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薔薇は満月に咲かない  作者: Rii
第3幕

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第82話 四つ目の意味

研究塔の観測室に、昼前の光が差し込んでいた。


「エリオ」


ローゼリアは椅子に腰かけたまま、正面のエリオを見据えた。


「“あとで説明する”って言ったわよね」


「言ったね」


「ちゃんと説明して」


エリオは肩をすくめると、懐中時計をくるりと回した。


「はいはい。約束は守る主義だよ」


窓の外には、平穏を取り戻しつつある王都が見えた。それでも、街の噂は既に広がり始めている。金色の瞳の騎士。月から降りてきたような光。人々の口から零れる言葉は、少しずつ形を変えながら、王宮の奥まで届いていた。


観測室には、四人が揃っていた。ローゼリア。ルカリウス。セラフィオン。そしてエリオ。壁際の棚には、昨夜使われた古い書物と星詠みの盤が、まだ片付けられないまま置かれている。


「順番に聞くわ」


ローゼリアは、指を折りながら並べていく。


「なぜ私は、あの耳飾りに拒絶されなかったの」


「四柱って何」


「なぜルカが四つ目だったの」


「エリオは、どこまで知っていたの」


エリオは、苦笑した。


「一気に来たね」


「昨日の夜から、ずっと聞きたかったの」


「わかったわかった。じゃあ、研究者さんから」


視線を向けられ、セラフィオンは小さく頷いた。


「まず、拒絶が起きなかった理由から」


星詠みの盤を、テーブルの上に置く。青白い波形が、静かに揺れていた。


「あの耳飾りは、“受け皿”──王族性を持たない、かつて人間の王が用いたものです。ですが、人間の身体には耐えられないほどの力です。初代人間の王も、この力によって命を大きく削られたと考えられます。そして、本来なら、王族性を持つあなたが右耳へつければ、身体が拒絶反応を起こすはずでした」


「でも、起きなかったわ」


「はい。理由は、単純です」


セラフィオンの視線が、ルカリウスへ移った。


「あなたは今、王族性を持たない身体へ変わっています。──満月の夜の血印契約以降、少しずつ、ローゼリア王女殿下の王族性がルカリウス卿へ移っていました」


ルカリウスが、眉を寄せる。


「……それは、聞いていない」


「あなたには、まだ伝えていませんでした」


セラフィオンは淡々と続けた。


「王族性は、契約を通じて少しずつ移動していた。ですが──それだけではなかった」


盤の波形を指でなぞる。


「昨夜、封印が完成した瞬間、その移動も完了しました。ローゼリア王女殿下の王族性は、全てルカリウス卿へ移っています」


沈黙が落ちた。ローゼリアは、自分の右手を見つめる。


「じゃあ、私は……」


「王族性を、失っています。だからこそ、右耳の耳飾りが──“受け皿のためのもの”であったにもかかわらず、あなたを拒絶しなかった」


「私が──王族であり、王族性を失い、受け皿の側に近づいていたから」


「王族性を失っても、王女殿下に流れるノクティスの血まで消えるわけではありません。王族の血を残したまま“受け皿”に近づいていた。だからこそ、命を削らず封印を完成させることができた」


その言葉に、ローゼリアは何も言えなかった。ずっと自分の身体で起きていた変化。人間化。牙が出なくなったこと。魚が食べられるようになるかもしれないと思ったこと。全部が、一つの線で繋がっていく。窓の外の光が、テーブルの上へ長く伸びていた。


「じゃあ、ルカが今……」


「ルカリウス卿は、逆です」


セラフィオンが、静かに言葉を継いだ。


「王族性を、新たに受け取っている」


ルカリウスの拳が、テーブルの上でわずかに握られた。


「俺が、リアの王族性を全て奪ったということか?」


「……それは、王女殿下が望んだことです」


「奪ったんじゃないわ。私が渡したの」


「リア」


「私はもう王にはなれない。それなら、ルカが持っていて」


ルカリウスは何も答えなかった。金色になった自分の瞳を確かめるように、窓硝子へ一瞬だけ視線を向ける。硝子に映った自分の顔が、まだどこか他人のもののように見えた。


「……この目も、そのせいなのか」


「それも、無関係では無いと思いますが──」


セラフィオンは一度言葉を切り、ルカリウスの瞳を見つめた。青い瞳が、わずかに細くなる。


「ルカリウス卿。あなたの瞳から、アストラの術式の残滓を感じます」


観測室の空気が、変わった。


「……どういうことだ」


「何者かが、あなたの瞳へ、かつて術をかけていた形跡があります。おそらく──生まれてすぐに」


ルカリウスは、しばらく言葉を失っていた。


「俺の、目に術式だと?」


「はい」


「なぜだ。誰が」


「それは、私にも今は分かりません」


セラフィオンの声は、静かだった。だが、その奥にある緊張を、ローゼリアは見逃さなかった。


「アストラの術式を扱えるのは、限られた者だけです。二十一年前に術式がかけられたとなると──父に、確認します」


「お前の、父親が俺の目に術式をかけたということか」


「おそらく。その術を使えるのは祖父か父しかいませんから」


それ以上、セラフィオンは語らなかった。ルカリウスは、まだ納得しきれない顔のまま、それでも追及しなかった。ただ、握った拳を、ゆっくりと開いた。


「じゃあ、四柱の話ね」


ローゼリアが、話を引き取る。エリオが、待っていたように口を開いた。


「三柱は知ってるよね。アストラ、ノクティス、ルミナス」


「星を読む青。血を継ぐ赤。時を刻む金」


「そう。でも実は、もう一つあった」


エリオは、指を一本立てる。


「紫。──“ヴァルディア”」


その名前に、ルカリウスの視線が、わずかに動いた。


「人の王。受け皿。この国が生まれる前、既に存在していた血」


「……人間の、王?」


「うん」


エリオは、あっさりと頷いた。


「この世界に最初からいたのは、人間だって知ってるよね。魔物の赤。宇宙から来た青。月の女神の金。その三つが現れて、今の均衡ができるよりも前から、人間はここにいた」


「その人間を束ねていたのが、ヴァルディア?」


「そう。紫の王」


セラフィオンが、補足する。


「四柱が揃わなければ、封印は完成しない。そしてこの右の耳飾りは、四つ目──ヴァルディアへ繋がる鍵です」


ローゼリアは、木箱の中に収まった二つの耳飾りを見つめた。紫の石は、今は静かに沈黙している。


「じゃあ、昨日の光は」


「少なくとも、星詠みの盤が四柱を完全な形で捉えたのは、昨夜が初めてです」


セラフィオンの声に、微かな熱が滲んでいた。


「本来なら、ローゼリア王女殿下がノクティスを。私がアストラを。エリオ王子殿下がルミナスを。そして──ルカリウス卿がヴァルディアを担うはずでした」


「……はず?」


「ですが、昨夜現れた光には、一つだけ説明のつかない点がありました」


「説明のつかない点?」


「王女殿下とルカリウス卿です」


セラフィオンの視線が、ローゼリアの右耳へ落ちる。紫色に輝いた精霊石。そして、赤い光を纏っていたルカリウスの剣。あの光景が、まだ目の奥に焼き付いていた。


「本来とは、色が逆だった」


「……入れ替わったってこと?」


「そのように見えます」


「なぜ?」


「分かりません」


セラフィオンは、静かに二人を見た。


「ですが、四柱が揃ったことだけは確かです」


ルカリウスは、自分の手のひらを見下ろした。


「なぜ、俺が」


その問いに、誰も、すぐには答えなかった。


エリオが、懐中時計をくるりと回す。


「それは、まだ言えないんだよね」


「エリオ」


「ごめんね、リア」


軽い口調だったが、金色の瞳の奥には、いつもとは違う色があった。


「これだけは、僕からは言えない話なんだ」


ローゼリアは、それ以上追及しなかった。エリオが“言えない”と口にする時、それは大抵、時間がまだ来ていないという意味だった。


「僕は、どこまで知っていたのか、だけ答えるよ」


エリオは、椅子の背に寄りかかった。


「昔から、なんとなく視えてた。四つ目があるってことも、それがルカ兄だってことも」


「だったら──」


ルカリウスが、口を開きかける。


「言わなかったのは、言えなかったからだよ」


エリオは、それを遮った。


「未来を視る力は、確定した答えを与えるものじゃない。可能性の中から、一番“らしい”ものを拾ってるだけ。それに──」


金色の瞳が、少しだけ揺れる。


「言葉にした瞬間、変わってしまう未来もある」


その言葉の重さに、部屋がしんと静まった。


「昨夜、封印の中心って言ったのは」


ローゼリアが、静かに問いを重ねる。


「四柱が、揃う場所のことだよ」


エリオが答えた。


「西門は、たまたまじゃない。北境の遺跡と、王都と、古い封印の陣が、一直線に繋がってる。あの場所でしか、四柱は揃えられなかった」


「じゃあ、最初から分かってたの」


「うん」


「だったら、もっと早く教えてくれても──」


「“言えなかった”って、さっき言ったよね」


その一言に、ローゼリアは口を噤んだ。


「リアが、右耳をつける覚悟を、自分で決めることに意味があった。それだけは、譲れなかったんだ」


沈黙が落ちる。ルカリウスは、何も言わなかった。ただ、ローゼリアの右手を、そっと握った。指先の熱だけが、静かにそこにあった。


「……もう一つだけ、聞いていいか」


ルカリウスが、低い声で切り出した。


「俺の目はこのままなのか」


「元に、戻らないと思います」


セラフィオンが、静かに答えた。


「アストラの術式が、限界を迎えて解けた可能性が高い。──一度解けたものは、同じ形では戻せません」


ルカリウスは、しばらく黙っていた。それから、小さく息を吐いた。


「そうか」


それ以上、何も言わなかった。ただ、自分の掌を、もう一度見つめていた。窓から差す光が、その掌へ落ちている。


観測室に、しばらく静けさが満ちた。窓の外では、王都が普段の喧騒を少しずつ取り戻し始めている。


その時だった。コンコン、と扉が叩かれる。


「失礼いたします」


現れたのは、陛下の近衛騎士だった。緊張した面持ちで、四人を見渡す。


「ちょうどみなさんお揃いだったのですね」


「……どうしたの」


「陛下がお呼びです。西門の一件について、緊急評議が開かれます」


その一言に、部屋の空気が変わった。

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