第79話 忘れられた封印
「リアっ!」
二回叩かれたノックと同時に、部屋の扉が激しく開かれた。こんな乱暴な開け方をするのは、一人しかいない。
エリオだった。隣にはセラフィオンの姿もある。その背後には、三名の近衛騎士。
「エリオ……フィオ……」
安堵で、声が震えた。ローゼリアの傍らに控えていたミレイユも、ほっとしたように小さく息を吐く。窓の外では、まだ遠く鐘の音が響いている。西門の方角の空だけが、松明の灯りでぼんやりと赤い。
「こんな状況ですから、行動を共にすべきでしょう」
「騎士達もその方が、僕たちを護衛しやすいもんね」
エリオは近衛騎士の方へ視線を向けると、軽い口調で言った。
「……そうね」
ミレイユが傍にいてくれても、不安は消えなかった。窓の外で何が起きているのかも、ルカリウスが無事なのかも分からない。こうしてエリオとセラフィオンが駆けつけてくれたことが、素直に嬉しかった。
「王女殿下、失礼致します。発言をお許しください」
エリオと一緒に部屋へ入ってきた近衛騎士が、片膝をついて静かに口を開いた。
「何かしら」
「魔物が去るまで、室内で王女殿下を護衛するようにと、団長より指示を受けました。私一名は室内に、同行した二名は扉の前へ。加えて、窓の外側の庭園には既に二名配置しております」
「わかったわ」
「現在、ルカリウス副団長が魔物を退けているそうです。宮殿内に魔物が侵入することは、絶対に無いようにしますのでご安心ください」
ローゼリアは、胸を撫で下ろした。
「……ルカリウスは、無事なのね」
「はい。ただ......」
「何?」
「戦場で、副団長の瞳が......金色に変わったと」
「......金?」
ローゼリアの表情が、固まった。
「へぇ」
エリオが、面白そうな顔をして笑う。
セラフィオンは何も言わなかった。ただ、その青い瞳の奥で、何かを考えているのが分かった。
「今、金の瞳を持ってるのはアストレイオン王と僕くらいなのにね。……ルシエルも、そうだったけど」
その名前を聞いた瞬間だった。ずっと閉じていた記憶の扉が、不意に開いた。
◇◇◇
──幼い頃。
ローゼリアとルシエル。双子なのに、二人は似ていなかった。
同じなのは、赤い髪だけ。瞳の色は、翡翠と金。
小さい頃から、物語を読むのが好きだった。物語に出てくる王様の瞳は、いつだって金色だった。父の瞳も金色。先代の王である祖父の瞳も、金色だった。
「どうしてルシエルの目は、お父様と同じ金色なの?ずるいわ。……私だけ違う」
「リアの目、宝石みたいで綺麗だよ。お母様と同じ翡翠の瞳だ」
「そういう話じゃないの!翡翠の瞳は珍しくないもの」
不満げに頬を膨らませる。少し離れた場所でその様子を聞いていたアストレイオン王が、静かに口を開いた。
「瞳の色など、王族である証にはならない」
「でも、お父様も……お祖父様も……瞳は金色でしょう?」
「……そうだな。だが、ノクティスの象徴は、この赤髪だ」
アストレイオン王はローゼリアを抱き上げると、静かに笑った。
「リアは、私と同じ瞳の色が不満なようね」
王妃が、わざといじけたような声で言う。
「そうじゃないの!お母様の瞳は綺麗だわ」
必死な声に、皆が顔を見合わせて笑った。あの頃の温室は、いつも笑い声で満ちていた。白薔薇の香りと、柔らかな午後の光。
「お前たちは、違うものを受け継いだだけだ」
あの頃は、ただ羨ましかった。ルシエルばかりが、父と同じものを受け継いだように見えていたから。
それが何を意味するのか、幼いローゼリアには分からなかった。
◇◇◇
そして現在。
“戦場で、副団長の瞳が......金色に変わったと”
(──どうして?)
父。ルシエル。エリオ。そして──ルカリウス。
ローゼリアの胸の奥で、何かが小さく引っかかった。名前のつけられない違和感が、静かに積もっていく。
「ねえ……エリオ」
「なあに?リア」
「エリオって、魚は食べられる?」
セラフィオンの指先が、わずかに止まった。
「んー?魚かぁ……アルが好きだから、街へ行った時は一緒に食べるよ。城じゃ出てこないし、わざわざ食べないけど」
「そう……」
エリオが、ちらりとセラフィオンを見た。
「昔ほど厳密じゃないんじゃない?吸血族だって、少しずつ体質は変わってるだろうし」
「……そうなのね」
「急にどうしたの?」
「別に。ただ、少し気になっただけよ」
ローゼリアは、それ以上聞かなかった。
けれど、胸の奥に生まれた違和感は消えなかった。金の瞳。魚を食べられるエリオ。そして──同じように魚を食べていたルカリウス。
一つひとつなら、何でもないことだった。なのに今夜は、それらが妙に繋がって見える。
「あ、そういえば。研究者さんに渡そうと思って持ってきたんだった」
「なんでしょう」
「遅くなっちゃったけど、薬草のお礼」
セラフィオンは、小さな箱をエリオから受け取った。
「……これは?」
「見たらわかるよ」
蓋を開ける。中には、一本の鏃が入っていた。
「これは──」
「エリオったら、お礼にそんなもの渡すの?悪趣味だわ」
ローゼリアの呆れた声など気にも留めず、エリオは得意げに笑った。
「研究者さんなら、これが何かわかるでしょ?」
セラフィオンは答えなかった。箱の中の鏃を見つめたまま、わずかに目を細める。
「……どこで、これを」
「北境」
エリオが、あっけらかんと答えた。
「遺跡の近くに落ちてた」
セラフィオンの表情が変わった。
「研究者さん、もうわかってるんでしょ?」
エリオは笑っていた。けれど、その金の瞳だけは笑っていなかった。
「リアも、そろそろ動く時が来たよ」
「……何の話?」
ローゼリアが、二人を見比べる。
「あ。近衛騎士さん、室内の護衛は僕と研究者さんがいるから大丈夫だよ。少しだけ、三人で話したいんだ」
近衛騎士が、一瞬躊躇う。
「しかし、団長より王女殿下のお側を離れぬよう命じられております」
「私からもお願い」
ローゼリアが口を挟んだ。
「扉の前にいてくれれば大丈夫よ。何かあれば、すぐに呼ぶわ」
それから、傍らに控えていたミレイユへ視線を向ける。
「ミレイユも、ごめんね。少しだけ席を外してもらえる?」
ミレイユは心配そうにローゼリアを見つめたが、やがて小さく頭を下げた。
「……承知いたしました、リア様」
「承知いたしました」
近衛騎士とミレイユが部屋を出る。扉が閉じる音を確認してから、エリオはソファへ腰を下ろした。
「さて。三柱のヴァルも揃ったことだし、ここからは真面目な話ね」
「三柱……?」
ローゼリアの問いに、エリオが軽い口調で答える。
「ほんとは四柱だけど……そこから説明すると長くなるから、今は後回しね」
セラフィオンが、エリオをまっすぐ見つめた。
「魔物を封印する話」
「封印……?」
「そう。この国が、ずっと忘れていた話」
「ルカ兄なら魔物を倒せる。けれど──いくら倒しても、魔物は次々と湧き続けるよ。もう止められない」
ルカリウスが戦っている姿を想像しただけで、指先が震えた。
「だから、僕たちが魔物を封印しなくちゃいけない」
「そんなことできるの?」
「昔──この国は、人と魔物の均衡を保つための術式で守られていた。それが今、崩れ始めてる」
「だから……魔物が?」
「ええ」
セラフィオンが静かに続けた。
「封印とは、正確には魔物を閉じ込めるためのものではありません。互いの領域を侵さぬよう、均衡を保つための術式です」
ローゼリアは、瞬きをした。
「未来では魔物は現れなかったわ。もしかして……私が未来を変えたせいで?」
声が、わずかに震えた。ずっと胸の底に沈めていた恐れだった。
「リア、それは違うよ。タイミングが少し早まっただけで、元からこうなる運命だったんだ」
時を読むエリオがそう言うのなら、そうなのだろう。少しだけ、胸の奥につっかえていたものが軽くなった気がした。
「だからさ、リア。研究者さんも。これ、僕たちの代で終わらせなきゃいけないんだよ」
セラフィオンは、静かに頷いた。
「そういえば、さっき魚の話が出たね」
エリオの金の瞳が、細くなる。
「研究者さん。古代の魚を使った術式、再現できる?」
「古代の──魔物を避ける術式ですか。……可能です」
「おっけい。それじゃぁさ。研究者さん、耳飾りは持ってる?」
「魔物の出現と聞いて、念のため持ってきました」
セラフィオンが懐から、木箱を取り出した。
「え?ルカの耳飾り?」
蓋が開く。紫色の石が、月明かりを受けて淡く揺らめいた。ローゼリアは、息を呑む。
「これ……」
「ねえ、リア」
エリオが、耳飾りを見つめた。
「それを、右耳につけて」
「エリオ王子殿下!」
セラフィオンの声が、強くなる。いつもの彼からは想像できないほど、焦りを含んだ制止だった。
「それが何を意味するのか──」
「わかってるよ」
「ならば、なおさら許可できません」
「フィオ……?」
ローゼリアには、二人が何を知っているのか分からなかった。セラフィオンは答えない。ただ、耳飾りの入った木箱を持つ指先だけが、わずかに白くなっていた。
エリオだけが、いつものように笑った。
「大丈夫だから」
金色の瞳が、まっすぐローゼリアを見る。
「僕を信じて」




