第70話 星を飲む石
王との密談を終え、研究塔へ戻った頃には、夜も更けていた。廊下には誰の気配もない。窓の外には、満天の星が静かに瞬いている。
セラフィオンは執務机の前へ戻ると、静かに椅子へ腰を下ろした。
今日一日で起きた出来事を思い返す。カシアン。エリシア。ヴァルディア。世界が選んだ王。そして──。
“ローゼリアには時間がない”
父として告げた、アストレイオン王の言葉だけが胸の奥へ静かに沈んでいた。
ふと視線を落とす。机の隅に、赤いリボンの箱が置かれていた。
「……そうでした」
誕生日。温室。あの穏やかな時間。箱を開ける暇もないまま、一日が終わってしまっていた。
指先で結び目をほどく。赤いリボンが、さらりと机へ落ちた。
箱の中には、小さな銀細工のクリップが収められていた。
細身の銀の意匠。先端には、夜空を閉じ込めたような深い青の宝石が一粒だけ嵌め込まれている。本へ挟めば栞に。胸ポケットや襟元にクリップ部分を差せばアクセサリーにもなる。研究者には実用的な贈り物だった。それでも、その青だけは実用とは違う温度を持っていた。
「……星蒼石とは珍しい」
思わず、その名が零れる。古代アストラにのみ存在すると伝わる希少鉱石。
“波長を飲み込む石”
長く身につけた者の魔力や王族性、魂の波長を少しずつ記録すると言われている。そしてこの石は共鳴できぬ者には、ただの青い石にしか見えないという。実証された例は存在しない。だから今では、幻の宝石と言われている。
箱の底から、小さな紙片が滑り落ちた。セラフィオンは拾い上げる。柔らかな丸文字だった。
『フィオへ
お誕生日おめでとう。
研究ばかりじゃなくて、
たまには休んでね。
ローゼリア』
思わず、小さく笑みが漏れる。
「……あなたらしい」
その時だった。──コンコン。静かなノックが響いた。
「どうぞ」
「セラフィオン様。夜分遅くに失礼いたします」
ミレイユはそう告げると、深々と一礼した。
「明かりが灯っていたので──まだ起きていらっしゃいましたか」
「ええ」
ミレイユは机の上の箱を見る。
「あら、これは。お気に召されましたか?」
「これは、王女殿下が?」
「はい」
ミレイユは嬉しそうに微笑んだ。
「リア様、プレゼントずっと迷っておられたんです」
「セラフィオン様は研究者だから、本に使える物がいいかしら。お仕事でも使える方がいいかしら……って」
「最後まで、とても悩まれていました」
セラフィオンは静かに宝石へ視線を落とす。
「それで、この石を」
「リア様が手に取った瞬間、光ったんです」
「店主も驚いていました。“星蒼石は想いを映す石ですから”と」
セラフィオンは少しだけ目を見開いた。
「……光ったのか」
「ええ」
「リア様も驚かれていましたけれど」
「“フィオのことを考えていたからかしら”って、笑っていらっしゃいました」
「“フィオの瞳と同じ色ね”ともおっしゃっていました」
ミレイユのローゼリアの声真似が似ていて、その姿が鮮明に想像できた。セラフィオンは目を細めた。
星蒼石を掌へ乗せた。冷たい。けれど、指先の温度を吸い込むように、ゆっくりと熱を帯びていく。
(……私に、応えた)
あの日、温室で見せたローゼリアの笑顔が脳裏をよぎる。あれほど穏やかな時間を、あと何度迎えられるのだろう。
「……礼を言う」
「リア様から伝言で、“エリオ王子殿下の七月の件で薬草を処方して欲しい”との事です」
セラフィオンの表情が、わずかに曇る。
(確かに……今回の時空干渉は、かなり身体に負担が掛かっているはずだ)
エリオは平然と笑っていた。だからこそ、誰も気づかない。
「すぐに調合し、明日エリオ王子殿下の宮殿へ私の方から届けよう」
「ありがとうございます」
ミレイユは一礼し、静かに部屋を後にした。再び一人になる。セラフィオンは星蒼石のクリップを、先ほどアストレイオン王から受け取った一冊の古い書物へそっと挟んだ。
宝石が月光を受ける。その瞬間だった。青い宝石の奥で、小さな星が一つ、瞬いたように見えた。
「……?」
ふと、ローゼリアと並んで見上げた流れ星が、一瞬だけ脳裏を過った。目を凝らす。だが次の瞬間には、ただの深い青へ戻っていた。
「……」
(本に挟むのは勿体無いな)
いつでも見える場所に置いておきたい。小さく笑い、銀のクリップを本から抜き、胸ポケットへ差し込む。
その日から、星蒼石は彼の胸元を離れることはなかった。この小さな星蒼石が、遠い未来で失われた王女を再び導くことを、セラフィオンは知る由もなかった。
セラフィオンは机に置かれた古びた書物へ視線を落とした。アストレイオン王から託された、人間側の創世神話。
静かに表紙へ手を添え、最初の頁を開く。
研究塔の窓から見える星空だけが、これから明かされる真実と、二人の遠い未来を見守っていた。
【第2幕完】




