第84話 隠された金色
評議が終わると、貴族達はそれぞれに言葉を交わしながら評議の間を後にしていった。扉の向こうで交わされる囁きが、次第に遠ざかっていく。
最後の一人が退出しても、アストレイオン王は玉座に座ったまま動かなかった。天井を覆う巨大な円形硝子から差し込む昼の光が、白い大理石の床を淡く照らしている。空になった議席だけが、先ほどまでの喧騒を物語っていた。
「陛下、今少しよろしいでしょうか」
声をかけたのはセラフィオンだった。
「話は、あの場では言えなかったことか」
「はい」
セラフィオンは閉ざされた扉を確認してから口を開いた。
「ルカリウス卿の瞳から、アストラの術式の残滓を確認しました。かなり古いものです。おそらく、生まれて間もない頃に施されたものかと」
王の表情が変わる。金の瞳が、わずかに揺れた。
「……二十一年前か」
「おそらく」
「誰が施した」
「現在、同じ術式を扱える者はいません。記録と照合する限り、先代の術式に酷似しています。祖父もしくは父──いや、父の可能性が高いかと」
「……お前の父──ディランが?」
「はい」
先代アストラ大公、ディラン・ヴァル・アストラ。かつて星詠みの盤を継ぎ、今もなお古代術式の研究に没頭する男。アストレイオンがまだ王太子だった頃から、互いに気心の知れた数少ない相手でもある。
「父に直接確認してまいります」
「そうしてくれ」
セラフィオンが一礼して立ち去ろうとすると、アストレイオン王が呼び止めた。
「セラフィオン」
「はい」
「ディランに、たまには王宮へ顔を見せるよう伝えてくれ。婚約式には来ていたが、話す間もなく消えていたからな」
「私に大公の座を譲ってからは、趣味の研究に没頭しているようでして……」
「昔から変わらんな。ディランらしいと言えば、それまでだが」
その声音には、長い時間を共に過ごした者だけが持つ、懐かしさが滲んでいた。
「伝えておきます」
セラフィオンが退出すると、評議の間に静寂が戻った。
アストレイオン王は先ほどまでルカリウスが座っていた議席へ視線を向ける。空の椅子は何も語らない。それでも、そこに座っていた金色の瞳の青年の姿だけは、はっきりと脳裏に残っていた。
昨夜、紫から金色へ変わったという瞳。
かつて幼いローゼリアに、“瞳の色など王族である証にはならない”と伝えたことがある。それは嘘ではない。
金色の瞳を持っていたのは、ノクティス王家の者だけではなかった。
遥か昔、人間を束ねた最初の王──ヴァルディアもまた、金色の瞳を持っていた。
「……二十一年前から、隠されていたというのか」
呟きは、誰もいない評議の間に静かに溶けていった。
◇◇◇
王都の中心から少し離れた場所に、アストラ家の別邸がある。
広い敷地には様々な薬草が茂り、その多くは医師であるセラフィオンの母が育てているものだった。
大公の座をセラフィオンに譲ってから、ディランは妻と共にこの別邸で暮らしている。王宮へ顔を出すこともほとんどなく、今は自らの興味の赴くまま、古代術式の研究に没頭する日々を送っていた。
屋敷へ入ったセラフィオンは、そのまま地下へ続く階段を下りた。
地下には古書や羊皮紙、魔石、見慣れない研究器具が所狭しと並んでいる。その奥にある研究室では、一人の男が書物を読んでいた。
見た目だけなら、三十を少し越えた程度にしか見えない。足音に気づいたのか、セラフィオンと同じ青い瞳が書物から離れた。
「珍しいな。お前がここへ来るとは」
「父上が王宮へいらっしゃらないので」
「用がないからな」
「陛下が、たまには顔を見せるようにと仰っていました」
「興味ない」
間髪入れずに返され、セラフィオンは息を吐いた。
「ご自分で直接陛下にそう仰ってください」
「そのうち気が向いたらな」
昔からこういう人だった。興味のないことには、徹底して興味を示さない。
「父上。お聞きしたいことがあります」
ディランは書物を閉じた。
「何だ」
「ルカリウス・レヴァイン卿についてです」
閉じた書物に置かれた指が止まる。
「……何があった」
「昨夜、西門で魔物との戦闘中、ルカリウス卿の瞳が紫から金色へ変わりました」
ディランは表情を変えないまま話の続きを待った。
「驚かれないのですね」
「……それで?」
「彼の瞳から古いアストラの術式を確認しました。おそらく二十一年前、生まれて間もない頃に施されたものです」
セラフィオンは父をまっすぐに見た。
「父上ですね」
しばらくの沈黙の後、ディランは椅子の背へ身体を預けた。
「……そうだ。瞳に術式を施したのは私だ」
予想していた答えのはずだった。それでも、言葉にされると、胸の奥が小さく軋んだ。
「何のためにですか」
「色を変えるためだ」
「では、本来の色もご存じだった」
「ああ。──金だ」
「……生まれた時から?」
「そうだ」
その答えを聞いた瞬間、セラフィオンの脳裏に、かつて読んだヴァルディア王国の伝承が蘇った。
──金の瞳を宿す、始まりの王。
ルカリウスの瞳が金色へ変わったのは、ローゼリア達が西門へ到着し、四柱が繋がるよりも前だ。王族性が完全に移ったことで金色になったのではない。その色は、初めから彼のものだったのだ。
「では、昨夜金色になったのではなく……」
「術式が解けたのだろう」
「なぜ今になって」
「そこまでは知らん。二十一年も保てば十分だ」
ディランは目を細めた。
「昨夜、何が起きた」
セラフィオンは西門で起きたことを簡潔に説明した。そして最後に、星詠みの盤について告げる。
「昨夜、四つ目の柱が現れました」
「……現れたのか」
その反応は驚きというより、長く探していた答えをようやく得たように見えた。ディランは、机の上の書物へそっと視線を落とし、それ以上何も言わなかった。
「四つ目は、ルカリウス卿です」
「……そうか」
「父上は二十一年前から、彼がヴァルディアを担うと?」
「いや。そこまでは分からなかった」
「ですが、可能性は考えていたのでは」
ディランは否定しなかった。
「私はエリシア・ヴァルディアについて調べました。彼女が人間であり、ルカリウス卿の母親であることも知っています」
「そこまで辿り着いたか」
「父上は最初からご存じだったのですね」
「最初から、ではない」
「では、いつ?」
ディランはすぐには答えず、別のことを尋ねた。
「……カイルは、今も騎士団に?」
「はい。訓練所で若い騎士達の育成にあたっています。レヴァイン領の方は、長男が取り仕切っているようですが」
「あいつに領地経営など任せたら、今頃レヴァイン家は消えていただろうな」
「……随分な言い方ですね」
「学生時代から壊滅的だった」
ディランが肩を揺らしながら笑った。
「父上は、カイル卿と親しかったのですか」
「昔の話だ」
「陛下とも?」
「アストレイオンとは、幼い頃から嫌でも顔を合わせる立場だったからな」
ノクティスとアストラ。それぞれの血を継ぐ二人なら、幼い頃から顔を合わせる機会も多かったのだろう。
「カイル卿とは?」
「カイルと出会ったのは学生時代だな。剣しか能のない男だったが、気づけばいつも隣にいた」
随分な言い方だが、その声音は柔らかい。遠い記憶を懐かしむような、ゆるんだ響きだった。
父にとってカイルは、かつて同じ時間を過ごした友人なのだ。
「ルカリウス卿の瞳を隠してほしいと頼んだのは、カイル卿ですか」
ディランから笑みが消えた。
「……そうだ」
「ヴァルディアの血を隠すため?」
「それもある」
「それも?」
「ヴァルディアは、あまりにも利用価値が高い」
セラフィオンには、その意味が分かった。
ヴァルディアは、強大な力を受け入れるための“受け皿”となる血だ。その血が途絶えず、今なお人間の血統として残されていると知られれば、利用しようとする者が現れても不思議ではない。
「エリシアは、ルカリウスにその役目を継がせたくなかった?」
「そうだろうな。あの子には何も教えなかった。自分が何者なのかも、耳飾りの意味も、封印についても」
「意図的に?」
「自分の代で全てを終わらせるつもりだったんだろう」
それなら、ルカリウスが母親の正体すら知らなかったことにも説明がつく。
「カイル卿も、それを望んだのですか」
「少なくとも、息子を巻き込みたくないという点では同じだった」
「だから金色の瞳を隠した」
「あの色は目立ちすぎる。始まりの王と同じ金色の瞳を持つ、ヴァルディアの血を引く子だ。放っておけば、いずれ誰かが調べ始める」
「陛下はご存じだったのですか。術式のことを」
「知らない」
「なぜ陛下に黙っていたのです」
「知れば、あいつは王として判断しなければならない。王族ではない赤子が金色の瞳を持ち、その母親がヴァルディアの末裔だと知れば、友人の子だからという理由だけでは見逃せん」
「陛下を信用していなかったからですか?」
「逆だ。友人だったからだ」
アストレイオン王がどれほどカイルやエリシアを大切に思っていたとしても、彼は王だ。知ってしまえば、個人の感情だけで判断することは許されない。
だからディランは、最初から王に判断させない道を選んだのだ。
「それに、カイルに頼まれた」
「それだけですか」
「それ以上の理由が必要か?」
セラフィオンは少し意外に思った。
星を読み、古代術式を研究し、何事にも理屈を求める父が国家にも関わりかねない秘密を隠した理由は、友人の息子を守るためだった。
「……父上らしくありませんね」
ディランは再び椅子へ腰を下ろすと、どこか愉快そうに口元を緩めた。
「父上。先ほど、エリシア・ヴァルディアのことを最初から知っていたわけではないと仰いましたね」
「ああ」
「では、どこで彼女と出会ったのですか」
ディランの手が止まった。少しの沈黙の後、懐かしい記憶を辿るような笑みを浮かべる。
「……エリシア・ヴァルディア。私達が最初からそう呼んでいたわけではない」
「では?」
「リシーだ」
セラフィオンはその名に聞き覚えがあった。かつて調べたヴェルモント家の記録に残されていた名だ。
「私達が学生だった頃──出会った時の彼女は、ただの平民の吸血族の娘だった」
「……違ったのですか」
「ああ。少なくとも、私達はそう思っていたんだ」
二十一年前に隠された金色の瞳へと繋がる話は──彼らがまだ学生だった頃から始まっていた。




