第65話 揃う片割れ
王宮最奥──“月輪の間”。
半円状に並ぶ黒檀の議席。中央に広がる白い大理石の床。そして、天井一面を覆う巨大な円形硝子。そこから満月の光が評議の間を照らしている。
薄青い夜空に、月が浮かんでいる。天窓の向こうに月が現れたのは二ヶ月ぶりだった。たった数日前まで消えていたとは思えないほど、何事もなかったかのように。
「月は戻った」
アストレイオン王は静かに満月を見上げた。そのまま、誰にも視線を向けず、静かに呟いた。
「……やはり、始まったか」
その呟きを聞き取れた者はいない。王はゆっくりと評議の間を見渡した。
「この出来事を、どう見る」
「やはり双子の誕生が──」
「憶測だけで断じるな。根拠を述べよ」
「王族性の観測値に、乱れが確認されています」
ローゼリアは黙っている。ルカリウスが一歩後ろに立つ。その気配だけが近い。守るように。
「推測で結論を出すべきではありません」
セラフィオンが静かに口を開く。全員の視線が向く。
「現時点で分かっているのは、月が一時的に消失し、現在は正常な周期へ戻っているという事実のみです」
「ならば、なぜ消えた」
「……まだ断定できません」
嘘ではない。全部は言えないだけ。エリオだけが窓の月を見ている。
(戻っちゃったか)
(まだ終わらせてくれないんだ)
懐中時計を閉じる。カチ。その音だけが、妙に大きく響く。
「ならば、結論が出るまで王位継承の件は保留とする」
アストレイオン王が告げると、貴族達が息を吐く。けれど、エリオだけが知っている。
(保留なんかじゃない)
(もう決まってる)
(ただ、みんな知らないだけ)
月輪の間の評議は、静かに幕を閉じた。
ローゼリアは廊下に出た瞬間だけ息を吐いた。エリオは貴族達に捕まったようだった。隣にはセラフィオン。後ろにはルカリウス。三人の足音だけが、静かな石床を打っていた。
「少し、時間をいただけますか」
セラフィオンが口を開いたのは、人気のない回廊へ折れたあとだった。
「何の話?」
「耳飾りです」
その一言で、ルカリウスの足が止まった。振り返らない。ただ、気配だけが鋭くなる。
「北境の遺跡から発掘されたものが、私のもとへ届いています。報告書と共に、考古学者からの引き渡しです」
「……それが、俺に何の関係がある」
「あなたの木箱の中にある耳飾りと、対になるものです」
廊下の窓から、月が戻った夜の白い光が差し込んでいる。
「見せてほしいのです。あなたが持っている耳飾りを」
「……なぜお前が知っている」
「王女殿下のそばにいる者として、知るべきことを知っています」
ルカリウスがようやく振り返った。紫の瞳が、青い瞳を正面から捉える。警戒。それと、抗えない何か。
ローゼリアは二人の間で息を止めていた。
「……ルカ」
名を呼ぶ。それだけで、ルカリウスの肩からわずかに力が抜けた。
「……私室にある」
◇◇◇
騎士棟の私室。燭台の炎が揺れている。ルカリウスは机の上に無造作に置かれた木箱を取り出すと、黙ってセラフィオンの前へ置いた。
蓋を開く。紫色の石を嵌めた耳飾り。銀細工。花にも見え、欠けた月にも見える意匠。
セラフィオンは懐から小さな布包みを取り出した。ゆっくりと広げる。同じ意匠。同じ銀細工。同じ紫の石。ただ──左右が違った。対になっている。
「……っ」
ルカリウスの息が詰まる。ローゼリアも、思わず手を伸ばしかけた。
二つの耳飾りが、机の上で並んだ。燭台の炎が揺れ、紫の石が同時に光を跳ね返した。
ローゼリアは木箱の耳飾りを手に取ると、窓へ向かった。月明かりへかざす。紫色の石の中に、隠れるように古い紋章が浮かび上がる。
「フィオ、これ」
セラフィオンが近づく。布包みの耳飾りを同じように月明かりへかざした。同じ紋章が、浮かび上がった。
「月明かりで紋章が浮かぶとは……。北境の報告書に同じ紋章が記されていました」
「……これは何の紋章だ」
「建国以前の王家のものです」
ルカリウスは動かない。視線が、二つの耳飾りから離れない。
「母が、これを持っていた」
「はい」
「なぜだ」
セラフィオンは一拍置いた。
「アストラの文献にも、この耳飾りは登場します。ですが、記述は断片的で、肝心な部分が欠けています」
これ以上の言葉をセラフィオンは持っていなかった。持っている推測はある。だが、確証がない。確証のないことを、この男に告げるべきではない。
「……エリシアという名前に、心当たりはありますか」
「母の名だ」
「ヴェルモント家の書庫から出てきた肖像画にも、その名が記されていました」
ルカリウスの目が、わずかに揺れた。
「ヴェルモント……公爵家が……なぜだ」
「それも、まだ分かりません」
ローゼリアは二つの耳飾りを見つめていた。対になった紫の石が、同じ光を宿している。
(揃った)
何かが──揃った。それだけは分かった。
「一つ、聞いていいか」
ルカリウスがセラフィオンを見る。
「どこまで知っているんだ」
「今わかっていることだけを言います」
ルカリウスは頷く。セラフィオンは視線を逸らさない。
「あなたの母エリシアは、ただの使用人ではありませんでした。この耳飾りを持っていた理由が、血筋に関係している可能性があります」
ルカリウスの指先が、木箱へ触れる。母の遺した唯一のもの。それが、自分の知らない過去へ繋がっている。
「……母の、血筋」
「ええ。まだ仮説ですが──」
「仮説でいい。聞かせろ」
セラフィオンは一度だけ目を閉じた。そして、静かに口を開く。
「エリシアは、建国以前から続く一族の血を引いていた可能性があります」
廊下の外で、風が鳴いた。燭台の炎が揺れ、二つの耳飾りが同時に光った。
(……それは、俺の血でもあるのか)
ルカリウスは何も言わなかった。ただ、母が遺した片方の耳飾りを見つめていた。
(誰の骨だったんだ)
(母は、何を知っていた)
その問いに、まだ誰も答えを持っていない。
沈黙の中、セラフィオンもそれ以上は口にしない。ローゼリアの胸の奥で、何かが静かに動き始めていた。
「……続きは、調査が進んだ段階で」
「ああ」
ルカリウスは木箱を手に取ると、両方の耳飾りをそこへ収めた。
「持っておいてくれ」
セラフィオンへ、差し出す。
「……よろしいのですか」
「お前の方が、調べられる」
それだけだった。感情はない。ただ、合理的な判断。セラフィオンは無言で受け取った。
(何かが、動き始めている)
月が戻った夜。失われていた片割れが、静かに揃った。燭台の炎が、ふっと揺れる。誰も気づかない。
木箱の中から、誰にも聞こえない声が落ちる。
『……揃った』




