第83話 玉座への視線
評議の間には、既に主要貴族達が集まっていた。
天井を覆う巨大な円形硝子から昼の光が差し込み、白い大理石の床を淡く照らしている。
半円状に並ぶ黒檀の議席には、王国の中枢を担う者達が座していた。その末席に、ルカリウスの姿があった。
玉座に近い席にはローゼリアとエリオがいる。セラフィオンもまた、大公として上席に座していた。
王室騎士団副団長という立場にあるとはいえ、本来なら自分にこれほどの視線が集まる場所ではない。それなのに今、貴族達の多くが玉座ではなく、ルカリウスを見ていた。
探るような目。警戒する目。好奇心を隠そうともしない目。そのどれもが、昨日までとは明らかに違う。
居心地の悪さを覚えながら、ルカリウスは不意に、幼い頃から何度も聞かされてきた父の言葉を思い出した。
“絶対に目立つな。全てにおいて手を抜け”
剣を握れば、手を抜けと言われた。人より早く技を覚えれば、隠せと言われた。
“上へ行くな。目立つな”
なぜなのかと尋ねても、父が理由を教えてくれたことは一度もない。
父に認められたくて剣を握ったはずなのに、強くなるほど父は喜ぶどころか、どこか怯えたような顔をした。
その理由が、今になって妙に胸に引っかかる。
評議の間に集まった貴族達の視線を一身に浴びながら、ルカリウスは自分でも意識しないまま奥歯を噛んだ。
(──父は、これを恐れていたのか)
父と同じ紫だった瞳は、もうない。今朝、鏡に映っていたのは、王と同じ金色の瞳だった。父は、この色を知っていたのだろうか。
自分が生まれた直後、その瞳にはアストラの術式が施されていたと、セラフィオンは言っていた。
父はかつて王室騎士団長だった。そして自分が生まれると同時にその地位を捨て、母と幼い兄、自分を連れて王都を離れた。これまで理解できなかった父の行動が、一つずつ脳裏に浮かぶ。考えれば考えるほど、偶然とは思えなかった。
「静粛に」
アストレイオン王の入室と同時に宰相の声が響き、評議の間を満たしていたざわめきが止んだ。
一同が頭を垂れる中、アストレイオン王は玉座へ進み、ゆっくりと腰を下ろした。
「面を上げよ」
その声に従って顔を上げたルカリウスは、思わず王の顔を見つめた。
真っ先に目に入ったのは、金色の瞳だった。歴代の王が持つ色として、幼い頃から何度も目にしてきた色。昨夜まで、自分にはなかった色だ。今は、その同じ色が自分の瞳にもある。奇妙な感覚に、ルカリウスはわずかに目を細めた。
「西門に出現した魔物の一件について、正式な報告を行います」
宰相が手元の書類を広げた。
「昨夜、王都西門付近において、大型魔物群の襲撃が発生。被害は住居十七軒の焼失、負傷者二十三名。死者は──幸いにして、確認されておりません」
評議の間に、安堵のどよめきが広がった。
王都の城壁付近まで大型魔物が侵入したにもかかわらず、死者は一人も出なかった。それがどれほど幸運なことか、この場にいる者なら誰もが理解している。
宰相は書類から顔を上げると、議席の一角へ視線を向けた。
「続いて、現場での状況について。レオンハルト騎士団長、報告を」
「はっ」
レオンハルトが席を立った。
「昨夜、西門へ到達した魔物は大型種を含む多数。王室騎士団は住民の避難及び防衛線の維持を最優先とし、各部隊を配置しました」
レオンハルトは一度言葉を切り、ルカリウスへ視線を向けた。
「前線において主に討伐を指揮したのは、副団長ルカリウス・レヴァインです。防衛線を突破した魔物の大半を食い止め、住民及び騎士団への被害拡大を防ぎました」
評議の間に、小さなどよめきが起こった。直属の上官による正式な報告だ。噂話とは重みが違う。
ルカリウスは何も言わず、ただレオンハルトの報告を聞いていた。
「その後、エリオ・ヴァル・ルミナス王子殿下、セラフィオン・ヴァル・アストラ大公、ローゼリア・ヴァル・ノクティス王女殿下が西門へ到着しました」
ローゼリアの名が出た瞬間、貴族達の間から驚きの声が上がった。
「王女殿下まで、現場へ……?」
「なぜそのような危険な場所に」
「静粛に」
宰相が声を張り、ざわめきを制した。レオンハルトは再び口を開く。
「三名が到着した直後、西門一帯を覆う大規模な光が発生。魔物群は突如として進行を止め、一斉に森へ退いていきました」
レオンハルトはそこで一度言葉を切り、手元の報告書へ目を落とした。
「もう一点、昨夜の戦闘中に確認された事象についてご報告いたします」
貴族達の視線が、レオンハルトへ集まる。
「三名が西門へ到着する以前、副団長ルカリウス・レヴァインが住民を襲おうとした大型魔物を討伐した直後、その瞳が紫から金色へ変化しました」
評議の間に、微かなざわめきが走った。
「見間違いではないのか」
誰かが発した声に、レオンハルトは静かに首を横へ振る。
「その後も瞳の色は戻っておりません。また、第一隊に所属する複数の騎士が同様の証言をしております」
今度こそ、評議の間から音が消えた。
「……金色」
やがて、古参の貴族の一人が呟いた。
「それは、王族の証では」
「証などと、軽々しく口にするものではない」
別の貴族が、すぐに遮った。
「単なる魔力の暴走かもしれん。ルカリウス卿は、確か──」
そこまで言ったところで、男は口を閉ざした。視線だけが、ルカリウスへ向けられる。それを合図にしたかのように、周囲の者達も次々と彼を見た。
黒い騎士団の礼服に銀色の髪。そして、紫だったはずの瞳は、今や誰の目にも明らかな金色をしている。無数の視線が、肌を刺すように重かった。それでもルカリウスは表情を変えず、前を向いていた。
平静を装うことには慣れている。だが、自分にも分からないことばかりだった。
そして何より──なぜ自分が、四つ目だったのか。
別々だった疑問が、少しずつ同じ場所へ向かっているような気がしてならなかった。
「ルカリウス卿」
宰相に名を呼ばれ、ルカリウスは思考を切った。
「昨夜の件について、其方から補足することはあるか」
「ありません。起きたことは、報告の通りです」
その答えを待っていたかのように、周囲の貴族達から声が上がった。
「瞳の色が変わった理由は」
「あの時、何が起きた」
「本当に何も分からないのか」
次々と問いが飛んでくる。答えられるものなら、こちらが知りたい。だが、それを口にしたところで余計な憶測を招くだけだ。ルカリウスは口を閉ざしたまま、貴族達の視線を受け止めていた。
その時、上席から静かな声が上がった。セラフィオンだった。
「僭越ながら、現時点で判明していることを、私からお伝えします」
「申せ」
アストレイオン王の許しを得て、セラフィオンが席を立ち、一歩前へ出た。
「昨夜の現象は、古代より伝わる封印術式の発動によるものと推測されます。詳細な検証はまだ途上です。ですが、結果として北境から続いていた魔物の異常発生は、鎮静化に向かっていると考えられます」
「封印術式、だと」
「アストラ家にのみ伝わる、極めて古い記録に基づくものです。今後、さらなる検証を進める所存です」
相変わらず隙のない説明だった。ルカリウスは黙ってセラフィオンを見た。
核心には触れていない。四柱のことも、ローゼリアから自分へ王族性が移ったことも、自分の瞳にアストラの術式が残されていたことも。嘘は一つも口にせず、それでいて知られてはならない部分だけを綺麗に隠している。こういうところだけは、さすが大公だと思う。
「では、ルカリウス卿の瞳の色は」
「現時点では、断定できません。昨夜の封印術式を含め、複数の要因が関係している可能性があります。引き続き調査いたします」
「だが、金色は王族にのみ現れる色だ」
先ほどの古参の貴族が、再び口を開いた。その言葉を聞いた瞬間、上席にいるローゼリアの指先が、膝の上で強張ったのが目に入った。
ローゼリアと目が合う。彼女は何も言わなかった。それでも、何を考えたのかは分かった。
──王族性。今朝、聞かされたばかりの言葉が頭を過ぎる。彼女が生まれながらに持っていたものは、今や自分の中にある。
"奪ったんじゃないわ。私が渡したの"
そう言って笑ったローゼリアの顔まで思い出し、胸の奥に鈍い痛みが走った。
王族性を受け取ったから瞳がこの色になったのなら、生まれた直後から自分の瞳に術式がかけられていた理由が説明できない。
「ルカリウス卿にその色が現れたということは──」
「憶測で語るべきことではない」
重い声色が、貴族の言葉を断ち切った。アストレイオン王だった。
評議の間に緊張が走る。それまで好き勝手に言葉を交わしていた者達も一斉に口を閉ざし、王の顔色を窺った。
ルカリウスもまた、玉座へ目を向ける。金色の瞳が、真っ直ぐに自分を見ていた。その瞬間、妙な感覚に襲われた。
“王には届かない”
かつて、自分はそう思っていた。いや、届こうとすらしてはいけないと思っていた。
王室騎士団の頂点でさえ、父から禁じられた場所だった。そのさらに先にある玉座など、自分には何の関係もないもののはずだった。それなのに今、玉座から自分を見下ろす王の瞳と、自分の瞳は同じ色をしている。
二つの金色が、広い評議の間を挟んで向かい合う。
アストレイオン王が何を考えているのか、ルカリウスには読み取れなかった。ただ、その目には驚きだけではない何かがあるように思えた。
「ルカリウス・レヴァイン」
名を呼ばれ、ルカリウスは背筋を伸ばした。
「はい」
「其方の功績は王都を救った。それは紛れもない事実だ」
「……恐れ入ります」
「此度の褒賞については、追って沙汰する。ひとまず、下がってよい」
「はっ」
深く頭を下げ、ルカリウスは踵を返した。
評議の間を横切る間も、無数の視線が背中へ突き刺さっている。これほど注目されることを、父ならどう思っただろう。叱るだろうか。それとも、恐れていたことが起きたと、あの頃と同じ顔をするのだろうか。
重い扉の前まで来たところで、ルカリウスは足を止めた。
ほんの一瞬だけ、振り返る。玉座が見えた。その上には、金色の瞳を持つ王がいる。
けれど、ルカリウスが見たのはそこではなかった。
そのすぐ傍にいる、赤い髪の王女。ローゼリアもまた、ルカリウスを見ていた。
王座。そして──彼女。かつて、どちらも欲しいと思った。手を伸ばしてはいけないと分かっていながら、それでも欲しいと願ってしまった。
けれど今、玉座がこれほど近くに見える場所に立ってなお、目で追ってしまうのは一人だけだった。
ローゼリアの唇が、何かを言いたげに動く。それを見届けてから、ルカリウスは前を向いた。
扉が閉じる。その向こうでは、再び貴族達の囁きが広がり始めていた。
ルカリウスは振り返らず、長い廊下を歩いていった。




