!お願い!」
「断る」
「まだ三年もあるんだから考えといて!」
「勝手に予約するな!」
静かな図書館に二人の声が響く。
「……声」
セレナが小さく注意すると、二人は揃って口を閉じた。
あの頃のリシーは、いつもよく笑っていた。
古代史の話になると目を輝かせ、ロイドとくだらないことで張り合い、将来は考古学者になるのだと迷いなく話していた。
少なくともディランの目には、そう見えていた。




